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鴻雁 帰る
9 ※先生視点
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迪化街は台湾でもかなり古い問屋街だ。
乾物に雑貨、布、菓子に、香、最近はレストランにカフェなんかもずらずらとある。
漢方は特にここに集結していて、値段も質も大なり小なり100はあるんじゃないだろうか。
湿度が高い街だけあって、この辺に来ると空気にも漢方の匂いが濃い気がする。
この前来た時とまた違う店が増えたのを実感しながら、漢方屋の前を通るたび、チラッと質と値段を確認し、一緒に売っているドライフルーツの試食を頂いたりもする。
質のいい茉莉花が安く売っていたので、おまけでもらって気にいったマンゴーと一緒に購入したりしていたら、目的の漢方問屋についた頃には結構な大きさの袋を抱える羽目になっていた。
「おはよう、李さんいる?」
近くにいた若い店員の女性に声をかけ、店主がいるかどうか確認する。
暫くして出てきた恰幅のいい50がらみの中年の男性がこの店の店主の李さんで、さっそく右手を出してがっちりと握手する。
「おー、ハルじゃないか。この前電話したばっかりだろ、送ったオンジはどうだった?」
「いい質だったよ。今回はお茶の買い付けのついでにきたんだ。せっかく来たから顔見せとこうと思ってさ」
「ああ、地震があったから心配になったのか。俺たちは大丈夫だったよ、花蓮の方はけっこう被害大きいらしいが……」
まあ、座れよ、と手近な椅子とアルコールティッシュと試飲用らしい紙コップの冷茶を出してくれたので、有難く貰う。
「聞いたよ、実際の被害より観光客減ったダメージの方がすごいって言ってた」
「地震があるたびそうだが、観光が一番影響受けるからな……。日本の方はどうだ、お前は大丈夫か?」
「俺の住んでる所は平気だった。被害地域はひどいもんだけど……。どうにか立ち上がるしかないからね」
そういうと、そうだなと励ますように分厚い手でパンと背を叩かれる。
……リンちゃんの鋭い叩き方と違うのに、同じように痛い。ひどい。
「……とりあえず、せっかく来たから注文だけしてくよ。不足分と質のいいの入荷してたらサンプル見せて貰える?」
このまま話してると背中に手形が増えそうなので、さっさと商談に入っちゃおう。
俺の仕事の一部は、こうやって、生産者や問屋への顔の繋ぎと商品の質の確認、発送の手配、値段交渉なんかも入るので、結局は営業マンみたいなものだ。
代わりにリンちゃんは毎月、診療報酬の請求なんかの複雑な事務を引き受けてくれている。
電子カルテは便利だけど、うちみたいな顧客の少ない医者兼薬局みたいなところは、正直紙ベースの方が楽なんだよね……。
こうやって、俺たちは何とか二人であの薬局を回している。
……いや、今はキヨくんがいるから3人かな。
ふっと目が覚めて見知らぬ天井が見えると、恐慌状態になる時がある。
たとえば疲れている時、長距離移動した後、過度の緊張をした後なんかに。
今回もそのパターンで、目を開けて見た、真っ白い見知らぬ天井に一気に呼吸が浅くなる。
ヒュウ、ヒュ、と浅くなっていく息は過呼吸の前兆だ。
頭ではわかっているのに、フラッシュバックが止まらない。
振り下ろされるナイフ、飛ぶ血しぶき、衝撃と熱さ、押さえつけられる手足、締めあげられる喉、首筋にかかる誰かの生暖かい息。
目の前に浮かぶイメージを無視して、自分の口を手でふさぐ。
軽度の時はこれで収まるが、今回は治まる気配が全然なかった。
仕方なく、ずるずると落ちるようにベッド端へずれて、左手でリュックの脇に入れてあったピルケースの薬と、残った生ぬるい水のペットボトルを掴みだす。飲む。
落ち着け、大丈夫だ、ここは安全だ。
冷静な思考のままに、いつもみたいに心の内で繰り返す。
そのままベッドにあおむけに転がって天井見上げているうちに、体が納得したのか、徐々に呼吸も落ち着いてきた。
基本的に過呼吸は、時間はかかるが、やり過ごせば治まるものだ。
原因と対処法が分かっていれば尚更に。
爺さんにこの薬局を継げと言われる前、医者になる前、大学に入る前。
高校卒業した後くらいで半年ほど海外協力隊に参加していたことがある。
海外協力隊の活躍地域は基本、情勢の安定しない貧困国と呼ばれる地域が多い。
協力内容は様々だが、向こうの人から見れば、ろくろく言葉も喋れない外国人が大挙して押しかけて、偉そうになんかよく解らないことをやっている、みたいに見えることもあるんだろう。
そういうのは、大体一緒に作業していると解けていくものだが、問題は大抵それ以外の所で起きる。
つまりは仕事以外の所で。
その日は確か休日で、任地先で借りている家を離れ、ぷらぷらと数人で地元の商店かなんか覗いていた時だった。
仲の良かった同僚が買い物をしている間に、ぬくぬくと育って警戒心が薄い俺は、親しげに話しかけてくる男たちについていき、路地裏で強盗ついでに襲われた。
端的にいうならそういうことだ。
途中で同僚が俺がいないことに気づいて探しに来てくれたから、怪我だけで助かったものの、そのままだったら殺されていたんだろうとも思う。
任地先で傷が治るまで過ごし、傷がついたのが肩や上腕だったことを幸いに、帰ってからも爺さんやリンには隠し通した。
傷の件について身内で知っているのは、俺のうっかりで体を見せてしまったキヨくんだけだ。
俺は傷の件の詳細に関しては何も伝えていないし、口止めもしなかった。
ただ、ごくごく軽い説明と笑顔でやり過ごした。
キヨくんがそれについてどう思ってるのかはわからないけど、未だにリンや咲子ちゃん相手にも沈黙を続けてくれている。
ようやくと通常に戻った息を整えて、顔を洗いに洗面へ向かうと、目の前の鏡が目に入った。
映っているのは、フワフワもつれた薄茶の髪に垂れた眼の、疲れた顔のさえない中年のオッサンだ。
改めて洗面で顔を洗いながら、家を出る前に見たキヨくんの、心配が目に篭った笑顔を思い出す。
「……心配かけちゃってるなあ……」
キヨくんは、傷を見て以来、俺が海外に買い出しに行くたび心配をしてくれる。
その優しいまっすぐな心情に触れるたび、温かくてうれしくて、ちょっと泣きそうになって、大体ハグで誤魔化してきた。
俺にとっての咲子ちゃんとキヨくんは、ハトコの子というよりもっと近くて、もっと身内だ。
なんなら、小学校の授業参観や行事関連は、親戚であることを活かして俺が代わりに行っていたし、入学式も卒業式もエミさん(キヨくんのお母さんだ)の代わりに参列した。
……キヨくんの高校の入学式だけはハッキリ本人に断られたけど。
ちょっと前に本人にも告げたとおりに、親父さんが亡くなった辺りで子供でいることを諦めてしまったような子がキヨくんだ。
だからこそ大事に大事にしたいのに、俺は結局あの子にため息をつかせてばかりいる。
最近彼がよくする、笑うような、堪えるような、半分諦めるような表情を思い出して、ちりりと胸の端が傷んだ。
「帰ったら、キヨくんともちゃんと話してみようかな……」
ハグで誤魔化すんじゃなく、ちゃんと、一人の大人として。
乾物に雑貨、布、菓子に、香、最近はレストランにカフェなんかもずらずらとある。
漢方は特にここに集結していて、値段も質も大なり小なり100はあるんじゃないだろうか。
湿度が高い街だけあって、この辺に来ると空気にも漢方の匂いが濃い気がする。
この前来た時とまた違う店が増えたのを実感しながら、漢方屋の前を通るたび、チラッと質と値段を確認し、一緒に売っているドライフルーツの試食を頂いたりもする。
質のいい茉莉花が安く売っていたので、おまけでもらって気にいったマンゴーと一緒に購入したりしていたら、目的の漢方問屋についた頃には結構な大きさの袋を抱える羽目になっていた。
「おはよう、李さんいる?」
近くにいた若い店員の女性に声をかけ、店主がいるかどうか確認する。
暫くして出てきた恰幅のいい50がらみの中年の男性がこの店の店主の李さんで、さっそく右手を出してがっちりと握手する。
「おー、ハルじゃないか。この前電話したばっかりだろ、送ったオンジはどうだった?」
「いい質だったよ。今回はお茶の買い付けのついでにきたんだ。せっかく来たから顔見せとこうと思ってさ」
「ああ、地震があったから心配になったのか。俺たちは大丈夫だったよ、花蓮の方はけっこう被害大きいらしいが……」
まあ、座れよ、と手近な椅子とアルコールティッシュと試飲用らしい紙コップの冷茶を出してくれたので、有難く貰う。
「聞いたよ、実際の被害より観光客減ったダメージの方がすごいって言ってた」
「地震があるたびそうだが、観光が一番影響受けるからな……。日本の方はどうだ、お前は大丈夫か?」
「俺の住んでる所は平気だった。被害地域はひどいもんだけど……。どうにか立ち上がるしかないからね」
そういうと、そうだなと励ますように分厚い手でパンと背を叩かれる。
……リンちゃんの鋭い叩き方と違うのに、同じように痛い。ひどい。
「……とりあえず、せっかく来たから注文だけしてくよ。不足分と質のいいの入荷してたらサンプル見せて貰える?」
このまま話してると背中に手形が増えそうなので、さっさと商談に入っちゃおう。
俺の仕事の一部は、こうやって、生産者や問屋への顔の繋ぎと商品の質の確認、発送の手配、値段交渉なんかも入るので、結局は営業マンみたいなものだ。
代わりにリンちゃんは毎月、診療報酬の請求なんかの複雑な事務を引き受けてくれている。
電子カルテは便利だけど、うちみたいな顧客の少ない医者兼薬局みたいなところは、正直紙ベースの方が楽なんだよね……。
こうやって、俺たちは何とか二人であの薬局を回している。
……いや、今はキヨくんがいるから3人かな。
ふっと目が覚めて見知らぬ天井が見えると、恐慌状態になる時がある。
たとえば疲れている時、長距離移動した後、過度の緊張をした後なんかに。
今回もそのパターンで、目を開けて見た、真っ白い見知らぬ天井に一気に呼吸が浅くなる。
ヒュウ、ヒュ、と浅くなっていく息は過呼吸の前兆だ。
頭ではわかっているのに、フラッシュバックが止まらない。
振り下ろされるナイフ、飛ぶ血しぶき、衝撃と熱さ、押さえつけられる手足、締めあげられる喉、首筋にかかる誰かの生暖かい息。
目の前に浮かぶイメージを無視して、自分の口を手でふさぐ。
軽度の時はこれで収まるが、今回は治まる気配が全然なかった。
仕方なく、ずるずると落ちるようにベッド端へずれて、左手でリュックの脇に入れてあったピルケースの薬と、残った生ぬるい水のペットボトルを掴みだす。飲む。
落ち着け、大丈夫だ、ここは安全だ。
冷静な思考のままに、いつもみたいに心の内で繰り返す。
そのままベッドにあおむけに転がって天井見上げているうちに、体が納得したのか、徐々に呼吸も落ち着いてきた。
基本的に過呼吸は、時間はかかるが、やり過ごせば治まるものだ。
原因と対処法が分かっていれば尚更に。
爺さんにこの薬局を継げと言われる前、医者になる前、大学に入る前。
高校卒業した後くらいで半年ほど海外協力隊に参加していたことがある。
海外協力隊の活躍地域は基本、情勢の安定しない貧困国と呼ばれる地域が多い。
協力内容は様々だが、向こうの人から見れば、ろくろく言葉も喋れない外国人が大挙して押しかけて、偉そうになんかよく解らないことをやっている、みたいに見えることもあるんだろう。
そういうのは、大体一緒に作業していると解けていくものだが、問題は大抵それ以外の所で起きる。
つまりは仕事以外の所で。
その日は確か休日で、任地先で借りている家を離れ、ぷらぷらと数人で地元の商店かなんか覗いていた時だった。
仲の良かった同僚が買い物をしている間に、ぬくぬくと育って警戒心が薄い俺は、親しげに話しかけてくる男たちについていき、路地裏で強盗ついでに襲われた。
端的にいうならそういうことだ。
途中で同僚が俺がいないことに気づいて探しに来てくれたから、怪我だけで助かったものの、そのままだったら殺されていたんだろうとも思う。
任地先で傷が治るまで過ごし、傷がついたのが肩や上腕だったことを幸いに、帰ってからも爺さんやリンには隠し通した。
傷の件について身内で知っているのは、俺のうっかりで体を見せてしまったキヨくんだけだ。
俺は傷の件の詳細に関しては何も伝えていないし、口止めもしなかった。
ただ、ごくごく軽い説明と笑顔でやり過ごした。
キヨくんがそれについてどう思ってるのかはわからないけど、未だにリンや咲子ちゃん相手にも沈黙を続けてくれている。
ようやくと通常に戻った息を整えて、顔を洗いに洗面へ向かうと、目の前の鏡が目に入った。
映っているのは、フワフワもつれた薄茶の髪に垂れた眼の、疲れた顔のさえない中年のオッサンだ。
改めて洗面で顔を洗いながら、家を出る前に見たキヨくんの、心配が目に篭った笑顔を思い出す。
「……心配かけちゃってるなあ……」
キヨくんは、傷を見て以来、俺が海外に買い出しに行くたび心配をしてくれる。
その優しいまっすぐな心情に触れるたび、温かくてうれしくて、ちょっと泣きそうになって、大体ハグで誤魔化してきた。
俺にとっての咲子ちゃんとキヨくんは、ハトコの子というよりもっと近くて、もっと身内だ。
なんなら、小学校の授業参観や行事関連は、親戚であることを活かして俺が代わりに行っていたし、入学式も卒業式もエミさん(キヨくんのお母さんだ)の代わりに参列した。
……キヨくんの高校の入学式だけはハッキリ本人に断られたけど。
ちょっと前に本人にも告げたとおりに、親父さんが亡くなった辺りで子供でいることを諦めてしまったような子がキヨくんだ。
だからこそ大事に大事にしたいのに、俺は結局あの子にため息をつかせてばかりいる。
最近彼がよくする、笑うような、堪えるような、半分諦めるような表情を思い出して、ちりりと胸の端が傷んだ。
「帰ったら、キヨくんともちゃんと話してみようかな……」
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