漢方薬局「泡影堂」調剤録

珈琲屋

文字の大きさ
上 下
60 / 110
款冬の花 咲く

46 ※先生視点

しおりを挟む
俺の小さい頃から爺さんがずっと言っていた言葉がある。

「客が入ってきた一歩目から注視しろ」

俺はあんまり漢方医らしい医者ではないし、自覚はしていなかったけど、その言葉だけは身に沁みていたようだ。


今日のキヨくんは店に入ってきた一歩目からどこかおかしかった。
いつもこの時期には白く冷えている頬は薄赤く、黒い目はいつもみたいにキリッとしているように見えてどこか潤んで視線が遠く、何よりいつもだったらテキパキと流れるように動くのに、今日はぼんやりとしている。

本人は普段通りに動いてるつもりなようだが、少し動くたびに息が荒くなっているし、見るに見かねて調剤室を出ると、すぐそこの掃除用ロッカー前にいたキヨくんを呼び止めた。

「大丈夫?……無理しないでキヨくん、もうこっちはいいから奥でちょっと寝てくるといいよ。薬出すから休んでて」

「…………、え、なんですか?」

……ボンヤリしちゃって俺の声も上手く聞き取れてなさそうだ。
キヨくんの事だから、もし朝から調子悪かったなら休んでるだろうし、きっと学校では問題なかったんだろう。
診察セットまで連れてく時間さえ惜しくて、あちこちに置いてあるアルコールの一つで手を消毒すると、立ったまま手早く触診した。

遠目で見たとおりに、目も肌も喉の腫れも風邪だと言っていて、何より触るだけでかなり熱が出ているようだ。
ひんやり感じるのか、触ると気持ちよさそうに笑うのが俺にはちょっと目に毒だけど。

急いでザッと診断を出した俺はそのままキヨくんを家の方まで連れていこうとしたけど、本人がずるっと避けて何故だかカバンを取りに行く。
そのまま、なんだか大事そうに取り出されたのは、キレイにラッピングされた二種類の菓子だった。

ああ、バレンタインだったのか、今日。
咲子ちゃんの恒例行事をこっそりキヨくんが手伝っているらしいことは俺も知っていたから、寝不足のサインはそのせいだったんだろう。
そのままフラフラな手つきで差し出されるソレを手ごと大事に受け取って礼を言うと、小さい子みたいにへらっと嬉しそうにキヨくんが笑った。
そうして俺に向かって何かをほにゃほにゃというと、バターンと俺の腕の中に倒れ込む。
何とか抱き留めたけど、腕の中のキヨくんはグッタリしたままだ。

「……ちょっと、キヨくん!? ……ゴメン、リンちゃん店番よろしく、俺キヨくん連れてくから!」

脇で注視してくれていたリンちゃんにそう声かけて、キヨくんの体を一息に肩に抱き上げる。
そのまま急いで出ていこうとしていた俺に、珍しくリンちゃんがまじめな顔で声をかけてきた。

「…………、ハジメくん、今のキヨくんの声聞こえた?」

「…………え、それどころじゃないんだけど、なんて言ってた? ……っていうか、ごめん後で聞く!寝かせてくるからよろしくね!」

バタバタと奥に駆けていく俺の後ろで、リンちゃんが珍しく深いため息つくのが聞こえたけど、正直それどころじゃなかった。










とりあえず布団を敷いてキヨくんを居間に寝かせる。
制服のまま寝かせるのはマズいから、申し訳ないけどキヨくんがうちに置いてあるジャージに勝手に着替えさせて貰った。脱がすついでに胸部と腹部も触診しておく。
今のところは肺まで症状がきている感じはないけど、様子を見て症状がひどくて急性なら救急に連れて行った方がいい。

漢方は病気になる前の未病からゆっくりじっくり直すのは得意だけど、急性症状はちょっと苦手だ。その点、西洋薬は急性症状の緩和向きだから、最近は大きな病院でも補い合うようにして両方の薬を出す医者が増えてきているらしい。
特に苦しそうな様子はないけど、熱が徐々に上がってきているのは触れるだけでわかる。
ただし、熱が出たからってすぐに無理やり下げるのは良くない。熱は体の防衛反応のひとつなので、高く上がりすぎたのを少し下げる程度にしておかないといけなかった。
大量に汗をかくので補水と濡れた衣類の着替えはどうしても必要になるけど。

あとで体温を測って、売り物の補水液を何本か持って来よう。
一度ちゃんと起こして水分取らせるついでに、薬も飲ませなければ。

ついそのまま持って来てしまった、キヨくんから貰ったバレンタインのお菓子をちゃぶ台の上において、眠る本人の顔を眺めて一つ息をつく。
軽く冷やしてあげようと冷たい水を洗面器に組んで、真新しいタオルと一緒に居間まで戻った。
固く絞った濡れタオルでやさしく彼の顔や首周りを拭ってやると、少しだけ気持ちよさそうな顔をする。


たぶん彼に他意はないんだと思う。
キヨくんとしては咲子ちゃんの代理で、去年はともかく、大体例年持ってきてくれていたから俺にも余ったのをくれただけだ。
さっきの幼い頃によく見た屈託ない笑顔も、昨日の頑張りをわかって貰えた!みたいな感じで、別に俺に対してのものじゃない。
それに本人は熱で意識が朦朧としていたし、さっきのは今日誰かに渡すはずだった言葉をたまたま俺に漏らしただけだろう。
キヨくんの将来と幸せを祈るなら、たしかに俺なんかを相手にするよりそっちの方が全然良かった。

「…………本命か、……」

……そうか、彼には好きなヒトがいるんだな。
羨ましくないと言えばウソになるし、胸の底がギリギリ軋んだ。

せめてもう少し俺が若ければ、同世代なら、こんな傷だらけの体でなければ。
最大限に俺の願いがかなったって、彼が俺の事を好いてくれるとは限らないのに。
考えれば考えるだけ俺のみっともなくて汚い恋が暴れ出すけど、キヨくんのためだと言い聞かせれば、それで済んだ。
あれだけ彼に真摯に心の底から思って貰えるなら、きっとどんなヒトだって頷いてくれるだろう。

こうして彼がバイトに来てくれる日々も、あと数か月で終わる。
そこから先は、もう診療や親せきの付き合いくらいでしか、彼の姿を見ることはなくなるんだろう。

「……いい加減俺も腹を据えないと」

そうだ、思い出も優しさも、これから一人で歩くのには過ぎるくらいに良くして貰った。
これ以上、キヨくんの負担になるようなことは止めないと。

踏ん切りをつけるように洗面器の水で手を冷やして、俺はもう一度冷たく絞ったタオルをキヨくんの額に乗せた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます

猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」 「いや、するわけないだろ!」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。 「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」 「スバル、お前なにいってんの……?」 冗談? 本気? 二人の結末は? 美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

風紀“副”委員長はギリギリモブです

柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。 俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。 そう、“副”だ。あくまでも“副”。 だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに! BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

処理中です...