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第二部 春樹と菜々子
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(「イケメン課長の~」から遡ること約3カ月)
「ただいまーっ!」
玄関で大声を上げた僕は、次に壁の時計を見る。12時15分。いいタイミングで帰ってきた。繰り返す、12時15分。日曜日だというのに授業の4時限目みたいに正確だ。僕の後ろで菜々子が玄関の戸を閉めてくれた。夏の盛りだけに、狭い場所で彼女が後ろに立つと暑苦しい。
リヴィングから母が顔を出した。
「お帰り! 暑いのによく頑張るわね。あ、菜々ちゃんいらっしゃい」
「お邪魔します」
菜々子が僕の肩越しに頭を下げる。その拍子に、汗を含んだ菜々子の髪がぼくの鼻先に香った。
「上がれよ菜々。そこにスリッパあるだろ」
「あ、うん、ありがとう」
上り口でしゃがみ込んだ菜々子は、脱いだ運動靴を戸口に向けて揃えてからスリッパに素足を通し、立ち上がった。白いテニス用スコートからすらりと伸びるその大腿部に、僕の手の甲がかすかに触れる。炎天下で思う存分ラケットを振り、たっぷり2時間汗をかいた名残の湿り気が、菜々子の太ももから僕の手に伝わってくる。
たった今僕は、菜々子に「上がれよ菜々」と保護者のような口のきき方をした。というのも菜々子は僕と同い年の高校三年生にして幼馴染み、さらに付け加えるならば「 彼 女 」だからだ。そして、僕の自慢でもある。僕の大切な菜々子。だが、今のところ「菜々子」などと呼ぶのは自制し、小さい頃からの習慣で「菜々」と呼ぶようにしている。「菜々子」では夫婦みたいで気恥ずかしい。
そして、きょうは僕の18歳の誕生日でもある。毎年、僕は菜々子を家に招待して誕生パーティーを開いているのだが、今年は特別な意味があると僕は思っている。
なぜなら、近頃の僕は今まで以上に菜々子を愛おしく思っているからだ。セミロングの黒髪に少し丸めの顔、よく動く瞳、笑うと豊かに膨らむ頬。見ているだけで僕も笑顔になってしまう。しかし一方で菜々子の唇、それは荒々しいまでの豊満さで、時々僕は圧倒されそうになる。そして、気後れしそうなほど滑らかな耳の下から首筋にかけてのライン。
さらに首から下の菜々子は、僕にとっての女神に変わりつつある。白いTシャツを大きく持ち上げているその胸。それはこの1年で急激に成長した。すでに「少女」の域を脱した膨らみは、威圧するように僕に迫ってくる。そして胸の下には悩ましいカーブが腹部から腰、足へと流れ、ふくらはぎに至るまで僕の目を惑わせる。
これほどにも見事な肢体を自分のものにした菜々子。その表情に、今までにない自信が表れ始めたと感じるのは僕の気のせいとばかり言えるだろうか。
なぜそんなに、美しくなってしまったんだ菜々子。
こんなにも美しくなった菜々子と、いずれ僕は結ばれ……なければならない。まだキスさえ交わしていないが、彼女も僕にすべてを捧げることを少しも疑っていない。
昔から菜々子は、どんな事柄であれ僕の意思に従ってきた。遊ぶ時も、勉強する時も。そんな人形みたいなところが時々物足りないと感じることもある。だがそれだけに、僕は自分の欲望を悟られぬよう鷹揚な態度で彼女と接している。僕の愛情が、単なる劣情と混同されるようなことはあってはならない。
自分と菜々子のラケットを抱えてエアコンの効いたリヴィングに入ると、僕の父──多岐沢伸一郎──がポロシャツ姿でソファに座り、ゴルフのパターを磨いていた。僕たち二人の姿を見て、眩しいものでも見るように目を細める。
「おう。テニスやってきたのか」
「うん、3セットフルにやったよ」
「3セット? 外は31度だってのにご苦労さんだな。菜々子ちゃん平気か?」
58歳で自称ナイスミドルの父に声を掛けられ、菜々子は顔を赤くして、「全然平気です!」と答えた。
「無理して春樹に付き合わんでもいいよ。熱中症で倒れたりしたら大変だ」
「いえ、無理はしてません。そこは適当に」
「適当でいいんだよ! 何せこいつは、テニス部引退したばかりで精力持て余してんだから」
これは、いかに温厚な僕でもひと言言わぬわけにいかない。
「おい親父。言葉のチョイスに気をつけろよ」
女の子の前で「精力」とは何だ「精力」とは。もちろん僕は、父の挑発に乗ってNGワードを復唱したりはしないが、父は「精力には違いないだろう」とどこ吹く風だ。
「お前たち、シャワーでも浴びてこいよ」
僕は菜々子の方を振り向き、「君が先に浴びてきなよ」と促した。もちろん着替えやタオルは持参していた。
菜々子は「いい?」と僕の顔を見てから、「それじゃ、お言葉に甘えてお風呂場を」と言って父に頭を下げる。父が菜々子の全身を舐めるように見て、さらにろくでもないことを言う。
「一緒に浴びてきたらいいじゃないか」
「父さんやめろよ。僕らはまだそこまで行ってないから」
「何だと? 何をグズグズしてるんだ。私たちの若い頃はな」
「エロ親父そこまで! さ、菜々。こっちだ」
僕は菜々子の肩を押し、一緒にバスルームまでついて行った。洗面台にある新しいドライヤーの使い方などを教えてやりながら、父の雑言を詫びた。
「すまない。あのくらいの歳になると、多分変態も日常レベルになってきて見境がないんだよ」
「仕方ないわよ。見た目が素敵なオジサマでも中身は誰も同じみたいだし」
「おい……」
菜々子。君のその、無駄とも思える包容力がいつか仇になるのではないかと、僕は不安を覚えずにはいられないのだ。
「あれを『素敵』って言うの?」
「模範的な熟年男性じゃない? 少し若い頃のロバート・デ・ニーロって感じで」
「……間違っても本人には言わないでくれよ」
僕はげんなりした。「少し若い頃のロバート・デ・ニーロ」。それは以前、酔った父が「会社でそう言われた」と自慢げに吹聴していたのと見事に符合していた。
確かに、今年58歳の父は「熟年」に違いない。そして僕は父が40歳の時に生まれた末っ子だ。
「晩御飯の時なんかもっときわどい話するでしょ?」
「……まあね」
菜々子はスポーツバッグからタオルや下着、シャンプーなどを手早く取り出しながら微笑んでいる。最近はこういう持ち物でも、僕の目から隠したりしなくなった。それを僕は素直に嬉しいと思う。
「ああいうお父さん、私は全然平気だから。でも春樹、先に入っちゃってごめんね」
「大丈夫、ゆっくり浴びておいで」
菜々子は僕に手を振ってバスルームの中に消えた。扉が閉められ、微かな衣擦れの音を僕は耳にした。そしてシャワーから水の噴き出す音。今、扉一枚を隔てて、菜々子がシャワーを浴びている。
僕はその場を離れた。リヴィングへ戻るまでの間、シャワーの湯が菜々子の体を伝い落ちるさまを僕は一瞬だけ想像した。菜々子の熱を帯びた肌を湯が伝っていく。肩から、豊かに張った胸の隆起の、その尖端を流れて腹へ、さらにその下に佇む神秘の場所に集まっては、あの、引き締まった両脚を流れ落ちていくのだ。
僕はその妄想を一瞬だけ脳裏に再生し、一瞬で消去した。
「ただいまーっ!」
玄関で大声を上げた僕は、次に壁の時計を見る。12時15分。いいタイミングで帰ってきた。繰り返す、12時15分。日曜日だというのに授業の4時限目みたいに正確だ。僕の後ろで菜々子が玄関の戸を閉めてくれた。夏の盛りだけに、狭い場所で彼女が後ろに立つと暑苦しい。
リヴィングから母が顔を出した。
「お帰り! 暑いのによく頑張るわね。あ、菜々ちゃんいらっしゃい」
「お邪魔します」
菜々子が僕の肩越しに頭を下げる。その拍子に、汗を含んだ菜々子の髪がぼくの鼻先に香った。
「上がれよ菜々。そこにスリッパあるだろ」
「あ、うん、ありがとう」
上り口でしゃがみ込んだ菜々子は、脱いだ運動靴を戸口に向けて揃えてからスリッパに素足を通し、立ち上がった。白いテニス用スコートからすらりと伸びるその大腿部に、僕の手の甲がかすかに触れる。炎天下で思う存分ラケットを振り、たっぷり2時間汗をかいた名残の湿り気が、菜々子の太ももから僕の手に伝わってくる。
たった今僕は、菜々子に「上がれよ菜々」と保護者のような口のきき方をした。というのも菜々子は僕と同い年の高校三年生にして幼馴染み、さらに付け加えるならば「 彼 女 」だからだ。そして、僕の自慢でもある。僕の大切な菜々子。だが、今のところ「菜々子」などと呼ぶのは自制し、小さい頃からの習慣で「菜々」と呼ぶようにしている。「菜々子」では夫婦みたいで気恥ずかしい。
そして、きょうは僕の18歳の誕生日でもある。毎年、僕は菜々子を家に招待して誕生パーティーを開いているのだが、今年は特別な意味があると僕は思っている。
なぜなら、近頃の僕は今まで以上に菜々子を愛おしく思っているからだ。セミロングの黒髪に少し丸めの顔、よく動く瞳、笑うと豊かに膨らむ頬。見ているだけで僕も笑顔になってしまう。しかし一方で菜々子の唇、それは荒々しいまでの豊満さで、時々僕は圧倒されそうになる。そして、気後れしそうなほど滑らかな耳の下から首筋にかけてのライン。
さらに首から下の菜々子は、僕にとっての女神に変わりつつある。白いTシャツを大きく持ち上げているその胸。それはこの1年で急激に成長した。すでに「少女」の域を脱した膨らみは、威圧するように僕に迫ってくる。そして胸の下には悩ましいカーブが腹部から腰、足へと流れ、ふくらはぎに至るまで僕の目を惑わせる。
これほどにも見事な肢体を自分のものにした菜々子。その表情に、今までにない自信が表れ始めたと感じるのは僕の気のせいとばかり言えるだろうか。
なぜそんなに、美しくなってしまったんだ菜々子。
こんなにも美しくなった菜々子と、いずれ僕は結ばれ……なければならない。まだキスさえ交わしていないが、彼女も僕にすべてを捧げることを少しも疑っていない。
昔から菜々子は、どんな事柄であれ僕の意思に従ってきた。遊ぶ時も、勉強する時も。そんな人形みたいなところが時々物足りないと感じることもある。だがそれだけに、僕は自分の欲望を悟られぬよう鷹揚な態度で彼女と接している。僕の愛情が、単なる劣情と混同されるようなことはあってはならない。
自分と菜々子のラケットを抱えてエアコンの効いたリヴィングに入ると、僕の父──多岐沢伸一郎──がポロシャツ姿でソファに座り、ゴルフのパターを磨いていた。僕たち二人の姿を見て、眩しいものでも見るように目を細める。
「おう。テニスやってきたのか」
「うん、3セットフルにやったよ」
「3セット? 外は31度だってのにご苦労さんだな。菜々子ちゃん平気か?」
58歳で自称ナイスミドルの父に声を掛けられ、菜々子は顔を赤くして、「全然平気です!」と答えた。
「無理して春樹に付き合わんでもいいよ。熱中症で倒れたりしたら大変だ」
「いえ、無理はしてません。そこは適当に」
「適当でいいんだよ! 何せこいつは、テニス部引退したばかりで精力持て余してんだから」
これは、いかに温厚な僕でもひと言言わぬわけにいかない。
「おい親父。言葉のチョイスに気をつけろよ」
女の子の前で「精力」とは何だ「精力」とは。もちろん僕は、父の挑発に乗ってNGワードを復唱したりはしないが、父は「精力には違いないだろう」とどこ吹く風だ。
「お前たち、シャワーでも浴びてこいよ」
僕は菜々子の方を振り向き、「君が先に浴びてきなよ」と促した。もちろん着替えやタオルは持参していた。
菜々子は「いい?」と僕の顔を見てから、「それじゃ、お言葉に甘えてお風呂場を」と言って父に頭を下げる。父が菜々子の全身を舐めるように見て、さらにろくでもないことを言う。
「一緒に浴びてきたらいいじゃないか」
「父さんやめろよ。僕らはまだそこまで行ってないから」
「何だと? 何をグズグズしてるんだ。私たちの若い頃はな」
「エロ親父そこまで! さ、菜々。こっちだ」
僕は菜々子の肩を押し、一緒にバスルームまでついて行った。洗面台にある新しいドライヤーの使い方などを教えてやりながら、父の雑言を詫びた。
「すまない。あのくらいの歳になると、多分変態も日常レベルになってきて見境がないんだよ」
「仕方ないわよ。見た目が素敵なオジサマでも中身は誰も同じみたいだし」
「おい……」
菜々子。君のその、無駄とも思える包容力がいつか仇になるのではないかと、僕は不安を覚えずにはいられないのだ。
「あれを『素敵』って言うの?」
「模範的な熟年男性じゃない? 少し若い頃のロバート・デ・ニーロって感じで」
「……間違っても本人には言わないでくれよ」
僕はげんなりした。「少し若い頃のロバート・デ・ニーロ」。それは以前、酔った父が「会社でそう言われた」と自慢げに吹聴していたのと見事に符合していた。
確かに、今年58歳の父は「熟年」に違いない。そして僕は父が40歳の時に生まれた末っ子だ。
「晩御飯の時なんかもっときわどい話するでしょ?」
「……まあね」
菜々子はスポーツバッグからタオルや下着、シャンプーなどを手早く取り出しながら微笑んでいる。最近はこういう持ち物でも、僕の目から隠したりしなくなった。それを僕は素直に嬉しいと思う。
「ああいうお父さん、私は全然平気だから。でも春樹、先に入っちゃってごめんね」
「大丈夫、ゆっくり浴びておいで」
菜々子は僕に手を振ってバスルームの中に消えた。扉が閉められ、微かな衣擦れの音を僕は耳にした。そしてシャワーから水の噴き出す音。今、扉一枚を隔てて、菜々子がシャワーを浴びている。
僕はその場を離れた。リヴィングへ戻るまでの間、シャワーの湯が菜々子の体を伝い落ちるさまを僕は一瞬だけ想像した。菜々子の熱を帯びた肌を湯が伝っていく。肩から、豊かに張った胸の隆起の、その尖端を流れて腹へ、さらにその下に佇む神秘の場所に集まっては、あの、引き締まった両脚を流れ落ちていくのだ。
僕はその妄想を一瞬だけ脳裏に再生し、一瞬で消去した。
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