漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋

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虹 隠れて見えず

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二次の試験会場は市役所の第二庁舎だった。
普通の人ならスーツで行くんだろうが、こういう時、俺達みたいな学生は制服でどこでも行けるのがすごく助かる。
この前センセから貰ったお守りをいつでも握れるようにポケットに入れて、自分で作った二次対策用のノートと筆記用具、受験票、後は時計があれば大丈夫だと思う。

二次試験は受験番号ごとに時間指定されていて、俺と同じ時間に指定されている番号は4人分だった。

「……って事は集団面接か、グループワークか……4人なら集団面接かな」

グループワークよりはマシだが、集団面接も結構厄介だ。
あちこち調べたり聞いたりした話だと、全部で10分くらいしかアピールできる時間がないし、考えていたのと同じ答えが被るのも出来たら避けたい。
こういうのはどうも、加点式じゃなく減点式でやってくらしいから、どっかでつっかえたりしたらそれだけでアウトだとも聞いた。

……大丈夫だ、練習はしてある。
それに人前で話すのは、それなりにバイトや学校で慣らしてきてはある。
出かける前の確認していた家の玄関先で、俺はもう一度祈るように、貰ったお守りを握りしめた。





一応、この時のために、ガッコのいつもの奴らの時間を30分貰って面接練習もした。


「……ゴメン、悪いな、みんな。お前らだってそろそろ試験近いのに……」

「そんな遠慮しなくていいよ、藤谷くん。代わりに終わったら、僕のデッサンモデルに付き合ってくれるって言ってたでしょ? ハヤシくんだって、英語見てもらう予定になってるし」

そう言ってモモがチラッとハヤシの方を見て笑う。

「そうだぞ、俺も英語ダメダメだから、後で専属で教えてもらうし!」

「……お前はホントに試験近いんだから、本気でやれよ、航太」

おさなな達も……おさななの方は、30分じゃ俺の方が割食いそうだから、プラスしてソノんとこの喫茶店の10回無料券くらいは貰っていい気がするが。



ちょうど今日は、美術室で活動する部員がいなくて空いてる、とモモに聞いて、俺たちは美術室で練習させて貰うことにした。
授業以外では初めて入った美術室は、窓を薄く開けていてもどことなく、絵の具なのか粘土なのか独特の匂いがする。
壁際には、デッサン練習用らしい、牛の骨やら彫像やら謎のプラモデルやらが置かれていて、反対側にはイーゼルというらしい独特の形の器具が置かれていた。
ぐるっと見回すと、歴代美術部員が置いていったらしい絵が、いくつか簡易的な額縁に入って飾ってあった。

「そういえば、モモが本来よく描いてるって言ってたのは、水彩だっけか? あれはモモのヤツ?」

面接練習用にとイスを5人分引っ張り出して、真ん中に並べていたモモの小柄の姿が、俺の声でグルンとこっちに振り返る。

「……え、どれ? ううん、僕のはまだ置いてない。コレねえ、先輩たちが卒業の時に記念に置いてくやつなんだ。そっちのデッサン用の模型とか彫像とかもそうだよ」

「……え、この牛の骨も?」

真っ先に見つけたプラモデルを握りしめている航太と違い、モモの話を聞いていたソノが、雑多に積み上げられたデッサン用の牛の骨を軽くつつく。

「そう、その牛の骨も。良く出来てるでしょ、本物じゃなくて彫刻なんだ」

「…………すげえな、美術部って……」

「そうでしょ、結構、卒業した先輩たちはあちこちで頑張ってるよ。……油絵もねえ、いま涼しいから、描き終えたら外で乾かしてるんだけど、50号っていう、僕の背丈よりちょっとちっちゃいくらいのサイズの……」

「…………モモ、藤谷がちょっと困ってるぞ。時間ないんじゃないか?」

みんな好き勝手に見て回り始めたので、どうしようかと口を開きかけた俺を見てか、ハヤシがモモの袖を引いて、たしなめてくれた。

「そうだった、ゴメン! みんな、戻って来て! 始めちゃおう。……藤谷くん、質問される側がいいよね?」

「ああ、質問する側に……グループワークは回る可能性あるけど、今回は集団面接の練習したいから、される側がいい」

「わかった、じゃあ僕、試験官役やるから。みんなこっち座って」


そうして始まった模擬面接は、モモが試験官役だけあって、なかなか俺には厳しかった。
けっこう深いツッコミも受けたし、炙りだされた問題点と、考えの浅かったトコも埋められたと思う。

……だから、今日だってきっと大丈夫なはずだ。
どうにか辿り着いた指定の集合場所で、俺と同じように学生服を着た、同じようにガチガチに緊張している同類たちを眺めて、俺は一つ深呼吸をした。









「はい、皆さん、お集まり頂きまして有難うございます。私は保険課のノザキといいます。……皆さん、大丈夫ですからね、ちょっと深呼吸しましょうか。……窓もちょっと開けましょうね」

4つ用意された椅子の上で、それぞれガチガチに固まっていた俺たちは、時間通りに飄々と入ってきた、試験官らしい50歳くらいの男性を一斉に見た。

それだけで、こっちがどれだけ緊張してるかわかったらしいその人は、やさしく笑ってやわらかい声で声をかけてくれる。ついでに今まで締まっていた窓をいくつか開けてくれたおかげで、どこか淀んで詰まったようだった空気が抜けて、少し息をするのが楽になった。

「はい、じゃあ、こっちの椅子から受験票通りに……うん、座ってますね。……じゃあ、受験番号順に自己紹介を。これからいろいろみんなで質問したり話し合ったりして貰うから、かんたんに、緊張しなくていいですからね。名前と学校だけ。はい、じゃあ、右端の君から」

そして右端に座っていたのは俺だった。一つ息を吸う。

「はい、藤谷清文です。出身は武倉高等学校です。よろしくお願いします」

極度に緊張すると、考えていたのが全部吹っ飛ぶとは聞いていたけど、確かにそうだった。
だから試験官の人が、最初の最初を簡単にしてくれたのは、すごく助かった。
立ち上がって、たったこれだけの短文を言って、元通り背を伸ばして座る、それだけで自分がガチガチに緊張していたのがよく分かったから。
それが声と一緒に抜けていったのも気づいて、改めて試験官の人を見る。
その人はニコニコとやわらかい笑顔のまま、次に答えている女子の方を見ていた。



「……はい、じゃあ、最後に皆さんに聞かせて貰おうかな。ここの市役所で働きだしたら、どの部署で働いてみたいか。ああ、私の保険課って必ずしも答えなくていいですからね。自分の好きな市役所の部署をイメージして何がしたいのか、答えてください。……じゃあ、藤谷さんから」

最初のあいさつでみんなの緊張が抜けた後、試験官のその人は、やわらかい声で簡単に答えられそうなものと、よく考えながら答える類のものを、巧みに混ぜながら質問していった。
そのおかげか、ガチガチだった俺たちは、普通に笑顔でいつも通りの頭でハキハキ答えられるようになっていて、ちょっとした連帯感まで出ている。

事前に聞いていた、突然答える順番を変えたり、指名制にしたりとかいうのが、一切ないおかげもあるんだろう。
だから俺も、名前が呼ばれる前にはちゃんと腹が据わっていた。

「私は、人と直接かかわりのある部署がいいと思っています。例えば、ノザキさんのいる保険課、福祉課もそうですし、図書館みたいな場所でもいいです。これは私の志望動機とも関係あるんですが、市役所を訪れる皆さんを、あったかく出迎えて対応したいんです。困って、最後の頼みの綱で、ここを訪れた人の話をちゃんと零さずに聞けるように」

「……なるほど。じゃあ、例えば、私の保険課に配属されたとして。ものすごく怒ってる人や、泣きながらやってきた人なんかの対応をあなたに任せたとしても、話を聞いてくれるのかな?」

やわらかい声と笑顔の奥で、一瞬俺の方を真剣にまっすぐに見るのが分かって、俺は背筋を伸ばして頷いた。

「はい、ちゃんと聞きます。最後まで」

「…………なるほど。わかりました、ありがとう。……じゃあ、次の並木さん」

その後のみんなの話がちゃんと聞けないくらいには、あの質問の一瞬の視線は強かったけど、俺は試験が終わって市役所を出るまではどうにかこらえた。

出て数歩で、なんだか手がぶるぶる震えだして、こらえきれなくなったけど。
ポケットに入れてあったお守りを今更に思い出して、慌てて握りしめると、ちょっとだけ落ち着いて息をつく。
そして、そんな俺の背中がポンと軽く叩かれた。

「………っ!?」

思わずビクッとして振り返る俺を、さっきの試験官だったノザキさんが苦笑してみていた。

「……ああ、ごめんね、驚かせちゃったかな。……さっきの子たちの中で藤谷さんが一番緊張してたみたいだから、ちょっと心配になって。大丈夫?」

「……ああ、はい。大丈夫です、すみません」

そう言うと、ノザキさんは慌てた顔で手を振った。

「いや、こっちこそゴメンね、急に声かけちゃって。……うん、でも君はたぶんね、伊達メガネを作った方がいいと思うよ。一枚、君を守る盾を作りなさい。ここに来る前にね。……うん、それだけ言いたかったんだ」

「……メガネ、……はい」

「……うん。気を付けて帰るんだよ」

そう言って、軽く手を振って去ったその人を見送って、俺はどこか呆然と家に帰った。



その人の言葉の真意に気づいたのは、ずっと後、試験結果が出て自分の番号を探している時だった。
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