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余生の始まり

1.変わる姿と変わらぬ心

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 閃光が世界を包んだ。
 光は徐々に薄くなり、淡い光芒となって空に五本並び立っていた。
 その光源の一つに志水真紘はいた。

 辺り一面は白い壁。如何にもアンティークといった茶色の長椅子が何列も並んでいる。教会のようなこの空間は物音ひとつしない。
 厳かな雰囲気は教会らしいが、人の気配が全くしないことに気づき、途端に背筋に冷たいものが流れた。一体何が起こったのか全く分からないまま、沈黙だけが続いていく。
 教会らしい場所ということも相俟って、真紘は人類が及ばない領域に対する畏敬のようなものを抱いた。
 自分は先ほど帰宅して玄関の扉を引いた。
 握っていた鍵を探すも、手元には何もない。肩にかけていたスクールバッグも消えていた。体を起こして学生服のポケットをまさぐるも、スマートフォンすらない。
「……夢? 僕は気絶したのか? どうしよう、扉開けっ放しかも」
 息子の目立つ容姿を心配する両親から、防犯対策には気をつけろと幾度となく言われて育ったおかげで、施錠には人一倍気を付けていた。
 早く目を覚ませと頬を両手で軽く叩いてみるも、ただ痛みを感じるだけだった。
 今は跡形もなく消えた玄関よりも現状を把握すべきか。やけに痛む頬をさすりながらゆっくりと立ち上がると急激な倦怠感に襲われた。
 鮮やかなステンドグラスを背にして扉へと近づく。いつの間にかいた建物だが、不法侵入と訴えられたら言い訳もできない。教会なんて、クリスマスにケーキを食べて、数日後には神社で参拝し、彼岸に墓参りに行くようなザ・日本人には縁遠い場所だ。気軽に侵入して良い場所でないことくらい理解できる。
 人がいないか外の様子を伺おうと耳を扉に近づけようとした時、肩からサラリと髪が垂れた。
 絹のような美しい銀髪に驚き、真紘は後ろを振り返って漸く気が付いた。
 これは自分の髪だ。
 玄関にいた時は黒髪で、良く言えば無造作ヘアといった首にかからないような長さだったはずだ。
 気づいてしまったからには場所よりも身体の変化に恐怖を覚え、滝のような汗が止まらなくなった。真紘は思わず自分の体をぎゅっと抱きしめた。
 手や足は皺もなく、変わらない。白髪とは明らかに違うこの銀の糸は何だ。
 姿を確認しようと幾つかの扉を開けていくと、トイレを見つけた。
 そして壁にかけてある鏡を見て真紘は驚愕した。
「銀髪⁉ 耳もなんか尖ってる! のに、なんで、顔だけそのまま……」
 へなりと体の力が抜け、洗面台に両手をついた。
 顔だけそのままなのかと誰に対するでもない文句を口にしたものの、真紘は見慣れた自分の顔に少しだけ安堵した。
 むにっと頬を抓るとやはり痛みが走る。根拠はないが、十八年付き合ってきた自分の体に間違いないと感じた。大きく言えばこの世界に理解させられているといったところなのだろう。
 しかし、いよいよキャパシティの限界を迎え、どうにでもなれという気分になってくる。
「学ランに長い銀髪はなんとも……ははっ……っふふ……」
 髪と共に色素が薄くなった長いまつ毛に翡翠のような瞳、首から上と服装のギャップが甚だしい。
 現状あるだけの組み合わせといった、始めたばかりのゲームのキャラメイクのようなちぐはぐ感が可笑しく、真紘は小さく笑った。
 洗面台に両手をついたまま呼吸を整えると、自分は自分のままで、頭がおかしくなったわけではないと確信できた。笑う余裕すらあるのだ。
 鏡を見て、漸く自分という存在を認識できたからかもしれない。いつの間にか倦怠感もスッと消えてなくなった。

 真紘はとりあえず身の安全を確保しようと建物内を探索することにした。
 トイレを出て、先ほど碌に確認もせずに開け放った扉の中を見て回る。
 一つは懺悔室のようなもの。もう一つは四畳ほどの空間に木製の簡易ベッドがポツンと置いてあった。
 ステンドグラスから差し込む光は明らかに昼だが、夜を越すことになればここを起点にしても良さそうだ。外に出て安全を確保できればもう戻ってくることはないかもしれないのだけど。
 簡易ベッドがあるなら、毛布や携帯食もあればと思ってしまうのは贅沢だろうか。
 顔だけ見ればエルフなのだから、魔法が使えたらいいのに。
 エルフといえば魔法。ファンタジー映画や小説の定石だ。
 トイレに戻り、洗面台の蛇口は捻ってみたが、なぜか水がでなかった。よく見ると窓枠や床に埃が目立つ。人の出入りはあまりない場所なのかもしれない。
「水だけでも確保しないと」
 ため息をついて、何気なく、雨を受け止めるように手のひらを天井に向けると揺ら揺らと水の玉が宙に浮かんだ。驚いて手を胸元に引くと、浮いていた水は床にパシャリと音を立てて落下した。
 どうやら自分は見た目通り魔法が使えるらしい。
 水を継続的に流す、指先からライターのように火を灯す、電気の糸を垂らす、温風や冷風を出す、二つ同時に織り交ぜてみる。小学校の理科のような規模の実験を幾つか試した。
 ついでに埃が目立つ場所は水で洗い流して風で乾かす。勝手に使わせてもらっている罪滅ぼしとして掃除を行った。
 いきなり屋外に飛び出し、大きな魔法を放ってみるなんてことをしないのは、真紘の生真面目で慎重な性格が良く表れていた。
 パッと想像できることは大体再現することができると判った。
 特にふわりと宙に浮かぶことができた時は思わず感嘆の声を漏らした。ふわふわと夢のような世界でいて、ここは現実であると誰かが囁く。この気持ち悪さは初めて体験した
 浮遊感のせいではなさそうだ。
「今どれくらいのことができるんだろう」
 ふと口にした言葉と同時にゲーム画面のような半透明のポップアップが目の前に現れた。

 シミズ・マヒロ(十八)
 レベル:7
 職業:賢者
 種族:ハイエルフ
 ギフト:創造
 HP:14106
 MP:75100510

 とにかくシンプルなプロフィールながら、名前と年齢以外は見慣れない項目。おそらく創造とは先ほどのように考えたことを再現することなのだろうか。
 他人にもこのポップが見えるのかは今のところ不明だが、用心するに越したことはない。HPやMPの基準値は、この世界の常識を把握してから表示を調整した方が良さそうだ。
 真紘が名前以外を隠すように念じると、ポップが一瞬揺れて文字化けした。
 便利な能力だが、使い方一つで毒にも薬にもなる。こんな能力を持った者が当たり前の世界だったらどうしよう。
 魔法が使える高揚感よりも、不安が勝った。

 姿やできることを確認しているうちに三十分ほど経った。
 衣服以外で唯一、手元に残っていたシンプルな銀色のソーラー電波時計に視線を落とす。
 高校の合格祝いに父親からもらった大切な時計だ。
『真紘は臆病なところが短所だと言っていたけど、僕は慎重であることは長所だと思うよ。いざという時、行動できるように、どうすればいいか日々考えて、行動して、準備していると思えば全てに意味はあるんじゃないかな? もし、考えて、考えて、沢山考え抜いても答えがでなかったら、真紘が選んだ道を父さんは肯定するよ』
『どんな選択でも?』
『ふふっ、父さんにとってそれが正解だから。だから真紘はもう少し、自分の心に素直に生きてほしいな。高校では真紘の世界を広げてくれるような、素敵な出会いがあるといいね』
 父親からかけてもらった言葉をふと思い出した。
 この後、どうしたらいい、父さん――。
 チッチッチッ――。規則的な時計の秒針だけが真紘の問いかけに応える。
 反対の手で時計をきゅっと握ると、真紘は少しだけ涙がでそうになった。

 暫くステンドグラスを見上げて立ち尽くしていると、突然、大きな扉が開いた。
 爽やかな森の新鮮な空気が建物に流れ込む。
 入口に佇む若い男の髪は、光を背負いチカチカと瞬いているように見えた。それは秋晴れの中に揺れる黄金の稲穂のように眩しく、真紘は目を細めた。
「こんちは! あ! 学ラン……の、えっ、じーさん?」
「……違います。僕は志水、高三だよ。君は、四組の……九条院君かな?」
「そうそう! 俺クジョーイン君!」
 嬉々としてこちらへ歩いてくる様子に真紘は思わず後退りした。
 金髪で肩に着くほどの長い襟足、軽薄そうな雰囲気と喋り方だが、定期試験の上位十名、真紘の名前の少し後には必ず九条院の名前が入っていた。優等生なのかと思いきや、昼頃に登校してきたり、時折頬に大きなガーゼを貼っていたりと何かと目立つ彼のことは覚えていた。
 九条院重盛――。
 記憶の中の彼と、今の彼、一つだけ異なる点を除けば恐らく本人なのだろう。前々からどんな人物なのか気になっていたが、今はそれ以上に気になるところがある。
「その尻尾、本物……?」
 学ランのスラックスから狐のような尻尾が垂れ下がっている。ふわふわと揺れるそれに真紘の目は釘付けになった。
「そうなんだよねぇ。これ、マジもん。そんで俺もマジもんの九条院重盛君ってわけ! シミズってあの学校一有名な志水真紘君? 耳と髪はコスプレって感じじゃなさそうだね」
「有名かは定かではないけど、その志水だと思う……。僕も訳が分からないままこの見た目になっていたんだ。九条院君の耳と尻尾も?」
「そうそう。はぁ~、それにしても美人は何でも似合っちゃうねぇ! 校門を出たと思ったら、ここと似たような教会にいてさ。外に出たら光の柱が何本か立ってたから、一番近そうなところに来たってわけよ。夢かなぁと思ったんだけど、俺、真紘君とそんな喋ったことないのに再現度えぐいし、なんかここが現実って感じんだよねぇ。真紘君もそうっしょ?」
 重盛の勢いに圧倒され、真紘は頷くしかなかった。
「と、とにかく、一回落ち着かない?」
 椅子に並んで座って状況を整理して共有していく。
 重盛によると、ここの外は森で、空を見渡すと光の柱があと三本あった。つまり自分達と同じ境遇の人間があと三人いるのではと推測できた。
 目測で十キロほどの距離を重盛は走って来た。だが、息切れもなく、疲れもない。身体能力が明らかに人間離れしていると体感した。
 今なら今なら五輪で金メダルを獲れそうだとか、ドーピングで失格になりそうだとか等と、わりとどうでもいい会話を挟みながら一時間以内に得た情報を共有していく。
「ちなみに尻尾は感覚あるよ。最初はちょっとムズかったけど、今なら大回転もできちゃうかも。ほいっ」
 先ほどから気になっていたそれは柴犬と共に暮らしている真紘にとって堪らないものだった。ふわふわと揺れ続ける尻尾を掴むと、重盛は肩を揺らしてキャンと鳴いた。
「感覚あるって言ったじゃん、スケベ!」
「最悪だ……。この露出狂、二度とその毛ダマリを見せないで……」
「辛辣! いきなり触ったのは真紘ちゃんじゃん! あと先に言っとくと、尻尾はあるだけで、アニメでよくある妖狐みたいに火を吹いたりビーム出したりはできないっぽい。残念」
「ま、真紘ちゃん……。へぇ、そうなんだ」
 真紘は適度に相槌を打ちながら、一人で抱えていた緊張感が解れていくのが分かった。
 ほぼ話したことのない相手だが、同郷の同じ年頃というだけで学校の休み時間のような実のないおしゃべりが続く。タイプが違えど、話していて苦にならない相手はいる。まさに重盛はそうなのだろう。
 そしてまだ彼のステータスを確認していなかったことに気づき、宙を指でタップするように弾いた。

 クジョウイン シゲモリ(十九)
 レベル:7
 種族:獣人族
 職業:暗殺者
 ギフト:擬獣化
 HP:421064
 MP:93390

 尻尾があることから獣人族、擬獣化というのは理解できるが、暗殺者とはこれまた物騒な単語が並んでいる。目を丸くする真紘よりもさらに目を丸くした重盛が半透明のステータス画面越しに映った。
「えぇ、マジ? ゲームみたい……。待って、てか俺、暗殺者なの⁉ 人殺しなんてしたことないのにっ!」
「ふふっ、それを聞いて安心した。そういうスキルがあるってだけかもしれないし、そんな落ち込まないでよ。でも表立って名乗る職業ではなさそうだし、人に見られる前に隠しておいた方が良いかも。ちょっとやってみていいかな?」
「人殺しってちょっと疑ってたのかよぉ。隠すってどうやって? 真紘ちゃんは何なの、魔法使い?」
「僕は賢者らしいよ。こうやって」
 宙を指で弾いて、真紘は自分の文字化けしたステータス画面を並べてみせた。
 時間が経っても文字化けしたままの画面にほっとしながら、重盛の職業欄を指でなぞる。
「おお、読めなくなった、すげぇ! あのさ、職業欄って文字化けじゃなくて別のに変えれそう?」
「できるかな? やってみるよ、どんな職業にしたいの?」
 ステータスに指を乗せながら問うと、重盛は懐から短剣を二つ取り出した。
 柄や装飾の一切ないとはいえ、出されるまで真紘は全く気が付かなかった。
 初めから存在感のない黒い短剣なのか、暗殺者特有のスキルが働いているのかは不明だ。
「俺、剣士がいい。これ、あっちの教会の倉庫みたいなところで見つけてさ、護身用に借りてきたのよ。ん? 今度ちゃんと返すけどね? 緊急だからね? とりあえず今はズボンのベルトで落とさないように挟んでんだけど、ダサい?」
「わかってるって。僕にはない決断力と行動力、格好いいよ。ここの倉庫にも剣や杖があれば僕もそれっぽく見えたかな」
「……杖っぽいのなら森にいっぱい落ちてんよ」
 ここに来て初めて大人しくなった重盛は頬を染めて照れくさそうに視線を逸らした。
「嗚呼、君は暗殺者のままでもいいんだね。じゃあ、僕はそろそろ行くから」
「嘘、ウ・ソ! 冗談じゃん? 街とかでいい感じの見つけたら報告するから! ねぇ~」
 腰に縋りつく重盛を引きずるようにして扉へ向かおうとすると、扉がまたしても開いた。

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