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テン・アナグマの刺青
しおりを挟む彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。
「テンの刺青」
「アナグマの刺青」
わたしの父親は、描きたくない絵を描いていた。
父親はそれで満足していたのだろうか。
わたしにその気持ちは分からない。
だが、これだけは分かる。
わたしは父親に似ている。
奇妙な絵を描き続けている。
もうじき、この絵は完成する。
あとは、この娘の手首に赤い糸を垂らすだけだ…。
―才能ある画家―
その娘は「才能ある画家」だった。
娘に描かれた風景や人物は大抵が幸せそうに描かれ、絵の依頼者を満足させるほどだった。
だが、まれに奇妙な絵を描く事があった。
依頼者が
「ほんとの自分を描いてほしい」
「ありのままの風景を描いてほしい」
と依頼すると、
まれに「眼だけでは見えないもの」を描いた。
先ほど完成させた「女の絵」もそのひとつだった。
絵の依頼者は、この娘の愛好者で挙動不審な男、
男が、ありのままの自分を描いてほしいと依頼すると、
娘は、その虚ろな眼で男を見つめ、その場では書かず、
長い時間をかけ、ありのままの絵を描いた。
完成した絵は男ではなく、哀しそうに遠くを見つめる
「女の絵」
その絵は、白髪の長い髪を後ろで束ね、
純白の素肌を輝かせ、
左手で、右の手首をおさえ、
その右の手首からは赤い糸が垂れ、
それは血のように見え、
運命の赤い糸のようにも見れる絵だった。
つまり、そこまで見て、描いてしまう。
……ありのままを描く娘は、その奇妙な才能を生かし、
時には殺して生きてきたという。
―才能を殺す時―
それは大抵の場合が犯罪絡みで、娘自身、苦悩していた。
ある家族がありのままの風景画を依頼してきた時、その風景の中に依頼者の家が見えた。
家の絵は依頼されていなかったが、ありのままの風景を描くという依頼通りに「家の絵」も描いた。
長い時間をかけ、完成した絵は、依頼者を満足させた。
綺麗な山の風景画。
まるで生きているかのよう。
その中に黒く塗り潰された家がぽつんと見える、
依頼者は、その山の風景画を見て、満足していた。
だが、その風景画を描いた娘は満足していなかった。
まだ描き足さなくてはならないものがあったからだった。
次の日。
依頼者の家族が焼死した。
娘には、そこまで見えていた。
そして、家族を焼死させた「放火魔の姿」も見えていた。
放火魔は、その家族の父親、絵の依頼者だった。
理由は分からないが、一家の大黒柱というものに耐えられなくなったのかもしれない。
……もう、見ないようにしなければ、
もう、描かないようにしなければ、
娘は、いつかこの筆先を折り曲げ、そこから解放されたいと願っていた。
そんな時だった。
―父親の死―
娘の絵の師匠でもあった、父親が自殺した。
奇妙な死に方だった。
父親は、大切にしてきたアナグマの毛で作られた筆先を折り曲げ、
その手首を筆のように折り曲げていた。
その方向は、父親の生き方のように、不自然な方向へと曲がっていたという。
そして、罪人の証である刺青
「アナグマの刺青」を手首に刻んでいた。
娘には分かっていたのだ。
父親が描きたくない絵を描かされ、その事に気付いて、
壊れてしまった事が。
わたしも、もうじき壊れてしまう、
娘は、全身を映す鏡の前で、何故か「左手」だけを見つめて、立ち尽くしていた。
―鏡絵―
気が付くと娘は、描き始めていた。
それは、鏡絵(かがみえ)というものだった。
鏡に映る「ありのままの自分」を画布(がふ)に描き、
完成すれば鏡のように割る、
そこで真っ二つに割れた、片方の絵だけが、
ほんとの自分、
鏡絵だという。
鏡絵は、かつて父親が描こうとして失敗した絵、
ほんとの自分を晒け出さなければ、途中で投げ出すか筆先を折り曲げ、死んでしまう、
だが、絵を完成させても画家自身はその絵を見れないという。
父親は、そんな鏡絵に何を求めていたのだろうか、
娘は、そんな事を考えながらも、描き続けていた。
父親と同じように。
―鏡絵―
絵の完成が迫った時、
ある依頼者が娘のアトリエを訪れた。
黒いローブの男だった。
黒いローブの男は「分厚い本」の中からテンの刺青のページを選ぶと、それを読み上げ、娘の書きかけの絵を見つめた。
娘は、そんな黒いローブの男に溜め息をつくと、筆を下ろして言った。
あなたは絵になんて興味はない、
興味があるのは、他人の犯した罪や、
他人の不幸だけ、
わたしには見える、
あなたに描き足されてゆく不吉な色が、
黒いローブの男は、フッと笑った。
だが、直ぐに笑みを消して言った。
「見えているのならば、さっさと描き足すがよい、その絵の中に描き足されていないお前の三つ目の眼を」
娘は何も言い返せなかった。
だが、娘の筆先は、絵の中の娘の左手に当てられ、描き始めていた。
そこに描き足されたのは
「小型の望遠鏡」だった。
そう、この娘にはもうひとつ辞めたくても辞められない趣味があった。
それが「覗き」
他人の私生活を覗き見して、ありのままを描くことだった。
だから、その場では書かず、時間をかけて絵を完成させる必要があった。
依頼者が殺人鬼ならば、殺人鬼の私生活を遠くから覗き見し、ありのままを描いた。
そこで下書きした絵は持ち帰り、
二枚の乳白色の画布に描き映し、
二枚の絵を完成させた。
片方に真実、
もう片方には、偽りの絵を描いた。
もちろん、殺人鬼である依頼者には、偽りの絵を渡し、
報酬だけをもらい生きてきた。
娘も、父親と似ているのだ。
生きる為ならば、なんだってする、
父親が「可憐な男の子」を椅子に腰掛けさせ、生きる為に描いたように。
娘は、全ての罪を絵で表現し終えると、筆を下ろして、
あの声を聞いた。
【不幸画家の意思を継ぐ娘よ、父親を越える罪を描き上げた気分はどうだ、鏡絵を割る前に、お前の罪深き両手首を折り曲げよ、そうすればそこからは解放されるだろう、そして、鏡絵の完成も更に迫る、だが、忘れるな、鏡絵を割るのは他人でなければならない、お前の罪を看取ってくれる罪人に頼め、その者にしか鏡絵は評価できない】
声が消えた。
娘は、儚い眼で黒いローブの男を見つめると、何かを悟ったかのように言った。
残念ね、
だから、鏡絵を完成させた画家は、その絵を見れずに死んでしまうのね、
ねえあなた、
わたしの絵描きの邪魔をしたんだから、
ちゃんと看取ってね、
眼をそらしたら、
許さないから、
娘は、両手首を掲げ、
机の角目掛け、
一気に振り下ろした。
何度も、
何度も、
何度も
その意識が続くまで…。
―完成した鏡絵―
黒いローブの男は、娘のありのままの姿を無表情で看取り、
娘の最期の望みを叶えてやった。
真っ二つに割れた、片方の鏡絵、
その片割れの壊れた手首には、上質な筆先を闇に煌めかせる、
「テンの刺青」が刻まれていたという…。
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