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6 炎の谷
矢傷
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「ビジネス」と聞いて、俺の頭には真っ先に婢鬼と嫋鬼のことが浮かんだ。彼女らは恐らくこいつの手中にある。身代金ではないにせよ、何らかの解放条件でも提示してくるのかと思った。
「もっとも、見習いの君ではいささか不安があるかな?」
「気にするなよ。何でも言ってみろ」
「そうか。……先日も話した通り、僕らはこの新しい事業に大きな期待をかけてる。ここ日輪高校で展開しているのは試行形態の一つだけど、モデルケースとして非常に有望でもあるんだ。今までは君らとは、商売敵同士ながらも相互補完的な関係を保ってきたわけだが」
「そうなのか?」
除霊屋は「そうだとも!」と語気を強めた。
「これまでも、我々がお呼びじゃない時は君らの出番だったろ? だけどね、君らがこの先も今の業態に固執する限り、我々とは明確に、あらゆる意味で利害が対立することになる。分かる? だから我々としては、君らが賢明な判断を下すことを大いに期待している。……この話は、君から現当主にも伝えてくれると助かるよ」
「要するにあれか? お前らの傘下に入れってことか」
俺が鼻で笑うと、西塔は物分かりの悪い聞き手にうんざりしたかのように、目を天井に向けた。
「座光寺君、時代は動いてるんだよ。僕らだっていつまでも除霊屋を続けてるわけにもいかない。新しい分野ではこれまで僕らが培ってきたノウハウを存分に生かすことができるし、それは君らだって同じだ」
「お前らに従うならあの2体は戻って来るのか?」
「そりゃ無理だね。彼女らは自分の意思で君から遠ざかったんだから。取り戻せるかどうかは君次第だろうよ」
「そうか」
俺の中で何かが断ち切れた。幼年時代と今を繋いでいた、細い糸に似た何かが。
「もう一度言うぞ。お前らのやってることは不健全だ。新しい事業? 笑わせんなよ。手の込んだイメクラみたいなもんだろうが!」
西塔の冷徹な美少年フェイスが、別人のような悪相に転じた。歪んだ唇から低い唸り声を伴って「さんざん税金で食ってきた殺し屋が!」と悪態が発せられる。いい気味だこの野郎。お前のそういう面を早く見たかったぜ。
「君らは知らんだろうな……中世から近代、そして現在まで、我々がどれほど地べたを這いずるような辛酸を舐めてきたか。だが、もう君らが重宝される時代は終わりだ。これからは我々が権力と一体化する!」
盛大にイキッて見せた陰陽師が扇子を一振りすると、各自の晴れ姿を存分に見せつけてくれた3人が消える。代わって、ベッドのカーテンの裏側に黒い影が映った。
巫女の装束に身を包んだ可成谷鈴が、カーテンの裏から姿を現した。目の焦点が定まっていない無表情。両手をだらりと垂らし、夢遊病者のように俺の方へ歩み寄ってくる。
照明の下で影は床にくっきりと映って、彼女が生身であることを証している。しかし魂は他のところへ行っているらしかった。
「橘君お待ち遠さま。それじゃ、ごゆっくり!」
毒々しい笑い声を残して陰陽師は背を向け、微細な色素の粒となって四散し空中に溶け入った。
「おまえさまよ」
震える声が、可成谷さんの口を割って出る。
「気が遠くなるほど、この時を待ち焦がれたぞよ。おまえさま、なにゆえ妾から矢を逸らしたのか。おまえさまの矢をこの身に受け、おまえさまと妾は永遠の契りに結ばれるはずであった。なにゆえためらったのか」
「お前が怖かったのだ。許してくれ」
俺の傍らにいる御曹司は泣いて許しを乞うたが、さすがに「怖かった」という言い抜けには傍目にも同情する余地はなかった。そして当然のごとく妖狐も聞く耳を持たない。
「お怨み申しましたぞ。今も矢傷が痛む、賤しき勢子どもの、何十本となくこの身に突きたてた矢が! なにゆえその中に、おまえさまの矢が一本も無い? ああ、くちおしや……。賤しき毒が今も、我が血中に煮えたぎり、我が身を責めさいなんでやまぬ。この身は世の終わり、いや世が果てて後も、永劫に焼かれ続ける定めかとも思うた。おお……。こうしておまえさまにまみえることができようとは、ゆめにも思わなんだぞえ。今こそ、悔いを晴らしてくりゃれ。さあ、この胸に」
可成谷先輩は衣装の襟に両手を掛け、合わせ目を手加減無しに開いた。
「おまえさまの、猛々しくも貴い、太き矢を、思いきり突きたててくりゃれ。夜ごと夜ごと、閨のうちにてそうしたであろう! よもや忘れはしまいが? おまえさまよ!」
眦を割かぬばかりに目を見開き、歯を剥き出して、妖狐に憑かれた可成谷先輩はにじり寄ってくる。その胸元は帯のすぐ上までさらけ出されていて、俺はどこに目を向けていいのか混乱の極に達しながらも、どうにか橘との間に立ち塞がった。
「可成谷さんしっかり!」
こういう場面での定石に倣い、俺は彼女の頬を平手で2回張った。無論、先輩女子の頬の柔らかさを手のひらに感じる余裕などあるはずもない。襟を押し広げた姿のまま正気に返る気配がなかったので、俺は座光寺家秘伝の「五鈷杵」(「人形杵」とも呼ばれる法具)を懐から取り出し、彼女の額に押し付けた。
眼球が二つともぐるりと瞼側へ動き、喉から獣じみた甲高い咆哮が長く尾を引いて迸る。同時に、大きく開けられた口から霧のような何かがずるりと抜け出し、捩れるように躍って虚空へ消えた。
力を失って崩れ落ちる上級生女子を、俺は腋の下に両手を入れて支えなければならなかった。胸元を直してあげたのはその後だった。
妖狐は去り、橘幸嗣も後を……いや、正しくは逃げた橘の後を狐が追って行ったのだが、これは彼ら二人の問題だから厳密には俺が立ち入る案件ではない。さしあたり、狐=久目さんが離れた可成谷先輩の身体を「お姫さま抱っこ」するのは憚られたので、彼女の両腋に手を入れたままベッドまで引きずり、頭から静かに引き上げて寝かせた。
毛布を首元までかけて、多分に心残りがあるのを自覚しながらベッド横を離れてカーテンを引いた。乱れた黒髪がシーツの下までこぼれている残像を瞼の裏から追いやりつつ、その場に立って印を結び、不動明王の真言を唱えた。
西塔の力は未知数だが、結界の効力はあと3時間は持つはずだ。それよりも応接室に残してきた財部が気に掛かる。
「もっとも、見習いの君ではいささか不安があるかな?」
「気にするなよ。何でも言ってみろ」
「そうか。……先日も話した通り、僕らはこの新しい事業に大きな期待をかけてる。ここ日輪高校で展開しているのは試行形態の一つだけど、モデルケースとして非常に有望でもあるんだ。今までは君らとは、商売敵同士ながらも相互補完的な関係を保ってきたわけだが」
「そうなのか?」
除霊屋は「そうだとも!」と語気を強めた。
「これまでも、我々がお呼びじゃない時は君らの出番だったろ? だけどね、君らがこの先も今の業態に固執する限り、我々とは明確に、あらゆる意味で利害が対立することになる。分かる? だから我々としては、君らが賢明な判断を下すことを大いに期待している。……この話は、君から現当主にも伝えてくれると助かるよ」
「要するにあれか? お前らの傘下に入れってことか」
俺が鼻で笑うと、西塔は物分かりの悪い聞き手にうんざりしたかのように、目を天井に向けた。
「座光寺君、時代は動いてるんだよ。僕らだっていつまでも除霊屋を続けてるわけにもいかない。新しい分野ではこれまで僕らが培ってきたノウハウを存分に生かすことができるし、それは君らだって同じだ」
「お前らに従うならあの2体は戻って来るのか?」
「そりゃ無理だね。彼女らは自分の意思で君から遠ざかったんだから。取り戻せるかどうかは君次第だろうよ」
「そうか」
俺の中で何かが断ち切れた。幼年時代と今を繋いでいた、細い糸に似た何かが。
「もう一度言うぞ。お前らのやってることは不健全だ。新しい事業? 笑わせんなよ。手の込んだイメクラみたいなもんだろうが!」
西塔の冷徹な美少年フェイスが、別人のような悪相に転じた。歪んだ唇から低い唸り声を伴って「さんざん税金で食ってきた殺し屋が!」と悪態が発せられる。いい気味だこの野郎。お前のそういう面を早く見たかったぜ。
「君らは知らんだろうな……中世から近代、そして現在まで、我々がどれほど地べたを這いずるような辛酸を舐めてきたか。だが、もう君らが重宝される時代は終わりだ。これからは我々が権力と一体化する!」
盛大にイキッて見せた陰陽師が扇子を一振りすると、各自の晴れ姿を存分に見せつけてくれた3人が消える。代わって、ベッドのカーテンの裏側に黒い影が映った。
巫女の装束に身を包んだ可成谷鈴が、カーテンの裏から姿を現した。目の焦点が定まっていない無表情。両手をだらりと垂らし、夢遊病者のように俺の方へ歩み寄ってくる。
照明の下で影は床にくっきりと映って、彼女が生身であることを証している。しかし魂は他のところへ行っているらしかった。
「橘君お待ち遠さま。それじゃ、ごゆっくり!」
毒々しい笑い声を残して陰陽師は背を向け、微細な色素の粒となって四散し空中に溶け入った。
「おまえさまよ」
震える声が、可成谷さんの口を割って出る。
「気が遠くなるほど、この時を待ち焦がれたぞよ。おまえさま、なにゆえ妾から矢を逸らしたのか。おまえさまの矢をこの身に受け、おまえさまと妾は永遠の契りに結ばれるはずであった。なにゆえためらったのか」
「お前が怖かったのだ。許してくれ」
俺の傍らにいる御曹司は泣いて許しを乞うたが、さすがに「怖かった」という言い抜けには傍目にも同情する余地はなかった。そして当然のごとく妖狐も聞く耳を持たない。
「お怨み申しましたぞ。今も矢傷が痛む、賤しき勢子どもの、何十本となくこの身に突きたてた矢が! なにゆえその中に、おまえさまの矢が一本も無い? ああ、くちおしや……。賤しき毒が今も、我が血中に煮えたぎり、我が身を責めさいなんでやまぬ。この身は世の終わり、いや世が果てて後も、永劫に焼かれ続ける定めかとも思うた。おお……。こうしておまえさまにまみえることができようとは、ゆめにも思わなんだぞえ。今こそ、悔いを晴らしてくりゃれ。さあ、この胸に」
可成谷先輩は衣装の襟に両手を掛け、合わせ目を手加減無しに開いた。
「おまえさまの、猛々しくも貴い、太き矢を、思いきり突きたててくりゃれ。夜ごと夜ごと、閨のうちにてそうしたであろう! よもや忘れはしまいが? おまえさまよ!」
眦を割かぬばかりに目を見開き、歯を剥き出して、妖狐に憑かれた可成谷先輩はにじり寄ってくる。その胸元は帯のすぐ上までさらけ出されていて、俺はどこに目を向けていいのか混乱の極に達しながらも、どうにか橘との間に立ち塞がった。
「可成谷さんしっかり!」
こういう場面での定石に倣い、俺は彼女の頬を平手で2回張った。無論、先輩女子の頬の柔らかさを手のひらに感じる余裕などあるはずもない。襟を押し広げた姿のまま正気に返る気配がなかったので、俺は座光寺家秘伝の「五鈷杵」(「人形杵」とも呼ばれる法具)を懐から取り出し、彼女の額に押し付けた。
眼球が二つともぐるりと瞼側へ動き、喉から獣じみた甲高い咆哮が長く尾を引いて迸る。同時に、大きく開けられた口から霧のような何かがずるりと抜け出し、捩れるように躍って虚空へ消えた。
力を失って崩れ落ちる上級生女子を、俺は腋の下に両手を入れて支えなければならなかった。胸元を直してあげたのはその後だった。
妖狐は去り、橘幸嗣も後を……いや、正しくは逃げた橘の後を狐が追って行ったのだが、これは彼ら二人の問題だから厳密には俺が立ち入る案件ではない。さしあたり、狐=久目さんが離れた可成谷先輩の身体を「お姫さま抱っこ」するのは憚られたので、彼女の両腋に手を入れたままベッドまで引きずり、頭から静かに引き上げて寝かせた。
毛布を首元までかけて、多分に心残りがあるのを自覚しながらベッド横を離れてカーテンを引いた。乱れた黒髪がシーツの下までこぼれている残像を瞼の裏から追いやりつつ、その場に立って印を結び、不動明王の真言を唱えた。
西塔の力は未知数だが、結界の効力はあと3時間は持つはずだ。それよりも応接室に残してきた財部が気に掛かる。
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