漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋

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夏草 枯るる

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俺がなりたい市役所の職員になるには、地方初級という試験に合格する必要がある。
地方初級の高卒程度、というやつだ。
市によって、年齢が高めに設定されたりもするらしいので、うちの市の場合は18歳からで本当に助かった。
大学入試なんかだと、例えば私学なら学校によっては理系特化、文系特化で、必要ない教科は勉強しなくてもいいこともある、とソノ達から聞いた。
公務員試験だと数学も化学物理も現文古文、社会科全般、全部範囲に入る。
浅く広く、に見えて過去問を漁ると結構突っ込んだ問題もあるから、範囲が広いのはかなり厄介だった。
だからこそ俺は、自分の性格と環境を踏まえて、早い内から準備していたんだが。

「集団討論とかあるんだな……まあ、でもそうか」

二次の簡単な解説も受験申込書には書いてあって、俺は今、自宅で参考書の休憩にそっちを確認していた。
これに合格したとして入職するのは市役所になるわけで、その際には意見の交換なんかもあるだろう。
まったく社交性がなくて、喋れないのは入られても困るわけだ。

「みんな忙しいだろうけど、声かけたら付き合ってくれっかな……聞いてみるか」


季節はもう7月へと入っていた。

今年も今年で例年以上に暑くて、なんとなくムシムシする。
最近は、母さんも俺の受験が近いのを知っているから、「メシはそれぞれで済ませる」って暗黙の了解みたいなやつが出来ていて、忙しい時はセンセみたいに買い飯で済ませる日も増えてきた。
……それでも俺はちゃんと毎日、野菜は取るけど。あと牛乳。

センセみたいには背は伸びないだろうけど、俺だってああいうことをする時に男らしく、センセを抱き上げたり……出来ないだろうけど、してみたい願望はあるし。

今まで飯を作っていた時間とか、センセの所にバイトに行っていた時間とか、そういうのが全部手元に戻ってきた結果、圧倒的に家での一人の時間が増えた。
そして初めて、完全な一人っきりってなると逆に落ち着かないんだって事を知った。

「…………」

今はもう慣れてしまったんだろうけど、センセは最初の頃、一人ぼっちの時は何を考えていたんだろう。

この前約束した通り、センセからは一日一度メールがくる。
最近はちゃんと漢字や句読点の打ち方も覚えたようで、なんだかまともな日本語になってきた。
あの全部ひらがなしか打てなかった時期の文もすごく可愛かったけど。
文章量も、前みたいに「精一杯頑張ってかいた幼稚園の絵日記」みたいなやつから徐々に増えてきていて、今日の店の様子や、センセが朝晩出かけるランニングで出会った物の話や、お客さんから聞いた話なんかが増えてきていて、楽しい。

だから、ちょっと休憩しようと考えると、ついついスマホに触ってしまう癖が出来てしまった。
もう何度も読んで、内容なんかとっくに頭に入ってるのに。
スマホの画面越し、文面に触れるとなんとなくセンセに触っているような気分になって、ちょっとだけホッとする。待っててくれるといった、あの約束と優しい笑顔を思い出す。
そして、なんとしても合格せねばとやる気が出るのだ。

俺は、サラリと触れた画面から名残惜しく指を離して、改めて参考書を広げた。









「集団討論な…………、確かに大学受験には、そういうの出る学校少なそうだけど」

次の日、昼飯時でみんながちょうど弁当広げ出した頃合いを見計らって聞いてみた。

最初に答えてくれたのはソノで、今は赤本を閉じて、弁当を食……わせて貰っている。
誰にって言わずとも、もちろん航太に。
そして俺達も、もちろん誰も突っ込まない。たとえ、もう完全に自意識取り戻してるのに、航太のうれしそうな自動給餌をごくごく自然に受けるソノの姿が明らかにおかしくとも、俺たちは突っ込まない。
突っ込んだ方が負けだからだ。

「……お前ら、お互いの大学離れてて良かったよな……。距離近かったら絶対どっちかが、どっちかの大学通ってそうやってメシ食ってたろ」

……はっ、絶対突っ込まないぞと思ってたのに、うっかり口が滑った。

「ああ、それでも良かったかもなー。 ま、でも、俺はソノんとこまでちょくちょく様子見に行くつもりだし」

最近は将来の自炊のためにちょっとずつ料理を習っているっていう航太が、今日の自信作らしい卵焼きをソノの口に運びながら、朗らかに言った。

「……別に来なくていい。お前だって忙しいだろ、自分の勉強に集中しろ。 大体すごい金かかるんだぞ」

金と航太の負担の心配をしてるだけで、実質本当に嫌そうには見えないソノ。

「勉強はちゃんとするもんね。……大体、大学入ったら俺はバイト始めるもん。俺だって月1くらいソノの顔ちゃんと見たいし……俺の金なら問題ないでしょ?」

彼女かな……?って勢いで懇願する航太。実際、見てるとソノより航太の方がそういう執着が強い気がする。

これでこいつら、大学入ったら彼女作ったりするのかなーなんて話を、お互いに向けてするのだ。
俺がもし、ハジメさんと同い年のおさななだったとして、今みたいに俺がハジメさんのこと好きだったとしたら、絶対に彼女作る話なんか耐えられない。

謎生物なおさなな共を眺めて、俺が弁当を食いかけで放置していると、ちょいちょいと後ろからモモがつついてきた。

「藤谷くん、落ち着いて。 アレがソノくん達の普通だから……落ち着いて、お茶飲むといいよ」

「ありがとう、モモ。 おさななども、改めてまともに見るとヤバいな……」

深淵を除くものは深淵になんちゃらって、どこかの哲学者かなんかの言葉があるが、まさしくおさななは深淵だった。こっちの常識をグラングランにぶれさせてくる。
幸い、メシ中のおさななは二人の世界に入ってるので、こっちの会話は聞こえてなさそうだ、良かった。

「それで、どうする? 集団討論やってみたいなら、僕たちで良ければ手伝うけど」

そう言ってくれたモモの横で、ハヤシがパンをかじりながらウンウン頷いている。

「そういえば、お前ら結局同じガッコ目指すことになったんだっけ。 なんか受験用のデッサンとか何とかが忙しいって、モモ言ってなかったか?」

「あ、うん。おかげさまで、けっこう集中して書けたから、大体モノに出来たと思う。やっぱそういう専門の予備校通ってみて良かったよ。……ハヤシくんの方は?どう?」

もしゃ、と食べていたタマゴサンドパンから口を離して、ハヤシは少し考えるようにしている。

「俺の方は一般受験だからそういうのはないんだが……小論文でどういう理由でこの科に入りたいのかとか、その職に着いたらやりたい事とかを書くみたいだ。だから今は、時間内でちゃんと書ききれるように、文章を引っ張り出す練習をしてる」

「……その職に着いたらやりたいこと、か」

何だか俺の方でも、同じことを聞かれそうだ。
せっかく思い付いたので、ノートの端にメモを取りながらチラッと考える。

「そうだな、ハヤシとモモに手伝ってもらうか。いくつか討論できそうな内容、放課後までに考えとくよ」

「…………小論の練習になるなら、俺もやりたい。今日爺さんの喫茶店ちょうど休みだから、討論会の場所も提供できるし」

いつの間にか二人の世界から復帰していたソノが会話に戻ってきていて、ソノがいくなら俺もいくとばかりに航太が頷いている。

「場所提供は有難いな。……じゃ、放課後ソノのトコの喫茶店で付き合って貰っていいか?」



俺が申し訳なさげに切り出すと、みんな笑ってそれぞれに頷いてくれた。
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