かれこひわづらひ

ヒロヤ

文字の大きさ
上 下
23 / 23
第一部 第三章 煉華火の巻

二〇一六年八月七日 2016/08/07(日)昼間

しおりを挟む
「……どうしたんです。こっちが食いたいんですか」

 柿坂の鋭い目がわずかに細められるや、澄子はようやく我に返った。

「い、いいえ!違います。スミマセン、ボーっとしていました……」

 店員が微笑みながら梅おろし蕎麦を澄子の前に置いた。

「ごゆっくりどうぞ」

 澄子は店員と柿坂に代わる代わる頭を下げ、深いため息を吐いた。

 柿坂が鴨せいろに箸をつけた。

「お疲れのようですね。夏バテですか」

「あ、いえ。そうじゃないです」

 澄子は慌てて割り箸を割った。

 結局、紗枝からおすすめの『お出かけ』場所を聞きそびれてしまい、今週も柿坂と休日ランチをするだけにとどまったのだが――。

 あの日、友人から手を繋ぐことについての話を聞いて以来、柿坂の両手が気になって仕方がない。

 ――そんなこと、言えるはずない。

 澄子は、箸に添えられた愛しい人の指先を見つめた。

 細長いながらも、ところどころは骨ばって男らしい。つい目で追ってしまう。

 特別に触れたいとは思わない。ただ、見ているだけで気持ちが高ぶってくる。

 ――だって、あんなに綺麗なんだよ。

 そんな澄子の内心を知るわけもなく、柿坂が蕎麦をすすった。

「それで、今日は相談があるんでしたっけ?」

「へ、あ、はい!」

 澄子は声を裏返しながら応答した。
 さすがに不審に思ったのか、そこで柿坂が箸を止めた。

「また……周りから何か吹き込まれたんですかね」

「え」

 それはそれで大当たりだが、今までとは少し違う。

 ――手を繋ぐのは、大事なことですか?
 ――でも、わたしはあなたの手を見ているだけで……。

「わたし、本当に幸せなんです」

「は」

「あ」

 カラン、グラスの氷が音を立てた。

 柿坂が片方の眉を釣り上げ、小さく咳払いをする。

「それは……ようございました」

 澄子も自分が口にした言葉と愛しい人の表情に、猛烈に顔を赤くさせる。

 ――柿坂さん、可愛い。

 実は、最近わかったことがあった。

 柿坂は、照れると片方の眉が持ち上がる。最初は機嫌が悪くなったのかと心配になったが、彼なりの照れ隠しらしい。

 こうして、以前よりも柿坂との関係が密になっていることに、素直に喜びを感じた。

 つい、澄子は笑みをこぼしながら、蕎麦をすすった。

 それを見て、柿坂も小さく笑う。

「相談したいことがあると、メールで送ってくるもんだから、心配したんですよ」

「あ、ご相談はあるんです。えっと……今月の二十一日に、わたしの実家の方で花火大会がありまして」

 澄子は手帳をテーブルの上に置くと、八月のカレンダーを柿坂に見せた。

「実はわたしも、お祭りにボランティア参加をすることになっているんです……それで柿坂さんと、音楽仲間の皆さんのご都合が良ければ、お祭りのステージで演奏をお願いできないかなと思いまして。それで、えっと」

 その時、鋭い目でしばらくカレンダーを見つめていた柿坂が、ゆっくりと首をかしげた。

「八月二十一日、花火大会って……すずみね祭りのことですか?」

「そ、そうです!」

「アンタの地元だったんですか。その日、メンバーがすでに申し込んで参加することになっていますよ、私」

「えっ」

 澄子は危うく大声を上げそうになり、慌てて口を押さえた。

 ――うわ、どうしよう。嬉しい。

 舞い上がる気持ちに、顔がにやけてくる。澄子は今すぐにでも、当日のスケジュールを立ててしまいたくなった。

 そんな澄子と対照的に、柿坂が静かに口を開いた。

「そのメンバーが町の人から聞いたらしいですが、今回の祭りは、存続そのものを懸けた大事なイベントになるとか……鈴峰町の名前を残すために」

「あ、はい。そうなんです」

「アンタが、そのために故郷のボランティアに参加すると聞いて、少し感動しましたよ」

「……」

「私も、力添えできるよう頑張ります」

 澄子は一人はしゃいでいた自分が少し恥ずかしくなった。
 住民でもない柿坂の言葉に、頭が垂れる想いがした。

「あの、何だかごめんなさい。一人で子どもみたいに……」

「いいじゃないですか。祭りとはそういうもんでしょうよ」
 
 ――。

 澄子は、割り箸を握りしめると、真っ直ぐ柿坂を見つめた。

「じ、じゃあ、あの、あの、わたしと一緒に……花火を……見てくれますか」

 すぐに、柿坂がうなずいた。

「望むところですよ」

 その目元がすこしだけ柔らかくなる。

 澄子は、嬉しさと恥ずかしさのあまり思わず下を向いた。その視線の先には愛しい人の左手がある。

 細くて長いけど、男らしくて。

「それで、アンタが参加するボランティアというのは、何をするんですか」

 柿坂の問いかけに、澄子は慌てて我に返る。

「あ、えっと、えっと……自然保護のレンジャーみたいな」

「レンジャー?」

「美化活動や、緑化運動とか……鈴峰町の自然を失くさないように伝えていく『緑風プロジェクト』という集まりなんです。母校の同級生で立ち上げたんですけど、わたしも故郷の自然は大好きですから、協力したいなと思いまして」

「なるほど」

「町の中心に大川という……花火会場の綺麗な川があるんですけど、その上流近くにわたしの小中学校があったんです。今は両方とも廃校で……それで、学校帰りにはよく川で遊んだり、ザリガニ釣ったり、アケビを取って食べたり」

「……アケビ、ですか」

「はい!あと、バーベキューとかキャンプとかも好きでしたし、ハンモック作りも参加したんですけど、完成直前で風邪ひいて、結局一度もハンモックで寝たことないんですよね。わたし、老後は田舎に移り住んで、ハンモックで揺られる生活を……」

 ふと見ると、柿坂が口元を押さえてうつむいている。

 澄子は、自分が喋り過ぎていたことにようやく気付いた。

「あ……すみません」

 しかも、愛しい人を前に、老後の話までしてしまった。まだ手探りの二人の関係において、これは完全に失敗だ。

 ゆっくりと柿坂が顔を上げ、笑いをこらえるように、うんうんとうなずいた。

「なかなかの野生児ですね」

「ひ、ひどい!そんな言い方!」

「想像つきませんよ。そんなに細くて色白のアンタが……」

 そして、優しげな笑みを浮かべた。

 ――。

 時が止まったように、その笑顔に釘付けになる。

 ――そんな顔されたら。

 澄子は顔を火照らせながら、慌てて取り繕った。

「と、とにかく、お祭り当日は、ブースで焼き鳥やビールも売りますから、柿坂さんもいらして下さい。バンド仲間の皆さんもご一緒に」

「そうですね。楽しみにしておきましょう」


 ずっと笑みを絶やさない愛しい人に、見とれてしまう。

 そして、いちいち箸を持つ右手に目が行く。


 この確かな幸せに、澄子の身体がほんの少し震えた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

お兄ちゃんはお医者さん!?

すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。 如月 陽菜(きさらぎ ひな) 病院が苦手。 如月 陽菜の主治医。25歳。 高橋 翔平(たかはし しょうへい) 内科医の医師。 ※このお話に出てくるものは 現実とは何の関係もございません。 ※治療法、病名など ほぼ知識なしで書かせて頂きました。 お楽しみください♪♪

夫の幼馴染が毎晩のように遊びにくる

ヘロディア
恋愛
数年前、主人公は結婚した。夫とは大学時代から知り合いで、五年ほど付き合った後に結婚を決めた。 正直結構ラブラブな方だと思っている。喧嘩の一つや二つはあるけれど、仲直りも早いし、お互いの嫌なところも受け入れられるくらいには愛しているつもりだ。 そう、あの女が私の前に立ちはだかるまでは…

【R18】エリートビジネスマンの裏の顔

白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます​─​──​。 私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。 同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが…… この生活に果たして救いはあるのか。 ※完結済み、手直ししながら随時upしていきます ※サムネにAI生成画像を使用しています

40歳88キロの私が、クールな天才医師と最高の溺愛家族を作るまで

和泉杏咲
恋愛
1度諦めたはずのもの。もしそれを手にしたら、失う時の方が怖いのです。 神様……私は彼を望んでも良いのですか? もうすぐ40歳。 身長155cm、体重は88キロ。 数字だけで見れば末広がりで縁起が良い数字。 仕事はそれなりレベル。 友人もそれなりにいます。 美味しいものはそれなりに毎日食べます。 つまり私は、それなりに、幸せを感じられる生活を過ごしていました。 これまでは。 だから、これ以上の幸せは望んではダメだと思っていました。 もう、王子様は来ないだろうと諦めていました。 恋愛に結婚、出産。 それは私にとってはテレビや、映画のようなフィクションのお話だと思っていました。 だけど、運命は私に「彼」をくれました。 「俺は、そのままのお前が好きだ」 神様。 私は本当に、彼の手を取っても良いのでしょうか? もし一度手に取ってしまったら、私はもう二度と戻れなくなってしまうのではないでしょうか? 彼を知らない頃の私に。 それが、とても……とても怖いのです。

もういいです、離婚しましょう。

杉本凪咲
恋愛
愛する夫は、私ではない女性を抱いていた。 どうやら二人は半年前から関係を結んでいるらしい。 夫に愛想が尽きた私は離婚を告げる。

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

“5分”で読めるお仕置きストーリー

ロアケーキ
大衆娯楽
休憩時間に、家事の合間に、そんな“スキマ時間”で読めるお話をイメージしました🌟 基本的に、それぞれが“1話完結”です。 甘いものから厳し目のものまで投稿する予定なので、時間潰しによろしければ🎂

側室は…私に子ができない場合のみだったのでは?

ヘロディア
恋愛
王子の妻である主人公。夫を誰よりも深く愛していた。子供もできて円満な家庭だったが、ある日王子は側室を持ちたいと言い出し…

処理中です...