上 下
33 / 79

ウルヴァリン・アカギツネの刺青

しおりを挟む
 
彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。


―紅の盗賊―


黒いローブの男は、次の標的に備えて行動を開始していた。


この金貨を全てお前にやる、その代わり、ひとつ頼まれてくれるか 


なんだ、


あそこにいる男に、この分厚い本を抱えたまま、ぶつかってきてほしい


ぶつかる?


ただ、それだけか、


お安いご用だ、


盗賊の男は、分厚い本を受け取った。


そして、聞いた。


【他人の生命を削る愚か者よ、お前が削ったものは、金でも食料でもない、真っ赤な命だ、これから私が伝える言葉を その腕に刻め、最期の仕事とやらを終えず逃げ出すか、その金貨を握り締め、人間として終わるか、そのどちらかを選ぶのだ、正解を選べば、再び罪人として生きる機会が与えられるだろう、だが、忘れるな、お前の腸に寄生する虫は餌ねだり、その腹の叫びからは逃れられない】


今のは、なんだ、


盗賊の男は、紅のバンダナを外して、周囲を見渡していた。


だが、声の主は、どこにも見当たらなかった。 


そんな盗賊の男を見て、黒いローブの男は平然とした顔で言った。


ただの耳鳴りだ、さあ、逝け、と。


盗賊の男は、疑問を抱きながらも、その空腹に耐えきれず、仕事を受けた。
 

その盗賊の男の首には「アカギツネの刺青」が刻まれていた。


―噛み付き―


盗賊の男は、頼まれた通りに行動を開始した。


分厚い本を抱え、その男にぶつかった。


ただ、それだけなのに、


「突然、首を噛まれた」


盗賊の男は、ありえない、と眼を見開いていた。


気が付くと全身を痙攣させ、そこに立つだけの存在になっていた。


盗賊の男は、噛まれた理由も分からないまま、白眼を剥いて絶命した。


死因は、噛み付きによる出血死。


盗賊の男は、抱えていた「分厚い本」を手から落として倒れた。


男は、盗賊の男を見下ろして言った。 


あの女ならば、よかったのに、と。


男がそこから離れようとすると、


突然、風が吹いた。 


それは、分厚い本が引き寄せた、いたずら風だった。


いたずら風は、分厚い本のページを次々にめくり、


そして、開いた。


そのページには「ウルヴァリンの刺青」と黒文字で書かれていた。


―王の左手・王の武具―


盗賊の男を見下ろす、この男こそ、次の標的、


「王の左手・王の武具」だった。


その名の通りに数種類の武具を巧みに操るかと思いきや、武具は一切使わなかった。


武具はこの男自身。


だから「王の武具」と呼ばれていた。


この男も異常者で、


獲物の首に噛み付いたり、


爪で切り裂いたりなど、


野性的な行動を行い、だるま王を護衛していた。


主な仕事は、護衛と隣国の精鋭たちの殺害や妨害。


だるま王には、その野性的な身体能力を評価され、多額の金銭的報酬を受けて生きていた。


だから、 下手に手を出せば返り討ちにされる相手だった。


だが、こんな男にも弱点はあった。


それが、この男の事を利用して生きているという「恐妻」の存在だった。


これほど狂暴な男でも、妻には逆らえない性格だった。


つまり、この男を倒す鍵はそこにあった。


黒いローブの男は、この男の夫婦生活とやらを覗く事にした 。


―仮面を付けられた夫―


その夫婦の家は、だるま王の城からは、見えない場所に建てられていた。


夫である男が家に帰ると、そこには空腹に耐えきれず苛立つ妻の姿があった。


普通ならば夫を優しく出迎えるはずだが、この妻の場合は真逆だった。


「夫を可能な限り利用する」


妻の考えでは、


夫は、妻の奴隷だった 。


夫が逆らえば、妻は、


「わたしを一生愛するんでしょう」


と夫を見下した。


夫は、そんな妻に内心苛立っていた。


だが、その感情を吐き出せずにいた。


外では、だるま王に従い、


家では、妻に従う、


唯一の至福の時は、だるま王から金銭的報酬を受け取る「あの瞬間」のみだった。


あとは地獄の繰り返しだったという。


夫は、自室に閉じ籠ると、「口」をへのじに閉じ「耳」を両手で塞いで泣いていた。


その男泣きは、あまりにも不憫だったという。


―痛み―


だから、可能な限りの人間を狩った。


その他人の痛みで、自身を震わせた。


頷くことしか出来ない首に噛みつき、


その爪で身を引き裂いた。


まるで、自分を痛め付けるかのように他人を痛め付けた。


そして、家で利用されて、自室に閉じ籠って泣いた。


黒いローブの男は、そんな一人で泣いている夫を狙った。


窓をコツコツと指で鳴らし、男を誘った。


男は、狂暴さを失っていた。


だから、直ぐに窓の外に出てくれた。


黒いローブの男は、そこでウルヴァリンの刺青の物語を読み聞かせ、再び、男の涙を誘った。


男は、泣きそうな声で言った。


もう、やめてくれ、この地獄からは逃れられない、と。


黒いローブの男は、この言葉を待っていた。


黒いローブの男は言った。


「ならば最期に、恐妻とだるま王を陥れて逃げ出せばいい、お前を失って困るのはお前ではなく、お前を利用しなければ生きられないあいつらだ、この毒薬で恐妻を毒殺しろ、どんな人間でも数秒で死に至らせる強力な毒薬だ、耳障りな悲鳴を聞く必要もない、恐妻を毒殺したら、どこか遠くへ逃げるがよい、次に困るのは、だるま王、ただひとり、お前ではない」


黒いローブの男は、男に、毒薬の入った小瓶を手渡して去っていった。


―毒殺と裏切り―


そこからは、無我夢中だった。


男は、黒いローブの男に言われた通りに、妻の使うカップに毒薬を塗りたくり、そこに水を注ぎ、妻を毒殺した。


そして、多額の金を鞄に詰め、そこから逃げ出そうとしていた。


だが、そこで終わりだった。


家から出ると、数体のカラクリ兵士が待ち構えていた。


そのカラクリ兵士の両手には二丁のボウガンが握られていた。


男は、愕然としていた。


なんだ、これは…


「なんだじゃないよ、この裏切り者」


カラクリ兵士の隙間から現れたのは、冷酷な眼をした男の子だった。


「いい年して現実逃避?死神老人が言った通りに裏切ったね」


なんのことだ、


「白雪妃を誘拐して、次は金の持ち逃げ、悪いけど、現実は甘くないよ」


男は危機を感じて、逃げようとした。


だが、もう遅かった。


男の子が、男を指差すと、カラクリ兵士のボウガンの矢が男目掛けて一斉に放たれた。


男は、矢を全身に受けて倒れた。


そして、少しだけ聞こえたという。


【……れるな、密告者が一人いる】と。


カラクリ兵士の矢で貫かれた男、


夫に毒殺された恐妻、


その夫婦の全身には、狂暴さを利用して生きる、影の猛獣


【ウルヴァリンの刺青】が刻まれていたという…。 

しおりを挟む

処理中です...