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アミメキリンの刺青
しおりを挟む彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。
「アミメキリンの刺青」
その男は、「熱愛」を求めていた。
もしかするとそれは「盛り」に近かったかもしれない。
それでも男は求めていた。
神に背く熱愛を。
男は、仕事から帰宅すると、いつものように清楚な服装に着替えて、町に出掛けた。
いかにも僕は、田舎町から出てきて何も知らないという、ある意味での処女を装って…。
男は人通りの多い場所に出ると、そこから人の行動を遠目で見ていた。
男の前をある家族が過ぎていった。
父親、母親、娘、二人の幼い息子…。
男が見ていたのは小汚ない父親だけだった。
次に目に入ったのは、女の髪を優しく撫でる男の姿だった。
男はその男の逞しい腕に惹かれた。
だが、その男が少しでも優しく微笑むと何かが違うと唇を噛み締めた。
男が求めているものは見つからなかった。
男は、町外れの湖に向かった。
-湖-
つがいのように寄り添う男女の姿があちらこちらに見えた。
男女は根拠の無い愛を囁きとろけ合っていた。
男は思った。
僕が普通の人間ならば、あの程度の愛で普通に恋したり、愛し合ったり出来るんだ、 と。
男は湖のほとりまで近付いていた。
誰かが男を呼び止めた。
男が振り返ると、包帯で全身をぐるぐる巻きにした男が湖に向かって叫んでいた。
包帯の男が、男に近付いてきた。
包帯の男は、強引に男の手を掴むと、男を湖から遠ざけた。
男は突然の出来事に困惑していた。
包帯の男が、男に向かって叫んだ。
「駄目じゃないか、命を粗末にしたら」
男には意味が分からなかった。
男は、ただ、湖の水面に映る自分が見たかっただけだった。
それなのにこの男は、何か勘違いをしていた。
男が、愛想笑いをして立ち去ろうとすると、包帯の男が言った。
僕もね、さっきまでは君と同じことを考えていたんだ、でもね、それは違うって分かったんだ、僕は、あの分厚い本に勝った、だから、君も大丈夫、きっと勝てるよ。
包帯の男は、そう言って、男を強く抱き締めた。
男は暫くの間、その場に立ち尽くしていた。
変な奴…それが男の素直な感想だった。
男は帰宅した。
誰もいない家、実家に。
結局、あの包帯の男のせいで目当てのものは見つからなかった。
代わりに見つかったのは、強引でお節介な包帯ぐるぐる巻き男…
男の求めるものではなかった。
男は清楚な衣服を全て脱ぎ捨て、酒をあおって眠った。
-次の日-
男の足は、自然と湖に向かっていた。
別にあの包帯の男に逢いたいわけではない。
ただ、気になっていたのだ。あの包帯の男の包帯の「下」がどうなっているのか…。
男の興味はそこにあった。
男は湖のほとりまで歩いてきた。
誰も昨日のようには呼び止めてはくれなかった。
当然だ、男が湖に飛び込もうが溺れようが、他人は気にしない。
男は、更に湖に近付いた。
その時だった。
聞き覚えのある声が、男を呼び止めた。
その声に男は胸を踊らせた。
振り返ると、あの包帯の男がいた。
男は自ら男に歩み寄り、包帯の男の右手を掴んだ。
包帯の男は、男の突然の行動に困惑していた。
男は突然、包帯の男に包帯の事について訊いた。
精細さに欠ける男だと包帯の男は素直に思った。
そんなに気になるかい、この下がどうなっているのか?
男は期待して頷いた。
包帯の男は人気の無い場所に男を連れていくと、そこで顔面を覆っていた白と黒の包帯を解いた。
男は、その包帯の男の素顔を見て眼を見開いた。
包帯の男の片方の眼だけ、酷く傷付き、壊れている。
男は気付いた。
これを隠す為に包帯を巻いていたんだと、それなのに自分は…なんて情けない。
男は包帯の男に謝った。
包帯の男は優しく微笑んで許してくれた。
とても綺麗な微笑みだった。
男は包帯の男に自身の顔を近付けて、じっと見つめた。
包帯の男は、男の積極的な行動にうろたえていた。
男が言った。
「とても綺麗だ」
その時だった。
包帯の男が、男を突き飛ばした。
男は突然の事に困惑していた。
何故、綺麗と誉めただけで突き飛ばされたのだろう。
男は哀しかった。
また、拒絶されたと思った。
包帯の男が言った。
過去に「綺麗」と囁かれて酷い目に遭わされたと、その時の光景が眼に浮かんで…つい、突き飛ばしてしまった、と。
包帯の男は、男に手を差し伸べ、男を立たせた。
包帯の男は、男の下半身についた砂を手で優しく払ってくれた。
男は、頬を赤らめたまま言った。
「でも本当に綺麗だったんだ、それは嘘じゃない、きっと君には、素敵な恋人がいたんじゃないかな、僕よりも数倍可愛くて、美人な…」
包帯の男は、男と眼を合わせないように言った。
「君だって綺麗だよ、でもね、僕は、もう、一人でいたいんだ、だから、君が迷った時にしか、君を助けられない、だから、迷ったら、この湖においで、もしかすると、君なら助けられるかもしれないから」
包帯の男はそう言うと、顔面を再び包帯で覆い隠して、最後に男を抱き締めて去っていった。
-次の日-
男は、湖のほとりで包帯の男が来るのをずっと待っていた。
誰かが囁いた。
あいつよ、あいつ、ずっと男を待っている男って、何だか気持ち悪い、あれって同性愛ってやつでしょ、ああ、知っている、もてない奴同士が茂みで盛るんだろう、子供も作れないくせに馬鹿だよな。
男は、心の中で泣いていた。
男の隣に誰かが腰掛けた。
黒いローブの男だった。
黒いローブの男は、男に分厚い本を差し出して言った。
暇なら、これでも読みますか、と。
黒いローブの男は、優しい顔をしていた。
もう、男なら誰でもいい…男はそう思い始めていた。
男は黒いローブの男から分厚い本を受け取った。
そして開いた。
偶然開いたページには「アミメキリンの刺青」と黒文字で書かれていた。
黒いローブの男がにやりと笑った。
男は、分厚い本を読み終えた。
感想はとくに無かった。
これ、返します…そう言った時にはもう黒いローブの男の姿はどこにも見当たらなかった。
男は、分厚い本をその場に置いて帰宅した。
-真夜中-
酒の力を借りても、なかなか寝付けない男は、何を思ったのか、清楚な服装に着替え、町に出掛けた。
昼間とは違う世界がそこには広がっていた。
家族や優しく微笑む男女の姿はどこにも見当たらない、見えるのは、酒にやられた男や下品な女の悪どい商売だけ、男は、後悔していた。
でも、その足は止まらなかった。
男は、ある酒場に入って、一人、酒に溺れた。
そんな男の無様な姿を見て、強面の男達が近付いてきた。
二人とも、がっちりとした体格に短いあごひげを生やした逞しい男だった。
それは、男が求めていたものに近かった。
強面の男は、酒にやられた男を担ぐと、そのまま、酒場の地下に男を連れていった。
誰もが見てみぬふりをしていた。
全てが終わった。
男は、酒場の前で倒れていた。
「これ…なんだろう…これが熱愛…たぶん、そう、明日も…こなきゃ…いかなきゃ…」
男は、ふらふらになって帰宅した。
男に誰かが囁いた。
【穢れた熱愛に溺れた愚か者よ、更なる 熱愛に溺れたければ、更に地下へと沈め、そうすれば、最期の最期に、真の熱愛とやらに、気付けるだろう、だが忘れるな、お前には独り、邪魔者がいる、そいつを先に沈めなければ、求める場所には行けない、そして…代償は消えない】
-最期の日-
男は湖にいた。
邪魔者とはあいつの事だ。
あの包帯の男を沈めてやれば求める場所に行ける。
ここは湖、見ているのは他人だけ。
他人は誰が湖に飛び込もうが溺れようが気にしない。見てみぬふりをする。
男は、包帯の男が来るのを待っていた。
―包帯の男が来た。
包帯の男は、男の違和感に気付いていた。
男は、にやりと笑った。
包帯の男は優しく微笑んだ。
そして男に向かって言った。
「迷ったから、ここに来たんだね」
男は怖い顔で包帯の男を睨んでいた。
「ああ、そうだよ、でも、迷いは消えた、だから、湖の近くで、もっと傍で話そうよ、二人っきりで」
男は包帯の男の右手を掴んで、湖の傍まで連れて歩いた。
包帯の男は、湖を背にして言った。
「分厚い本に選ばれたんだね、分かるよ、あの時の僕と同じ、怖い顔をしている」
男は、包帯の男を 湖に追い詰めるように近付いてきた。
包帯の男は冷静に言った。
「でもね、あいつには勝てるんだよ、あいつの弱点は逆らわれる事、あいつの思惑通りにはいかないって、自分を信じて、自分の弱さに立ち向かえばいいんだ、そうすれば、求めていたものは、必ず手にはいる、だから、気付いて、弱くても、本当は強い自分に」
男は立ち止まった。
そして、泣いていた。
包帯の男は、そんな男を抱き締めた。
誰かが、また囁いた。
あれが同性愛よ、気持ち悪い、って。
だが、男は動じなかった。
これが本当の自分だから、家族全員に拒絶されても、他人が馬鹿にしても、もう、泣かない。
二人の男は、湖のほとりで寄り添った。
黒いローブの男は、そんな二人の姿を 遠目から見ていた。
そして、にやりと笑った。
この物語に幸福と呼ばれるものは存在しない、と。
一見幸せそうに見える二人。
だが、彼等は気付いていない、代償として命を削った事を…あの声は最期に言っていた。
「…そして、代償は消えない」と。
微笑む男の全身には「アミメキリンの刺青」が刻まれていたという…。
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