漢方薬局「泡影堂」調剤録

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閑話 雷 すなわち声を収む

1 ※御園視点

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航太は定期的に足の検診を受けている。
病院に一緒についていくのは最初は父母で、次に母になり、最終的に俺になった。
どうせ四六時中一緒にいるのだし、なんなら学校の行き帰りの送り迎えも俺がやっていたので、適任だろうとなったらしい。

だから、その診断を聞いたのは俺も一緒だった。

「……うん、もう大丈夫そうだね。走るための軽いリハビリはしている?」

「あ、はい。一応毎日ストレッチも体操もしてます。先週位からゆるーいスロージョギングみたいのも始めました」

航太がいつもより真面目な顔で答えている。

「うん、うん。……忍耐強く二年よく我慢したね。 来週位から、少しずつジョギングの距離を伸ばしてください。あくまでよく体操してから、ゆっくりね。 ……君の腱と靱帯はしっかり治ったけど、前の症例があるから、油断しないように」

すっかり見慣れた柔和な笑顔の先生にもう来なくていいと聞いて、航太がパッと目を輝かせた。

「え、じゃあ、もうこれで完治って事でいいですか?」

「一応、様子を見て本当に大丈夫だったら、だよ。あと二回くらいは経過観察しないとね。 ……分かったかい?」

浮かれて話を聞いてなさそうな航太じゃなくて、先生が後ろに立ってる俺の顔を見て言った。
目線があったまま俺も黙って頷く。

「はい、コイツの両親にも伝えておきますし、学校ではできるだけ注意しておきます」

「なんだよー、俺だってちゃんと注意して生活できるよ。 ……先生、それならアレですよね、今年の強歩大会は普通に出て走ってもいいって事ですよね!」

「無茶しなければいいよ。 でもジョギングの速度を超えないようにしておきなさい」

「ジョギングの速度……」

ああ、なんか抜け穴探してる顔だな、アレ。
明らかになんか考えている航太の顔を横目に見て、先生に忠告した。

「先生、コイツのジョギングはかなり速いので、スロジョグくらいでいいと思います」

「うん、じゃあスロージョギングくらいにしておこうか。無理しないようにね、東原君」

「…………はぁい」

渋々先生に返事をしながらも、こっちに恨みがましい視線を投げてくるが、無視だ無視。
……あれもこれも、結局は全部、お前の足が壊れないようにするためなんだから。










そうして迎えた強歩大会当日、案の定、航太は先生の話なんか覚えちゃいなかった。
いつかの陸上部時代みたいにスタートからすごい速度出す気でいるバカに、辿り着いた教室で改めて説教する。

「お前だって、ほぼ丸々二年無駄にして懲りただろ。……あんだけあちこちブチブチ切れてた割に、運良く走れるようになったんだ。 今さえ我慢すれば、お前の好きなスピードで走れるんだから、今日は我慢しろ。……な?」

「……でも、今年の俺が走れる大会はこれっきりしかないんだよ? 俺ら来年は受験じゃん。もうこの時期、下手したら受験で手一杯で大会免除もあるじゃんか。 ……俺は、あの俺の足が壊れた大会からずっと走ってない……」

航太に半泣きみたいな顔で見上げられて、俺も一瞬言葉に詰まる。
タイミングよく藤谷が登校してきたから助かったが、しばらく考えて俺は一つ息をついた。

「無理はすんなよ、行きだけは絶対俺に付き合ってもらうからな」

「……! うん、……うん!」

さっき泣いたカラスがもう笑った、みたいに、さっきの顔が嘘みたいに航太がパッと咲くみたいに笑った。




「な……んか、これ、普通に走るより、きつい、かも……っ」

「そりゃ、センセも、言ってたろ……。こっちのほうが、筋トレになるって……っ」

強歩大会は普通のマラソン大会に比べて、距離が長い。
うちの高校は大体往復30キロ弱だが、これでも短い方だ。
場合によっては80キロ近く歩かせる所もあるらしいから、まあ、タイム的にも走っても大丈夫、位の距離で済ませてくれたのは感謝だな。

スロジョグ始めて最初のうちは、誰かに抜かれるたびにつまらなそうな顔をしていた航太も、往復の中継地点に近づくにつれ、だんだん余裕がなくなってくる。
まあ、この二年に渡る俺との文化部活動は、運動部としての筋力とか体力とかも失わせたんだろうな。
普段だったら罪悪感が湧くけど、今日に限っては失ってくれてて良かった。

目標の寺がゆるい山道の途中にあるので、自然と道もどんどんと傾斜していく。
玉石がたっぷり敷かれた境内が見えてくる頃には、俺も航太もすっかり口数が少なくなって、境内ついて補水貰うと途端にどっと疲れが出た。
でもここで休むと後がキツイのは、俺も航太も良く知ってる。
大きなお堂をぐるりと回って、もう一度一緒に走り出す。
今度は俺はジョギングくらいの速度で、航太は本来のスピードの3分の1くらいの速度で。

「……いっとくけど、……無理だけは、するなよ。走ってて、抜かされても、昔みたいに……、勝負、仕掛けに行くなよ」

「うん、……うん。分かった、……じゃあソノ、後でガッコで!」

ゆるゆるとした速度から、少し足を慣らすみたいに隣に並んだ後、俺の忠告を聞いた後に航太がにぱっと笑って、ギアを切り替えるみたいに少しずつ、速度をどんどん上げていく。
ちょっとずつ航太と距離が離れていって、その背がどんどん遠くなる。
自分のペースを変えないまま、あいつの背中が遠ざかって小さくなって、しまいに消えてしまうまで、俺はその背だけを目で追っていた。









強歩大会が終わったくらいから、俺はゆっくり航太と距離を取り始めた。
元々、本来は近すぎる航太との距離を取るのに慣らすため、ここのガッコを受けたっていうのもある。
結局アイツはついてきちゃったし、足のケガもあったから距離は取れなかったけど。

俺が行きたい天文系の大学はかなり数が限られていて、そのうえで国立の大学が主だ。
かなり本気で勉強する必要があったし、俺が仲良くなった奴らは少し俺が距離を置いたからって、先に説明さえしとけば気にしないだろう。
……それに、航太もこれで心置きなく陸上部で活動できる。

そう思えば、初めて一人で食う学食も、後ろに誰も乗ってない自転車をこいでの帰り道も、たった一人で通う塾だって意義があるように思えた。
だから、教室で顔を合わせると最初は不満そうに、日が経つにつれ泣きそうな笑い顔で俺の方を見てくる航太にも耐えられたのに。


授業終わってそのまま帰ろうとした俺は、昇降口の辺りで航太に捕まった。

「……何だよ、俺もう帰りたいんだけど」

ぎゅっと俺の学ランの袖口を握ったまま、俯いて動かない航太に、ため息ついて声をかける。

「…………なんで、最近俺のこと、無視するの?」

「無視はしてないだろ、話してるだろ、普通に」

「……だって、メシもみんなと一緒に食わなくなったし、帰りも一人でさっさと帰っちゃうし、……俺、なんかソノにやっちゃった……?」

「なんもされてねーし、今ちょっと勉強集中したいだけで……。」

「……嘘だ、元々ここのガッコに俺までついてくる予定じゃなかったし、……俺、邪魔だった?」

顔を上げた航太は普通に振る舞おうとしてるけど、目からはボロボロ大粒の涙がこぼれていた。
拭ってやりたいけど、今の俺にはそれが出来ない。
グッと唇噛みしめてから、ため息一つついて、正面からまともに航太の顔を見た。
そんな壊れそうな悲しそうな顔で泣かないでくれ、頼むから。

「……もう、俺も天文部としての活動はやり切ったし、お前の足もしっかり治った。 ……これでお前も陸上入り直して心置きなく好きなだけ走れるだろ。 俺の事は気にするな、お前もお前のやりたい事やっていいんだぞ」

「俺は……っ、俺は、ソノと、一緒に……っ」

「……一緒には行かないぞ。お前も自転車買って貰ったし、ちゃんと一人で帰れるだろ。 ……航太もそろそろ行きたい大学考えとけよ。……じゃあな」

頭を撫でて泣き止ませてやりたいけど、今の俺にそれは出来ない。
だから、少しずつ緩んできた航太の手からそっと袖を引き抜いて、立ち尽くして泣く航太に背を向けて出ていく。
後ろ髪が引きずられるどころじゃないキツさでも、俺に出来ることはこれしかなかった。




それに、俺にお前が邪魔なんじゃない。
お前に、俺が、邪魔なんだ。
俺はもう、お前がそのあけっぴろげな笑顔で、楽しそうに走るのを邪魔したくないんだ。


…………わかってくれ、航太。
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