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東の国

84.誘拐ジルコン

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 夜明けとともに銀世界からやって来た大男と女神のようなエルフ、そしてそのエルフを背負っている大きな狐の獣人。異色のトリオは門番たちを大いに混乱させた。
 アテナの王騎士と、有名な鍛冶師。センデル王の来賓がこんな早朝に護衛も付けずに徒歩で来るとは誰も予想していなかったようで、本物か偽物か、裏側で議論が巻き起こっていたことは、真紘たちは知る由もなかった。

 三人は街の中心を目指して歩く。土で黒ずんだ雪が端に寄せられ、こんもりと山になっているため、歩道は通常の半分ほどの幅になっていた。
 夜間に降り積もった雪の上には足跡が残っていて、馬の蹄や熊のような形もある。
「へぇ、靴を履かない獣人もいるんだな~」
「アテナにいる獣人族は、ほとんどが人族との混血だって聞くから、確かに裸足の人はほとんど見かけたことがないね。センデルはもっと動物の姿に近い人が集まっているのかな?」
「露骨にワクワクすんなし」
「すねないの。大丈夫だよ、重盛が一番かっこいいから」
「はあ? それって二番もいるってことぉ……」
「ふっ、本当に君はかわいいね」
 真紘が重盛の頬をツンツンとつついていると、最後尾で見守っていたアルマが「待て」と二人を呼び止めた。
「どしたん、アルマ?」
「ここは西側か……?」
「ええっと、あと少しで東門に到着しますね……?」と真紘は答える。
 センデルは王都の真ん中に王城があり、東西南北にそれぞれ立派な門を構えているようだ。
 白と青の清雅な王城とはまた雰囲気が変わり、日本の城を彷彿とさせるようなシックなカラーリングは威風堂々たる姿で、存在感が凄まじい。
 アルマは地図を広げて辺りを見渡す。
 重盛はアルマの手元を覗き込み、驚愕の声を上げた。
「えっ、あはっ、うははっ! リーベ神官とフミちゃんがいる宿は真逆だねぇ」
「おっ、本当だ、悪い。山中では迷わないんだが、こうも建物が多いとな……」
「まだお店もやっていない早朝ですし、大丈夫ですよ。ゆっくり向かいましょう。そうだ、宿と真逆の位置ということは、アルマさんのご依頼主のご自宅が近いのでは? 場所だけでも下見していきますか?」
 リンゴン、リンゴン――。
 教会の鐘特有の清らかな音色が街に響き渡る。
「ああ、そうしてもらえると助かる。お前たちが良ければ下見を――」
 アルマが頷いたと同時に、重盛がピクリと耳を動かした。スンと息を吸って、真紘の膝裏に腕を差し込み抱きかかえる。
「えっ、どうしたの?」
「……事件かもしれないけど、そうじゃないかもしれない」
「事件かも?」
「ほら、でっかい虫が出てパニックになったとか? それもある意味、俺的には事件」
「こんな真冬に虫が出たらそれはもう事件だけど……。悲鳴が聞こえたの? まさかにおい?」
 胸元に重盛の鼻を押し付けるようにして抱き着くと「うう、嬉しいけど、今回は臭いじゃなくて音。男の悲鳴が聞こえた」とくぐもった声が聞こえた。
 重盛も走るために真紘を持ち上げたのだから、ここで立ち話をしているわけにもいかない。
「とにかく行こう! アルマさんは……」
「俺も行こう。乗り掛かった舟だ」
 三人は大通りを抜けて王城に一番近い豪華絢爛な宿に辿りつく。
 真紘を抱えていたとはいえ、重盛のスピードに難無くついて来るアルマは、巨体ながらも俊敏だった。真紘は、この人も救世主なのだと改めて感じた。


 王城の別館と見間違えるほどの立派な建物の前で重盛は足を止めた。
 頑丈そうな建物だが、壁に指を引っ掛けるような凹凸がない。外部からの侵入を阻む対策もされているようだ。
 真紘たちは宿の入口に飛び込むと、従業員たちは皆焦った表情を浮かべ、右往左往していた。
 ロビーには虎、熊、兎、牛、ねずみに猫。たくさんの獣人が制服に身を包みぎゃうぎゃうと鳴いている。早朝のためか客人の姿はなかった。
「ねえ! 悲鳴聞こえたんだけど、何かあったんすか!」
 真紘を床に降ろした重盛が叫ぶ。
「あ、がう、あの、フローラ侯爵様が……っ! もしかして神官様ですか! 治療を、治療をお願いします!」
 ハッとした支配人と名乗る虎の獣人が、物凄い剣幕でこちらに迫ってくる。
「はあ⁉ フローラ侯爵って一緒の列車で来たあのフローラ侯爵⁉」
 重盛は素っ頓狂な声を上げた。
 真紘も動揺を隠せず身振り素振りが大きくなる。
「全員でリゾート地に行ったのかとばかり思っていた。彼だけ商談を終えてからバカンスに向かうつもりだったんだ……。侯爵はどちらに?」
「最上階のお部屋です! ご案内致します!」
 支配人が走り出す。
 リーベを呼んでくる時間はないと判断した三人は支配人に続いて最上階に向かった。

 地上から二十五メートル。
 魔石で動くVIP専用のエレベーターを使用して辿りついたスイートルーム。
 非常階段へ続くドアは施錠されており、この魔石エレベーターは建物内からスイートルームに出入りできる唯一の手段である。
 専用の出入り口のため、エレベーターを降りてすぐ目の前にもう一枚扉がある。
 今はその扉は開け放たれており、部屋に続く廊下で、羊の獣人が覆いかぶさるようにしてフローラを抱えていた。
「聖魔法を使える者です!」
 真紘は駆け寄ってフローラの容態を確認する。
「悲鳴を上げたのは貴方ですか?」
 羊の従業員は首を振る。
「発見者は、奥にいる猫獣人の同僚です。フローラ侯爵様より朝の六時に起こすように仰せつかっており、伺ったところ、ドア越しに浅い呼吸が僅かに聞こえたと受付に飛んで来まして、数人で集まってスイートルームに向かいました。そしてマスターキーを使い、部屋に入ったら既に床に横たわっていて……。わた、わたしは、体温を何とか上げるためにこうして包んで……」
「素晴らしいご判断です」
 脈を確認するためにフローラの手を取ると、萎んだ風船のようなハリのない手首がコツンと床を叩いた。
「余った皮に青白い顔、まるで急激に無理矢理血を抜かれたみたいだ……」
「吸血鬼に血を吸われたみたいなこと? 血の匂いはしないけど」
 くんくんと鼻を鳴らす重盛の言葉を聞いて、真紘は確信した。
「そうみたい。血じゃなくて、体内の魔力が抜かれている。それなら僕の魔力を分け与えるイメージで……。冷静に、落ち着いて、大丈夫。必ず助ける……ッ‼」
 自分に言い聞かせるように呟き、息を整える。
 眩い白い光が真紘とフローラを包み、銀色の髪が無重力空間にいるみたいにゆらゆらと揺れ始めた。
 シャランシャランと心地のいい鈴音が室内に優しく響き渡る。
「嗚呼……なんて綺麗なの……。時の女神様みたい……」
 羊の従業員は静かに涙を流しながら、光の粒を纏う真紘を拝むように見守る。
 青白かったフローラの顔に色が戻ると、ふう、と真紘はひと息ついて眉を下げて笑った。
「あなたが低体温で危なかったフローラ侯爵を温めてくれていたから助けられました。ありがとうございます。もう大丈夫ですよ。奥で寝ている方は……」
「本当に良かった、ありがとうございます! 奥にいる執事の方は、フローラ侯爵様を見た瞬間にショックで気を失いました。なので、我々でベッドに寝かせて……。ですが、一体誰がこんなことを……」
「わかりません。現状わかっていることは、盗って、体内の魔力も奪って、すぐに逃げたということ……」
「盗った?」
 重盛は首を傾げる。
 この部屋にあるはずの物がない。
 真紘は天井を見上げ、目頭に力を入れてきゅっと目を閉じる。
「そう、あのアンノーンも狙っていた貴重なジルコンがないんだ。あれも宝石でありながら強力な魔力を蓄積した天然の魔石だからね。それがこの部屋から忽然と消えている。アンノーンが前に言っていただろう? 侯爵はジルコンを肌身離さず持っているって。スイートルーム以上に安全な場所なんてないし、取引も昨日の今日でまだ行われていないはず……ですよね?」
 エレベーターの前でアルマとこちらの様子を見守っていた支配人は、耳をへこっと折って力なく頷いた。
 不安と緊張が流れるスイートルームに、開け放たれた窓から、朝の爽やかな風が舞い込み、豪華絢爛な机から備え付けのホテルのロゴが入ったメモ用紙がひらひらと飛ばされる。
 そして窓枠に手をかけた真紘は、重く、深いため息をついた。
 


 ホテルの従業員の中でも一際屈強な熊とサイの獣人を見張りにつけて、フローラ侯爵とその執事は別室にて療養してもらうことになった。
 朝食の時間を終えて、連泊している客人以外のチェックアウト列ができ始めている。事を大きくしたくないホテル側の意向で、真紘たちはバックヤードに通された。
 高級そうだが古びたソファーに座るように勧められる。
 虎の支配人はハーヴィーと名乗った。
「この度はお客様の命を救っていただき誠にありがとうございました。なんとお礼を申し上げたら良いのか……」
「そんなお礼なんて……」
「フローラ侯爵とはずっと列車で一緒だったしな。助かって良かった。さすが真紘ちゃん。毎度現場に案内だけして丸投げしちゃってるな。ごめんね」
「ううん、謝る必要なんてこれっぽっちもないよ。むしろ重盛のおかげで事件に気づけたんだから、すべて君のおかげ。さすがだよ!」
「えへっ、へへ……」
 見つめ合う二人にハーヴィーは戸惑う。
 アルマは「気にしないでくれ。通常運転だ」とすっかり慣れた構えだ。
「ええっと、真紘様、重盛様は、クルーズトレインに乗車されていた神官様の御一行様なのですよね? ぜひ治療費をお支払いしたく……」
「申し訳ないのですが、僕は神官ではありません。王付き神官であるリーベ様の同行者です。勝手にしたことなのでお代は結構です。お気になさらず」
「で、ですが……」
「お気になさらず。神官以外が治療を行った者が罰せられるという法があるのならば、罪を償います……」 
 聖魔法の適正があるものは大体が神官の道に進むため、真紘のように神官ではないが使える、なんて前代未聞の話なのだ。自分から神官を名乗ったわけではないが、謂わば医師免許を持たぬスーパードクターであるため、あまり深く言及されたくはない。真紘は曖昧に笑って誤魔化す。
「まさか! 助けていただいた我々が恩を仇で返すなどあり得ません! お願いします。どうか謝礼だけでも――」
 食い下がるハーヴィーをアルマは制する。
「ハーヴィー。真紘は、あとから代金を請求したりホテルの評判を落とすような話を広めたりする男ではない。他のくそったれな守銭奴神官と一緒にするな。しかもこいつは俺と同じ、今代の救世主だ。安心しろ」
「なんとなんと……っ! そうでしたか! それは大変失礼致しました!」
 アルマの言葉で、ハーヴィーの表情が和らいだ。
 昨日の御者の反応といい、獣人以外は部外者という根本的な偏見を目の当たりにして、気持ちが少し落ち込む。
 気丈に笑みを浮かべている真紘を気遣い、重盛は大袈裟なほどの身振り素振りを交えてアルマに尋ねた。
「あ~、てかさ! もしかしてアルマと支配人って初対面じゃない感じ?」
「ああ、そうだ。以前ハーヴィーの自宅の風呂釜を直してやってな。今回は良い石が手に入るから、それを組み込んでホテルのロビーに大きな鏡面を造ってほしいという依頼で――……おっ」
 全員が視線を落とし、ズーンと暗い雰囲気が漂う。沈黙を裂くように上品な時計の音がポーンと鳴った。
「あのさ、もしかして、その石って盗まれちゃったジルコンだったりしちゃっ……たりするんだよなぁ~。マジかよ」
「重盛様のおっしゃる通りです……。アルマ様もわざわざご足労いただいたにも関わらず、大変申し訳ございませんが、依頼はキャンセルということで……。はっ、お代はお支払いいたします!」
「いいや。やってもいない仕事で金を取るなんてできっこない。一銭でも受け取ってしまえば、人命を救うほどの働きを無償で行った真紘に顔向けできないだろう」
「うっ……。ですが、せめて東の国へお越しいただいた際に発生した経費だけでも」
「ハーヴィー、本当に良いんだ。浮いた金は、必死の働きをした従業員たちの手当や、再犯防止の対策にでも充ててくれ」
「もちろんそれは別に出しますが……」
 納得のいかない表情のハーヴィーに、重盛は提案する。
「じゃあさ、フローラ侯爵を襲ってジルコンを盗んだ犯人を俺らで捕まえようよ! ジルコンを取り返せばアルマは仕事ができるし、ホテルも犯人が捕まって一安心っしょ?」
 ニコニコと笑って尻尾を揺らめかせる重盛だが、真紘は口元に人差し指を添えて考え込む。
「うーん……どうだろう。そうしたいのは山々だけど、センデルにもギルドはあって、そういうのは全部現地の冒険者や王騎士が担当するものだから、他所者が口を出してはいけないんじゃないかな。ブルームさんみたいにすべての人が優しいわけではないだろうし……」
「ブルームさんの優しさも分かりにくかったけどね? まあ、それはわかってるけどさ、悔しいじゃん! 同じ列車の仲間が襲われて、アルマの仕事まで奪われてんだよ? 邪魔になんないように調べるから!」
「そうは言っても、不審者がエレベーターを使っていれば、ホテルの方が気付くだろうし、地上二十五メートルのバルコニーだって飛べないとたどり着けないだろう? 魔法に特化したアテナ王国でも飛べる魔法を使える人は、片手で数えるくらいしか見たことがなかったのに……。羽の生えた獣人族は、結構いるのでしょうか?」
 真紘の質問にハーヴィーは答える。
「いいえ。鳥の獣人は希少種です。さらにその中でも二十メートル上空まで飛行できる者は滅多にいません。高い位置から急降下する形ならなんとか侵入することもできると思いますが、このホテルの目の前は王城なので、そちらに侵入する方がよっぽど難しいと思います」
「そうですか……。せめて窓から侵入したって目撃証言があれば良いのですが、これでは密室殺人未遂事件になってしまいますね……」
 一同は再び沈黙する。
「こんな早朝にうろうろしてるやつらなんか俺らくらいだもんな~。せめて防犯カメラとかあれば話は変わってくるんだけど」
 重盛の言葉に、真紘は拳をもう片方の手のひらにポンっと打ち付けて、目を輝かせた。
「防犯目的ならカメラじゃなくとも人が二十四時間いるじゃないか! 王城があるなら門の前にはどんな時間帯であっても必ず門番がいるはず。この部屋を直接見ていなくても、その時間帯に不審者を目撃した人がいるかもしれない!」
「ああ、いいじゃん! ギルドにはハーヴィーさんから連絡してもらって、俺らは俺らのできる範囲で犯人見つけてやろうぜ。つか、許可取って調査しようとするから止められんだよ。先回りしちゃえば怒られることもないし、止められることもないじゃーん?」
 重盛の言葉にアルマは豪快に笑う。
「ああ、もう重盛ってば……」
「だっはっはっは! 王騎士とは思えない発言だな」
「そうね。今は夫婦でやってるただの便利屋なんで」
 そして重盛は懐からぴっと二枚の名刺を取り出し、ハーヴィーとアルマに一枚ずつ名刺を配った。
 そして「何かあればこちらに連絡を」とウインクも忘れずに付け加える。
 かくして、三人は王城前で聞き込みをすることになった。

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