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涙腺 コーヒー 流行
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いつも来ていた気になる彼が、バレンタインの日を境に来なくなってしまった。
カウンターの上を片付ける手を止め、ふぅ…と溜め息をつく。
何か粗相があったのだろうか。
あの日、いつもと違っていた事と言えば……僕の注文の取り方と、オーダーされたものが、いつものコーヒーではなくココアだったという事だけ。
他に思い当たる事もなく……彼はいつもの様に、静かに読書を楽しんでいた様に見えた。
「……」
不意に、彼の特等席に視線を向ける。
勿論そこに人影はなく。窓から差し込まれる柔らかな日射しが、その空席を優しく照らしていた。
ランチタイムが終わり、落ち着きを取り戻した店内。
今日は珍しく、この時間帯に一人もお客がいない。雑用が終わり、カウンター奥にある従業員用のカウンターチェアを引っ張り出し、腰を下ろす。
店内に流れるラジオ。
パーソナリティとゲストの弾んだトークをぼんやりと聴きながら、カウンターについた両腕を組み、その上に顎を預ける。
『それじゃあ、次の曲いきますね~』
明るいトークの背後に流れるイントロ。
それは忘れもしない、あの時の曲──
ミーンミンミン……
それは、三年前の夏。
蝉の音が鳴り響き、茹だるような暑い部屋の中──
まだ高校生だった僕は、親友だと思っていた彼に迫られ、強引に唇を奪われた。
それまで、そういう世界があるなんて知らなくて。……でも、嫌じゃなくて。
流されるまま、その彼と付き合う事になったんだけど……
卒業してお互い別々の職種に就くと、生活リズムが合わなくなったせいか、次第に会う回数が減っていき……そのうち、連絡がつかなくなって……
その年の冬。不安に駆られている僕の元に、突然送られてきた──結婚式の招待状。
「……」
その時偶然流れていたのが、当時流行していたこの曲だった。
あの時の感情が……辛い記憶が……
この曲を耳にする度、否応なしに連れ戻される。
もう、終わった事なのに。……もう全て、忘れたい、のに……
心臓が、抉り取られる様に……苦しい。
……胸が、痛い……
───カランッ
突然ドアが開き、ドアベルが鳴り響く。
音に引っ張られて視線を上げれば、そこに現れたのは……いつもの彼。
……あ……
「……い、いらっしゃいませ」
慌てて椅子から立ち上がる。咄嗟に、取り繕った笑顔を浮かべて。
しかし……彼はいつもの席を通り過ぎ、足早に真っ直ぐ僕の方へと向かってきた。
カウンターを挟んで向かい合う。
彼の綺麗な瞳が真っ直ぐ僕に向けられ、目を逸らせない。
「……」
「……あの、これを」
数回瞬きをした彼が、躊躇いがちに差したのは、青色のハンカチ。
「……え」
驚いて、左目の下を指先で触れれば……
……え、……涙……?
戸惑いを隠せないまま目を伏せると、彼の大きな左手が伸び……
僕の右頬を優しく包み、下瞼に当てた親指の腹で……零れた涙を掬い取った。
いつも来ていた気になる彼が、バレンタインの日を境に来なくなってしまった。
カウンターの上を片付ける手を止め、ふぅ…と溜め息をつく。
何か粗相があったのだろうか。
あの日、いつもと違っていた事と言えば……僕の注文の取り方と、オーダーされたものが、いつものコーヒーではなくココアだったという事だけ。
他に思い当たる事もなく……彼はいつもの様に、静かに読書を楽しんでいた様に見えた。
「……」
不意に、彼の特等席に視線を向ける。
勿論そこに人影はなく。窓から差し込まれる柔らかな日射しが、その空席を優しく照らしていた。
ランチタイムが終わり、落ち着きを取り戻した店内。
今日は珍しく、この時間帯に一人もお客がいない。雑用が終わり、カウンター奥にある従業員用のカウンターチェアを引っ張り出し、腰を下ろす。
店内に流れるラジオ。
パーソナリティとゲストの弾んだトークをぼんやりと聴きながら、カウンターについた両腕を組み、その上に顎を預ける。
『それじゃあ、次の曲いきますね~』
明るいトークの背後に流れるイントロ。
それは忘れもしない、あの時の曲──
ミーンミンミン……
それは、三年前の夏。
蝉の音が鳴り響き、茹だるような暑い部屋の中──
まだ高校生だった僕は、親友だと思っていた彼に迫られ、強引に唇を奪われた。
それまで、そういう世界があるなんて知らなくて。……でも、嫌じゃなくて。
流されるまま、その彼と付き合う事になったんだけど……
卒業してお互い別々の職種に就くと、生活リズムが合わなくなったせいか、次第に会う回数が減っていき……そのうち、連絡がつかなくなって……
その年の冬。不安に駆られている僕の元に、突然送られてきた──結婚式の招待状。
「……」
その時偶然流れていたのが、当時流行していたこの曲だった。
あの時の感情が……辛い記憶が……
この曲を耳にする度、否応なしに連れ戻される。
もう、終わった事なのに。……もう全て、忘れたい、のに……
心臓が、抉り取られる様に……苦しい。
……胸が、痛い……
───カランッ
突然ドアが開き、ドアベルが鳴り響く。
音に引っ張られて視線を上げれば、そこに現れたのは……いつもの彼。
……あ……
「……い、いらっしゃいませ」
慌てて椅子から立ち上がる。咄嗟に、取り繕った笑顔を浮かべて。
しかし……彼はいつもの席を通り過ぎ、足早に真っ直ぐ僕の方へと向かってきた。
カウンターを挟んで向かい合う。
彼の綺麗な瞳が真っ直ぐ僕に向けられ、目を逸らせない。
「……」
「……あの、これを」
数回瞬きをした彼が、躊躇いがちに差したのは、青色のハンカチ。
「……え」
驚いて、左目の下を指先で触れれば……
……え、……涙……?
戸惑いを隠せないまま目を伏せると、彼の大きな左手が伸び……
僕の右頬を優しく包み、下瞼に当てた親指の腹で……零れた涙を掬い取った。
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