うちの総理が無自覚な魔性

山吹

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2.「交渉の場をベッドに移しますか?」

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「Shiiiii~~~t!!!」


 ホワイトハウス内にある、賓客用として特別に設えられた部屋に怒声が響き渡った。
 マホガニーの重厚なテーブルに拳を叩きつけたのは、年明けから正式に新大統領として就任したトランポリンである。

「せっかくSPまで追い払って二人きりの場を用意したってのに! シンノスケ・アベはどこへ行った!?」

 がっしりとした体躯に俳優としても十分通用しそうな端正なマスクの持ち主だが、現在その顔は怒りと失望に歪んでいた。

「首相は先ほど閣下へご挨拶申し上げたのち、主要幹部の方々に引き続きご挨拶申し上げております」

 真正面に腰掛けたまま、のんびりと答えた男を、トランポリンはぎろりとねめつけた。
 豪奢な部屋には男とトランポリンしかいない。

「お前は誰だ」
「私ですか」

 男は、部屋中に満ちる怒りの波動などどこ吹く風、とばかりにふらりと立ち上がった。
 端正な顔立ちだが、いっそ眠たげにすら見えるたれ目が特徴的である。
 最新流行のスーツを洒脱に着こなしてはいるが、どこか飄々とした「ゆるい」印象を見る者に与えた。

「先ほども申し上げたんですがね。日本国外務大臣、麻尾です」

 何気なく――と見えるが、実のところ洗練されつくした優雅な挙動で目礼して見せる。

「トランポリン大統領閣下に置かれましては、このたびの大統領ご就任、国を代表いたしまして心よりお慶び申し上げます」

 顔を上げた麻尾へ、トランポリンは思い切り鼻を鳴らした。

「お前なんぞに祝われてもカケラも嬉しくない。この部屋はシンノスケ・アベのためにわざわざ用意したんだぞ」
「それはそれは」

 麻尾はちらりと部屋の奥に視線を送った。
 二人が対峙するテーブルの隣には、何故か天蓋付きの広々としたベッドが置かれていた。
 ご丁寧にベッドシーツは星条旗の柄である。

「個性的な会見室で……大統領閣下の個性が際立ちますな」
「くだらん皮肉はいい」

 トランポリンは忌々し気に鼻を鳴らすと、葉巻を取り出して火をつけた。

「シンノスケ・アベのケツのために用意したベッドだ。貴様がジロジロ見るな!」
「失敬。しかし、何ともストレートな仰りようだ」

 麻尾は苦笑いらしきものをちらりと浮かべた。

「本場のアメリカン・ジョークはなかなか過激ですな」
「ジョークなわけないだろうが、イエローモンキーが」

 トランポリンは煙を吐き出すと、麻尾を睨んだ。

「俺はシンノスケ・アベをテレビで見た時に、何をしてでもこのケツを手に入れると誓ったんだ。相手が日本国首相なら、俺はこの国のトップになってやるってな」
「アメリカン・ジョークの次は、アメリカン・ドリームの話ですか」
「ドリームで終わらせていないから、今俺がここに座っているんだろうが」

 麻尾は軽く眉を上げて見せた。

「とてもそれだけで、あの激烈な大統領選を勝ち抜けるとは思いませんが」
「この国では、腕力はドルの重さによって決まる。俺の腕っぷしに比べれば、対立候補の奴らなどカス以下だ」

 トランポリンは厚い胸板をそらすと、麻尾に向かって煙を吐き出した。

「シンノスケ・アベを出せ。奴のケツと引き換えなら、TPP離脱についてお前らのたわごとを聞いてやってもいいぞ」
「魅力的な申し出です」
 
 麻尾は頷くと、おもむろに自らのネクタイに指をかけ、少し緩めた。
 広いテーブルの脇を滑るように歩いて、大統領の傍らに立つ。

「……が、この場の交渉は私に一任されていましてね。私のことは、安部の代わりと思っていただきたい」
「ほう?」

 トランポリンは初めてまともに麻尾をまじまじと眺めた。

「それは、貴様がシンノスケの代わりにケツを差し出すということか?」
「交渉の場をベッドに移したいのなら、閣下」

 麻尾は柔らかく微笑むと、トランポリンの目の前に手をついた。
 トランポリンが顔を上げると、眠たげな目がこちらを見据えていた。
 その細いまなざしの意外な鋭さに、トランポリン大統領ともあろう男がハッと息を呑む。

「……な、なんだ、その目は」

 麻尾は大統領を見つめたまま、シュッとネクタイを解いた。
 その瞬間、麻尾を取り巻く雰囲気がさっと色を変える。


「――ただし、ケツを出すのはあなたの方だ」


「なっ……!?」

 無造作に投げられた言葉とともに前触れなく襲ってきた荒々しい雄のオーラに、トランポリンは訳も分からぬまま、おのれの鼓動が高まるのを感じ、戸惑った。

「貴様、この俺をヤるつもりか!?」
「あなたのマチズモ(男性優位主義)はまだ青い」

 麻尾はふっと薄く笑んだ。

「単純な力任せでは通らんこともありますよ。就任祝いに、特別にそのことをお教えいたしましょう……Mr,プレジデント」


                 ◆◇◆
「……本当に、後を麻尾さんに任せてしまって良かったんですか?」

 ホテルの一室で、晋之介は不安げに振り返った。

「式典の際に祝辞を述べられたでしょう。あれで十分です」

 ノートPCに向かったまま、菅谷が答える。

「しかし、その後に特別に取っていただいた交渉の場には、大統領は僕をご指名でしたし……気を悪くされて交渉が難航していたら申し訳ないなあ」
「そんなことはありませんよ」

 菅谷はやっと顔を上げた。

「ああ見えて麻尾さんはその道のプロです」
「プロ?」
「あれで非常に雄々しいというか、究極の雄というか」
「え?」

 菅谷は咳払いした。

「……とにかく、あなたに心配されるほど彼は落ちぶれてはいない」
「そ、そりゃ僕はとんでもない未熟者ですが……マスコットとしてでも、その場にいるだけで雰囲気が変わるかも」
「……傍にいると逆に危ないんですよ」
「え?」

 ぼそりと呟いた菅谷の言葉が聞き取れず、晋之介は首を傾げた。

「何でもありませんよ。とにかく、彼に任せておけば問題ありません……特に、トランポリン氏のようなタイプは」
「そうですか……」
 
 浮かぬ顔のままの晋之介を見やり、菅谷はため息をついて立ち上がった。

「大丈夫です」

 淡々とした物言いながらも、晋之介の肩にそっと添えられた手は優しい。

「あなたは気負いすぎです。無理もないが……もう少し、あなたの組閣したメンバーを信じなさい」
「……すみません」

 晋之介は頬が赤くなるのを感じた。
 今さらながら、二人きりであることが意識される。
 あの峻厳な菅谷が、二人きりの時にだけはほんの少しだけ甘やかしてくれる。
 その事実が面はゆく、微かに後ろめたさを覚えつつも不思議な優越感を感じた。
 肩に添えられた手が滑り、そっと頬に触れそうになった、その時。


               コンコン。


 不意に響いたノックの音に、晋之介の肩が跳ね上がった。
 何事もなかったかのようにさっと手を引っ込めた菅谷が、大股で歩いていき、ドアを開く。

「ただいま。やれやれ」

 ふらりと麻尾が入ってきた。
 何故かネクタイはポケットに突っ込まれ、シャツのボタンがしどけなくいくつか開いている。

「いかがでしたか、交渉は」
「悪くないねえ。TPPについては改めて検討してくれるってさ」

 ベッドに腰掛けると、麻尾は大きく伸びをした。

「それって……すごいです、麻尾さん!」

 パッと顔を輝かせた晋之介に、麻尾はウインクして見せた。

「ま、蛇の道は何とやらってね。 意外に素直な大将だったよ」

                   ◆◇◆

「Holy……Shit……!」

 ぐちゃぐちゃに乱れたベッドの上で、トランポリンは毒づいた。
 快感の名残と屈辱に顔を赤く染めたまま、何とか身を起こす。
 震える手で葉巻を咥え、自らを取り戻すように一度、二度、と大きく深呼吸した時、ドアが遠慮がちにノックされた。

「大統領? トランポリン大統領閣下?」
「入るな!」
 
 怒鳴ったトランポリンは、葉巻をかみちぎって唸り声を開けだ。

「イエローモンキーめ……このままではすまさんぞ……!」


                 ◆◇◆
「帰りの飛行機は明日の午後だったよな。晋之介、明日ちょっとワシントン通りをぶらついてみるか? 俺が案内してやるよ」
「えっ、いいんですか麻尾さん! 僕、アメリカって初めてなんです!」
「……遊びできたわけではないのですが、二人とも」
「まあまあ、固いこと言うなって菅谷ちゃん」
 
 ニヤニヤと笑う麻尾に菅谷が苦虫をかみつぶした顔でため息をついた時、不意にノートPCの横に置かれたスマホが鳴り出した。

「――私だ。どうした?」

 スマホを耳に当てた菅谷が、さっとその顔を凍りつかせる。

「菅谷ちゃん?」

 ただならぬ雰囲気に眉根を上げた麻尾と、不安げな視線を送る晋之介に、通話を終えた菅谷が振り向く。

「――たった今、海上保安庁から報告がありました」

 その顔は厳しく、やや青ざめていた。



「根室半島沖の海域で、我が国の漁船とロシア漁船が接触事故を起こしたそうです……!」


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