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最終章 この愛が全て

おまけ5 ディマの一日

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 ディマは陽が昇り始めた、まだ薄暗い早朝にパチッと目を開ける。そして大きな欠伸を一つし、前足をぐーっと伸ばして立ち上がった。ディマは現在、カールと結婚したアデレードに従い、リーフェンシュタール家の屋敷に住んでいた。
 アデレードと一緒に寝る、という名誉はカールに譲ったので、ディマは伯爵家の人々が団欒を楽しむファミリールームの一角に毛布とクッションを敷いてもらって、そこを寝床にしていた。彼は開けっぱなしのドアから廊下に出てトコトコと歩き出す。
 早起きの使用人達がすれ違う度に、おはようディマ、と声を掛けたり頭や背中を撫でていく。そしてアデレードとカールの寝室に着くと、閉じられたドアをカリカリと前足で引っ掻く。ここへ来てから毎朝カリカリしているので、ドアの下半分にはディマの引っ掻いた縦線が無数に入っていた。
 館の主であるカールは別段怒るでもなく、味が出て良いんじゃないか、と笑って許している。
 まこと、寛大な伯爵である。

「ディマ、おはよう」

 カールはディマが来たことを知って、ドアを開ける。ディマはカールに一撫でされてから、ベッドへ向かう。そこには未だに寝ているアデレードがいた。ディマはベッドの端に前足を掛けて、彼女の顔を鼻でつついた。
 主人を起こす役目は、ディマのものである。
 しかし起きる気配がないので、ベロベロとアデレードの顔を舐め始める。すると、アデレードの白い手がシーツから伸びてきてディマの頭を撫でた。

「分かったわ、ディマ……おはよう」

 アデレードはうーんと体を伸ばす。カールは既に着替えを済ませており、彼女の準備が整うと、2人と1頭は朝の散歩に出掛けて行く。
 これが朝の日課である。

 アデレードとカールは屋敷の近くの小さな湖まで歩いていく。

「昔、ここには湖は無かったんだ。釣り好きだった先祖が治水の為に人工的に造った湖なんだ」
「治水の為に?」

 カールの言葉にアデレードは首を傾ける。

「あぁ。山脈には至る所から水が流れているが、そのほとんどは村の横を流れる川へと注いでいる。そこに大雨が降ると、その村の川に山々から流れてきた大量の雨水が流れ込んで氾濫を起こす。そこで、流入する水量を調節する為に、領内の幾つかの場所に湖を造った。その内の一つがこれだ」

 湖には山の堂々たる姿が、逆さに映っている。美しい光景だ。
 カールは散歩しながら色々なことをアデレードに教えた。彼女も彼の話を聞くのが好きだった。
 その小さな湖を連れ立って一周するように木立の中を2人は歩いていく。ディマはその2人と一緒に歩いたり、湖の中にパシャパシャと入って行った。

「釣り好きの先祖が、この湖を造った際に、川魚を放ったんだ。その先祖はここでよく釣りをしていた、と記録が残っている。ほら、あそこに岩があるだろう。いつもあれに座って、釣り糸を垂らしていたそうだ」

 カールの指差したところ、湖の際に腰掛けるのにちょうど良さそうな四角くて平らな岩があった。

「今度やってみるか?」
「釣りをですか? 面白そうだわ」

 アデレードとカールは互いの顔を見て微笑み合う。
 朝の散歩を終え朝食を済ませると、アデレードとディマは屋敷を出てホテルへ向かう。道すがら、農作業をする村人や子ども達に挨拶する。ホテルへ着くと、既にメグとクリスが仕事をしていた。

「おはようございます、お嬢さん」

 メグが明るく声を掛ける。

「おはよう、メグ。それにクリスも」

 ホテルの維持管理はメグとクリス夫妻に任せているが、アデレードは毎日ここへ来て、2人と一緒に掃除をし、庭を整え、時折彼女が収集した民話を整理して過ごしている。その間、ディマは庭に出て穴を掘ったり、蝶を追いかけたり、談話室の窓の下で微睡んだり、気ままに振舞っていた。
 アデレードは愛犬のそんな様子を見ながら、最近考えていることがあった。

 山には意思があるみたいに不思議なことが起こるけれど、ディマと出会ったのも山の中だったわね。もしかしたら、この子も山が私に与えて下さったのかもしれないわ。

 そして夕方になると、カールが迎えに来る。尻尾を振ってディマが出迎えた。連れ立って帰りながら、今日あったことをアデレードは嬉しそうに話す。大抵カールは聞き役である。
 夕食を食べ終えた後は、ファミリールームの暖炉の前でアデレードとカールは寛ぐ。ディマも2人の側で撫でてもらいながらリラックスしきっている。

「そうだ。今日君に荷物が届いたぞ」
「私に?」
「あぁ。これだ」

 そう言ってカールはアデレードに分厚い封筒を渡す。差出人はシュミット夫人だ。

「何かしら?」

 アデレードは封筒を開けて中の物を取り出す。手紙と白い表紙の本が一冊入っていた。先ずは手紙を開いて読んでみる。

「あら、テッドの事が書いてあるわ。高名な画家の先生の塾に入ったそうよ」

 テッドはこの村で絵を描いていた少年だが、より技量を磨くためこの春から王都に行き、シュミット夫人の支援の下で芸術家としての一歩を踏み出している。
 後にテッドは、王都で画家としての名声を確立するが、突如としてリーフェンシュタール領へ戻って来る。そして終生、故郷の雄大な自然と人々の暮らしを描いた。風景画の父、山のテッドなどと呼ばれ、この国を代表する画家として今も愛されている。

「それとこちらは……」

 次にアデレードは白い表紙の本を手に取る。

「これはシュナイダーさんの本ね」

 その内容は、王の密命を受けた貴族の令嬢が私腹を肥やす悪い貴族や商人をバッタバッタと成敗していく痛快冒険活劇となっていた。ちなみにお供は、柄の悪そうな男2人としっかり者のメイドが1人である。
 今回は自分が死なないタイプの話だったので、アデレードも満足そうである。
 この話も民衆に大いに受けて、後世多くの似た話が生まれ、いつの間にかアデレードは王家の紋章を携えて全国津々浦々旅をして、その土地の悪人をやっつけていくという物語が成立していった。
 当の本人は、ずっとリーフェンシュタール領に居たが。

「さて、そろそろ休むか」
「えぇ」

 本を読み終えて、アデレードとカールは立ち上がる。ディマは寝床に移動して丸くなった。

「お休みなさい、ディマ」

 2人は愛犬を撫でて、部屋を後にした。ディマは欠伸をし、目を閉じる。
 そして朝、またアデレードと一緒にホテルへ向かう。その日は昼頃、一台の馬車がホテルの前に停まった。中から出てきたのは、眼鏡を掛けた金髪にモジャモジャ頭の若い学者風の男性だった。

「あら、お客様だわ。おいでディマ」

 ハーブを摘み取っていたアデレードは急いで、ホテルの入口に向かう。近くで遊んでいたディマもアデレードの横ですました顔でお座りする。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 アデレードは朗らかに笑んで、新しい客を迎えた。
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