23 / 55
ep.023 愛称
しおりを挟む
「ママはパパのこと、リックって呼んでるの?」
昨日買ってもらった糸を使って、私は現在ママとミサンガ作りに格闘中である。
やはりというか、私は本当に不器用で、何度もいびつな形ができあがってはやり直しというのを繰り返している。
全くもって完成に近づく気がしなくて、気分転換も兼ねてミサンガ作りに関係ない話をしてみたりしている。
「そうよ、パパはパトリックって名前だから、リックって愛称で呼んでいるのよ」
パパとママは、私にあわせてか、お互いにママ、パパと呼ぶこともあるけれど、ブリジット、リック、と呼び合っているのも何度か訊いた。
ママには愛称は特にないようだけれど、パパはリックというのが愛称のようだ。
そういえば、侯爵様もお名前はジークベルト様だったけれど、おじ様にもママにもパパにも、ジークと呼ばれていた。
侯爵様は、ジークが愛称なのだろう。
おじ様は何か愛称があったのだろうか……思い返しても、そもそも誰もお名前を呼んでいなかったように思う。
なんだか、お名前を呼ばれるお姿が、想像できない。
「リディアは?愛称ってなかったの?」
「特になかったかな……親しい人は、みんなリディアって呼んでたから……」
「そのままでも、かわいい名前だものね」
リディアという名前は、確かお母様がつけてくれた名前だ。
だから、名前を褒めてもらえるのはとても嬉しい。
「ママの名前も、パパの名前も素敵!」
「ふふ、嬉しいわ」
会話は弾んでとても楽しい、でも私の手元はなかなか上手くいかない。
それでもママのアドバイスを聞きながら、私は必死にミサンガと格闘した。
来客があったのは、その日の午後のことだった。
「え?帰ってしまわれるんですか?」
「ああ、こっちのことはジークに任せてあるしね。その代わり、領地の事はジークの代わりに結構私がやっていたりするんだ」
だからそろそろ帰らないと、仕事が溜まっているだろう、とおじ様はおっしゃった。
侯爵様は、寂しくならないだろうか、と私は一緒にいらした侯爵様を見る。
「別にずっと会えないわけではないから、心配するな」
「そうよ、うちの領地に比べたら、シュヴァルツ家の領地は首都の近くだもの。行こうと思えばすぐだわ」
ママが、みんなの分のお茶を持ってきてくれたみたいだ。
残念ながらパパはお仕事で外出中なので、カップは4人分だけテーブルに並んだ。
「そうなの?」
確か、侯爵様の話だと、遠くはないけど頻繁に行ける場所でもなかったような……
「まぁ、だからといって、こことジークのとこみたいに頻繁に行き来できるような距離でもないけどね」
「やっぱり、そっかぁ……」
あくまで、他の領地よりは行きやすい距離、ということみたいだ。
そんなことを考えていると、なぜか侯爵様が驚いたようにこちらを見ていた。
よく見ると、おじ様も少し驚いているようである。
何か、あっただろうか。
「リディアは随分と、ブリジットに懐いたようだね」
「えっ?」
「あら、私だけじゃないわ。リックにも懐いてるわよ」
ママはそう言って、自慢げに私を抱きしめる。
それはすごく嬉しいのだけれど、私、そんなにパパとママに懐いただろうか。
「ひょっとして、リディアも自覚ないかしら?」
「なにが?」
「昨日、街に出かけた時、途中から敬語じゃなくなったのよ」
「あ……っ」
そういえば、敬語でない方がいい、とは言われていたけど。
敬語を使わなくなったのは、無意識だった。
「ごめんなさい、私……」
「今さら思い出して、敬語に戻すのはなしよ?」
「はい、じゃなかった、うん……」
あらためて意識すると、つい敬語に戻ってしまいそうになる。
でも、それだけ、意識せず2人に甘えてしまっていたんだと思う。
きっと、2人といるのがとても心地よかったから。
「仲が良さそうでよかった。だがこうして見ていると、私の娘にできなかったのがすごく残念に思えてくるな」
「あら、お兄様、もう遅いわよ」
「うちは男ばっかりだからね、本当は娘も欲しかったんだけどね……」
男ばっかり、というか侯爵様しかいないのでは?
今は奥様もいらっしゃらなくて、おじ様と侯爵様のお二人だから、ということだろうか。
「もしもリディアが私の娘になっていたら、ジークがリディアの兄になっていたね」
もうそんな事は起こりえないのだけれど、おじ様にそう言われて少しだけ想像してみる。
「私、元の世界でも一人っ子だったから、兄がいるのもちょっと憧れますね」
それがお優しい侯爵様のような兄なら、とっても素敵だろうなと思う。
「それなら、ジークを兄だと思えばいい。ジークと君はいとこになったのだから」
「そうね、いとこを兄や姉のように慕うものもいれば、弟や妹のようにかわいがるものもいるものね」
聞けば、貴族の家は兄弟姉妹があまりいない事の方が多く、いとこ同士も兄弟のように接することが多いのだとか。
そして現在、私と侯爵様もいとこ同士だなんて、侯爵様との繋がりができたようで、すごく嬉しい。
ただ、侯爵様が私を妹のように思ってくださるかはわからないけれど。
ここで私がそれを求めても、侯爵様を困らせてしまいそうだ。
「そうなると、リディアはもう、私にとっても娘みたいなものかな?」
「お兄様、それはちょっと飛躍しすぎではなくて?」
「いいのではないですか?母上が病気で伏せってからは、叔母上も俺にとって母親代わりみたいなものでしたし」
「あら、そう思ってくれていたなら嬉しいわ。でも、あの頃は私も子どもがいなくて暇だったのよ。今はリディアの母として忙しいから、残念ながら、あなたにはもう、あまり構ってあげられそうにないわ」
「残念ながら、俺ももう、母親を恋しがるような歳ではありません」
なんだか、どんどんと話が膨らんでいく。
みんな軽口を叩き合っているようだが、とても楽しそう。
これが、この世界の家族、ということなのかもしれない。
私たちはお茶を飲みながらしばし談笑し、そのまま領地へ向かうというおじ様を見送ることになった。
「パパが居なくて残念ですが……」
「リディアに見送ってもらえたら、十分だよ」
「また、お会いできるでしょうか……?」
「もちろん、私もまた首都へ来るし、よければ今度はリディアがこっちへ遊びにおいで」
私はそんな提案を受けて、許可を求めるように侯爵様を見た。
すると、侯爵様はこくんと頷いてくださった。
「はい!必ずお伺いします!」
「待っているよ」
「それと、あの……!」
「なんだい?」
「私、今、ルイスさんに文字を教わっているんです。まだ、全然書けるようになってないんですけど……」
「そうか。では字が書けるようになったら、是非お手紙をもらえるかな?」
「……っ!?」
私が言いたかった事を、おじ様が先におっしゃってくださった。
驚いたけれど、同時に嬉しくもある。
「はいっ、必ず書きます!!」
「楽しみにしているよ」
おじ様はそう言うと、私の頭をなでてくださった。
「私も書くことにしよう。ちゃんと読んでもらえるかな?」
「もちろんです!!がんばって読みます!」
まだ読める文字は少ないけれど、頑張って覚えておじ様と手紙のやり取りができるようにしよう。
そう思って、気合いを入れるようにぐっと両手を握りしめる。
すると、隣に侯爵様が立った。
「父上、お元気で」
「ああ、ジークもな」
お二人の会話は、親子にしてはそっけない気がしたのだけれど。
でも、通じ合っているからこそ、なのかもしれない。
それからおじ様は馬車に乗り込んで、領地へと帰ってしまわれて。
私と侯爵様は、馬車の姿が見えなくなるまで、おじ様を見送っていた。
「さて、俺も帰るか……」
おじ様の馬車が見えなくなって、侯爵様がそう呟いた。
「あ……」
引き留めようと思ったけれど、やっぱりご迷惑かもしれない、と思うと上手く言葉が出ない。
私は少しの間お会いしていないだけで、もう随分長く会っていなかったような気がして、離れがたいのだけれど。
侯爵様はそうでもないだろうし、きっと、何かとお忙しいだろう。
「どうした?」
「いえ、その……」
「言いたい事があるなら、言うといい」
「その……もう少しだけ、お時間をいただけませんか?」
私がそう言うと、侯爵様は驚いたご様子だった。
けれど、すぐに了承のお返事をくださった。
「では、あの、私のお部屋にいらしてくれますか……?お見せしたいものがあって……」
「ああ、かまわない」
「よかった!」
私は、嬉しくてそのまま駆けだそうとしたのだけれど。
「わっ」
「危ないっ」
危うく転びそうになったところを、侯爵様に助けられる。
「まったく、危なっかしいな……」
侯爵様はそう言うと、私の手を引いてくれる。
そうして、私はそのまま侯爵様に手を引かれながら部屋へと向かった。
「あれ……?」
「どうした、入らないのか?」
今私がいるのは、紛れもなく私の部屋の扉の前、なのだけれど。
侯爵様はここまで、1度も私に訊ねることもなければ、迷うこともなく私の手を引いてここまで来た。
私が案内したわけではない、私はむしろ侯爵様にここに連れて来られた状態だ。
侯爵様は、私の部屋の場所を、ご存知だっただろうか……
「リディア?」
「あ、はい、入ります!」
きっと、何かのタイミングでパパかママに事前に聞いていたのだろう。
とりあえずそう考えて、私は部屋の扉を開け、侯爵様にはソファに座ってもらう。
「これ、侯爵様にも、見ていただきたかったんです!」
私はそう言って、1枚の紙を侯爵様に渡す。
「戸籍の写しか……」
「はい、侯爵様のおかげで、私はパパとママの娘になれました。だから、侯爵様には、ちゃんと報告したくて」
それを侯爵様に望まれているかは、正直わからない。
あくまで、私が報告をしたかっただけにすぎないけれど。
「そうか、おまえがそう思ってくれているなら、俺も嬉しい」
侯爵様は、そう言って微笑むと、また戸籍の写しに視線を戻した。
「リディア・フォルティエ・エルロード、か……」
「あ……」
私のフルネーム、ただ紙に書いてあるそれを読んだだけにすぎないはずなのに、侯爵様に読まれるとなんだか特別な名前になったような気がする。
「ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ」
「えっ!?」
「俺の、フルネームだ」
「侯爵様の、フルネーム……」
フルネームは、確か、大切な時にしか名乗らないはず……
「安心しろ、深い意味はない。ただ、俺だけ知っているのも不公平だと思っただけだ」
私が勝手にお見せしただけなのに、侯爵様は本当にお優しい。
そして、そんな理由であっても、侯爵様のフルネームを知る事ができたのが、すごくすごく嬉しい。
ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ、絶対に忘れたくないお名前だと思った。
「あの、お名前、ここに書いてもらってもよいでしょうか?」
私は紙とペンを侯爵様に差し出した。
侯爵様のお名前も、ちゃんと書けるようになりたくて。
すると、侯爵様は意図を理解してくださったのか、紙とペンを受け取り、とてもきれいな字でお名前を書いてくださった。
これは戸籍の写しと一緒に大切に保管し、絶対に宝物にしようと思う。
「あの……っ、ジークベルト様、とお呼びするのは、失礼、でしょうか……?」
「ジークでいい、親しいものはみんなそう呼ぶ」
「ジーク、様……」
そう呼ぶと、ジーク様がふわりと笑った。
お名前を呼べたら嬉しいと、そう思っただけだったのに、まさか愛称で呼ぶことを許してもらえるなんて。
ジーク様は、この世界で、私がはじめて愛称でお呼びした方になった。
昨日買ってもらった糸を使って、私は現在ママとミサンガ作りに格闘中である。
やはりというか、私は本当に不器用で、何度もいびつな形ができあがってはやり直しというのを繰り返している。
全くもって完成に近づく気がしなくて、気分転換も兼ねてミサンガ作りに関係ない話をしてみたりしている。
「そうよ、パパはパトリックって名前だから、リックって愛称で呼んでいるのよ」
パパとママは、私にあわせてか、お互いにママ、パパと呼ぶこともあるけれど、ブリジット、リック、と呼び合っているのも何度か訊いた。
ママには愛称は特にないようだけれど、パパはリックというのが愛称のようだ。
そういえば、侯爵様もお名前はジークベルト様だったけれど、おじ様にもママにもパパにも、ジークと呼ばれていた。
侯爵様は、ジークが愛称なのだろう。
おじ様は何か愛称があったのだろうか……思い返しても、そもそも誰もお名前を呼んでいなかったように思う。
なんだか、お名前を呼ばれるお姿が、想像できない。
「リディアは?愛称ってなかったの?」
「特になかったかな……親しい人は、みんなリディアって呼んでたから……」
「そのままでも、かわいい名前だものね」
リディアという名前は、確かお母様がつけてくれた名前だ。
だから、名前を褒めてもらえるのはとても嬉しい。
「ママの名前も、パパの名前も素敵!」
「ふふ、嬉しいわ」
会話は弾んでとても楽しい、でも私の手元はなかなか上手くいかない。
それでもママのアドバイスを聞きながら、私は必死にミサンガと格闘した。
来客があったのは、その日の午後のことだった。
「え?帰ってしまわれるんですか?」
「ああ、こっちのことはジークに任せてあるしね。その代わり、領地の事はジークの代わりに結構私がやっていたりするんだ」
だからそろそろ帰らないと、仕事が溜まっているだろう、とおじ様はおっしゃった。
侯爵様は、寂しくならないだろうか、と私は一緒にいらした侯爵様を見る。
「別にずっと会えないわけではないから、心配するな」
「そうよ、うちの領地に比べたら、シュヴァルツ家の領地は首都の近くだもの。行こうと思えばすぐだわ」
ママが、みんなの分のお茶を持ってきてくれたみたいだ。
残念ながらパパはお仕事で外出中なので、カップは4人分だけテーブルに並んだ。
「そうなの?」
確か、侯爵様の話だと、遠くはないけど頻繁に行ける場所でもなかったような……
「まぁ、だからといって、こことジークのとこみたいに頻繁に行き来できるような距離でもないけどね」
「やっぱり、そっかぁ……」
あくまで、他の領地よりは行きやすい距離、ということみたいだ。
そんなことを考えていると、なぜか侯爵様が驚いたようにこちらを見ていた。
よく見ると、おじ様も少し驚いているようである。
何か、あっただろうか。
「リディアは随分と、ブリジットに懐いたようだね」
「えっ?」
「あら、私だけじゃないわ。リックにも懐いてるわよ」
ママはそう言って、自慢げに私を抱きしめる。
それはすごく嬉しいのだけれど、私、そんなにパパとママに懐いただろうか。
「ひょっとして、リディアも自覚ないかしら?」
「なにが?」
「昨日、街に出かけた時、途中から敬語じゃなくなったのよ」
「あ……っ」
そういえば、敬語でない方がいい、とは言われていたけど。
敬語を使わなくなったのは、無意識だった。
「ごめんなさい、私……」
「今さら思い出して、敬語に戻すのはなしよ?」
「はい、じゃなかった、うん……」
あらためて意識すると、つい敬語に戻ってしまいそうになる。
でも、それだけ、意識せず2人に甘えてしまっていたんだと思う。
きっと、2人といるのがとても心地よかったから。
「仲が良さそうでよかった。だがこうして見ていると、私の娘にできなかったのがすごく残念に思えてくるな」
「あら、お兄様、もう遅いわよ」
「うちは男ばっかりだからね、本当は娘も欲しかったんだけどね……」
男ばっかり、というか侯爵様しかいないのでは?
今は奥様もいらっしゃらなくて、おじ様と侯爵様のお二人だから、ということだろうか。
「もしもリディアが私の娘になっていたら、ジークがリディアの兄になっていたね」
もうそんな事は起こりえないのだけれど、おじ様にそう言われて少しだけ想像してみる。
「私、元の世界でも一人っ子だったから、兄がいるのもちょっと憧れますね」
それがお優しい侯爵様のような兄なら、とっても素敵だろうなと思う。
「それなら、ジークを兄だと思えばいい。ジークと君はいとこになったのだから」
「そうね、いとこを兄や姉のように慕うものもいれば、弟や妹のようにかわいがるものもいるものね」
聞けば、貴族の家は兄弟姉妹があまりいない事の方が多く、いとこ同士も兄弟のように接することが多いのだとか。
そして現在、私と侯爵様もいとこ同士だなんて、侯爵様との繋がりができたようで、すごく嬉しい。
ただ、侯爵様が私を妹のように思ってくださるかはわからないけれど。
ここで私がそれを求めても、侯爵様を困らせてしまいそうだ。
「そうなると、リディアはもう、私にとっても娘みたいなものかな?」
「お兄様、それはちょっと飛躍しすぎではなくて?」
「いいのではないですか?母上が病気で伏せってからは、叔母上も俺にとって母親代わりみたいなものでしたし」
「あら、そう思ってくれていたなら嬉しいわ。でも、あの頃は私も子どもがいなくて暇だったのよ。今はリディアの母として忙しいから、残念ながら、あなたにはもう、あまり構ってあげられそうにないわ」
「残念ながら、俺ももう、母親を恋しがるような歳ではありません」
なんだか、どんどんと話が膨らんでいく。
みんな軽口を叩き合っているようだが、とても楽しそう。
これが、この世界の家族、ということなのかもしれない。
私たちはお茶を飲みながらしばし談笑し、そのまま領地へ向かうというおじ様を見送ることになった。
「パパが居なくて残念ですが……」
「リディアに見送ってもらえたら、十分だよ」
「また、お会いできるでしょうか……?」
「もちろん、私もまた首都へ来るし、よければ今度はリディアがこっちへ遊びにおいで」
私はそんな提案を受けて、許可を求めるように侯爵様を見た。
すると、侯爵様はこくんと頷いてくださった。
「はい!必ずお伺いします!」
「待っているよ」
「それと、あの……!」
「なんだい?」
「私、今、ルイスさんに文字を教わっているんです。まだ、全然書けるようになってないんですけど……」
「そうか。では字が書けるようになったら、是非お手紙をもらえるかな?」
「……っ!?」
私が言いたかった事を、おじ様が先におっしゃってくださった。
驚いたけれど、同時に嬉しくもある。
「はいっ、必ず書きます!!」
「楽しみにしているよ」
おじ様はそう言うと、私の頭をなでてくださった。
「私も書くことにしよう。ちゃんと読んでもらえるかな?」
「もちろんです!!がんばって読みます!」
まだ読める文字は少ないけれど、頑張って覚えておじ様と手紙のやり取りができるようにしよう。
そう思って、気合いを入れるようにぐっと両手を握りしめる。
すると、隣に侯爵様が立った。
「父上、お元気で」
「ああ、ジークもな」
お二人の会話は、親子にしてはそっけない気がしたのだけれど。
でも、通じ合っているからこそ、なのかもしれない。
それからおじ様は馬車に乗り込んで、領地へと帰ってしまわれて。
私と侯爵様は、馬車の姿が見えなくなるまで、おじ様を見送っていた。
「さて、俺も帰るか……」
おじ様の馬車が見えなくなって、侯爵様がそう呟いた。
「あ……」
引き留めようと思ったけれど、やっぱりご迷惑かもしれない、と思うと上手く言葉が出ない。
私は少しの間お会いしていないだけで、もう随分長く会っていなかったような気がして、離れがたいのだけれど。
侯爵様はそうでもないだろうし、きっと、何かとお忙しいだろう。
「どうした?」
「いえ、その……」
「言いたい事があるなら、言うといい」
「その……もう少しだけ、お時間をいただけませんか?」
私がそう言うと、侯爵様は驚いたご様子だった。
けれど、すぐに了承のお返事をくださった。
「では、あの、私のお部屋にいらしてくれますか……?お見せしたいものがあって……」
「ああ、かまわない」
「よかった!」
私は、嬉しくてそのまま駆けだそうとしたのだけれど。
「わっ」
「危ないっ」
危うく転びそうになったところを、侯爵様に助けられる。
「まったく、危なっかしいな……」
侯爵様はそう言うと、私の手を引いてくれる。
そうして、私はそのまま侯爵様に手を引かれながら部屋へと向かった。
「あれ……?」
「どうした、入らないのか?」
今私がいるのは、紛れもなく私の部屋の扉の前、なのだけれど。
侯爵様はここまで、1度も私に訊ねることもなければ、迷うこともなく私の手を引いてここまで来た。
私が案内したわけではない、私はむしろ侯爵様にここに連れて来られた状態だ。
侯爵様は、私の部屋の場所を、ご存知だっただろうか……
「リディア?」
「あ、はい、入ります!」
きっと、何かのタイミングでパパかママに事前に聞いていたのだろう。
とりあえずそう考えて、私は部屋の扉を開け、侯爵様にはソファに座ってもらう。
「これ、侯爵様にも、見ていただきたかったんです!」
私はそう言って、1枚の紙を侯爵様に渡す。
「戸籍の写しか……」
「はい、侯爵様のおかげで、私はパパとママの娘になれました。だから、侯爵様には、ちゃんと報告したくて」
それを侯爵様に望まれているかは、正直わからない。
あくまで、私が報告をしたかっただけにすぎないけれど。
「そうか、おまえがそう思ってくれているなら、俺も嬉しい」
侯爵様は、そう言って微笑むと、また戸籍の写しに視線を戻した。
「リディア・フォルティエ・エルロード、か……」
「あ……」
私のフルネーム、ただ紙に書いてあるそれを読んだだけにすぎないはずなのに、侯爵様に読まれるとなんだか特別な名前になったような気がする。
「ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ」
「えっ!?」
「俺の、フルネームだ」
「侯爵様の、フルネーム……」
フルネームは、確か、大切な時にしか名乗らないはず……
「安心しろ、深い意味はない。ただ、俺だけ知っているのも不公平だと思っただけだ」
私が勝手にお見せしただけなのに、侯爵様は本当にお優しい。
そして、そんな理由であっても、侯爵様のフルネームを知る事ができたのが、すごくすごく嬉しい。
ジークベルト・アルロ・シュヴァルツ、絶対に忘れたくないお名前だと思った。
「あの、お名前、ここに書いてもらってもよいでしょうか?」
私は紙とペンを侯爵様に差し出した。
侯爵様のお名前も、ちゃんと書けるようになりたくて。
すると、侯爵様は意図を理解してくださったのか、紙とペンを受け取り、とてもきれいな字でお名前を書いてくださった。
これは戸籍の写しと一緒に大切に保管し、絶対に宝物にしようと思う。
「あの……っ、ジークベルト様、とお呼びするのは、失礼、でしょうか……?」
「ジークでいい、親しいものはみんなそう呼ぶ」
「ジーク、様……」
そう呼ぶと、ジーク様がふわりと笑った。
お名前を呼べたら嬉しいと、そう思っただけだったのに、まさか愛称で呼ぶことを許してもらえるなんて。
ジーク様は、この世界で、私がはじめて愛称でお呼びした方になった。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
恋愛
大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。
いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。
クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。
王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。
彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。
それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。
赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる