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一章 全てを忘れた怨霊

26話 琴音の敵意

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「姉ちゃんは何も言わなかったけど、たぶん怨霊にやられたんだ。だって、姉ちゃんについていた奴がいなくなるなんて、今までありえなかった」

 男の子、名前を『スズハラ・カズマ』といったか。彼が言うにはどうやら、彼の姉に憑いていたモノは半端な霊では近づけないほどに強力な力を持っており、それがいなくなったせいで多くの霊から襲われているのだという。

「その姉は、今どうしてるんだ? さっきまでいた占い師の老婆が居場所を知っているようなことを言っていたな」

 吉田君がそういうと、男の子は少し黙ってしまう。それに何も言わずに姉は出て行ったらしいのだから、この男の子では居場所がわからないんだ。何故姉は黙って出て行ったのだろうか。

「俺は姉ちゃんの居場所を知らない。でも姉ちゃんはたぶん、俺達を巻き込みたくないと思ったんだ。弱っているから、普通の人よりも霊を引き寄せるし襲われやすいんだろ。だから、黙って家を出て行ったんだ」

 なるほど、そういうことなのか。人間は何とも思いやりがあって、家族を大切にするモノなんだと、私は少し感動を覚えた。だけどそんな状態で出て行ったなら、ますます姉自身が危険になるはずだ。

「姉ちゃんと占いのお婆さんは、姉ちゃんが高校生の時から知り合いで、結構連絡を取ってたみたいなんだ。それに、あのお婆さんは霊能力が強いから大丈夫だと思う」

 そんなことを聞くと、その姉の霊能力者という人間の知り合いはあの老婆の他にもいそうに感じる。それに、あのお婆さんの売っていた数珠は私の殺気で弾け飛んでしまったのだから、そこまで力が強い訳でもない気がするが、……少し心配になってきた。

「まぁ、話は分かった。じゃあ俺達はここらへんでおいとまするよ。なにか先輩、行きましょう」

 男の子の話の後に少しだけ沈黙が続いたが、吉田君はしばらくしてそんなことを言うと、男の子に背を向けてここから離れようとする。そんな吉田君に私も付いて行こうとするが、焦った様な顔で私達を止めようと男の子は走って回り込んだ。

「頼むよ、姉ちゃんを守ってくれよ! おじさん達は確かに怨霊らしいけど、悪い霊じゃないんだろ?! 」

 男の子がそれなりの声量で叫ぶので、私達のみならず生きている人間からも注目を浴びた。
 その声に吉田君は特に反応せず、スタスタと人間を透き通りながら歩き去っていく。私もそれに付いて行くが、どうやら男の子も走って付いてきているようだ。

「ちょっと、待ってくれよ! 」

 呼ばれているのに無視をするのは少し躊躇したが、吉田君が関わらない方がいいというので、私も後ろを少し振り返りながらも吉田君に付いて行った。

 男の子を離すためにいくらか建物もすり抜けると、人通りがない路地裏にたどり着いた。細い道の左右を見ても、男の子の姿はどこにも見えない。
 なんだか鬼ごっことかいう遊びみたいで楽しかった私だが、吉田君は『やれやれ』と首を横に振って苦笑いを浮かべていた。――そんな時だ。

「追い付いた! あきらめないぞ! 姉ちゃんを守ってくれ! 」

 なんと男の子が息を切らしながら現れた。人間は壁をすり抜けることはできないみたいだし、あたりを走り回って探し当てたというのだろうか。凄い執念だと私は驚いたが、同時に姉を救いたいという温かな気持ちを感じて、姉は幸せ者だと思った。

「しつこいな少年。言っただろ、霊と関わろうとするな。後で後悔することになるぞ」

 吉田君は髪をかくような仕草をしながらそう言うが、男の子は構わず走ってこちらに向かってきている。そして再び私達の眼前に立ち、膝を地面につける。

「お願いだ! 姉ちゃんを助けてく――」
「――その必要は無いわカズマ」

 男の子が膝と手を地面につけて懇願しだした時に、女性の声が聴こえた。そして、路地の向こうに人影が見える。

「ねぇ……ちゃん?」

 よく見ると、どうやら私の予感は当たっており、吉田君の勘はやはり当たっていた。立っている人間は『琴音』だった。

 寺の廃墟のある森で私に襲われ、仲間を全員食べられたあの琴音だ。守ってくれる存在も食われ、何もなくなったあの琴音が貧弱な守護霊を漂わせてそこに立っていた。

「姉ちゃん無事なのか? 姉ちゃん、この霊は姉ちゃんを守ってくれる! この霊達はいい霊だ! だって、強い力があるのに俺を殺さない! 」

 男の子、『カズマ』は支離滅裂というのだろうか、姉との再会と姉が無事だったこと、そして私達の存在のために感極まって言葉を連続で口から吐きだしている。

「カズマ、こっちにきて。そいつらから離れて」

 琴音にそう言われたカズマは笑みを浮かべたまま固まってしまう。そうだ、カズマは何も知らないんだ。君の姉、琴音を襲ってしまったのが私である事を知らない。だから、混乱しているんだ。

「カズマ、早くきて。おばあちゃんお願い」

 カズマは相変わらず何がどういうことなのかを理解出来ずに、その場から動きそうにない。そして琴音はおばあちゃんお願いといった。あの占いの老婆もいるのだろうか。……いた。よく見ると、ゴミ箱の裏に隠れている。

「おそろしや……、エイッ! 」

 老婆は何やら人型の容をした人形を私に向かって投げた。……一体何歳なのだろうか、結構距離が離れている私のところにまで弧を描きながら正確に飛んでくる。なかなか元気な老婆のようだ。
 人型の人形は布のような物で作られているモノらしいが、霊の気配を感じる。おそらくこれも、吉田君の言っていた呪物の類なんだろう。

 人型の人形は地面に落ちるとしばらく沈黙が続いたが、しばらくするとなんと動いた。もぞもぞとうごめきながらこちらにまで近寄ってくるのかと思いきや、反対方向を向いて私から離れていった。

「こんな簡素な呪物じゃ、なにか先輩はおろか俺すら傷一つ付けられないよ」

 吉田君は真顔でそう言っていたが、その人形は地を這いながらカズマの方へ向かっている。このままじゃ危ないと思ったので、とりあえず人形に宿っている霊の魂をルーフで喰らう。

「うわッ! 」

 目の前で人形の魂を喰らったせいか、カズマは驚いて跳び起きると、そのまま琴音の方へ走って行った。
 カズマが走り去った後で残ったのは呪物の残骸で、魂が喰われた人形は急に腐った様になり、中から変色した米がさらさらと流れ出る。

「カズマ、そいつらはいい霊じゃない。おばあちゃんが人形使ってる間にあいつらから離れるのよ」
「あと三個しかないけど……」

 老婆は相変わらずの腕力で私に向かって同じ人形を投げつけるが、ルーフが引っかいたり魂を喰ったりしたので、投げたそばから人形に宿っていた魂が消滅していく。
 その間にカズマは琴音までたどり着くが、まだ困惑の表情を浮かべたまま自分の姉と私達を見比べている。

「あなたが何を恨んでいるのかは知らないけど、タクが言っていたように謝られると許せなくなるみたいね。そして、逃げられることも許せないようね。……まるでイザナミね」

 久しぶりに会って、どういう反応をすればいいかわからない私に、琴音はさらによく分からないことを話した。
 確かに琴音を襲ったあの時は、意味の分からない謝りや逃げが許せなくて襲ってしまったけど、意味が解る謝りや逃げることは別に何とも思わない。そしてイザナミとは何の事だろう。そんなことを思っていると、吉田君が唸った。

「なるほど、うまい事言うね。確かに襲ったのは悪かったけど、君も不要に霊のいるところになんか行っちゃだめだよ」
「確かに、あの時トシオやタクを私がもっと止めていればよかった。それは私に非がある。だけど、あなた達怨霊が存在しているのだから、私達人間が恨みをもってもいいでしょ? 」

 さすがに雰囲気はピリピリとしている。それはそうだ、私が食べてしまったんだから。かといって、何をどうすればいいのかも分からない。

「今の私は何もない。いるのは私が乗っ取ったボロボロな守護霊だけ。でも、対抗できる手はあるのよ」

 そう言って琴音はポケットに左手を入れると、何か紙のような物を取り出した。どうやらその紙は神札のような物で、右手で一枚紙を持つと私の眼を見つめた。そして弟であるカズマに対して何やら口を開く。

「カズマ。……」

 琴音は弟にだけ聴こえるような声で何かを言っていたらしいが、その弟であるカズマはまだ混乱したような目で姉を見つめていた。そして話が終わったのか、カズマは振り返らずに走っていき、老婆の手を引いてどこかへ行ってしまった。

 残されたのは私と吉田君、そして琴音だけになった。
 お日様がこの細い路地を真上から照らしているので今はお昼なのだろうか。暖かなはずだが、ここはどうにも寒いように感じる。実体化していないから温度を感じる事はないけど、琴音が私に向ける敵意は凍えるように冷ややかだ。
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