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新しい年

64.美しいものⅢ

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 見た目以上に重い隕石を屋敷に持ち帰った矢先、厩舎から人が飛び出してきた。
「ポール! 馬が暴れている、助けてくれ!」
「わかった、今行く! マリー様をよろしくお願いします!」
「気を付けてポール」
 厩舎へと走って行くポールを見送り、マリーは暫く厩舎の方を見つめていた。
「心配ですか?」
「あ、ごめんなさい。うちの馬は穏やかであまりこんなことがないから、驚いてしまって……。馬達に私達の不安な気持ちが伝わってしまったのかも。ローザ姉様用の馬も伯爵様からお預かりしていて、ただでさえ馬達も気が昂っているのに」
「最初に来た時にすれ違った馬車って伯爵家の馬車だったわけね。まあ、自分のテリトリーに新参者の馬がいるのも落ち着かないよな。大丈夫だって、ポール君ならなんとかしてくれるっしょ。風も吹いてきたし、そろそろ俺達は屋敷に――」
 重盛の言葉を遮るように、リドレー男爵の叫び声が聞こえた。
 何でいつもこうなるんだと言い残すと、重盛は風のようなスピードで屋敷へと駆けて行く。真紘はマリーと一緒に後を追った。
 屋敷の中は真紘でも感じられるほど薬のようなツンとした臭いが充満していた。応接間の扉は開いていて、床に男爵と重盛が転がっている。
「重盛!」
 一目散に重盛を抱きかかえると「依頼人じゃなくて俺の方優先するんだ」と鼻を摘まみながら笑っていた。
「バカっ! 茶化さないで」
「息止めて走って来たんだけど、この部屋が一番臭いやばくてさ、窓までたどり着けなかった。畑では感じなかったからやっぱり故意的にこの屋敷の中だけばらまかれてるわ。俺はいいから男爵の方見てあげて。また予告状届いて驚いて腰抜かしたっぽい」
「分かった。バルコニーまで運んで一回リリースするね」
「たはっ、釣りかよ、俺は魚かよ」
 腕力がなくとも魔法で重盛を浮かせて窓を開け放つことができる。教え子にも言い聞かせてきたが、大切な人を守るために魔法を会得していて良かったと改めて感じた。
 重盛をバルコニーに出すと、真紘は男爵の元に戻った。
 男爵はマリーに支えられ、椅子に座り直している。彼の手元を見ると、紙には今届いたばかりのメッセージが紡がれていた。
【本日二十一時 収穫されたばかりの宇宙の欠片を頂戴します 互いに良い結末になりますよう 怪盗アンノーン】
 真紘が読み上げるとバルコニーから重盛の声がした。
「美しいものってやっぱ腰かけ石のことだったんだな。マリーちゃん、この石渡しちゃっていいの?」
 拳サイズでも重い隕石は重盛が持っている。まっぽけに収納したので、この世界で盗めるとしたらもう一つのまっぽけを所持している真紘しかいない。
 マリーはほっと胸を撫で下ろした。
「構いません。それを渡せば畑を荒らされることもなく、お姉さまが嫁ぐ前に悪い噂が立つこともないでしょうから」
 男爵に石の一部を切り取ってきたことを伝えると、娘が目当てでなかったと知った彼は安堵の息をついた。
 そして怪盗が求めている物を盗りやすいように二十時前に玄関前に置いておくことになった。
 分かりやすいように張り紙を張っておこうと男爵は嬉々としている。これで一安心だとリドレー親子は喜んでいるが、真紘は素直に喜べなかった。

 そっと二人から離れ、バルコニーで胡坐をかいて座っていた重盛の隣に腰を下ろして膝を抱える。するとコテンと彼の顔が肩に乗った。
 度重なる重盛をピンポイントで狙った香害。この世界に来てからというもの、身体的に苦労が多い恋人が可哀相で仕方ない。
 労わるように優しく静かにまだ苦しいかと問う。
 ポールが馬を上手く宥めたのか、厩舎の騒ぎも収まり外は静かだ。
 頬に白い息がかかりじんわりと体温が上がる。たった今、治ったのだと重盛は真紘にだけ聞こえるように答えた。
「良かった。男爵様には悪いけど、外で待機するか屋敷を換気してもらうかしないとね」
「うん。てか、全然解決してませんって顔だな」
「だっておかしなことばかりだよ。香害は意図的に重盛だけを狙っている。まるで君をこの屋敷から遠ざけたいみたいに」
「誰かに変装して成り替わろうとしてるんじゃね? 獣人は鼻がいいから臭いでバレるのが怖いとか」
「それなら君が来た時点で最初から今くらい薬品をバラまいていたはずじゃない? 僕も戻って来てから薬品の臭いを感じ取ったよ。何で二度に分けたんだろう」
「一回目で追い返そうと思ってたけど、俺の体が思ってたより強かったんじゃね? 二枚目の予告状の文面からすると、腰かけ石が隕石だってことは元から知ってて、俺が削り取ったところを見てたわけじゃん。それで石をなんとしても手に入れたくなったから徹底的に俺をこの件から手を引かせようとしたとか。真紘ちゃんはともかく、俺は石を砕けるくらい強いってアンノーンも知ったわけだし」
 畑の周りに人はおらず、会話まで聞き取ることができなかったため、アンノーンもこちらが隕石を提供しようとしているとは思ってもいないのだろう。
 真紘の素性を知らない場合、真っ先に追い返したいのは獣人である重盛になるのも頷ける。
「恐らく怪盗アンノーンも自分を謳った予告状が届いたことをどこかで知って、様子を見に来ていたんだと思う。重盛の言う通り石を削り取ったタイミングで事情が変わった。もしかしたら前々から隕石を狙っていたのかもしれないね。そんな物なら喉から手が出るほど欲しいんじゃないかな。追い打ちをかけるように薬品をばら撒いたのは戦闘を避けたいか、単純ににおいを覚えられたくなかったから、又は重盛はが既に会ったことのある人物だったか――」
「ちょっと待って! 一度目の犯行予告は怪盗アンノーンの偽物が出したってこと?」
「一度目の予告状は今までと書き方が少し違ったんだ。時刻も宝の指定もなくぼんやりしていた。二度目の予告状は本当の怪盗アンノーンからだと思う。これを見て」と真紘が手を翳すと届いた二枚の予告状のホログラムが出現した。
【屋敷の中で一番美しいものを明晩、頂戴しに参ります。怪盗アンノーン】
【本日二十一時 収穫されたばかりの宇宙の欠片を頂戴します 互いに良い結末になりますよう 怪盗アンノーン】
「アンノーンは句読点を使っていない。しかも頂戴しますって言い切っているんだ。自信がある証拠だね。だから二度目が本物である可能性が高いと思う」
「じゃあ一度目の予告状の犯人は別にいて、結局美しいものってのは何か不明のままってこと?」
「うん。しかもアンノーンは【互いに良い結果になりますよう】と書いている。つまり一度目の犯人に気付いてるってことじゃない?」
「それってかなりやばいんじゃね? 美しいものも分かっていて、互いの獲物には不干渉でいようなって圧かけてるってことじゃねーか。同時に犯行に及ばれると手分けしなきゃいけなくなる」
「そうなんだよね……。隕石を渡して終わりならこのまま帰っても良かったんだけど、半分は未解決のまま。本当に男爵の言う通り美しいものがローザさんだった場合、大変なことになるよ。僕が身代わりになって彼女の部屋で犯人を待ち構えておくくらいしないと駄目かなぁ」
 冗談半分の案に重盛は目を見開いて固まった。
「……その顔何?」
「ぐっ、新しい扉開くところだった。でも意外だわ。真紘ちゃん女装とか嫌そうじゃん。女の子と間違えられるといつも背後に吹雪見えるもん」
「そりゃ嫌だよ。だけど似合うものは仕方ないじゃない。僕がフリフリのドレス着たら可愛いだろう。立ち上がって喋らない限り本気で女装したら男だってバレないよ」
「わははっ! 自信すげぇな! 可愛いのが似合う自覚はあんのね」
「まあね。女装してなくてもほぼ姉さんそっくりだから。それに姉妹にはさまれると御下がりもユニセックスな服ばかりで、ピンクとか着るのに抵抗すらなくなってくるよ。三番目に回って来る妹の方が嫌だったんじゃないかな、新しい服がいいってよく泣いてたから」
 どうりで昔からピンクの上着やパンツを履いていたわけだと重盛は昔の真紘の姿を思い返す。ヒロちゃんの趣味かと思っていたが、姉からの御下がりを強制的に着用させられていただけだったのだ。
 真紘も家計の助けになるのであればと男児が好みそうな色を強請ったことはない。
 慣れとは人の趣味嗜好の一部にすらなる。
 現に今日真紘が履いている桃色のパンツも重盛が買ってきたもので、特に何も言わず履いていた。
「姉ちゃんや妹ちゃんより真紘ちゃんのがキュートなカラー似合うぜ」
「それは流石に言い過ぎ、二人そろって琴ちゃんにぶん殴られるよ」
 クスクスと真紘は肩を揺らす。
 重盛も直接話したことはないが、真紘と真織を連れて弁当屋に来ていた真琴を知っている。かなり豪胆な性格なのは察していた。
「だけどダメ。似合いすぎるから。どうせ真紘ちゃんがローザちゃんの部屋で一枚目の犯人を待ち構えて、俺は隕石が回収されたか確認するために玄関前で待機しとけとか言うんだろ」
「おお、良く分かったね。正解」
「絶対ダメダメ! 何かあって真紘ちゃんが攫われたら困る。指一本ですら触らせたくないのに、おまけに香水たっぷりの服着て俺以外に可愛い姿見せるなんてぜったいにヤダ!」
「すごく個人的な理由じゃないか。でも重盛は室内より外の方がいいでしょ?」
「んん~ローザちゃんも玄関で待機してもらうとかどうよ」
「狙われてそうな物と人を一カ所に集めて守りやすくするってこと? 彼女が大人しく玄関に立っていてくれるとは思えないけど……」
「そこはちょいと眠っていてもらうとか」
 手刀の形を作る重盛に真紘はこらこらと窘める。
「だけど一カ所に集めちゃうのは名案かもね。怪盗も捕まえた方がいいんだろうし。でも優先順位は一枚目の予告の美しいもので、隕石はその次ね」
「よし、満場一致で正面で待ち構えるに決定な」
 二人だけの多数決で満場一致も何もないのだが、重盛の言う通り、共に待ち構えていた方が何倍も安心できる。
 今までも有事の際はずっと一緒に行動していたため、一人で戦える自信がなかったというのが本音だ。
 真紘もそれ以上の解決方法を見つけられなかったので素直に頷いた。

 作戦会議も終わったところで、ポールが厩舎から戻って来た。
 二枚目の予告状を見たポールも目を見開き口元を覆った。
「ポール、大丈夫……?」
「はい、腰かけ石の欠片は差し出すしかないようですね……。ですが、何を失うことになったとしても、俺はマリー様を必ずお守りしてみせます」
 その様子に男爵は感激し、ポールの背を叩く。
 まるで娘婿と義父のような関係性。
 この光景が本当になればいいのに、と真紘は祈った。
 それは重盛も同じようで、上手くいけばいいのにな、と寂しい声がした。


 野菜たっぷりの早めの夕食をご馳走になり、時刻は二十時を過ぎた。
 夕食にローザは現れなかったが、真紘が部屋まで迎えに行くと、彼女は思いの外すんなり玄関前で待機することに了承した。
 動きやすい服に着替えるからと部屋の前で待たされること十分。意外にもローザはドレスからベージュの作業着に着替えて出てきた。
 最初のフリルのドレスとのギャップなのか、違和感と驚きが勝り一歩だけ後退る。
「何か言いたそうね。これでも畑作業は手伝っているのよ。動くにはこれが一番便利なの。美しいものに値しなくなれば攫われることもないでしょう。それにこれじゃ志水様の方がご令嬢に見えるわね。間違われないように気をつけて」
「あの、僕もズボンを履いているのですが……」
 桃色の長い髪を一つに結んだローザと、銀色の髪をスラックスと同じ桃色のリボンで結わえた真紘は、知らぬ者からすれば姉妹に見えるかもしれない。
 廊下の途中にある大鏡に映った自分達を見た真紘は、どこかのお笑い芸人みたいだなと思った。
 玄関の前に着くと、ローザはキョロキョロと辺りを見渡した。
「一緒に来た獣人の方は今どこに?」
「松永なら外にいますよ。隕石が回収されるか見張っています」
「そう、それなら着替えなくても良かったわね」
 そう言うと、ローザは二階へ続く階段に腰かけて頬杖をついた。
 真紘は階段の下に腕を組んで立つ。そして服装以外の違和感の正体に辿りついた。
「もしかして普段は香水を付けていないんですか?」
「……もう夜よ。寝る前に付けるわけないじゃない」
「失礼ながら部屋の前にいても全く香りがしなかったので」
「はあ、そうね。普段は付けてないわ。畑と家の往復なのに香水なんていらない。甘い匂いに虫が寄って来るだけ、逆効果」
 ぶすっとした表情のローザは眉間に皺を寄せた。
 今日に限って付ける必要があったということは、子爵に会う予定があったからだ。最初に会った時も子爵家から与えられている馬車の中も甘い匂いが充満していたから間違いないだろう。
「子爵様が甘い匂いがお好きなんですか?」
「ぷふっ、全然、逆よ。子爵様は犬の獣人だから最後に嫌がらせしてやろうと思って。松永様を害するつもりはなかったのだけど、彼には悪いことをしたわね」
「そうでしたか。ん、最後って……。婚約していたのでは?」
「昨日まではね。今日の午前中に不貞の証拠を突き付けて婚約破棄してきたわ。私も最初は彼がどんなに女遊びが激しくても、うちに利益があるならいいと思ってた。だけどマリーが婿を迎えるって聞いて気が変わったの。だってあの子、昔からポールのことが好きなんだもの。それなのにトランシルヴァ伯爵って何よ。階級がうちなんかと比べ物にならないじゃない。そんな縁談断れるわけがない。それなら私が代わりに縁談を受けるまでのこと。以前から私が嫁に行ったらポールをマリーの婿にって言っていたのに、本当にお父様の大噓つき……」
「妹さんのこと大切なんですね」
「勿論よ。私は正直畑なんてどうでもいい。野菜も好きじゃない。勉強も嫌い。持っているのはこの美貌だけ。でもあの子はこんな私をお姉様と慕ってくれた。本当にいい子なの、好いた相手と結ばれる手助けくらいしたいじゃない」
 こんな私――。
 マリーも昼間に同じようなことを言っていた。正反対のように見えて、実は似た者姉妹。
 今日はやけに家族の事を思い出すのも、この見えない絆が原因だったのかもしれない。
「似たもの姉妹ですね」
「何を聞いてそう思ったのよ。そんなこと初めて言われたわ。貴方実はちょっと天然?」
「僕もそれは初めて言われました」
「まあ、いいわ。それからね、マリーはリドレー家を正しく愛している。そしてお父様や使用人からも愛されている。私にない物を沢山持っているんだもの。優しくしたいけど、ついいつも八つ当たりしてしまって、嫌な姉ね」
 ローザが真紘に興味を持ったのも一瞬で、あっという間に話の続きに戻った。ある意味一番楽なタイプであり、つい物思いにふけっておざなりな返事をしてしまう。
 高飛車なお嬢様から一転、ローザは懺悔するようにポツリ、ポツリと本音を溢していく。
 先ほど重盛を探していたのも香水が残っているかもしれないから。応接間から飛び出して行ったのも重盛の顔色を見てのことだった。
「ローザ様なりに誰かを思って行動していたのでしょう。空回りしていたのかもしれませんが、きっとまだ間に合いますよ。この騒動が落ち着いたら一度話し合ってみてはいかがですか? それに一方的に婚約破棄したことも男爵様に伝えていないのでは……」
「なんで分かるのよ」
「なんとなくですかね」
「……怒られたくない」
 困りましたね、と答えると、もっとちゃんと考えて、と睨まれた。


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