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4 因縁
策に溺れる
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制服を来客用応接室に残してきたので、そこで装束を着替えてから可成谷先輩を探した。
校舎の廊下には「ゲスト」の影も形もない。途中、教室の戸口を恐る恐る開けて中を覗いても、やはり霊の影一つ認められなかった。土曜日だから彼らも登校していないということだろうか?
いや。嫋姉様は昨晩、反撃をくらう前に滅尽数を「生霊549、死霊22」と数えておられた。敗れたとはいえ、校内が閑散とするだけの結果は出したのだ。強いてそう考えることにした。
体育館裏のオカルト研究部に着いてみると、部屋には鍵が掛かっている。やむを得ず校舎の方に足を向けた。
2年2組の教室前まで来た。後ろ側の戸口に手を掛けたのだが、少し考えて開けるのを思いとどまった。中から複数の人間の話し声がしたので、気付かれぬように窓から中を覗いた。
保健室に見舞いに来た3人が向かい合って、妙にくつろいだ様子で話し込んでいる。バカ話に興じているでもなければ、深刻に日輪高の行く末を論じ合っているというふうでもない。強いて言えば、地味な討論でもしてるような雰囲気で、状況に不釣り合いな「呑気さ」が彼らを取り巻いている。現在の異常事態を完全に日常として受け入れてしまったような、俺にはとても同調できない違和感が伝わってくるのだ。
今が「日常」となってしまえば、俺に使命として課せられている「正常化」は、彼らには新たなストレスになりはしないか?
窓から見える範囲でざっと教室内を見回したが、やはり可成谷さんと漆原さんの姿はなかった。考えてみると、可成谷さんの姿がないのは土曜日だから不思議はない。俺を保健室に運んでから、午前の開門時間を待って下校したとみるべきだろう。
俺は意気消沈気味に教室を離れ、再び保健室へ足を向けた。後頭部の痛みも大分治まっていたが、もう少しベッドで横になっていようと思った。
保健室の戸を開け、一段と強さを増した日差しの中に踏み込む。その瞬間、なんとなく中の空気に違和感を覚えた。脱ぎ散らかして出たはずのパジャマが綺麗に畳まれ、冷蔵庫脇のパイプ椅子の上に重ねてあるのを目で捉えた後、何かに引き寄せられるようにベッドに歩み寄り、間仕切りカーテンを開いた……。
「雨の匂いがするわね」
ベッドに仰臥する可成谷先輩は、ゆっくり目を開いて首を回し、傍らに硬直して立つ俺を見上げてきた。
「座光寺君に降り注いだ昨晩の雨の匂い。それに、いろんな水が混じってるわね。涙とか、汗とか、それから……」
続きはお前が言え、とでも言いたげに可成谷さんは俺を見据える。言葉が見つからない俺に、彼女は「叫び声も」と続けて、視線を逸らした。
「立ってないで座ったら?」
「あ、はい」
俺はぎくしゃくしながら丸椅子に腰かけた。紺のハイソックスを履いた左足の、軽く折り曲げられた膝がちょうど目の前に来た。可成谷先輩は頓着する様子も見せず、まるで俺の浮遊霊がそこにいるかのように、天井に向かって話しかける。
「今さらだけど、おはよう」
「おはよう、ございます。あの、さっき寺川さんたちから聞きました」
俺は後頭部の傷に手を当てて、頭を下げた。
「運んでくださったそうで、ありがとうございました」
「いいの。それより歩き回ったりして大丈夫?」
「ええ……特に、何ともないみたいです」
「ならよかった」
チェック地のスカートの襞が勢いよく動き、ハイソックスの足が俺の視界から遠ざかった。身を起こした可成谷さんは、カーディガンの背中を俺に向けてベッドに腰掛け、髪を束ね始めた。
「先輩は、俺が倒れるところを見てたんですか」
口に咥えていたヘアピンを手に取ってから、彼女は「見てましたわよ?」とからかうような口調で答えた。
「すると、あの場にはやはり霊ではない何者かが」
「いやいや、君は朝礼台から一人で倒れて転げ落ちたの。背中から崩れるみたいな、かなりヤバい落ち方で。大雨だったけど寺川君は力あるからね、わりあい楽だったよ。しかし座光寺君大活躍だったね! 最後まで見ててすごく面白かった」
それ以上聞きたくなかった俺は、「面目もありません」と遮り、下を向いた。二呼吸ほど置いて、いくらか笑いを含んだ声を彼女は聞かせてきた。
「君がごっそり浚ったせいで、学校の中が寂しくなったね。すぐ元に戻るだろうけど、ふふ。……別に落ち込むことなんかないよ座光寺君」
「いえ、俺は最低です」
優しげな言葉をかけてくれる先輩女子に憂い顔を見せるという、男子にあるまじき甘えに俺はやすやすと身を委ねた。のみならず、儀式の準備からみじめな失敗に終わるまでの一部始終を、包み隠さず話した。
聞き終えた可成谷さんは、「策士が策に溺れたわけね」と言った。
とんでもない。誰が見たって無策の極みじゃないですか。そう口にすると、「策には違いないでしょ」と素っ気ない返事が返ってきた。
「連中が完璧に統率が取れてたのは分かるわよね? これが何を意味するかというと、彼らを指揮して自由自在に動かせるだけの力を持ったリーダーがいたということ」
「ええ、分かります」
「初めに出てきた部隊は囮だったわけね。もちろん朝礼台に立った教師も。それで座光寺君に全戦力を引き出させた上で、校庭の外にいる伏兵を投入する。古典的な釣り込み戦法ね」
「なるほど……確かに」
ベッドの反対側に腰かけていた可成谷さんが立ち上がり、俺の方へ歩み寄ってくる。
「君の使い魔のことも知ってたんじゃないかな」
「そうかもしれません」
ベッドを回ってきた可成谷先輩が、俺の正面に座った。後頭部に手を伸ばし、打たれた部位が分かるかのように手を当てる。痛みが一瞬走ったが、魔法をかけられたみたいに薄れていった。
校舎の廊下には「ゲスト」の影も形もない。途中、教室の戸口を恐る恐る開けて中を覗いても、やはり霊の影一つ認められなかった。土曜日だから彼らも登校していないということだろうか?
いや。嫋姉様は昨晩、反撃をくらう前に滅尽数を「生霊549、死霊22」と数えておられた。敗れたとはいえ、校内が閑散とするだけの結果は出したのだ。強いてそう考えることにした。
体育館裏のオカルト研究部に着いてみると、部屋には鍵が掛かっている。やむを得ず校舎の方に足を向けた。
2年2組の教室前まで来た。後ろ側の戸口に手を掛けたのだが、少し考えて開けるのを思いとどまった。中から複数の人間の話し声がしたので、気付かれぬように窓から中を覗いた。
保健室に見舞いに来た3人が向かい合って、妙にくつろいだ様子で話し込んでいる。バカ話に興じているでもなければ、深刻に日輪高の行く末を論じ合っているというふうでもない。強いて言えば、地味な討論でもしてるような雰囲気で、状況に不釣り合いな「呑気さ」が彼らを取り巻いている。現在の異常事態を完全に日常として受け入れてしまったような、俺にはとても同調できない違和感が伝わってくるのだ。
今が「日常」となってしまえば、俺に使命として課せられている「正常化」は、彼らには新たなストレスになりはしないか?
窓から見える範囲でざっと教室内を見回したが、やはり可成谷さんと漆原さんの姿はなかった。考えてみると、可成谷さんの姿がないのは土曜日だから不思議はない。俺を保健室に運んでから、午前の開門時間を待って下校したとみるべきだろう。
俺は意気消沈気味に教室を離れ、再び保健室へ足を向けた。後頭部の痛みも大分治まっていたが、もう少しベッドで横になっていようと思った。
保健室の戸を開け、一段と強さを増した日差しの中に踏み込む。その瞬間、なんとなく中の空気に違和感を覚えた。脱ぎ散らかして出たはずのパジャマが綺麗に畳まれ、冷蔵庫脇のパイプ椅子の上に重ねてあるのを目で捉えた後、何かに引き寄せられるようにベッドに歩み寄り、間仕切りカーテンを開いた……。
「雨の匂いがするわね」
ベッドに仰臥する可成谷先輩は、ゆっくり目を開いて首を回し、傍らに硬直して立つ俺を見上げてきた。
「座光寺君に降り注いだ昨晩の雨の匂い。それに、いろんな水が混じってるわね。涙とか、汗とか、それから……」
続きはお前が言え、とでも言いたげに可成谷さんは俺を見据える。言葉が見つからない俺に、彼女は「叫び声も」と続けて、視線を逸らした。
「立ってないで座ったら?」
「あ、はい」
俺はぎくしゃくしながら丸椅子に腰かけた。紺のハイソックスを履いた左足の、軽く折り曲げられた膝がちょうど目の前に来た。可成谷先輩は頓着する様子も見せず、まるで俺の浮遊霊がそこにいるかのように、天井に向かって話しかける。
「今さらだけど、おはよう」
「おはよう、ございます。あの、さっき寺川さんたちから聞きました」
俺は後頭部の傷に手を当てて、頭を下げた。
「運んでくださったそうで、ありがとうございました」
「いいの。それより歩き回ったりして大丈夫?」
「ええ……特に、何ともないみたいです」
「ならよかった」
チェック地のスカートの襞が勢いよく動き、ハイソックスの足が俺の視界から遠ざかった。身を起こした可成谷さんは、カーディガンの背中を俺に向けてベッドに腰掛け、髪を束ね始めた。
「先輩は、俺が倒れるところを見てたんですか」
口に咥えていたヘアピンを手に取ってから、彼女は「見てましたわよ?」とからかうような口調で答えた。
「すると、あの場にはやはり霊ではない何者かが」
「いやいや、君は朝礼台から一人で倒れて転げ落ちたの。背中から崩れるみたいな、かなりヤバい落ち方で。大雨だったけど寺川君は力あるからね、わりあい楽だったよ。しかし座光寺君大活躍だったね! 最後まで見ててすごく面白かった」
それ以上聞きたくなかった俺は、「面目もありません」と遮り、下を向いた。二呼吸ほど置いて、いくらか笑いを含んだ声を彼女は聞かせてきた。
「君がごっそり浚ったせいで、学校の中が寂しくなったね。すぐ元に戻るだろうけど、ふふ。……別に落ち込むことなんかないよ座光寺君」
「いえ、俺は最低です」
優しげな言葉をかけてくれる先輩女子に憂い顔を見せるという、男子にあるまじき甘えに俺はやすやすと身を委ねた。のみならず、儀式の準備からみじめな失敗に終わるまでの一部始終を、包み隠さず話した。
聞き終えた可成谷さんは、「策士が策に溺れたわけね」と言った。
とんでもない。誰が見たって無策の極みじゃないですか。そう口にすると、「策には違いないでしょ」と素っ気ない返事が返ってきた。
「連中が完璧に統率が取れてたのは分かるわよね? これが何を意味するかというと、彼らを指揮して自由自在に動かせるだけの力を持ったリーダーがいたということ」
「ええ、分かります」
「初めに出てきた部隊は囮だったわけね。もちろん朝礼台に立った教師も。それで座光寺君に全戦力を引き出させた上で、校庭の外にいる伏兵を投入する。古典的な釣り込み戦法ね」
「なるほど……確かに」
ベッドの反対側に腰かけていた可成谷さんが立ち上がり、俺の方へ歩み寄ってくる。
「君の使い魔のことも知ってたんじゃないかな」
「そうかもしれません」
ベッドを回ってきた可成谷先輩が、俺の正面に座った。後頭部に手を伸ばし、打たれた部位が分かるかのように手を当てる。痛みが一瞬走ったが、魔法をかけられたみたいに薄れていった。
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