婚約破棄十番勝負

桐坂数也

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婚約破棄十番勝負

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 クラーラは公爵令嬢。クリストフ王子の婚約者になったのは九歳のときだ。
 この国の第一王子の婚約者、将来の王妃という誰もがうらやむ地位である。

 だが世の中、それだけでは安穏としていられない。

 一日、クラーラは国王に呼び出された。

「クラーラ・ファン・アルゼンシェル、お召しにより参上いたしました」

 クラーラは慇懃に礼をほどこした。
 国王と王妃、未来の義父と義母とはいえ、ほとんど話をしたこともない雲の上の存在だ。緊張しつつ控えているクラーラに、国王は話し出した。

「クラーラよ、そなたはクリスの婚約者であるわけだが、世継ぎの婚約者とはただそれだけで妃にはなり得ぬ。その座を求めて、これからさまざまな者が挑んでくるであろう。婚約破棄の危機もあるかも知れぬ」
「はあ……」

 そういうものなのか。
 いったん王家が決めたことに異を唱えるとは、不敬もはなはだしいと思うのだけれど。
 と内心思ったクラーラだが、むろん口には出さない。

「そなたはそれらに、そなたがクリスの婚約者に相応しい者であることを示さねばならない。実力をもって婚約者の座を守るのだ。ライバルを排し、そなたこそが婚約者であるとクリスに認めさせよ。往く道は茨の道であろうが、そなたの奮闘を期待する」

 クラーラは黙って一礼した。そんなのありか、と言いたかったが、王族相手にそれはできない。

 まあいい。
 王子の婚約者となったときから、クリス王子にふりかかる火の粉は自分が払う、と心に決めていたのだ。その内に自分が入っているのは当然のことである。

 最初の婚約破棄の危機はクラーラが十二歳のときに訪れた。

「クリスさま。ご機嫌麗しゅう」

 艶めいた微笑みで王子に話しかけるのは、伯爵令嬢ウルリカと言った。
 伯爵家の者がそうそう気安く王子に話しかけられるものではない。だがウルリカはそんなことは歯牙にもかけなかった。堂々とクリスに近づき、擦り寄った。

 ウルリカはクラーラと同い年だが、そうは思えないほど大人びていて、すでに大人の色気をふんだんに振りまいていた。そのまま王子に近づいて大胆にその手を取り、胸もとへといざなう。

(なんとまあ……)

 クラーラはなかば呆れながら、その様子を眺めていた。あまりにも堂々としているので、回りの令嬢たちも咎めだてする機会をつかめないでいる。
 非難の視線も、ウルリカはまったく気にしていなかった。非難の視線は同時に羨望の眼差しでもあったからだ。

 伯爵令嬢ウルリカはその豊満な肢体を武器にクリス王子を攻略しにかかっている。そんな色香はクラーラにはない。

(というかウルリカ嬢、十二歳でその身体は反則では?)

 とクラーラは抗議のひとつもねじ込みたかったが、もてる武器を最大限活用するのは戦いの常道。女の闘いにおいても例外はない。

(だけど、使い方を誤ったわね)

 クリス王子は積極的に迫って来るウルリカ嬢に、顔を赤くして固まるばかり。憎からぬ様子にウルリカ嬢は手応えを感じてますます積極的になる。

(でも十三歳の男の子には、まだ刺激が強すぎてよ)

 クリス王子の表情にわずかな困惑があるのを、クラーラは見逃さなかった。クリスがあと少し大人の男だったら、ウルリカの魅力に一も二もなく落とされていたかもしれない。

 だが大人の女の魅力は、クリスには少し早すぎた。その様子を察したクラーラは午後のひととき、そっとクリスに近づいて側に座る。

「クリスさま。よいお茶を用意してございます。こちらで少しおやすみくださいませ」

 そう言いながら緩やかに微笑みかける。
 隣に座ってはいても、決して触れない。触れそうな位置にいても、自分からは動かない。
 もの言いたげに視線を向けるクリスに、その視線に気づいたふりをしてゆっくりと振り向き、微笑むのだ。今の彼にはこのくらいの距離感と色気がちょうどいいはず。その加減を間違うクラーラではない。

 表面上穏やかな、その実水面下での激烈な戦いのすえ、軍配はクラーラにあがった。クリスがはっきりと「ぼくの婚約者はクラーラだ」と宣言したのだ。ウルリカ嬢は破れ、クラーラの軍門に降った。

「よくやったな、クラーラ嬢よ。だがこたびの令嬢は婚約者候補の中で最弱、さらなる強敵がそなたの前に現れるであろう。ゆめゆめ油断せぬことじゃな」

 何だよその悪役の負け惜しみみたいな口上は、と思った内心はむろんおくびにも出さず、クラーラは国王に向かって一礼した。なにはともあれ危機は脱したのだ。

(まあ、天の時も味方したよね。あと数年遅かったら危なかったかも……)

 と、なだらかなままの自分の胸を見下ろしてクラーラがひとり述懐するのは後年のことである。

 次なる婚約破棄の危機は、クラーラ十四歳。相手は才気煥発な侯爵令嬢リズベットだった。

「クリスさま、そんな気弱なことでどうするのです!」

 男勝りな彼女は物怖じしない物言いで、クリスにぐいぐいと迫る。その一方で、「あなたこそこの国の正当なお世継ぎ、もっと自信を持ってよいのですよ」と相手を立てて微笑みかけることも忘れない。

「お世継ぎたるあなたには、それに相応しい人物が回りにいなくてはなりません。ご友人も、伴侶も」

 巧みに自分を売り込んでくるあたり、人心掌握にも長けた強敵である。

 むろんクラーラとて黙ってはいない。
 戦いはまず自分に有利な態勢に相手を引きずり込むところから始まった。あえて相手のフィールドに踏み込まず、泰然と振る舞いつつ様子をうかがう。
 果敢に突撃するリズベット嬢を軽やかにいなすクラーラ。そんな争いが続いた。もちろん周囲の令嬢の視線は、静かながら熾烈な女の闘いに興味津々である。

「お世継ぎに相応しい振る舞いが求められることもあるでしょう。ですがクリスさま、あなたはあなたのままでいてよろしいのですよ」

 すすっとクリスにすりより、ほろほろと微笑みかけてクリスの気分を落ち着かせる。
 才気あふれるリズベット嬢は、ときに踏み込み過ぎることがあった。そんな隙をクラーラが見逃すはずもない。

 居心地のよい、自分が帰るべき家、というイメーシを、クラーラはせっせと刷り込んだ。

「くっ、悔しいですけど、わたくしでは敵いませんわ、クラーラさま。あなたこそクリスさまの婚約者に相応しいお方。部外者は去るといたしましょう」

 やがて勝敗は決し、リズベット嬢もクラーラに降った。

「またも退けたか。さすがはクラーラ嬢、我らが見込んだだけはある」
「ほんとにそう思ってますか国王さま」

 と喉まで出かかった言葉を飲み込んで一礼する。真に目をかけてくれているなら、こんな波乱が訪れる前に止めてほしい。

「いったいわたくしは、あと何度このような試練を耐えればよいのでしょうか」

 思わずそう訊いてしまったクラーラの内心もわかってほしいところである。

「うむ、そうだな。世に十番勝負という言葉もあることだし」

(なんといい加減な)

 もしかしてこの方、わざと楽しんでやっているのじゃなかろうか。
 隣に控えるお妃さまを盗み見ると、たいへんにご満悦のご様子。やっぱりふたりして楽しんでいらっしゃりやがる。

「承知しました。このクラーラ・ファン・アルゼンシェル、婚約者の地位を守り抜いて見せましょう」

 けっこう。楽しみたければそれでよい。わたしはわたしの戦いをまっとうするまでだ。敗れるつもりはまったくない。

 こうしてクリスのもとにはまたも新たな女性が現れ、クラーラはそのたびに迎え撃った。

 クラーラとてのんびりと日を過ごしていたわけではない。将来ひとの上に立つ者となるため、そして降りかかる新しい女を退け、婚約者の地位を守るため、日々精進して己の能力を磨いていたのである。

 その甲斐あって、十五歳の時には挑んできた侯爵令嬢エルヴィラとの剣の立ち合いを一瞬で制し、婚約破棄の危機を免れた。
 同じ歳に現れたノーラは教会の司祭見習いであった。身分を越えた恋、というやつである。将来の聖女とも言われる手弱女に、属性が近いクラーラは苦戦したものの、神学の知識と魔法の腕で上回り、ねじ伏せた。

「今回も勝ちました。王さま」
「うむ、素晴らしいなクラーラ嬢。敵はますます強く、戦いは困難を極めよう。健闘を期待しておるぞ」

 いやですからあなたのご子息を少しは諫めて下さいよう、とはやはり言えず、クラーラは一礼する。王さまはじつに満足そうだ。図らずも格好の娯楽を提供してしまっていることに、クラーラは憮然とした気分になる。

(それにしてもクリスさま、気が多すぎではないかしら?)

 もともと顔も性格もいいハイスペックな王子さま。語り掛ける物腰は穏やかで、それだけで夢中になってしまう乙女は後を絶たない。おのれの特性くらい理解してほしいものである。
 将来の伴侶の女癖を憂慮しつつ、それをうまく捌くのも令夫人の役目であるとクラーラは思っていた。要は自分の手の内にあればよいのである。みごと、やりおおせてみせようではないか。

 十六歳になり、クラーラは高等学院に就学した。
 これから四年間、貴族たちは同じ学府で苦楽を共にするのである。

「やあ、クラーラ。きみが入学するのを心待ちにしていたよ」

 年長のクリスはすでに入学しており、新入生のクラーラを歓迎してくれた。その周囲にはご学友たちが居並んでいる。
 いずれもクラーラが厳選した者たちだ。今後国を背負って立つクリスに有能な側近は不可欠なもの。その候補としてクリスのそば近くに置いている。
 王族のそば近くにある者であるから、家柄はもちろん能力も充分に精査している。その顔ぶれは、宰相家の四男、辺境伯家の三男、大将軍の次男坊などであった。

「わざわざお出迎えくださって、光栄に存じますわ」

 ふわふわと微笑み返すクラーラの周囲にも、友人兼護衛の令嬢たちがはべっている。伯爵令嬢ウルリカ、侯爵令嬢リズベット。昨日の敵は今日の友、彼女たちは今やクラーラに心酔し、友人として、また手足としても有能であった。

 将来の王とその婚約者は、どこにいっても注目の的で、そして相変わらず挑んでくる令嬢も後を絶たなかった。そのたびクラーラは迎え撃ち、退けた。
 戦いのさなかクラーラは冷静に相手を観察し、相手の特性を見抜いては打ち破った。勝敗が決した後に使えるものは手の内に加え、害をなす者は放逐してクリスの安全をもはかってきた。

 二年も経つ頃には学園内でのクラーラの地位は盤石なものとなっていた。その間にも二度ほど婚約破棄の危機を潰している。

 一人目は大商人の娘リタ。クリスに一目惚れし、金にあかせて高価な貢物を贈る彼女には一時クラーラも劣勢に追い込まれたが、公爵家の財力とて劣るものではない。加えて、クリスが密かに集めている玩具のコレクションをクラーラは知っており、こっそり渡したレアものの蒐集品がクリスの心をぐいっとわしづかみにした。「内緒ですよ」といたずらっぽく笑ったのも効果絶大だった。人は共通の秘密には弱いものなのだ。

 もうひとりはエルフの娘、スティナ。ついに人族以外まで呼び寄せるとは、クリスの魅力が飛びぬけているのか、この国の王子という地位が破格なのか。慨嘆しながらもクラーラは、エルフが得意とする楽器勝負でピアノを弾き、圧倒的な実力差で相手を黙らせた。なにしろクラーラのピアノはその技巧に加えて大胆かつ奔放な表現が聴く者を圧倒する。

「素晴らしいピアノだ、クラーラさま。なんというダイナミズムだろう。それに、二度や六度の不協和音がなぜこうも魅力的に聴こえるのか、まったく理解できない。完敗だ」

 スティナは素直に頭を垂れた。その直前にもすでに弓勝負で、駆ける馬から弓を射てすべての的を射落とし、勝ちを認めさせているので、この結果はオーバーキルではないか、とリズベット嬢などは内心思ったりもしたが。

 もはや押しも押されぬ公爵令嬢クラーラに、だがまだなびかない者がいた。過去に敗れた侯爵令嬢エルヴィラである。

「ごきげんよう、クラーラさま。相も変わらず取り巻きを引き連れていますのね」

 堂々と臆することなくクラーラに対するエルヴィラの人気は意外に高く、家の都合で公爵家に与することができない者や、下級貴族たちが彼女を慕って集まっていた。クラーラはそんなことを気にしたりはしない。
 
「ごきげんよう、エルヴィラさま。そんなにつんけんなさらず、わたくしとお茶でもいかが? それともライバルのお茶は怖くて飲めないかしら?」
「その程度で気後れするとお思いですかしら? 喜んでご相伴にあずかりますわよ」

 周囲が息を飲んで見守るなか、ふたりは庭園の奥へと連れ立ってゆく。
 クラーラが毎週お茶会を開いている、学園の奥まった場所にある四阿で、ふたりは席につくと、にこやかにあいさつを交わした。

「ここなら回りの目もありませんね。ああ、やっとクラーラさまとゆっくりお話ができますわ」

 エルヴィラは敵対しているポーズを取っていただけであった。
 それはふたりの腹心たる、ウルリカやリズベットも承知していることであった。一見クラーラに敵対する姿勢を取ることで、クラーラが持つ支持層とは違う者たちの支持を集める。と同時にクラーラに敵対する者をあぶり出し、危険な芽は未然に対処する。水面下での協力体制が出来上がっていたのであった。

「それにしてもエルヴィラさまの悪役令嬢ぶり、ますます堂に入って来ましたわね」
「そんな、クラーラさまの悪辣ぶりに較べたら、わたくしなど小物感があふれるばかりで」
「それは褒めてくださっているのかしら?」

 にこにこと他愛もない会話を交わすふたりを、回りも暖かく見守っている。ひとり理解できていないのが新入りのスティナだった。

「え? え? クラーラさまとエルヴィラさまは仲がお悪いのではないのか?」

 状況が飲み込めず右往左往しているスティナに、リズベットが説明する。

「というわけで、クラーラさまは敵も味方もすべて掌握なさっているの。もはやこの学園でクラーラさまを出し抜くことなどできませんわ」
「あくまでクリスさまのためだからね」

 念を押すクラーラに、わかってますよとばかり、にこにこと笑みを返してくる友人たちにはいささか不満もある。わたくしは決して学園に君臨したいわけではないのに。

「そうなのか。さすがはクラーラさま、やはりわたしなどが敵う相手ではないな」

 大げさに感心するスティナにも困ったものであるとクラーラは思ったが、クラーラとその腹心だけが参加できるこのお茶会が事実上学園の意思決定機関であることもまた事実であった。クラーラ自身が望んだことではないのだが。

  三年次、クラーラはポリーナ姫を退けた。隣国の姫ぎみである。もはや婚約破棄の危機も国家間レベルになってきて、クラーラとしては頭が痛い。どうしてこうなった。

「さすがクラーラさま、噂に違わぬ才媛だわ。このうえはせめて一矢なりとも!」

 そう言って軍勢による模擬戦まで挑んできて、クラーラは頭を抱えた。自分の欲望の達成に他人を巻き込むのは、いかに一国の姫君とはいえ、やめたほうがいい。もちろん完膚なきまでに叩き潰した。

 心酔したポリーナ姫が留学という名目で学園を訪れ、クラーラのお茶会の仲間になったころ、お茶会の面々の興味はそれぞれの婿選びにあった。

「わたくしはオーヴェさまに決めました! あの筋肉質なところがたまりませんわ!」

 と元気に自分の好みを披露しているのは伯爵令嬢ウルリカである。オーヴェは国軍大将軍の次男坊だ。

「オーヴェさまなら、伯爵家に婿入りするもよし、将軍として身を立てて別に爵位を賜るもよし、将来有望ですわね」
「そういうリズベットさまは? やはりアルビンさまで?」
「ええ……」

 頬を染めて恥じらいがちにうつむくリズベット嬢は、辺境伯家の三男アルビンがお気に入りのようである。

「みなさま、羨ましいですわあ。新参者のわたくしに、優良物件が残っているのかしら?」
「あらあら、ポリーナ姫ったら。先日フランシスさまとご一緒のところを見かけましたよ。とてもよい雰囲気のご様子でしたけれど?」
「え!?」

 エルヴィラ嬢に思わぬ指摘を受けてポリーナの表情が固まる。フランシスは宰相家の四男だ。

「あらあら、どうやら当たりですかしら?」
「あらあら」「まあまあ」

 回りに囃されて真っ赤になって湯気を立てるポリーナ。

「だ、だってだって、フランシスさまは異国の者であるわたくしにも優しくしてくださいますし、見目麗しい宰相閣下のお子でいらっしゃいますし……」
「フランシスさまなら家柄も申し分ありませんわね。ポリーナ姫に相応しいお方かと」

 エルヴィラの微笑みに、ついにポリーナ、撃沈である。
 だがせめて一矢報いなければ、と、顔を上げる。

「そ、そういうエルヴィラさまはどうなのです!? 意中の殿方はいらっしゃらないのですか?」
「さて、どうでしょう?」
「あらあらエルヴィラさま。わたくし存じておりますのよ。エルヴィラさまがヨエル殿下と度々逢瀬を重ねていらっしゃることを」

 優雅にいなそうとしたエルヴィラに、リズベットが向けた奇襲は必殺の威力であった。

「殿下ですって!?」
「まさか……第二王子を篭絡していらしたとは!?」

 テーブルの周囲が驚きに包まれる。クラーラが笑顔を向けると、エルヴィラは赤くなりながら横を向いた。

「そ、それは、クラーラさまに盾突く悪役令嬢としては、敵対する王子を取り込むのは当然ではありませんか? 決して慕情がまさったとか、そんなわけでは……」
「あらあら」「まあまあ」

 再び囃された対象のエルヴィラ嬢は、これまた撃沈した。

「ふふ、エルヴィラさま。あなたの深慮遠謀、わたくしも感じ入りましてよ」

 クラーラが向けた言葉は嘘ではない。第一王子のもとにクラーラが嫁ぐ。そして第二王子の身近にクラーラの腹心とも言える者がいれば、王家も王国も安泰というもの。
 そう考えを巡らすエルヴィラだからこそ、クラーラも対抗手段を講じていなかった。有能であるもの、いつ裏切るともわからない。上に立つ器量があればこそ、とってかわる野心もあるだろう。
 そうとわかっていても、敢えて策を講じないことで、クラーラはエルヴィラへの信頼を見せていた。危険なことである。でも、そうするだけの価値があるとクラーラは信じていた。
 エルヴィラもそれだけの信頼を受けていることがわかっているからこそ、裏切らない。回りのものはそれを見て、クラーラの度量にますます心酔しているのである。

「みなさま、それぞれの恋を育んでいらっしゃるようで、わたくしも嬉しいですわ」

 クラーラがみなに笑顔を向けて、満足そうにお茶を飲む。今名前があがった男性たちはみな、クリス王子の学友であり未来の側近候補でもある。いずれも名家の子弟ではあるが、嫡男ではない。
 それこそが、クラーラが彼らを選んだ理由だった。名家にして顕職につくであろう者たちが同時に王の側近であれば、権力が集中しすぎる。権力から一歩を引きつつ、王独自の勢力を確立できるだけの人員を、クラーラは配したのだ。

 家を継がない彼らはまた、目の前の名家の令嬢たちにとってはちょうどよい伴侶の候補でもあった。それぞれの婚姻がなれば、夫婦そろってクリスとクラーラの力となろう。

「でもわたくし、決して学園を支配したいとか、そんなこと考えていませんからね!?」

 はっと思いついて慌てて釈明するクラーラを、まわりの友人たちは微笑みをもって生温かく眺めるのみである。
 クラーラはまたも頭を抱えた。別に人の上に立ちたいとか、思っているわけではないのに。
 自分はただクリス王子と共に、のんびりとスローライフを送りたいだけなのに。

 こうして望むと望まざるとにかかわらず、並ぶものなき地歩を確立したクラーラに、またしても婚約破棄の危機が訪れたのは、学園最後の年のことだった。


 ◇


「帝国が我が国に侵攻」

 その報せは国中を震え上がらせた。近隣に比類ない強大な帝国が、その総力をもって侵攻して来たのである。

「あらあら、大変なことですわねえ。どうしましょう」

 いつものお茶会でいつものように、エルヴィラが口火を切る。

「そうですわねえ。リタの調べによれば、帝国軍は我が軍の三倍以上の兵力で南から攻め入ったそうですわ」

 リズベットがおっとりと返す様子は、これまたいつもと変わらない。

「あら大変」
「戦争のことは軍にお任せするしかないでしょうけど、なぜ攻めてきたのかしら」

 クラーラの疑問ももっともである。

「どうやら侵攻軍の口上によると、領土や金品のほかに……」
「?」
「クリス殿下の身柄を要求しているらしいですわ」

 まじか。
 クラーラは頭を抱えた。婚約破棄、ついに国際間紛争にまで発展か。
 クリス王子、いったい何をした? 帝国の姫君にちょっかいでも出したか?

 脳内でクリスを締め上げる自分を想像しながら、頭を振ってその妄想を振り払う。それは後回しだ。

「ともかく、王族の方々の身が危ういということなのね」
「そのようですわ」
「わかりました、ではリズベットさま」

 クラーラはリズベットを伴って登城し、国王一家の退避を促した。
 退避先は北方、辺境伯の領地である。リズベットから報せを聞いた辺境伯家の三男アルビンが、王族を案内して退去していった。

 王城に残った宰相以下閣僚が防戦の指揮を執ることになった。しかし敵は圧倒的多数。正面からぶつかっては勝ち目がない。

「実際に戦うのは国軍の兵士さんたちですけど」

 今日も優雅にお茶を飲みながら、クラーラが言う。

「できれば誰も犠牲になってほしくないわ。兵隊さんも戦地の領民たちも、無事に逃げてくれるといいのだけれど」
「本当にそうですわ。わたくしからもオーヴェさまに伝えておきます」
「領民にはノーラが伝えた方が伝わりやすいでしょうね」
「慰撫にはリタが適任かと」
「そうですね。ではそのように」

 クラーラのひと言にみなが頷いたきり、のんびりしたお茶会が続いていく。

 その様子を遠くからうかがっている人影があった。ひとしきり様子を探った後、その者は駆けに駆けて、はるか南方の戦線に到着する。

「どうだ、王都の様子は?」

 天幕の中、報告を待ちわびているのは、帝国進攻軍司令の大元帥であった。

「は。王族はすでに逃げ落ち、家臣団が防戦を決定したようです」
「やはり抵抗するか。だがそれなら正面から打ち破るのみだ。ほかには何か?」
「いえ。都はのんきなもので、女学生など変わらず茶会を催しております」
「なんと危機感のない。今の状況を理解していないのか」

 帝国軍の軍勢は王国軍を上回っている。王都に到達するのも時間はかかるまい。
 そうなれば無力な婦女子など、飢えた兵隊の餌食になるしかない。のんびり茶など飲んでいる暇はないはずである。

「まあよい。我々は粛々と進軍するのみだ」

 たとえそれが、どれほど馬鹿々々しい動機に基づいていたとしても、という言葉は言えない。
 今回の進攻は王家の気まぐれとしか思えなかったが、自分は軍人としての責務を全うする。それだけだ。
 ため息をひとつついて、大元帥は進軍を命じた。

 大して抵抗らしい抵抗もなく、帝国軍は進軍していく。というより、軍事的な抵抗はまったくなかった。行く先々に領民は残っておらず、無人の街や村を兵士たちは思う存分掠奪してまわった。女にありつけないという不満はあったものの、金品はそこかしこに残されており、兵士たちを満足させるには充分だった。しかし。

「元帥閣下。やはり食糧がありません」
「この街もか……」

 大元帥は天を仰いで慨嘆した。どこに行っても、食糧だけがない。
 自軍の食糧の用意はあったが、動いている軍勢は十万を越える。手持ちの食糧などあっという間に消えるだろう。
 現地で補充ができないとなれば、後方から絶えず送らなければならない。

「帝国軍は思いのほか苦労しているみたいでしてよ」

 リズベットの報告は、これもお茶会の席の上。世間話以上の深刻さではない。

「そう。食糧が尽きたら、帝国の方々も大変ね」
「そうですわね。そうすると……」

 クラーラの視線にウルリカが頷く。

「あとは領民のみなさまが無事であることを祈るばかりですわ。戦いが長きにおよんで、大変でしょうけれど」
「そこはリタとノーラにも言い含めておきましょう。ついでにわたくしも、視察して参りますわ」

 エルヴィラが立ち上がってクラーラに一礼する。

「エルヴィラさま、お気をつけて」
「無理はなさらないでくださいね」
「はい。みなさま、ごきげんよう」

(ひとりどこかへ出向くようだが……相変わらずのんきなものだな)

 遠くからこっそり眺めている人影は、お茶会のなごやかさにすっかり騙されていた。

 即日、南方の街を訪れたエルヴィラは、さっそく声明を発した。

「王国国民のみなさま。どうかその身を大切になさって、諦めないでください。王国は決してあなた方を見捨てません。今は苦しいでしょうが、必ずや国土を回復し、あなた方の生活を取り戻します。希望を捨てず、共に戦いましょう!」

 そこにいるのは、領民たち。取るものも取り敢えず逃げてきた者たちばかりだ。金品は置いて、だが食糧は残さず、逃げろと命じられたとおりに。
 先触れがあったおかげで戦火は免れたものの、難民たちは何も持っていなかった。その者たちには即座に炊き出しが施された。充分な食糧と寝る所を支給され、民はひとまず安心する。

 それを指揮したのは、クラーラのかつてのライバル、教会の司祭ノーラだった。

「クラーラさまの命だもの。みなさん、頑張っていきましょう!」

 数年のうちに出世していた彼女は、戦地となって誰もなりたがらない南方の支部長の座を拝命し、難民の救済に乗り出した。

「神は決してあなたたちを見捨てません! 王国の解放はもうすぐです! 神はクリス王子の婚約者、クラーラさまを遣わされました。クラーラ・ファン・アルゼンシェルさまが、かならずやあなたたちを救い出します!!」
「……はい?」

 お茶うけのクッキーを持ったまま、クラーラの手が止まった。
 ノーラは精力的に避難場所を回り、炊き出しを指揮しては領民たちを慰撫して回っている。そのたびにクラーラの功徳を吹聴して回っているらしい、とはリズベットの報告だった。

 何かが違う。いや、大筋ではもくろみ通りなんだけど、決定的に違う。

 難民の救済活動を支えたのは、商会の娘リタ。彼女の実家である商会が拠出した資金であった。

「今がお金の使いどきよ! なあに大丈夫、クラーラさまなら何十倍にもしてくださるから!」

 リタが上機嫌で商会員を叱咤激励している頃、エルヴィラも民衆を鼓舞して回っていた。

「わたくしたちの未来はクラーラさまと共にあります! みなの苦難に必ずや報いてくださいます! 希望を捨てず、未来を思い、共に戦い抜きましょう!」

(違うでしょ、エルヴィラさま!)

 遠く南方にいるエルヴィラに、クラーラの声は届くはずもない。
 すっかり困り顔のクラーラを見て、リズベットがくすくす笑っている。

「リズベットさま、あんまりです」
「ごめんなさい。でもおかしくて」

 しきりに謝りながら、リズベットの笑いは止まらず、クラーラは憮然とするばかりである。

 確かに、間違いではない。
 王族に避難を促したのもクラーラだし、領民の退去を提案したのも彼女だ。
 その退去は帝国軍に対する焦土作戦となって、帝国軍を追い詰めている。戦略はクラーラが示したと言っていい。
 難民の受け入れを示唆したのもそうだし、その意を受けてノーラもリタも動いている。

 そして次には、王国軍も動き始めていた。
 ウルリカやリズベットが伝えた意見をもとに抵抗軍が編成されている。すべてはクラーラの発案だ。間違いではない。

「いえ、決定的に違うと思うのですけど?」
「まあまあクラーラさま、すべては後世の歴史が語ってくださいますわ」

 テーブルに突っ伏しているクラーラを慰めるリズベットだったが、とても楽しそうだ。

 それを観察している人影は、ついに気づかなかった。
 貴族令嬢たちによる一見優雅なこのお茶会こそが、王国の抗戦を指示している大本営であったことを。


 ◇


 帝国軍の動きが鈍くなっていた。

 後方の輜重隊が度々盗賊に襲われるようになっていた。
 その中にはエルフの協力者もいるらしく、なかなかに逃げ足が速い。遠方から襲ってきて、反撃されるとすぐに逃げてしまう。
 輜重隊が全滅することはなかったものの、被害は小さくはなかった。夜も昼も間断なく襲撃をうけ、心労だけが重なっていく。かといって正面からまともに戦う機会はなく、武功を挙げられない不満が募っていった。兵士たちは疲れていた。

(いったい我々は何と戦っているんだ?)

 敵の姿が見えない。なのに敵はいる。強大な敵が。
 ことあるごとに民衆を鼓舞して回る忌々しい令嬢はいったい何なのだ?
 あの者が口にするクラーラ・ファン・アルゼンシェルとは何者なのだ?

 苛立つ大元帥の神経を逆なでするかのように、またも襲撃の報告がもたらされた。

「被害は?」
「中隊が全滅です」

 はあ、ついに全滅か。
 日に日に守りの精度が落ちている気がする。士気はさがりっぱなしで、それを回復するような戦果を上げる場も今のところ望むべくもない。

 そこへ来客の報があった。

「お初にお目にかかります、大元帥閣下」

 ウルリカ・ファン・ヴェリアンと名乗ったその少女は、王国の貴族令嬢のようだった。一礼をほどこすと、彼女は帝国軍を慰撫する差し入れを持参したと告げた。

「それと、撤退の勧告を」

 大元帥は射抜くような視線を向ける。

「そんなお顔をなさっては怖いですわ。」
「それは王国の代理としての勧告か?」
「いいえ。でも、正式な使者が来てしまっては、敗北が確定してしまうでしょう?」

 ちっとも怖がっていない少女の言に大元帥はひそかに考え込んだ。

「今なら損害も少なく、中央の判断ミスでことは済みます。閣下の瑕瑾とはならないかと」
「軍人たるもの上意にそむき、戦わずに退くことはできん」
「そうですか。今が手の打ちどころかと思ったのですが」

 少女、ウルリカは早々に会見を切り上げ、立ち去ろうとする。

「待て。ひとつ訊きたいことがある」
「はい。なんでしょう?」

 大元帥はこの国に進攻してからずっと抱いていた疑問を口にした。

「クラーラ・ファン・アルゼンシェルとは何者なのだ?」

 するとウルリカは、満開の花のような笑みを大元帥に向けたのである。

「クリス殿下の婚約者で、わたくしの敬愛する大切な友人でいらっしゃいますわ! ああ、大元帥閣下にもぜひ、会っていただきたいのですけれど……」

 そうそう、と思い出したようにウルリカは付け加える。

「クラーラさまはこれまで、実力をもってクリス殿下の婚約者の地位を守ってこられました。一度だって敗れたことはございません。それは今回も同様です」

 ふふっとウルリカは笑って口もとを隠す。

「婚約者の地位を脅かす者に、クラーラさまは容赦しませんのよ。閣下もご壮健で国に帰れるとよろしいですわね」

 婚約? なにを言っている?

 ウルリカの言の意味を大元帥は完全には理解できなかったが、言い知れぬ怖ろしさの片鱗を感じたのだった。自分たちは、触れてはいけないものに触れてしまったのではないのか、と。

 戦況はその日の夜にはもう動き始めた。

 後方部隊のみならず、各部隊が夜襲を受けた。いくつもの部隊が襲撃を受けて敗走した。
 応戦できた部隊もいたが、追撃に移ったところで待ち伏せに遭い、したたかに逆撃を受けた。夜襲は連日繰り返され、前線は壊乱した。

 もはや「一戦して帝国の威武を示さん」などと建前を言っている場合ではなくなった。大元帥は後退を命じ、南下したところにある平原に兵をまとめて王国軍を迎え撃つ態勢を整えた。

 やがて現れた王国軍。今にも正面から激突するかと思われた時である。

 にわかに後方に鬨の声があがった。

「なにごとか!?」
「伏兵です! 隣国の軍勢が我が軍に討ちかかりました」

 それはポリーナ姫の意を受けていた隣国の伏兵だった。
 隣国は帝国や王国に較べれば、国力ははるかに小さい。そのため戦闘には参加せず、今までじっと機を窺っていたのだ。

 帝国侵攻の報を聞いてポリーナ姫は激昂し、すぐにでも帝国軍に向けて兵を出す、といきり立ったのをクラーラが止めたのである。

「あせって動いてはだめよ。勝てる戦いをしないと、ね」

 クラーラはそうやって、今までも勝ち抜いてきた。規模は違えど、今回とて例外ではない。
 戦わずして帝国軍を疲弊させ、勝機を見つければ全力を叩きつける。

 そして時は来た。

 疲れてはいても帝国軍はいまだ多数の兵を揃えている。対する隣国の軍は少数。
 そのため直接帝国軍には挑まず、後方部隊を襲い、後ろの橋を焼いた。退路を断たれて帝国軍が浮足立つ。

 そこへ王国軍が一斉攻撃に転じた。士気の違いはあっさりと勝敗を決し、帝国軍は指揮系統を失って潰走した。


 ◇


「ふう、南の国境まで来てみましたけれど、少し暑いかしら。でもこちらのお茶も上等なものね」

 クラーラは南の前線近くで、友人たちとお茶を楽しんでいた。そこへ帝国の使者が到着する。会戦の終結と講和について、これから交渉が始まるところだ。

「ようこそ使者さま。ああ、交渉はわたくしどもでけっこうですよ」

 クラーラがにこやかな笑みを向け、使者は困惑した顔になった。どうやら王国の貴族らしいが、娘たちである。交渉など成り立つのか。
 仕方がない。使者には使者の役目がある。

「こたびの会戦に関し、我が国の要求を伝える」

 と、切り出した要求は、相も変わらずクリス王子の身柄だった。

「小娘だと思って、ずいぶん舐められたものですね。言っておきますけどわたくしども、れっきとした名代ですので」

 クリス王子の名代クラーラ。
 ヨエル王子の名代エルヴィラ。
 さらに宰相の委任を受けたポリーナ姫。

「なので、それなりに交渉できる権限を持った者を寄越しなさい。それまで戦争は終結しませんよ」

 帝国の使者の顔が怒りに染まった。だがその程度で畏れ入るクラーラではない。
 むしろ笑顔の裏で、クラーラこそが怒り心頭なのは、友人たちには一目瞭然であった。

「ああそれから、ここでわたくしたちを斬っても何にもなりませんから念のため。こんな一兵すら持たない小娘を暗殺して、あなた方は何の功を誇るおつもりですか?」

 ぐうの音も出ないほどに言い負かされて、帝国の使者はすごすごと帰っていった。

 その後にやって来た帝国の外務次官に、クラーラは容赦ない補償を吹っかけた。

「賠償を一時金として金貨一万枚、それから毎年金貨五千枚を十年間いただこうかしら?」
「そんな、無体な」
「今なら帝国に謝罪声明も要求しないし、占領地も解放してあげますわ。安いものではなくて?」

 その頃、王国軍は帝国の内奥深く進攻していて、帝国第三の都シュツビクが落城寸前であった。

「あとお砂糖。お菓子にお砂糖は必須ですもの。砂糖の専売権を譲ってほしいわ」
「それは……」

 莫大な利権が見込めるこれは、戦地での慰撫を頑張ってくれたリタへのご褒美である。

「それから国教の布教ね。帝国に進出する教会の治外法権を求めます」

 これはノーラへのご褒美である。ふたりとも喜んでくれるだろう。

「このくらいで帝国の面子が保てるのですよ。これ以上戦が長引いて民衆が蜂起するようなことになる前に、ことを収めた方がいいのではないかしら?」

 心配そうに頬に手を当てて首をかしげるクラーラを、帝国の使者は睨みつけた。
 この小娘は、近年帝国内で帝室に対する反感が募っていることを知っているのだ。
 王国のいくばくなりとも切り取れれば民衆の評価も上がったかもしれないが、意に反して出費がかさんだだけである。だがこれ以上続ければ、帝国の根幹があやうくなりかねない。

 ほどなく交渉はまとまって帝国軍は去り、帝国に進攻した王国軍も矛を収めた。もとより王国が帝国を支配下に置くのは無理なことであったし、クラーラとしてはクリス王子の身柄を守れたのだから上々である。

「クラーラさま! すばらしかったですわ!」
「クラーラさま! ありがとうございます!」

 友人たちの崇敬と領民たちの熱狂的な賛辞を浴びながら、クラーラは王都に凱旋した。

「王さま。今回も婚約破棄は回避致しました」
「う、うむ。そうか」

 無事に王都に戻った国王は、いささか戸惑っているようであった。わずかに顔色が悪いのはクラーラに対する恐怖であろうか。

 実に心外である。自分は国王の求めに応じて、クリス王子の婚約者の座を守っただけだ。今回の規模はいささか予想外ではあったけれど、ちゃんと約束は果たした。ついでに(本当についでに)国王の座だって守って差し上げた。何の不満があるというのだろう。

 まあいい。

「こうしてここで、みなさんとお茶を楽しむのも久しぶりですね」

 学園の庭園の奥の奥、クラーラと友人たちは午後のお茶会を楽しんでいた。

「リタは本当にご苦労だったわね。学園にも通えなくて、ごめんなさいね?」
「いえそんな。クラーラさまにお褒めいただいたらもう、それだけでもう、はい」

 リタはとろけそうな笑顔でにやけている。

「そのうえ砂糖の利権までいただいて……このリタめは一生、クラーラさまについていきます!」
「いいのよ、あなたの働きの報酬にしてはささやかなものだわ。そういえばノーラは?」
「ああ。ノーラなら」

 笑いながらリズベットが教えてくれたところによると、さっそく帝国領北部に乗り込んでいるという。現世のご利益の拡大に余念がないとか。
 教会の勢力も、その中での彼女の地位も、ぐいぐい上がっていくことだろう。

「あの子が戻ってくるのは、当分先かしらね」
「ポリーナ姫も賠償金の分け前にあずかって、感謝しておいででした。結婚の時の持参金ができたととても喜んでいらして」

 講和の席で、クラーラは隣国の取り分もきっちり取り立てていた。加えてポリーナ姫の婚姻が成れば、隣国との友好も深まって帝国を牽制する勢力が増えるし、王国としても申し分ない。

「これでもうクラーラさまに並ぶ者もおりませんし……いっそのこと卒業と同時に女帝におなりあそばしては?」
「やめてくださいリズベットさま!」

 あわててクラーラは否定する。リズベットは「そうですか」と笑っているが、あの目は本気だ。
 冗談じゃない、とクラーラは思う。自分は人の上に立ちたくて頑張っていたわけではないのだ。あくまでクリス王子との結婚を守るため、将来の平穏なスローライフを守りたかっただけなのだ。ここで謀反の嫌疑などかけられては、今までの努力が水の泡である。

「もったいないことですねえ」
「クラーラさまがひと声かければ国を獲れますのに」
「やめてください! わたくし、謀反の罪で国を追われたくありません!」
「大丈夫ですよ。クラーラさまは帝国軍十万を退けたお方。捕吏くらい返り討ちです」
「ですから、やめてくださいってば」

 令嬢たちがなごやかに、物騒な話題に花を咲かせていたところ、

「クラーラさま! たいへんですわ! また挑戦者ですわ!」

 駈けつけてきたのはポリーナ姫である。

「あらポリーナさま。慌てて、どうなさったのです?」
「クラーラさまに婚約者勝負を挑む者が……今度は冒険者ギルドのギルド長の娘ですわ」
「えええ? もう終わりだと思ってたのに……」

 クラーラは力なく卓に突っ伏した。公爵令嬢にあるまじきはしたなさは、このさい許してほしい。

「それが、クラーラさまに憧れる者がわたくしたちの噂を聞きつけたみたいで。婚約者勝負を挑んでお目に留まれば、クラーラさまに召し抱えてもらえると」

 なにその就職採用試験。
 どうやら令嬢たちの間では、このお茶会に参加を許されるのが最高のステータスと目されているらしい。

 誰だそんな格付けしたやつ。
 自分だ。

 はからずもクラーラ自身が、おのれの格付けを際限なく高めてしまったらしい。

「ふふ、当然受けて立ちますよね、クラーラさま?」とウルリカ。
「ならばさっそく、敵方の情報を集めませんとね」とリズベット。
「わたくし冒険者たちにも探りを入れて見ますわ」とエルヴィラ。
「軍資金は充分、思う存分叩き伏せてください」と意気込むリタ。
「必要なら我が国のギルドにも圧力をかけますよ」とポリーナ姫。

「なぜみんな、そんなにやる気満々なのよう」

 クラーラはうっそりと立ち上がる。

 最強の令嬢とその腹心たちは、当の婚約者王子を置き去りにして、立ちふさがる者を全力で撃砕していくのだった。
 その模様は後世の物語作家の創作意欲をおおいに刺激したのだが……どのように語られたかクラーラは知らないし知りたくもない。

 さしずめこの茶会は『庭園の誓い』とでも綽名されるのだろう。


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