ニートと蜜柑

夫馬治之丞

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声優と寿司屋

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そんなつもりはなかったのだが、彼女は人目も忘れ、声を荒げて騒いでしまった。逃げるように店を出て、道を歩いていた。まだ秋に入ったばかりだというのに、吹き抜ける風がとても冷たい。口の中に広がったチョコレートの味が、胸焼けを誘う。
「なんなんだよ、あの店、最悪!」
彼女が後にした飲食店は回転寿司を営んでいた。父親が生魚を嫌ったので、彼女は寿司や刺身を食べることが殆どなかった。彼女は実家を出てから、外で食事をすることこそ少なかったが、その際には、寿司を選ぶことが多々あった。先の寿司屋で食べた寿司は、今まで食べたどんな食べ物より、最低の味がした。魚を食べたのに、チョコレートの味がするものだから、気持ちが悪くなってしまった。いつもなら、あれくらいのことで大声を出して騒ぐことなどあり得ないのだが、握り手の顔が父親と似ていたために、彼女の感情は必要以上にいきり立った。
「ちょっと、これ、チョコレートの味がするんだけど?」戸惑いながら彼女は言った。
「なにを言ってるんだい、お客さん。誰がどう見たって寿司だろう。チョコレートの味がするわけないじゃないか」
握り手は、声の質まで父親と似ていた。彼女の父親は、いつも偉そうにしていた。彼女の誕生日に何かをする事も、休日にどこかへ出かけることも殆どしなかったのに、自分の誕生日や父の日に、彼女がなにもしなかった時は、ひどく機嫌を悪くした。その上酒癖が悪く、母や彼女に暴力を働くこともあった。父親のことが頭によぎったおかげで、つい、声を荒げてしまった。
「ふざけないで!これのどこが寿司だって言うの?チョコレート味の寿司なんて!」
一度啖呵を切ってしまったら、後には引けなかった。その後も大きな声で口論を続けてしまった。
歩きながら、本当に恥ずかしい、と彼女は思っていた。いくら性格が捻くれているからといって、公共のマナーを守れないほど人間が出来ていないわけではない。乱れてしまった気分と、口の中のチョコレートの味をぬぐい去ってやろうと、彼女はコンビニへ向かった。味の濃い駄菓子を幾つかカゴに入れ、会計した。店を出て、適当にお菓子を取り出し、袋を開けて食べた。一口噛り付いて、口に広がった甘い味に驚き、吐き出した。
「甘い!」
蒲焼きの味がするはずのそのお菓子は、食感も味も、チョコレートのそれでしかなかった。
「チョコレートの味がするわけないじゃないか」
握り手の言葉を思い出した。そうだ、寿司も、このお菓子も、チョコレートの味がするわけがない。何がどうなっているのか、彼女にはわからなかった。もう1つ、別のお菓子を袋から取り出した。もしこれもチョコレートの味がしたなら、自分の何かがおかしくなったことを疑わなくてはいけない。今度は慎重に、タラの味がするはずのお菓子を、口に運ぶ。チョコレートの味が口の中に広がった。彼女は戸惑いながらも、自分の異変を受け入れなくてはいけなかった。
「わけわかんない、、」
出し抜けに起こった飲み込み難い出来事に、大きな不安を感じながらも、向き合うことが怖かったので、彼女はまず、自宅へ帰ることにした。明日も仕事がある。台本をもう一度読んで、録画していたドラマを見て、インターネットとツイッターを見て、お風呂に入って、眠る。寝てしまえば、きっといつも通りの朝が待っているはずだ。彼女は足を速めた。
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