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46. 馬乗りとか知らない目とか

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「えっ、東雲会にガサ入れって……警察が入ったってこと!?」
「そうです」

 朱虎はスマホの画面に素早く目を走らせてから何か打ち込むと、ポケットにしまった。

「会長の東雲錦以下、幹部連中はほぼ全員引っ張られたようです。……どうやら大規模な裏取引前だったようで、言い逃れ出来ない状況を押さえられたみたいですね」

 どくどくと心臓が激しく鳴り出す。
 蓮司さんが言ってた通り、本当に今夜だったんだ。
 海外のマフィアと麻薬の取引を行うって言ってた。蓮司さんはちゃんと阻止できたんだろうか。

「そ、そうなんだ……大変だね」
「しょっぴかれた奴らの中に獅子神さんの姿は無かったそうです。何人か怪我人も出たようですが、そちらにも姿は無かったと」

 朱虎の言葉に、最悪の想像は打ち消されてほっとする。

「そっか……あ、じゃあ取引はどうなるの」
「取引前にご破算でしょうね。東雲会はメンツ丸潰れで、多分このまま解体するでしょう」

 じゃあ、二年もかけていた蓮司さんの仕事は成功したんだ。
 あたしは思わず詰めていた息を吐いた。

「そっか……」
「しかし、絶妙ですね」
「えっ」

 顔を上げると、朱虎が煙草に火をつけるところだった。

「ガサ入れのタイミングですよ。まさに取引の直前、証拠が綺麗に揃ってるところにドンピシャで合わせてきやがった。」
「そうなんだ……そんなにぴったりだったんだね」
「ええ。おそらく、東雲会の中にネズミ野郎がいて情報をリークしたんでしょう」
「うっ」

 それってつまり、蓮司さんのことだ。
 吐き捨てるような朱虎の口調に嫌悪感が滲んでいて、あたしは背筋に冷たい氷でもつっこまれたような気分になった。
 いったん収まったはずの心臓がまた嫌な感じにバクバクし始める。

「……知ってたのかな」
「へっ!?」

 朱虎がぽつりと呟いて、あたしは心臓が口から飛び出しかけた。
 薄い煙から透かし見るように、朱虎の視線がこちらを向く。

「獅子神さんはリークされていたことを知ってたのかな、とね。……お嬢は何か聞いていませんでしたか?」
「へ……」
「例えば、日曜のデートは延期にしようとか、また予定を調整したいとか」

 まさしく夕方の電話でした会話だ。あたしが何とも言えずに固まっていると、朱虎は肩をすくめた。

「……まあ、どちらにしろ、今後どうするか考えないといけませんね」
「え、今後って……」
「獅子神さんとの結婚の段どりですよ」
「へっ!?」

 ぎょっとするあたしに朱虎は意外そうな顔になった。

「何を妙な声出してるんです。この前プロポーズされたんでしょう」
「えええっ、何で知ってんの!?」

 あたしが驚くと、朱虎は肩をすくめた。

「近々、オヤジの体調がいいときに改めて挨拶に見えると獅子神さんからご連絡を頂いたんですよ。おかげでオヤジがめちゃくちゃ張り切って、今は招待状を一人ひとり手書きで作っています」
「えっ、そんなことしてんのおじいちゃん……ていうか蓮司さん、いつの間に!?」

 知らないうちに外堀を埋められてる……!

「ただ、オヤジはあくまでも『東雲会の幹部』である獅子神さんにお嬢を任せるつもりですからね。東雲会がこうなった以上、獅子神さんは逮捕を免れたとしても役付きでも何でもないただのチンピラになる。オヤジが何と言うか」
「おじいちゃんは肩書で人を判断したりしないよ」

 朱虎の言い方が嫌味っぽかったので、あたしはむっとして言い返した。

「だいたい、おじいちゃんは東雲会のことが嫌いじゃない。おじいちゃんが蓮司さんを推したのは、東雲会の偉い人だからじゃなくて、病室での態度が気に入ったからでしょ」
「そうですね」

 反論されるかと思ったけど、朱虎はあっさり頷いた。

「そんな風に庇うってことは、お嬢の気持ちはもう決まってるんですね」
「え? 気持ちって」
「獅子神さんと結婚するんでしょう」
「はあ!?」

 唖然とするあたしをよそに、朱虎は煙を吐き出した。

「もちろん、きちんと筋は通してもらいますがね。でもお嬢自身がその気なら……」
「ま、ま、待って待って! 朱虎!」

 あたしは慌てて朱虎の言葉を遮った。

「結婚なんてできないってば! 蓮司さんとは無理!」
「何故ですか」

 だってあの人、実は警察だから。

 とはさすがに言えない。

「き……綺麗すぎてあたしじゃ釣り合わないでしょ! あの顔とずっと並んで過ごすのってすごいプレッシャーっていうか、比べられ続けて辛いなって」
「大丈夫ですよ、お嬢も可愛いですから。可愛い可愛い」
「あんたの可愛いって言葉、何の説得力もないどころかもはや煽りなんですけど!? あと性格にも難ありっていうか……とにかく、蓮司さんとは無理なの! だからちゃんと……」
「『蓮司さん』ね」

 朱虎の口調は最高に嫌味ったらしかった。

「人見知りのお嬢が男性を下の名前で呼ぶなんて、ずいぶん距離が縮まってるじゃないですか」
「それは、蓮司さんから『名前で呼んで欲しい』って頼まれたから」
「頼まれたからですか。なら『蓮司さん』から結婚してくれって頼まれてるんですから、そちらもかなえて差し上げたらいかがですか」

 いつもの朱虎らしくない突き放すような言い方に、心の底がひやりと冷えた。

「け、結婚はそんなに簡単なものじゃないでしょ」
「簡単に考えりゃいいんですよ。釣り合いが取れないだのなんだのグダグダ悩むなんてお嬢らしくもないことやめなさい」
「あたしらしくって……」

 朱虎は煙を吐いて、そっぽを向いた。

「ったく。本当、面倒くさい……」 
「メンドくさい!?」

 ブチッと頭の中で何かが切れた音がした。
 あたしはずかずかとソファに座る朱虎に近づくと、そのまま膝の上にどん! と馬乗りになった。
 ぎょっとのけぞる朱虎の襟首を掴み上げ、思いっきり怒鳴る。

「メンドくさいって何よ! 何でそんなイヤミったらしい言い方するのよ、朱虎のバカッ!」
「えっ、いや」
「あたしらしくないって何!? あたしみたいなアホは悩むキャラじゃないって言うわけ!?」
 
 こんなのはほとんど八つ当たりだ。
 事情を知らない朱虎に言ったって仕方ないって分かってるけど、どうしても止まらなかった。

「何が『簡単に考えりゃいい』よ、いろいろ事情があるんだから! 朱虎の方こそ、簡単に言わないでよ!」
「――お嬢!」

 朱虎が押し殺したような低い声で呟いた。小さな声なのに有無を言わせない迫力がこもっていて、空気がビリッと震える。

「――獅子神蓮司がどんな問題を抱えていようが、俺が何とかします。だから、お嬢は悩まなくていいんですよ」
「……な、何とか、って」

 蓮司さんの問題は、朱虎がどうにかできるようなものじゃない。
 そう言おうとしたあたしを目で止めて、朱虎は小さく頷いた。

「大丈夫です」

 紺色の瞳が鋭くあたしを射抜く。
 まるで獣だ。
 とびきり凶暴な獣が、あたしの合図ひとつで飛び出せるようじっと構えているみたい。

「あんたが欲しいなら、俺が必ずあの男を手に入れてやるから」

 『手に入れてやる』が『殺してやる』と聞こえた気がした。
 いや、聞き間違いじゃない。多分、ほとんど同じ意味だ。
 ここにいるのは本当に朱虎だろうか?
 今にも暴発しそうなのに、ぞっとするくらい冷たい目の男の人。


「……ちゃんと聞いて、朱虎」

 あたしはからからになった喉をごくりと鳴らした。
 朱虎の頬に手を当てて、眼を覗き込む。
 紺色の瞳が面食らったように瞬いた。

「プロポーズは断るつもりなの。あたしは、蓮司さんとは結婚しない」

 言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「悩んでたのは、どうやって断ったらいいのかなってことだから。……分かった?」

 息をつめて見つめていると、あたしを映している瞳からふと剣呑な光が消えた。

「……分かりました」

 声は穏やかさを取り戻している。張りつめた空気は一瞬で綺麗さっぱり消え去っていた。
 全身の力が抜けて、あたしはほっと息を吐いた。

「本当にいいんですか? 断って」
「いいって言ってるでしょ! 大体、朱虎が言ったんじゃない。結婚相手は、だ、抱かれてもいい人にしろって」
「……確かに言いました」

 朱虎は肩をすくめた。いつもの飄々とした朱虎だ。

「じゃあお嬢は、あの色男に抱かれるのは嫌だってことですか」
「ぎゃっ、その言い方やめて! 良い人だなーとは思うけど……違うかなって。やっぱり、キスとかその先とかは本当に好きな人とじゃないとヤだし」
「そういうことはお嬢が思うほど特別なもんでもないんですけどね。あんまりハードル上げちまうと実際に経験した時がっかりしますよ」
「そんなことない! 絶対素敵だってば。だって、本当に好きな相手とだもん」

 呆れた顔をされるかと思ったけど、朱虎はふっと笑った。
 心臓がドキリと跳ねる。

「……お嬢らしいですね」
「えっ……な、何それ」

 あれ?
 今更だけど、朱虎の膝の上に馬乗りになって向かい合ってるこの姿勢って、ちょっと近すぎないだろうか。しかも朱虎の頬に手を当てたまま。
 これってなんだか、まるでキスする直前みたいな――

「見つかると良いですね、そんな相手が」


 もし今、あたしが本当にキスしたら、朱虎はどんな顔をするんだろう。
 いきなりそんな考えが頭に浮かんで、心臓がひときわ大きく飛び跳ねた。
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