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31. 身元引受人とか、謝罪とか

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「命に別条はありません」

 病室で、お医者さんはカルテを見ながらあたしに言った。

「よ……良かったあ……あんなに血がいっぱい出たから、どうなることかと」
「頭はたくさん血が出ますからね。見た目ほど酷くないですよ」
 
 あたしはほっと息をついた。
 ベッドでは頭に包帯を巻いたミカが呑気な顔で眠っている。

「まあ、あとは右足の骨と肋骨にヒビ入ってるくらいかな……トラックにぶつかったんだよね? 頑丈だね~、彼」

 お医者さんは感心したように首を振った。

「応急処置は君がしたの?」
「あ、いえ……連れが」
「へえ、お友達はお医者さんか消防士かな。満点の処置だよ」

 東雲会若頭補佐ともなると、そんなこともうまくなるんだろうか。

「まあ、大体一週間くらいで退院出来ますよ。で、ケガ人の名前は?」
「……えっ、名前?」
「知り合いでしょ、彼。カルテに書かなきゃいけないから、名前教えてくれるかな」
「あ……え、ええと」

 ミカの本名? 何だろう?

「――早瀬。早瀬巳影はやせみかげです」

 困っていると、後ろから涼やかな声がした。振り向くと、獅子神さんが病室に入ってきたところだった。
 助かった……ていうか、ミカってそんなカッコいい名前だったのか。

「はい、じゃ後で入院の手続きの説明しますからね。彼の身元引受人は……連絡先分かる?」
「あ、あたし……も未成年だから駄目か。じゃあ朱虎でいいや」
 あたしはお医者さんが差し出した書類に、サラサラッと朱虎の電話番号を書き込んだ。
「はいどうも……え、雲竜組? って、ヤク……」

 お医者さんはあたしと書類を何度か見比べると、わざとらしい咳払いをした。

「え、えーと……で、では失礼します。お大事に……」

 うーん、雲竜組の名前出したのはまずかったかな……。
 ぎくしゃくとお医者さんが出ていくのを見送ると、あたしは獅子神さんを振り返った。

「助かりました! 獅子神さん、ミカの名前知ってたんですね」
「ええ、以前アツシ君から聞いていたのを思い出しまして。……志麻さんこそ、名前も知らないのに身元引受人になっていいんですか」

 獅子神さんの言葉にはやや呆れたような響きが混じっている。

「だって、ほっとけないです。ミカ、実家からは勘当されて追い出されてるって言ってたし……あたしのこと、二度も助けてくれたし」
「二度?」
「誘拐されたとき、こっそり逃がしてくれようとしたんです。あっくんに見つかってボコボコにされちゃったんで、逃げられなかったんですけど」

 獅子神さんはますます呆れたような顔になった。

「それは……助けてないですよね」
「そ、そうなんですけど!」
「雲竜の方は噂通り、義理堅いですねえ」

 獅子神さんが感心とも呆れともつかない呟きをこぼした時、あたしのスマホが震えた。警察へ行った風間くんからメールだ。

《マジ最悪、警察が俺のハンディカメラなかなか返してくれねー、つーか俺も帰してくれねー。あと、朱虎サンに連絡入れといたぜ。すぐに向かうつってたから、病院の場所連絡してあげなよ》

 見ると、朱虎からのいくつか着信とメッセージが来ている。全然気づいてなかった。メッセージに既読がついたのに気付いたのか、読んでいるうちに新規メッセージが立て続けに届く。

《どこの病院ですか。迎えに行きます》
《いい加減、拗ねないでください》

 ムカッ。

「全然拗ねてなんかないし! 迎えに来てなんて頼んでない!」

 あたしは返信せず、スマホの電源を切ってバッグに突っ込んだ。

「どうかしましたか」
「あっ、いいえ、なんでもないですアハハ」

 作り笑いで誤魔化していると、すい、と目の前に缶コーヒーが差し出された。

「微糖しかなかったんですが、飲みますか」
「あ、いただきます」

 獅子神さんはさっとプルタブを開けてから渡してくれた。

「熱いですから気を付けて」
「は、はい。ありがとうございます」

 スマートだ……。
 気遣いが出来ていざという時に頼りになってイケメンだなんて、つくづく隙がない人だ。
 まあ、ヤクザだけど。

「……今日は、美術館は無理そうですね」

 そうだ、そういえば今日はそもそもお見合いの仕切り直しの予定だったっけ。
 そう考えながらコーヒーを飲みかけて、あたしはハッとして立ち上がった。
 あたし、まだ昨日のこと謝ってない!

「どうしました?」
「あっ、あの! ごめんなさい!」

 あたしは勢いよく頭を下げた。

「いえ、志麻さんが謝ることはありませんよ。事故に出くわすなんて、仕方ないですから」
「そうじゃなくて、昨日のこと! あたし、あの……水をかけちゃって、ほんとにごめんなさい!」

 獅子神さんが少し驚いたような顔になった。

「……ああ、お気になさらず」

 薄くて綺麗な唇がゆっくりと笑みを形作った。それなのに、目は全然笑っていない。
 なんだか急に雰囲気が変わった気がする。

「突然お店を飛び出して行かれたので、無事に帰られたか心配しましたよ。まあ、私の方はあの後、ずいぶん好奇の目にさらされましたが」
「す……すみません」

 朱虎みたいな重いプレッシャーはないけど、触れたら切り刻まれそうなひたすら冷たくて鋭い空気だ。
 怒ってる、確実に怒ってる。

「私の方こそ申し訳ありません。志麻さんのような若い女性には少し難しすぎる話でしたね」
「そ、そんなことは……」
「ご無理なさらないでください。相手の知識レベルに合わせて会話を選べなかった私が悪かったんです」

 うっ、柔らかな言い方ですごいチクチク刺してくる……。これがインテリの怒り方なんだろうか。
 あたしはひたすら縮こまった。気分は先生に叱られてる生徒だ。

「それとも、もしや志麻さんは晴後ガイアのファンでいらっしゃいましたか。随分お詳しいようでしたしねえ」

 うっ、しかもバッチリばれてるし。

「楽しみになさっている映画だと聞いて、色々調べていたのですが……志麻さんはもう少し気軽に楽しみたかったんでしょうね。私の方こそ気が利かずに失礼いたしました。どうも若い女性とは感性が異なるようで」

 獅子神さんの言葉がぐさりとあたしの胸に突き刺さった。
 そうか、獅子神さんはわざわざ映画のことを調べてくれていたんだ。考えてみたらあんなに一つの映画に対して語れるなんて、事前に準備していたからに違いない。
 うわ、何か本当に恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたいというか、穴を掘って埋まりたい。

「あのようなタイプの男性がお好きなのでしたら、私は志麻さんのご趣味とは合わないかもしれませんね。一緒に居て楽しめる相手では……」
「そんなことないです!」

 耐え切れなくなってあたしは叫んだ。

「あ、あの、その……違うんです。あたしが獅子神さんに水をかけたのは、獅子神さんの話のせいじゃなくて、その」
「志麻さん、病院ですからお静かに。どうぞ座って下さい」
「す、すみません」

 あたしは深呼吸すると、すとんと獅子神さんの横に腰を下ろした。

「――あの、あたしのお世話係の朱虎はハーフなんです」
「え?」
「それで、朱虎がうちに来た頃、よく半外人野郎って苛められてて……どこ行っても馴染めない半端者、とかよく言われてて」
「……それは」

 獅子神さんが僅かに目を見開いた。

「それで、その、ついその時のこと思い出しちゃってカッとなったっていうか……あ、もちろん獅子神さんが言ってたのは朱虎のことじゃないって言うのは分かって……るんですけど、反射的に……だ、だから!」

 あたしはもう一度、思いっきり頭を下げた。

「――獅子神さんは全然悪くないです! あたしが悪いんです、ごめんなさい! ケジメが必要ならやります! 指とか……頑張りますから!」
「ぶっ」

 ぶ?

 あたしは顔を上げた。
 獅子神さんが口元を押さえてうつむいている。その肩が細かく震えていた。
 まさか、あまりの怒りに震えて……!?

「くくっ……す、すみません、しつれ……ふふっ、くくくくっ……」

 じゃない、笑ってる!? 
 この状況で何故!?
 あたしはぽかんとして、密かに笑い転げる獅子神さんを見つめた。
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