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しおりを挟む「荷物は、これだけでええ?」
ショルダーバッグを肩に掛けた凌が、縁石に座って靴を履く僕にそう話し掛ける。
……あ……
ふと、ポケットの中にあるキーチェーンの存在に気付く。
「……少し、待ってて下さい」
カンカンカン……
階段を駆け上がり、直ぐ手前の玄関ドアの前に立つ。
ピンクのクマとアパートの鍵が付いたキーチェーン。ハルオに返そうと握り締め、ドアポストの口を開けようと伸ばした手が……止まる。
「……」
よく見れば、ドアの下部に同系色で目立たない小さな鍵が取りつけられていた。
「補助錠、やな」
階段を上ってきた凌が、淡々と口にする。
「防犯用や老人の徘徊防止用に、こんな類いのものが売られとるんや」
「……」
「危ない所やったな。あと一日遅かったら、さっき飛び降りた窓にも細工されとったやろうな。きっと……」
「……」
凌のリアルを帯びた台詞に、ゾッとする。いつからこれが、取り付けられていたんだろう。
ハルオは、僕をこの狭い空間に閉じ込めようとした。見えない鎖で。僕を縛って。
『一生一緒にいようね』──学校帰りに立ち寄ったゲーセンや、洒落たレストランで食事したのは……僕を安心させて、無事にアパートへ連れ帰りたかったからだけじゃない。
僕を外界に触れさせる最後の日に、二人の思い出を作りたかったのかも。
「……行こか」
押し黙ったままの僕にそう声を掛け、凌が階段を下りていく。
握り締めていた鍵をドアポストの口に入れると、金属と金属がぶつかったような小さな音がした。
「うん」
駐車場に駐められていたスポーツカーに乗り、窓ガラス越しにアパートの二階を見る。
「……」
今になって、助かったんだという実感がじわじわと湧き上がる。と同時に、ついさっきまであの部屋に閉じ込められていたかと思うと……震えが止まらない。
今までアゲハの影に隠れ、存在など皆無のように扱われてきた僕にとって……ハルオの一方的で狂気的な想いは、ただの恐怖でしかなかった。
もし僕に、少しでもハルオに対して気持ちがあったなら……違っていたのかな。
あのセフレの人のように、ハルオの虜になって。今頃……
「……朝飯は?」
後部座席にバッグを置いた凌が、運転席に乗り込んで、バタンッとドアを閉める。
その瞬間、重く沈んでいた空気が切り払われ、一瞬で軽いものに変わったのが解った。
「まだなんやったら、どっか寄るで!」
「……」
シートベルトを締めながら、明るい口調で話し掛ける凌。一体どんな人なのか、本当は良く解らない。
それでも、信じたいと思う。
僕にとって、悪い人ではないような気がするから。
「……はい。何か少し……食べたいです」
お腹が空いたと感じたのは、いつぶりだろう。
目を伏せ、穏やかな気持ちで答えれば、凌が明るい笑顔を浮かべたような気がした。
エンジンが掛けられ、車が動き出す。
その行く手を阻むかのように、向かう先の上空には重々しい黒灰色の厚い雲に覆われていて、今にも泣き出しそうだった。
【Series2 END】
Series3『闇夜』へ続く…
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