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1 県立日輪高校
転校初日①
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・・・・・・・・・・・・・・
それから季節は廻って、俺は2年生になった。
生徒会長から「次の任務」を告げられた俺は、まず親父に相談することを考えていた。だが、帰宅早々母親に「今日から10日間の予定で出張」と知らされ、目の前が暗くなった。明日から日輪高校に転校しなければならないと話すと、母さんは「えー」と言ったまま言葉を失った。
俺の母、座光寺美奈江はもちろん親父の理解者である。座光寺家の事情は承知の上で結婚して俺が生まれたわけだが、親父が最近忙しすぎるのを気に病んで俺にも愚痴をこぼすようになっている。
息子まで引きずり回されたくないのは当然だろう。
「先方とはもう話が進んでたみたいでさ」
「でも明日からなんて、いくらなんでも断れなかったの?」
「ごめん。俺もよく分かんないうちにOKしちゃった」
「お父さんは承知してるのかしら」
母さんの心配顔が心苦しい。仕方がない、水際さんの勢いに流された俺が悪いのだ。
「何とかなるよ。ところで父さんの出張って、やっぱり『見送り』?」
「そうみたいね」
「見送り」は座光寺家の符丁で、政府筋からの依頼を意味する。この種の依頼が来ると1週間以上の出張になるのが普通だった。「見送り」での出張中、家族の側から携帯電話やメールで連絡を取ることは原則としてできなくなる。そして会社の方は欠勤扱いになるどころか、業務絡みの出張として扱われているらしい。このあたりの仕組みは俺には窺い知れない。「見送り」が終わると親父はいつも疲れ切って帰って来る。顔色も良くない。親父のそういう様子を見ても、「お客」の怨念レベルが松田美根子の比でないのは確かだと思う。
何より心配なのは、この「見送り」がここ1、2年急に増えていることだった。親父は話さないが、何かよくないことが世界で起きているのかもしれない。
リヴィングの時計はもう夜の10時を回っていた。「それじゃ、明日から30分早く家を出なきゃいけないから」と告げて自室に足を向けると、母さんはこう言った。
「何もお父さんのやるような仕事をあんたが引き受けなくたっていいのよ?」
まあ、明日になれば分かる。自転車を借りていた財部には日輪高校に転校する旨をLINEで送り、既読になっているのを確認してベッドに入った。
なかなか寝付けなかったので、あれこれと考えた。……水際さんは今日、黒板に縦書きで名前を書いて自己紹介する例のありがちなシーンを、転校というイベントの象徴としてことさら強調した。しかしそれはあくまで「迎え入れる側」の視点だ。彼女は意図的に転校生側の視点を排除している。当事者にすれば転校は「出会い」に先立つ「別れ」、すなわち通い慣れた学校や級友との別離として、 普通ならば 涙色でイメージされる。少なくとも俺はそう思う。
級友には何も知らせなかった。担任は俺のいない教室で、座光寺信光が突然姿を消したことをどう説明するんだろう。
考えてみれば、「転校」とは言っても短期滞在みたいなものだ。とにかく、自分から取り返しのつかないフラグを立ててしまうような愚は避けなければいけない。
翌朝。
7時半過ぎに自宅を出て最寄りの停留所からバスに乗り、八つ目のバス停で降りた。
自分が住んでいる同じS市でも、このあたりまでは足を運んだことがなかった。バス停の周辺は一戸建てが立ち並ぶ住宅地ではあったが、どの家も長年の雨風にさらされて汚れが着き、庭の手入れが滞って雑草や植木の枝が伸び放題のところも多い。住民の多くは高齢者だろう。スマホ画面の地図を見ながら静まり返った街路を歩いている俺の横を、配送車が時折スピードを上げて走り過ぎて行く。
そんな限界集落めいた住宅地に小さな菜園が交じるようになり、ほどなく常緑樹に覆われた丘が行く手を塞いだ。
森の陰に丘の上へ向かう坂の入り口が見え、手前の電柱に「S市龍王3××」という街路表示がある。上り坂の手前に立つと、両側から木々の枝が張り出して薄暗い緑のトンネルになっている。濃い常緑樹の枝は、緩い左カーブを描く急勾配の終わりを完全に覆い隠していた。
坂を3分ほどで上がりきるといきなり視界が開け、目の前に校門が現れた。銅板のプレートに普段見かけないフォントで「▼▼県立日輪高等学校」と記してあるのを確認し、腕時計を見る。
午前8時23分。家を出て50分経っている。余裕を持って来たつもりなのに1時間目の始業まであと7分しかない。
校庭の奥に立つ4階建て校舎の外観はどことなく煤けていて、築50年ぐらいありそうに見える。学校敷地の周囲は丈の高い木々に完全に遮られ、ことさら下界から切り離そうとしたかのような意図が感じられる。校舎の先に目を凝らすと、校門の反対側に当たる敷地の外はこれまた密度の濃い木立ちに覆われ、それが丘のふもとまで続いているらしかった。
河川の氾濫や津波……といってもこのあたりは海岸線から10キロは離れているが、そういう時の避難場所に想定されているんだろう。しかしここまでの坂は年寄りにはきつそうだ。
それにしても静かだった。「これが登校時間?」と疑うくらい、周囲には人が絶えている。始業間際だから既に生徒は全員教室内にいて、席に着いているということなのか? 息せき切って教室へ走る生徒はどこへ行ったのか?
……あるいは、1時間目より相当早く登校するのがここのルールなのかもしれない。それにしては、体育の授業で校庭に出ているジャージ姿の生徒が一人二人いてもよさそうなものだが……。こうもひと気がないと、廃校に足を踏み入れたような錯覚を起こしそうになる。
俺は無人の校庭の中央を迂回し、校舎に沿って正面の来客用玄関を目指した。1階の窓はすべてカーテンで閉ざされ、中は見えない。玄関にたどり着くと、両開きの扉は来客を待っていたかのように外に向かって開け放たれていた。
俺はいったん立ち止まって内部の様子を窺った。下足箱の先にはリノリウム張りの廊下が左右に延び、その奥には2階へ上がる階段があって、踊り場の高窓にはヒマラヤ杉の枝が左側から伸びているのが見える。5、6秒その場に立って人が現れないのを確かめてから、玄関の中に入った。
それから季節は廻って、俺は2年生になった。
生徒会長から「次の任務」を告げられた俺は、まず親父に相談することを考えていた。だが、帰宅早々母親に「今日から10日間の予定で出張」と知らされ、目の前が暗くなった。明日から日輪高校に転校しなければならないと話すと、母さんは「えー」と言ったまま言葉を失った。
俺の母、座光寺美奈江はもちろん親父の理解者である。座光寺家の事情は承知の上で結婚して俺が生まれたわけだが、親父が最近忙しすぎるのを気に病んで俺にも愚痴をこぼすようになっている。
息子まで引きずり回されたくないのは当然だろう。
「先方とはもう話が進んでたみたいでさ」
「でも明日からなんて、いくらなんでも断れなかったの?」
「ごめん。俺もよく分かんないうちにOKしちゃった」
「お父さんは承知してるのかしら」
母さんの心配顔が心苦しい。仕方がない、水際さんの勢いに流された俺が悪いのだ。
「何とかなるよ。ところで父さんの出張って、やっぱり『見送り』?」
「そうみたいね」
「見送り」は座光寺家の符丁で、政府筋からの依頼を意味する。この種の依頼が来ると1週間以上の出張になるのが普通だった。「見送り」での出張中、家族の側から携帯電話やメールで連絡を取ることは原則としてできなくなる。そして会社の方は欠勤扱いになるどころか、業務絡みの出張として扱われているらしい。このあたりの仕組みは俺には窺い知れない。「見送り」が終わると親父はいつも疲れ切って帰って来る。顔色も良くない。親父のそういう様子を見ても、「お客」の怨念レベルが松田美根子の比でないのは確かだと思う。
何より心配なのは、この「見送り」がここ1、2年急に増えていることだった。親父は話さないが、何かよくないことが世界で起きているのかもしれない。
リヴィングの時計はもう夜の10時を回っていた。「それじゃ、明日から30分早く家を出なきゃいけないから」と告げて自室に足を向けると、母さんはこう言った。
「何もお父さんのやるような仕事をあんたが引き受けなくたっていいのよ?」
まあ、明日になれば分かる。自転車を借りていた財部には日輪高校に転校する旨をLINEで送り、既読になっているのを確認してベッドに入った。
なかなか寝付けなかったので、あれこれと考えた。……水際さんは今日、黒板に縦書きで名前を書いて自己紹介する例のありがちなシーンを、転校というイベントの象徴としてことさら強調した。しかしそれはあくまで「迎え入れる側」の視点だ。彼女は意図的に転校生側の視点を排除している。当事者にすれば転校は「出会い」に先立つ「別れ」、すなわち通い慣れた学校や級友との別離として、 普通ならば 涙色でイメージされる。少なくとも俺はそう思う。
級友には何も知らせなかった。担任は俺のいない教室で、座光寺信光が突然姿を消したことをどう説明するんだろう。
考えてみれば、「転校」とは言っても短期滞在みたいなものだ。とにかく、自分から取り返しのつかないフラグを立ててしまうような愚は避けなければいけない。
翌朝。
7時半過ぎに自宅を出て最寄りの停留所からバスに乗り、八つ目のバス停で降りた。
自分が住んでいる同じS市でも、このあたりまでは足を運んだことがなかった。バス停の周辺は一戸建てが立ち並ぶ住宅地ではあったが、どの家も長年の雨風にさらされて汚れが着き、庭の手入れが滞って雑草や植木の枝が伸び放題のところも多い。住民の多くは高齢者だろう。スマホ画面の地図を見ながら静まり返った街路を歩いている俺の横を、配送車が時折スピードを上げて走り過ぎて行く。
そんな限界集落めいた住宅地に小さな菜園が交じるようになり、ほどなく常緑樹に覆われた丘が行く手を塞いだ。
森の陰に丘の上へ向かう坂の入り口が見え、手前の電柱に「S市龍王3××」という街路表示がある。上り坂の手前に立つと、両側から木々の枝が張り出して薄暗い緑のトンネルになっている。濃い常緑樹の枝は、緩い左カーブを描く急勾配の終わりを完全に覆い隠していた。
坂を3分ほどで上がりきるといきなり視界が開け、目の前に校門が現れた。銅板のプレートに普段見かけないフォントで「▼▼県立日輪高等学校」と記してあるのを確認し、腕時計を見る。
午前8時23分。家を出て50分経っている。余裕を持って来たつもりなのに1時間目の始業まであと7分しかない。
校庭の奥に立つ4階建て校舎の外観はどことなく煤けていて、築50年ぐらいありそうに見える。学校敷地の周囲は丈の高い木々に完全に遮られ、ことさら下界から切り離そうとしたかのような意図が感じられる。校舎の先に目を凝らすと、校門の反対側に当たる敷地の外はこれまた密度の濃い木立ちに覆われ、それが丘のふもとまで続いているらしかった。
河川の氾濫や津波……といってもこのあたりは海岸線から10キロは離れているが、そういう時の避難場所に想定されているんだろう。しかしここまでの坂は年寄りにはきつそうだ。
それにしても静かだった。「これが登校時間?」と疑うくらい、周囲には人が絶えている。始業間際だから既に生徒は全員教室内にいて、席に着いているということなのか? 息せき切って教室へ走る生徒はどこへ行ったのか?
……あるいは、1時間目より相当早く登校するのがここのルールなのかもしれない。それにしては、体育の授業で校庭に出ているジャージ姿の生徒が一人二人いてもよさそうなものだが……。こうもひと気がないと、廃校に足を踏み入れたような錯覚を起こしそうになる。
俺は無人の校庭の中央を迂回し、校舎に沿って正面の来客用玄関を目指した。1階の窓はすべてカーテンで閉ざされ、中は見えない。玄関にたどり着くと、両開きの扉は来客を待っていたかのように外に向かって開け放たれていた。
俺はいったん立ち止まって内部の様子を窺った。下足箱の先にはリノリウム張りの廊下が左右に延び、その奥には2階へ上がる階段があって、踊り場の高窓にはヒマラヤ杉の枝が左側から伸びているのが見える。5、6秒その場に立って人が現れないのを確かめてから、玄関の中に入った。
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