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春風 氷を解く
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おぼえている中で一番古い記憶といえばなんだろう。
母親の腹の中から覚えている人もいれば、
そんな昔のことは覚えていないという人もいるだろう。
それはそうだ、記憶は薄れていくものだ。
俺の記憶の父親の背中と同じように。
顔はもう、覚えていない。
「……キヨにい、」
ついついと俺の背をセーラー服を着た白い手がつつく。
「……なに、ちょっと、10分待って」
「10分も待ってたらタケル漏らす」
「……わかった、ちょっとケイコ見ててくれ、弁当触らすなよ」
小さいといえど男は男、タケルのトイレと風呂は俺の分担だからな。
代わりにケイコのトイレと風呂は、今、俺の背を突っついていた妹の担当だが。
ため息一つでそう言い捨てて、片手に抱えていたぐずる幼稚園児を素早く手渡し、
もじもじしている3歳児の手を取ってトイレに連れていく。
間に合ってくれよと念じながら、素早く補助便座をつけ、
念のための紙パンツを脱がせて便器によいせと乗せた。
「ちーしろ、ちー」
「ちーない」
「またか……」
よっし間に合った、と思ったらコレだ。
そういって下ろすと結局したがるので、でるまで暫く待つ。
おしりふきで軽く拭いてやって紙パンツをはかせ、今度こそトイレを出た。
「おにい―!」
「……おい、タケル終わったぞ、早くしないと弁当」
「遅刻する、時間!」
「マジかよ、あああ、もう!」
タケルはまかせ、5秒で手を洗って、1分(体感)で6人分の弁当をつめ、
1つは手渡し、2つはつっこみ、2つはテーブル上において、
最後の一つは自分のカバンだ。
「サキコ用意できてるな? ……おら、いくぞ!外出て、乗れ!」
ガシャンと家の鍵をあけたと同時、中に怒鳴って3人乗り自転車の用意をする。
中学生の咲子は自力で行ってくれるが、残る二人はそうもいかない。
保育園に二人を突っ込んでから、いかにショートカットして高校に滑り込むかが毎朝の俺の勝負だ。
少なくともここ一年は。
向かう先、高校の方から聞こえるチャイムに唸りながら、
俺はママチャリでしまる寸前の校門に突っ込んだ。
俺と咲子は実の兄弟だが、下の二人は母の仕事仲間の子だ。
母たちはいわゆるホステス、水商売で俺達を養ってくれている。
つまりは俺達が登校してから帰宅して、下校する頃に出勤するわけだ。
顔なんてそうそう合わせるわけはなかった。
それでも、下二人の迎えと夕飯の用意、風呂まではやっていってくれるので
俺と咲子だけでもなんとかなっている。
…今のところは。
「……に、藤谷、起きろ、」
「……っ、う……はい……」
教科書開いたそのページに頭突っ込んで寝てたらしい俺を、誰かがゆする。
朦朧としたまま、うすぼんやりする視界で眺めれば、物理の教諭…でなく隣の東原だった。
「お前もう二限入るぞー、次移動」
「……やべっ!」
「一個貸しなー、購買パンでいいわ」
「……わり、ありがとな。助かった」
ニカッと笑って肩叩いて去ってく東原に軽く手を上げて、浮かぶ欠伸を噛み殺しながら俺も続く。
「あー……ホントになんとかしねえとなあ……」
寝不足の重たい頭がどうにか回るようになったのは、昼休み入ってからだった。
正直午前中の記憶がほぼない。
ぐったりと弁当をつつく俺の隣で、東原のとこのいつものメンバーが楽しそうに放課後どこ遊び行くか、なんてのをくっちゃべっている。
まあ、今さら放課後好きなだけ遊べるのが羨ましいとは思わない。
高校生活がどうこうじゃない、アオハルとかそんなもんがほぼなくなるのは、物心ついた時から解っていた。
親父が死んで、母さんが水商売始めて、俺と咲子が自分で自分の面倒見なきゃならなくなったくらいから。
今心配しているのはアオハルよりこれからの将来設計、シュウカツ、つまりは就職だ。
俺は進学する予定はさらさらないが、受験はする予定がある。
なんとしても公務員試験に受かって地元の市役所に滑り込みたいのだ。
そこそこいい成績と内申を確保したいのに、下二人に引っ張り回されて
最近午前中の授業が睡眠学習になっている…。
それに今年は妹だって中三、受験の年だ。
寮付の学校に入りたいとかで猛勉強してる妹の負担は減らしてやりたい。
そうなると下二人は俺が面倒見ることになり、寝かしつけてから勉強となると
結局1時2時になり、弁当作りで起きると5時…。
担任には事情を伝えてあるし、各教科の教諭陣にも放課後補習は受けさせて貰っているが…。
「…………しかたねえ、帰り寄ってくか……」
今日は確かちびどもの母親、ミワコさんは休みで家にいるはずだ。
俺としてもたまの休日、図書館でギリギリまで粘るつもりだったが、
この調子で行っても図書館で惰眠に耽るだけだろう。
小さい頃から、こういう体力つきて死にそうな時や風邪にケガ、
そういう時に俺達兄妹が寄る所がある。
咲子はすっかり縁遠くなって久しいが、俺にとっては去年までのバイト先。
今日の帰りは 「泡影堂」へ寄ろう。
「魔窟になってなけりゃいいけどな…」
俺の懸念はそれだけだ。
母親の腹の中から覚えている人もいれば、
そんな昔のことは覚えていないという人もいるだろう。
それはそうだ、記憶は薄れていくものだ。
俺の記憶の父親の背中と同じように。
顔はもう、覚えていない。
「……キヨにい、」
ついついと俺の背をセーラー服を着た白い手がつつく。
「……なに、ちょっと、10分待って」
「10分も待ってたらタケル漏らす」
「……わかった、ちょっとケイコ見ててくれ、弁当触らすなよ」
小さいといえど男は男、タケルのトイレと風呂は俺の分担だからな。
代わりにケイコのトイレと風呂は、今、俺の背を突っついていた妹の担当だが。
ため息一つでそう言い捨てて、片手に抱えていたぐずる幼稚園児を素早く手渡し、
もじもじしている3歳児の手を取ってトイレに連れていく。
間に合ってくれよと念じながら、素早く補助便座をつけ、
念のための紙パンツを脱がせて便器によいせと乗せた。
「ちーしろ、ちー」
「ちーない」
「またか……」
よっし間に合った、と思ったらコレだ。
そういって下ろすと結局したがるので、でるまで暫く待つ。
おしりふきで軽く拭いてやって紙パンツをはかせ、今度こそトイレを出た。
「おにい―!」
「……おい、タケル終わったぞ、早くしないと弁当」
「遅刻する、時間!」
「マジかよ、あああ、もう!」
タケルはまかせ、5秒で手を洗って、1分(体感)で6人分の弁当をつめ、
1つは手渡し、2つはつっこみ、2つはテーブル上において、
最後の一つは自分のカバンだ。
「サキコ用意できてるな? ……おら、いくぞ!外出て、乗れ!」
ガシャンと家の鍵をあけたと同時、中に怒鳴って3人乗り自転車の用意をする。
中学生の咲子は自力で行ってくれるが、残る二人はそうもいかない。
保育園に二人を突っ込んでから、いかにショートカットして高校に滑り込むかが毎朝の俺の勝負だ。
少なくともここ一年は。
向かう先、高校の方から聞こえるチャイムに唸りながら、
俺はママチャリでしまる寸前の校門に突っ込んだ。
俺と咲子は実の兄弟だが、下の二人は母の仕事仲間の子だ。
母たちはいわゆるホステス、水商売で俺達を養ってくれている。
つまりは俺達が登校してから帰宅して、下校する頃に出勤するわけだ。
顔なんてそうそう合わせるわけはなかった。
それでも、下二人の迎えと夕飯の用意、風呂まではやっていってくれるので
俺と咲子だけでもなんとかなっている。
…今のところは。
「……に、藤谷、起きろ、」
「……っ、う……はい……」
教科書開いたそのページに頭突っ込んで寝てたらしい俺を、誰かがゆする。
朦朧としたまま、うすぼんやりする視界で眺めれば、物理の教諭…でなく隣の東原だった。
「お前もう二限入るぞー、次移動」
「……やべっ!」
「一個貸しなー、購買パンでいいわ」
「……わり、ありがとな。助かった」
ニカッと笑って肩叩いて去ってく東原に軽く手を上げて、浮かぶ欠伸を噛み殺しながら俺も続く。
「あー……ホントになんとかしねえとなあ……」
寝不足の重たい頭がどうにか回るようになったのは、昼休み入ってからだった。
正直午前中の記憶がほぼない。
ぐったりと弁当をつつく俺の隣で、東原のとこのいつものメンバーが楽しそうに放課後どこ遊び行くか、なんてのをくっちゃべっている。
まあ、今さら放課後好きなだけ遊べるのが羨ましいとは思わない。
高校生活がどうこうじゃない、アオハルとかそんなもんがほぼなくなるのは、物心ついた時から解っていた。
親父が死んで、母さんが水商売始めて、俺と咲子が自分で自分の面倒見なきゃならなくなったくらいから。
今心配しているのはアオハルよりこれからの将来設計、シュウカツ、つまりは就職だ。
俺は進学する予定はさらさらないが、受験はする予定がある。
なんとしても公務員試験に受かって地元の市役所に滑り込みたいのだ。
そこそこいい成績と内申を確保したいのに、下二人に引っ張り回されて
最近午前中の授業が睡眠学習になっている…。
それに今年は妹だって中三、受験の年だ。
寮付の学校に入りたいとかで猛勉強してる妹の負担は減らしてやりたい。
そうなると下二人は俺が面倒見ることになり、寝かしつけてから勉強となると
結局1時2時になり、弁当作りで起きると5時…。
担任には事情を伝えてあるし、各教科の教諭陣にも放課後補習は受けさせて貰っているが…。
「…………しかたねえ、帰り寄ってくか……」
今日は確かちびどもの母親、ミワコさんは休みで家にいるはずだ。
俺としてもたまの休日、図書館でギリギリまで粘るつもりだったが、
この調子で行っても図書館で惰眠に耽るだけだろう。
小さい頃から、こういう体力つきて死にそうな時や風邪にケガ、
そういう時に俺達兄妹が寄る所がある。
咲子はすっかり縁遠くなって久しいが、俺にとっては去年までのバイト先。
今日の帰りは 「泡影堂」へ寄ろう。
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俺の懸念はそれだけだ。
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