上 下
7 / 79

アミメキリンの刺青

しおりを挟む

彼等には刻まれていたという。おぞましい魔獣の刺青が…。

「アミメキリンの刺青」

その男は、「熱愛」を求めていた。

もしかするとそれは「盛り」に近かったかもしれない。

それでも男は求めていた。

神に背く熱愛を。

男は、仕事から帰宅すると、いつものように清楚な服装に着替えて、町に出掛けた。

いかにも僕は、田舎町から出てきて何も知らないという、ある意味での処女を装って…。

男は人通りの多い場所に出ると、そこから人の行動を遠目で見ていた。

男の前をある家族が過ぎていった。

父親、母親、娘、二人の幼い息子…。

男が見ていたのは小汚ない父親だけだった。

次に目に入ったのは、女の髪を優しく撫でる男の姿だった。

男はその男の逞しい腕に惹かれた。

だが、その男が少しでも優しく微笑むと何かが違うと唇を噛み締めた。

男が求めているものは見つからなかった。

男は、町外れの湖に向かった。

-湖-

つがいのように寄り添う男女の姿があちらこちらに見えた。

男女は根拠の無い愛を囁きとろけ合っていた。

男は思った。

僕が普通の人間ならば、あの程度の愛で普通に恋したり、愛し合ったり出来るんだ、 と。

男は湖のほとりまで近付いていた。

誰かが男を呼び止めた。

男が振り返ると、包帯で全身をぐるぐる巻きにした男が湖に向かって叫んでいた。

包帯の男が、男に近付いてきた。

包帯の男は、強引に男の手を掴むと、男を湖から遠ざけた。

男は突然の出来事に困惑していた。

包帯の男が、男に向かって叫んだ。 

「駄目じゃないか、命を粗末にしたら」

男には意味が分からなかった。

男は、ただ、湖の水面に映る自分が見たかっただけだった。

それなのにこの男は、何か勘違いをしていた。

男が、愛想笑いをして立ち去ろうとすると、包帯の男が言った。

僕もね、さっきまでは君と同じことを考えていたんだ、でもね、それは違うって分かったんだ、僕は、あの分厚い本に勝った、だから、君も大丈夫、きっと勝てるよ。

包帯の男は、そう言って、男を強く抱き締めた。

男は暫くの間、その場に立ち尽くしていた。

変な奴…それが男の素直な感想だった。

男は帰宅した。

誰もいない家、実家に。

結局、あの包帯の男のせいで目当てのものは見つからなかった。

代わりに見つかったのは、強引でお節介な包帯ぐるぐる巻き男…

男の求めるものではなかった。

男は清楚な衣服を全て脱ぎ捨て、酒をあおって眠った。 

-次の日-

男の足は、自然と湖に向かっていた。

別にあの包帯の男に逢いたいわけではない。

ただ、気になっていたのだ。あの包帯の男の包帯の「下」がどうなっているのか…。

男の興味はそこにあった。

男は湖のほとりまで歩いてきた。

誰も昨日のようには呼び止めてはくれなかった。

当然だ、男が湖に飛び込もうが溺れようが、他人は気にしない。

男は、更に湖に近付いた。

その時だった。

聞き覚えのある声が、男を呼び止めた。

その声に男は胸を踊らせた。

振り返ると、あの包帯の男がいた。

男は自ら男に歩み寄り、包帯の男の右手を掴んだ。

包帯の男は、男の突然の行動に困惑していた。

男は突然、包帯の男に包帯の事について訊いた。

精細さに欠ける男だと包帯の男は素直に思った。

そんなに気になるかい、この下がどうなっているのか?

男は期待して頷いた。

包帯の男は人気の無い場所に男を連れていくと、そこで顔面を覆っていた白と黒の包帯を解いた。

男は、その包帯の男の素顔を見て眼を見開いた。

包帯の男の片方の眼だけ、酷く傷付き、壊れている。

男は気付いた。

これを隠す為に包帯を巻いていたんだと、それなのに自分は…なんて情けない。

男は包帯の男に謝った。

包帯の男は優しく微笑んで許してくれた。

とても綺麗な微笑みだった。

男は包帯の男に自身の顔を近付けて、じっと見つめた。

包帯の男は、男の積極的な行動にうろたえていた。

男が言った。

「とても綺麗だ」

その時だった。

包帯の男が、男を突き飛ばした。

男は突然の事に困惑していた。

何故、綺麗と誉めただけで突き飛ばされたのだろう。

男は哀しかった。

また、拒絶されたと思った。

包帯の男が言った。

過去に「綺麗」と囁かれて酷い目に遭わされたと、その時の光景が眼に浮かんで…つい、突き飛ばしてしまった、と。

包帯の男は、男に手を差し伸べ、男を立たせた。

包帯の男は、男の下半身についた砂を手で優しく払ってくれた。

男は、頬を赤らめたまま言った。

「でも本当に綺麗だったんだ、それは嘘じゃない、きっと君には、素敵な恋人がいたんじゃないかな、僕よりも数倍可愛くて、美人な…」

包帯の男は、男と眼を合わせないように言った。

「君だって綺麗だよ、でもね、僕は、もう、一人でいたいんだ、だから、君が迷った時にしか、君を助けられない、だから、迷ったら、この湖においで、もしかすると、君なら助けられるかもしれないから」

包帯の男はそう言うと、顔面を再び包帯で覆い隠して、最後に男を抱き締めて去っていった。

-次の日-

男は、湖のほとりで包帯の男が来るのをずっと待っていた。

誰かが囁いた。

あいつよ、あいつ、ずっと男を待っている男って、何だか気持ち悪い、あれって同性愛ってやつでしょ、ああ、知っている、もてない奴同士が茂みで盛るんだろう、子供も作れないくせに馬鹿だよな。

男は、心の中で泣いていた。

男の隣に誰かが腰掛けた。

黒いローブの男だった。

黒いローブの男は、男に分厚い本を差し出して言った。

暇なら、これでも読みますか、と。

黒いローブの男は、優しい顔をしていた。

もう、男なら誰でもいい…男はそう思い始めていた。

男は黒いローブの男から分厚い本を受け取った。

そして開いた。

偶然開いたページには「アミメキリンの刺青」と黒文字で書かれていた。

黒いローブの男がにやりと笑った。

男は、分厚い本を読み終えた。

感想はとくに無かった。

これ、返します…そう言った時にはもう黒いローブの男の姿はどこにも見当たらなかった。

男は、分厚い本をその場に置いて帰宅した。

-真夜中-

酒の力を借りても、なかなか寝付けない男は、何を思ったのか、清楚な服装に着替え、町に出掛けた。

昼間とは違う世界がそこには広がっていた。

家族や優しく微笑む男女の姿はどこにも見当たらない、見えるのは、酒にやられた男や下品な女の悪どい商売だけ、男は、後悔していた。

でも、その足は止まらなかった。

男は、ある酒場に入って、一人、酒に溺れた。

そんな男の無様な姿を見て、強面の男達が近付いてきた。

二人とも、がっちりとした体格に短いあごひげを生やした逞しい男だった。 

それは、男が求めていたものに近かった。

強面の男は、酒にやられた男を担ぐと、そのまま、酒場の地下に男を連れていった。

誰もが見てみぬふりをしていた。

全てが終わった。

男は、酒場の前で倒れていた。

「これ…なんだろう…これが熱愛…たぶん、そう、明日も…こなきゃ…いかなきゃ…」

男は、ふらふらになって帰宅した。

男に誰かが囁いた。

【穢れた熱愛に溺れた愚か者よ、更なる 熱愛に溺れたければ、更に地下へと沈め、そうすれば、最期の最期に、真の熱愛とやらに、気付けるだろう、だが忘れるな、お前には独り、邪魔者がいる、そいつを先に沈めなければ、求める場所には行けない、そして…代償は消えない】

-最期の日-

男は湖にいた。

邪魔者とはあいつの事だ。

あの包帯の男を沈めてやれば求める場所に行ける。

ここは湖、見ているのは他人だけ。

他人は誰が湖に飛び込もうが溺れようが気にしない。見てみぬふりをする。

男は、包帯の男が来るのを待っていた。

―包帯の男が来た。

包帯の男は、男の違和感に気付いていた。

男は、にやりと笑った。

包帯の男は優しく微笑んだ。

そして男に向かって言った。

「迷ったから、ここに来たんだね」

男は怖い顔で包帯の男を睨んでいた。

「ああ、そうだよ、でも、迷いは消えた、だから、湖の近くで、もっと傍で話そうよ、二人っきりで」

男は包帯の男の右手を掴んで、湖の傍まで連れて歩いた。

包帯の男は、湖を背にして言った。

「分厚い本に選ばれたんだね、分かるよ、あの時の僕と同じ、怖い顔をしている」

男は、包帯の男を 湖に追い詰めるように近付いてきた。

包帯の男は冷静に言った。

「でもね、あいつには勝てるんだよ、あいつの弱点は逆らわれる事、あいつの思惑通りにはいかないって、自分を信じて、自分の弱さに立ち向かえばいいんだ、そうすれば、求めていたものは、必ず手にはいる、だから、気付いて、弱くても、本当は強い自分に」

男は立ち止まった。

そして、泣いていた。

包帯の男は、そんな男を抱き締めた。

誰かが、また囁いた。

あれが同性愛よ、気持ち悪い、って。

だが、男は動じなかった。

これが本当の自分だから、家族全員に拒絶されても、他人が馬鹿にしても、もう、泣かない。

二人の男は、湖のほとりで寄り添った。

黒いローブの男は、そんな二人の姿を 遠目から見ていた。

そして、にやりと笑った。

この物語に幸福と呼ばれるものは存在しない、と。

一見幸せそうに見える二人。

だが、彼等は気付いていない、代償として命を削った事を…あの声は最期に言っていた。

「…そして、代償は消えない」と。

微笑む男の全身には「アミメキリンの刺青」が刻まれていたという…。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

どんでん返し

あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~ ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが… (「薪」より)

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

双極の鏡

葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。 事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

最後のリゾート

ジョン・グレイディー
ミステリー
ウィルスに感染し、腎臓動脈血栓と鬱の後遺症を抱え込んだ男 今度の鬱病は、彼にとって15年前に発症したものより重く心を蝕む。 ウィルスに体を、鬱に心を、どうしようもない現実が、彼に襲いかかる。 彼の脳裏にイーグルスのThe Last Resort のメロディーが鳴り響く。最後の楽園、いや、彼には最後の手段「死」の近づきを感じる。 華やかな現代は、途方もない先住民の血で固められた土地の上に成り立っている。 彼の嘆きは、先住民の嘆きと同じ、アイデンティティを奪われた嘆き、ウィルスから、鬱から、そして、社会から 不条理に置かれた現状、嘆きは全て泡と消える。 50代半ばを過ぎ、それなりにエリート街道を進んできた中年男性、突然のウィルス感染が、彼の人生を大きく左右する。 運命は生と死、人生は山と谷、万人に公平なのは運命なのか、人生なのか 宗教哲学的な心理描写により、現代のウィルス感染者の苦悩を綴る。

狂気醜行

春血暫
ミステリー
――こんなことすら、醜行と言われるとはな。  犯罪学のスペシャリスト・川中文弘は、大学で犯罪学について教えている。  その教え子である瀧代一は、警察官になるために文弘から犯罪学について学んでいる。  ある日、大学近辺で起きた事件を調べていると、その事件には『S教』という謎の新興宗教が深く関わっていると知り、二人はその宗教について調べることにした。 ※この物語はフィクションです。実在する人物、団体、地名などとは一切関係ありません。 ※犯罪などを助長する意図は一切ありません。

ミノタウロスの森とアリアドネの嘘

鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。  新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。  現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。  過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。  ――アリアドネは嘘をつく。 (過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)

処理中です...