3 / 41
2.
しおりを挟む
気がつくと生活用品はこの家に運ばれてきて、俺と莉愛は一緒に暮らすこととなった。
正直、あまり寝られる気がしない。
そもそも、普段から三時間寝られたら良い方の生活を繰り返してきたこともあり、結局いつも通り五時ごろに起きてしまった。
まだ、暗いな……。
周りに何もないここだと、窓の外は真っ暗だった。
ただ、今日から俺は新しい業務に就くわけだ。気合いを入れていこう。
ほとんどがヨレヨレの中、少しでもマシなスーツに着替えると莉愛の部屋へと向かう。
さすがにこの時間に起きているということはないだろうが。
まぁ、業務だからな……。
何時に起きてくるかもわからないので、とりあえず部屋の前で待機をする。
◇
しかし、莉愛が起きてきたのは昼前だった。
「ふぁ……、おはようございます」
俺を見た莉愛は手で口を隠しながら小さく欠伸をする。
それに答えるように頭を下げて挨拶をする。
もちろん仕事中と言うこともあって頭は九十度に下げる。
「おはようございます!」
「え、ど、どうしたの!?」
会社で働いていたときみたいに大声を出すと莉愛に驚かれてしまう。
さすがにこれはなかったな……。
少し反省した俺は莉愛に謝っておく。
「すまん、ついいつものように大声を出してしまった。……今日はやけに遅いんだな」
「うん、今は春休みだからね……」
なるほど……、もうそんな時期だったんだな。
確かに窓から見える外の景色はピンク色に染まっており、満開の桜を見ることができた。
「それに、有場さんもわざわざ待たなくていいですよ。出かける時は声をかけますから好きに過ごしてください」
「いや、これも一応仕事だからな。仕事である以上しっかりやらせてもらう」
「それなら今日一日休んでください。いきなり仕事だと大変ですからね。うん、それがいいです」
まるで名案と言いたげに手を叩く莉愛。
休み……。確かに普通の会社ならあって当然なものだ。ただ、休みって何をしたらいいんだ?
嬉しそうな笑みを見せる莉愛。ただ、俺は真剣に悩んでしまう。
大学時代の俺なら友達と一緒に遊びに行ったりしていた。しかし、その頃の友人とはすでに疎遠になっている。
年中働きづめでろくに連絡を取ることもなかったから仕方ないだろう。
それなら趣味に励む?
趣味と呼べるようなものは何一つない。
あれっ、俺は一体何のために働いていたんだ?
一瞬目の前が真っ白になる。
ただ、すぐに我に返る。
そうだ、今まで出来なかったことをすればいいんだ。
せっかく休みもあって、お金もあるんだからな。
「そういえば、有場さんは生活用品は足りてますか? 一応あの部屋のものは運ばせたのですけど……」
生活に必要なものはいつの間にか部屋へと運ばれていた。
今まで過ごしたことのないような大きな部屋で俺が住んでいたアパートの何倍も大きい。
ほとんど荷物のない俺のものが置かれたところで部屋の広さは変わらず、なんだか物寂しい雰囲気だった。
「確かに家具とかも今ある分だけじゃなくて、色々と揃えておきたいし、せっかくだから見に行ってくるか」
「そうですね。では買いに行きましょうか?」
自然な流れで一緒に出かけることとなった。
まぁ、この辺りは莉愛の方が詳しいだろうし、せっかくだから任せた方がいいかもしれないな。
「よろしく頼む」
「うんっ、やったー。有場さんと初めてのお出かけだー!」
嬉しそうに両手を挙げて喜んでくれる莉愛。
そこまで大げさにしなくてもいいのにな。ただ出かけるだけなんだから……。
◇
莉愛は急いで服を着替え、出かける準備をしていた。
その一方で俺は朝から着ていたスーツ姿だった。
買い物に行くならもっと普通の服の姿がいいだろうが、あいにくこれ以外の服は寝間着くらいしか持っていなかった。
さすがに出かけるには不十分だろう。
「お待たせしました。……あれっ? 有場さん、その格好……」
莉愛も今の俺の格好を不思議に思ったようで首をかしげていた。
「……スーツしか持っていないからな」
「では、せっかくですから有場さんの服も見に行きましょう! 私が選んであげますので」
ぐいっと両手を握りしめて笑みを見せてくる。
「そうだな。せっかくだから選んでもらえるか?」
そこまで服のセンスに自信はなかった。それならば莉愛に任せる方がいいだろう。
「わかりました。任せてください。ところで、私のこの服はどうですか?」
クルッとその場で回ってみせる莉愛。
彼女は薄手の白いシャツとカーディガン、薄いピンクのスカートととても春らしい格好をしていた。
「涼しそうでいいんじゃないか?」
「そういうことが聞きたいんじゃないですよ。もっと、可愛いとかそういったことを……」
俺の回答はダメだったようで莉愛は口を尖らせてもごもごと独り言を呟いていた。
◇◇◇
俺たちはリムジンに乗り、町の都心部へとやってくる。
ただ、この移動方法は嫌でも目につくので俺は緊張していた。
「さすがにリムジンだと目立ちすぎないか?」
「そうですか? いつもこうやって移動してますけど?」
莉愛は不思議そうに聞き返してくる。
どうやらこの状況が異端だとは思っていないようだ。
ただ、この移動が普通なら俺が助けたときはどうして一人でいたんだ?
「そういえば初めて会ったときは一人だったよな? あれはどうしてなんだ」
普段からこうやって車移動しているなら逆にあのときがおかしいように思える。
何かあったのだろうかと聞いてみると、莉愛はばつが悪そうに口を歪めていた。
「そうですよね。やっぱり気になりますよね……」
「いや、言いたくないなら言わなくていいぞ」
「いえ、有場さんには聞いてもらいたいです。実はあのとき、お父様と喧嘩をしてしまって……。家を飛び出したんですよ。ただ、闇雲に走っていたらあの場所にいて……、それから後のことは有場さんも知っての通りです」
なるほど、それであんなところに一人でいたんだな。
「事故の後、心配してきてくれたお父様と仲直りも出来ましたし、有場さんとも出会えました。私は感謝してもしたりないくらいなんですよ」
にっこり微笑んでくる莉愛と目が合う。
すると恥ずかしくなったのか、莉愛はすぐに視線を窓の外へ向けていた。
「有場さん、お店が見えてきましたよ。まずはあそこに行ってみましょう!」
莉愛が指さしていたのは高級ブランド服のお店だった。
噂では一着数万……いや、数十万円してもおかしくないと言われてる場所だった。
「いやいや、そんな高い服なんて買えないぞ!」
「そんなことないですよ。とってもお手頃でいい品物が揃ってるんですよ」
もしかして、俺が聞いていたのはあくまでも噂だったのかもしれない。
実際にお手頃なものが揃ってるなら……。
「わかった。それじゃあ行ってみるか」
莉愛は嬉しそうに頷くと車から降りる。
それに続くように俺も降りると莉愛は手を握ろうとしてくる。
ただ、その手を俺はサッと躱してしまう。
「ダメ……ですか?」
上目遣いで見られるとさすがに言葉に詰まってしまう。
しかし、周りの人目が俺を冷静にさせてくれる。
「人目が多すぎるからな」
スーツ姿の俺と私服の莉愛。
その二人が手を繋ぐ……。とてもじゃないが人に見せられない。
周りにはたくさん人が歩いている。ただでさえリムジンに乗っていたこともあり、稀有な目で見られているのだ。
これ以上騒ぎになって警察のお世話になるのはごめんだ。
ただ、莉愛の悲しそうな顔を見ると心が痛む。
しかし、心を鬼にして店へと向かう。
「行くぞ!」
「ま、待ってください……」
俺の後を莉愛が追いかけてくる。
そして、店の中へ入る。
しかし、入った瞬間に俺は場違いじゃないのかと思えてしまった。
どう見ても高そうな服が並んでいる。
「よし、違う店に行くか!」
「だ、ダメですよ! 有場さんの服を買うんですよね?」
店を出ようとする俺の腕を掴むと必死に引っ張ってくる。
すると、そんな俺たちを微笑ましい目つきで店員が見てくる。
高価な店らしく落ち着いた雰囲気の女性だった。
「いつもありがとうございます、神楽坂様。そちらの方はお兄様でございますか?」
「いえ、私のこいび……」
「ただの知り合いです!」
莉愛が変なことを言いそうだったので慌てて俺は言い放つ。
すると莉愛は残念そうに頬を膨らませていた。
「ふふふっ、そういうことにさせてもらいますね。それで本日は何をお探しでしょうか?」
「有場さんの服を何着か見繕ってもらいたいのですけど」
「かしこまりました。では、こちらにお越しください」
店員はテープで色々測ったかと思うと、サッといくつかの服を準備してくれた。
「こちらの服がお似合いになるかと思いますが?」
「そうですね。有場さん、どれか着てみますか?」
確かに試着はしておいたほうがいいよな?
「そうだな。試しに着てみるか」
「ではこちらにどうぞ」
店員から服を受け取ると早速試着室で服を着てみる。
サイズはピッタリで肌触りもよく、何より動きやすい。
着終わると俺は試着室から出る。
すると莉愛が満面の笑みを見せてくる。
「有場さん、とってもお似合いです!」
「そうですね、とてもお似合いだと思いますよ」
店員にも褒められる。お世辞だとはわかってるものの褒められたら嬉しく思う。
ただ、お店からして高そうに見える。
「ちなみにこの服の値段を聞いてもいいですか?」
「今着られてる服は全て合計して十万円程になります」
値段を聞いて俺は飛び上がりそうになる。
前の会社の手取り、一ヶ月分だった。
「お手頃ですね。それじゃあ見繕ってもらったものを全部もらえますか?」
「いやいや、全然お手頃じゃないだろ!!」
思わず割って入るが、莉愛は不思議そうだった。
「でも、服って普通このくらいの値段がしませんか?」
そうだった。莉愛は神楽坂グループの娘……。
安い服なんて着たことがないんだろうな。このくらいが普通に思えるくらいに……。
「もっとお手頃な服があるからそっちに――」
「いえ、大丈夫ですよ。私に任せてください」
笑みを見せてくる莉愛。すると店員が嬉しそうにしながら戻ってくる。
「全部で百七十万円になります」
笑顔で店員が言ってくる。
いやいや、そんなに服で払えるはずないだろ!
驚きを通り越して、思わず心で突っ込んでしまう。
ただ、莉愛は普通に財布を取り出していた。
「ではこのカードでお願いします」
莉愛が真っ黒のカードを渡す。
えっ、あれは最高峰のブラックカード?
まぁ、莉愛が神楽坂グループの娘と考えると持っててもおかしくないか。
呆然と眺めていたが、そこでハッと我に返る。
……そうじゃない!!
女子高生に奢られるなんて流石にダメだろ!
「待て、俺が払う……」
莉愛の前に出て行くと財布を取り出す。
今の俺には前の会社から振り込まれたお金がある。それを使えばなんとかなるだろう。
しかし、莉愛は俺の前に出てくる。
「いえ、有場さんは気になさらないでください。お手頃な値段なので」
にっこりと微笑む莉愛。
ただ、お手頃……と呼べる値段をはるかに超えていた。
「でも……、そうですね。それなら私が買う代わりに一つだけお願いを聞いてもらってもいいですか?」
莉愛が口に人差し指を当てながら前屈みになって言ってくる。
とても可愛らしい仕草だ。
それにこれだけ高いものを買ってもらうのだから頼み事の一つくらい代わりに聞くべきだろうな。
その程度で釣り合うとも思えないが……。
俺が頷くと莉愛は目を大きく見開いてすごく嬉しそうに笑みをこぼす。
「約束、ですよ」
「あぁ、約束だ。それで俺は何をしたらいいんだ?」
「それは少し後からのお楽しみです」
何かを企んでいる莉愛の表情を見ると俺は早まったかなと少しだけ後悔をする。
◇
梱包が終わったあと、店員が袋を渡してくる。
「お待たせいたしました。こちらが商品になります」
「ありがとうございます」
莉愛が丁寧に頭を下げる。
それにつられるように俺も会釈をする。
「それじゃあ次は何を見に行きましょうか?」
そうだな……。あと必要なものは家具くらいだろうか?
生活に必要なものは最低限そろってるんだよな。
食事は給仕が出してくれるし、洗濯もメイドがやってくれる。
……あの家にいると何もいらないんじゃないだろうか?
そんな疑問すら浮かぶが余計な考えは振り払う。
「とりあえず家具を見に行こう。今度は普通のお店に……」
家具ならばチェーン店に安めのものが置かれていたはずだ。
そこに行けば――。
「わかりました。では付いてきてくださいね」
さりげなく手を掴もうとしてくるので、それをサッと躱す。
すると、莉愛は頬を膨らませてムッとした顔を見せる。
そして、小声で呟いてくる。
「さっきのお願い事ですけど、私と手をつないでください……」
正直、あまり寝られる気がしない。
そもそも、普段から三時間寝られたら良い方の生活を繰り返してきたこともあり、結局いつも通り五時ごろに起きてしまった。
まだ、暗いな……。
周りに何もないここだと、窓の外は真っ暗だった。
ただ、今日から俺は新しい業務に就くわけだ。気合いを入れていこう。
ほとんどがヨレヨレの中、少しでもマシなスーツに着替えると莉愛の部屋へと向かう。
さすがにこの時間に起きているということはないだろうが。
まぁ、業務だからな……。
何時に起きてくるかもわからないので、とりあえず部屋の前で待機をする。
◇
しかし、莉愛が起きてきたのは昼前だった。
「ふぁ……、おはようございます」
俺を見た莉愛は手で口を隠しながら小さく欠伸をする。
それに答えるように頭を下げて挨拶をする。
もちろん仕事中と言うこともあって頭は九十度に下げる。
「おはようございます!」
「え、ど、どうしたの!?」
会社で働いていたときみたいに大声を出すと莉愛に驚かれてしまう。
さすがにこれはなかったな……。
少し反省した俺は莉愛に謝っておく。
「すまん、ついいつものように大声を出してしまった。……今日はやけに遅いんだな」
「うん、今は春休みだからね……」
なるほど……、もうそんな時期だったんだな。
確かに窓から見える外の景色はピンク色に染まっており、満開の桜を見ることができた。
「それに、有場さんもわざわざ待たなくていいですよ。出かける時は声をかけますから好きに過ごしてください」
「いや、これも一応仕事だからな。仕事である以上しっかりやらせてもらう」
「それなら今日一日休んでください。いきなり仕事だと大変ですからね。うん、それがいいです」
まるで名案と言いたげに手を叩く莉愛。
休み……。確かに普通の会社ならあって当然なものだ。ただ、休みって何をしたらいいんだ?
嬉しそうな笑みを見せる莉愛。ただ、俺は真剣に悩んでしまう。
大学時代の俺なら友達と一緒に遊びに行ったりしていた。しかし、その頃の友人とはすでに疎遠になっている。
年中働きづめでろくに連絡を取ることもなかったから仕方ないだろう。
それなら趣味に励む?
趣味と呼べるようなものは何一つない。
あれっ、俺は一体何のために働いていたんだ?
一瞬目の前が真っ白になる。
ただ、すぐに我に返る。
そうだ、今まで出来なかったことをすればいいんだ。
せっかく休みもあって、お金もあるんだからな。
「そういえば、有場さんは生活用品は足りてますか? 一応あの部屋のものは運ばせたのですけど……」
生活に必要なものはいつの間にか部屋へと運ばれていた。
今まで過ごしたことのないような大きな部屋で俺が住んでいたアパートの何倍も大きい。
ほとんど荷物のない俺のものが置かれたところで部屋の広さは変わらず、なんだか物寂しい雰囲気だった。
「確かに家具とかも今ある分だけじゃなくて、色々と揃えておきたいし、せっかくだから見に行ってくるか」
「そうですね。では買いに行きましょうか?」
自然な流れで一緒に出かけることとなった。
まぁ、この辺りは莉愛の方が詳しいだろうし、せっかくだから任せた方がいいかもしれないな。
「よろしく頼む」
「うんっ、やったー。有場さんと初めてのお出かけだー!」
嬉しそうに両手を挙げて喜んでくれる莉愛。
そこまで大げさにしなくてもいいのにな。ただ出かけるだけなんだから……。
◇
莉愛は急いで服を着替え、出かける準備をしていた。
その一方で俺は朝から着ていたスーツ姿だった。
買い物に行くならもっと普通の服の姿がいいだろうが、あいにくこれ以外の服は寝間着くらいしか持っていなかった。
さすがに出かけるには不十分だろう。
「お待たせしました。……あれっ? 有場さん、その格好……」
莉愛も今の俺の格好を不思議に思ったようで首をかしげていた。
「……スーツしか持っていないからな」
「では、せっかくですから有場さんの服も見に行きましょう! 私が選んであげますので」
ぐいっと両手を握りしめて笑みを見せてくる。
「そうだな。せっかくだから選んでもらえるか?」
そこまで服のセンスに自信はなかった。それならば莉愛に任せる方がいいだろう。
「わかりました。任せてください。ところで、私のこの服はどうですか?」
クルッとその場で回ってみせる莉愛。
彼女は薄手の白いシャツとカーディガン、薄いピンクのスカートととても春らしい格好をしていた。
「涼しそうでいいんじゃないか?」
「そういうことが聞きたいんじゃないですよ。もっと、可愛いとかそういったことを……」
俺の回答はダメだったようで莉愛は口を尖らせてもごもごと独り言を呟いていた。
◇◇◇
俺たちはリムジンに乗り、町の都心部へとやってくる。
ただ、この移動方法は嫌でも目につくので俺は緊張していた。
「さすがにリムジンだと目立ちすぎないか?」
「そうですか? いつもこうやって移動してますけど?」
莉愛は不思議そうに聞き返してくる。
どうやらこの状況が異端だとは思っていないようだ。
ただ、この移動が普通なら俺が助けたときはどうして一人でいたんだ?
「そういえば初めて会ったときは一人だったよな? あれはどうしてなんだ」
普段からこうやって車移動しているなら逆にあのときがおかしいように思える。
何かあったのだろうかと聞いてみると、莉愛はばつが悪そうに口を歪めていた。
「そうですよね。やっぱり気になりますよね……」
「いや、言いたくないなら言わなくていいぞ」
「いえ、有場さんには聞いてもらいたいです。実はあのとき、お父様と喧嘩をしてしまって……。家を飛び出したんですよ。ただ、闇雲に走っていたらあの場所にいて……、それから後のことは有場さんも知っての通りです」
なるほど、それであんなところに一人でいたんだな。
「事故の後、心配してきてくれたお父様と仲直りも出来ましたし、有場さんとも出会えました。私は感謝してもしたりないくらいなんですよ」
にっこり微笑んでくる莉愛と目が合う。
すると恥ずかしくなったのか、莉愛はすぐに視線を窓の外へ向けていた。
「有場さん、お店が見えてきましたよ。まずはあそこに行ってみましょう!」
莉愛が指さしていたのは高級ブランド服のお店だった。
噂では一着数万……いや、数十万円してもおかしくないと言われてる場所だった。
「いやいや、そんな高い服なんて買えないぞ!」
「そんなことないですよ。とってもお手頃でいい品物が揃ってるんですよ」
もしかして、俺が聞いていたのはあくまでも噂だったのかもしれない。
実際にお手頃なものが揃ってるなら……。
「わかった。それじゃあ行ってみるか」
莉愛は嬉しそうに頷くと車から降りる。
それに続くように俺も降りると莉愛は手を握ろうとしてくる。
ただ、その手を俺はサッと躱してしまう。
「ダメ……ですか?」
上目遣いで見られるとさすがに言葉に詰まってしまう。
しかし、周りの人目が俺を冷静にさせてくれる。
「人目が多すぎるからな」
スーツ姿の俺と私服の莉愛。
その二人が手を繋ぐ……。とてもじゃないが人に見せられない。
周りにはたくさん人が歩いている。ただでさえリムジンに乗っていたこともあり、稀有な目で見られているのだ。
これ以上騒ぎになって警察のお世話になるのはごめんだ。
ただ、莉愛の悲しそうな顔を見ると心が痛む。
しかし、心を鬼にして店へと向かう。
「行くぞ!」
「ま、待ってください……」
俺の後を莉愛が追いかけてくる。
そして、店の中へ入る。
しかし、入った瞬間に俺は場違いじゃないのかと思えてしまった。
どう見ても高そうな服が並んでいる。
「よし、違う店に行くか!」
「だ、ダメですよ! 有場さんの服を買うんですよね?」
店を出ようとする俺の腕を掴むと必死に引っ張ってくる。
すると、そんな俺たちを微笑ましい目つきで店員が見てくる。
高価な店らしく落ち着いた雰囲気の女性だった。
「いつもありがとうございます、神楽坂様。そちらの方はお兄様でございますか?」
「いえ、私のこいび……」
「ただの知り合いです!」
莉愛が変なことを言いそうだったので慌てて俺は言い放つ。
すると莉愛は残念そうに頬を膨らませていた。
「ふふふっ、そういうことにさせてもらいますね。それで本日は何をお探しでしょうか?」
「有場さんの服を何着か見繕ってもらいたいのですけど」
「かしこまりました。では、こちらにお越しください」
店員はテープで色々測ったかと思うと、サッといくつかの服を準備してくれた。
「こちらの服がお似合いになるかと思いますが?」
「そうですね。有場さん、どれか着てみますか?」
確かに試着はしておいたほうがいいよな?
「そうだな。試しに着てみるか」
「ではこちらにどうぞ」
店員から服を受け取ると早速試着室で服を着てみる。
サイズはピッタリで肌触りもよく、何より動きやすい。
着終わると俺は試着室から出る。
すると莉愛が満面の笑みを見せてくる。
「有場さん、とってもお似合いです!」
「そうですね、とてもお似合いだと思いますよ」
店員にも褒められる。お世辞だとはわかってるものの褒められたら嬉しく思う。
ただ、お店からして高そうに見える。
「ちなみにこの服の値段を聞いてもいいですか?」
「今着られてる服は全て合計して十万円程になります」
値段を聞いて俺は飛び上がりそうになる。
前の会社の手取り、一ヶ月分だった。
「お手頃ですね。それじゃあ見繕ってもらったものを全部もらえますか?」
「いやいや、全然お手頃じゃないだろ!!」
思わず割って入るが、莉愛は不思議そうだった。
「でも、服って普通このくらいの値段がしませんか?」
そうだった。莉愛は神楽坂グループの娘……。
安い服なんて着たことがないんだろうな。このくらいが普通に思えるくらいに……。
「もっとお手頃な服があるからそっちに――」
「いえ、大丈夫ですよ。私に任せてください」
笑みを見せてくる莉愛。すると店員が嬉しそうにしながら戻ってくる。
「全部で百七十万円になります」
笑顔で店員が言ってくる。
いやいや、そんなに服で払えるはずないだろ!
驚きを通り越して、思わず心で突っ込んでしまう。
ただ、莉愛は普通に財布を取り出していた。
「ではこのカードでお願いします」
莉愛が真っ黒のカードを渡す。
えっ、あれは最高峰のブラックカード?
まぁ、莉愛が神楽坂グループの娘と考えると持っててもおかしくないか。
呆然と眺めていたが、そこでハッと我に返る。
……そうじゃない!!
女子高生に奢られるなんて流石にダメだろ!
「待て、俺が払う……」
莉愛の前に出て行くと財布を取り出す。
今の俺には前の会社から振り込まれたお金がある。それを使えばなんとかなるだろう。
しかし、莉愛は俺の前に出てくる。
「いえ、有場さんは気になさらないでください。お手頃な値段なので」
にっこりと微笑む莉愛。
ただ、お手頃……と呼べる値段をはるかに超えていた。
「でも……、そうですね。それなら私が買う代わりに一つだけお願いを聞いてもらってもいいですか?」
莉愛が口に人差し指を当てながら前屈みになって言ってくる。
とても可愛らしい仕草だ。
それにこれだけ高いものを買ってもらうのだから頼み事の一つくらい代わりに聞くべきだろうな。
その程度で釣り合うとも思えないが……。
俺が頷くと莉愛は目を大きく見開いてすごく嬉しそうに笑みをこぼす。
「約束、ですよ」
「あぁ、約束だ。それで俺は何をしたらいいんだ?」
「それは少し後からのお楽しみです」
何かを企んでいる莉愛の表情を見ると俺は早まったかなと少しだけ後悔をする。
◇
梱包が終わったあと、店員が袋を渡してくる。
「お待たせいたしました。こちらが商品になります」
「ありがとうございます」
莉愛が丁寧に頭を下げる。
それにつられるように俺も会釈をする。
「それじゃあ次は何を見に行きましょうか?」
そうだな……。あと必要なものは家具くらいだろうか?
生活に必要なものは最低限そろってるんだよな。
食事は給仕が出してくれるし、洗濯もメイドがやってくれる。
……あの家にいると何もいらないんじゃないだろうか?
そんな疑問すら浮かぶが余計な考えは振り払う。
「とりあえず家具を見に行こう。今度は普通のお店に……」
家具ならばチェーン店に安めのものが置かれていたはずだ。
そこに行けば――。
「わかりました。では付いてきてくださいね」
さりげなく手を掴もうとしてくるので、それをサッと躱す。
すると、莉愛は頬を膨らませてムッとした顔を見せる。
そして、小声で呟いてくる。
「さっきのお願い事ですけど、私と手をつないでください……」
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お料理好きな福留くん
八木愛里
ライト文芸
会計事務所勤務のアラサー女子の私は、日頃の不摂生がピークに達して倒れてしまう。
そんなときに助けてくれたのは会社の後輩の福留くんだった。
ご飯はコンビニで済ませてしまう私に、福留くんは料理を教えてくれるという。
好意に甘えて料理を伝授してもらうことになった。
料理好きな後輩、福留くんと私の料理奮闘記。(仄かに恋愛)
1話2500〜3500文字程度。
「*」マークの話の最下部には参考にレシピを付けています。
表紙は楠 結衣さまからいただきました!
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
叔父と姪の仲良しな日常
yu-kie
ライト文芸
社会人になった葉月魅音(ハヅキミオン)はひとり暮しするならと、母の頼みもあり、ロッティー(ロットワイラー:犬種)似の叔父の悪い遊びの監視をするため?叔父の家に同居することになり、小さなオカンをやることに…
【居候】やしなってもらう感じです。
※同居と意味合いが違います。なので…ここでは就職するまで~始め辺りから順に同居と表現に変えて行きます(^^)/
鎌倉古民家カフェ「かおりぎ」
水川サキ
ライト文芸
旧題」:かおりぎの庭~鎌倉薬膳カフェの出会い~
【私にとって大切なものが、ここには満ちあふれている】
彼氏と別れて、会社が倒産。
不運に見舞われていた夏芽(なつめ)に、父親が見合いを勧めてきた。
夏芽は見合いをする前に彼が暮らしているというカフェにこっそり行ってどんな人か見てみることにしたのだが。
静かで、穏やかだけど、たしかに強い生彩を感じた。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる