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62 奪魂石と魔女

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薄暗い森を目前に、およそ百人程度の兵士が集結していた。

「この森に入ったとのことです」
「それは亜人たちか」
「は。数人のグループに別れ、夜間に。村人が目撃していました」
「すぐ報告してくる。おまえたちはさらに探索を進めろ」

兵士たちは続々と森の奥にと進んで行った。騎士の恰好をした男が、サッと踵を返し、馬にまたがった。数時間後、幕舎のある小さな村に着くと、男は豪華な幕舎の前で衣服を正し、声をかけた。

「ヘンリーであります」
「お入んなさい、隊長さん。外は寒かったでしょう?」

ヘンリーと男は名乗った。シャルル・デュボアール男爵の私兵で、もとベルガーダ王国の騎士だった。王国が魔族に滅ぼされて騎士団も消滅し、それから傭兵としてあちこちを転々とし、そして男爵の私兵となった。いまはそこで隊長格として働いている。

「奴隷たちを見つけました。ゼランの森に逃げ込んだようです」
「ほっほっほ、奴隷どもの逃げ場なんて、魔獣の森しか似合いのところってないものね」
「仰せの通りです」
「じゃあすぐに捕まえられるわね?」
「その…」

そうはうまくいかないのだ。いまこの翡翠の眼の魔女、カルタリアが言ったとおりあそこは魔獣の森だ。おいそれと踏み込めばたとえ何百人の兵士だとて無事では済まない。

「あたしのあげた魔道具じゃダメだっていうの?」
「い、いえ、カルタリアさまの魔獣よけの魔道具はさすがです。魔獣一匹たりとも寄せ付けません。ですが…」
「あれは兵の魂を食う…。そう言いたいわけ?」
「そ、それは…」

あきれたようにその翡翠色の眼をよどませて、魔女はヘンリーを見た。

「あんたたちが魔獣に襲われないように貸してやったのにね。魔獣が近づかず殺されないんだから、少しくらい魂が削られたっていいじゃないの」

問題はその削られた魂がどこに行くかってことだ。そいつはきっと悪魔のところだろう。神を恐れぬことを、この魔女は平気でする。

「ご無礼を…お許しください」
「わかればいいのよ。さあ、そこのお酒を取って頂戴。今夜は前祝い。あのいまいましい、解放者ぶっているやつらの息の根を止められるお祝い」

そう言って魔女は真っ赤な唇を舐めた。





「しっ、なにか来たよ」
「魔獣か?」
「いいや、この匂い…魔道具だね。それも魔獣よけの。それを持った者が百人はいる。みな兵士だ」
「馬鹿どもが…」

奪魂石、という魔石がある。文字通り魂を奪う魔石だ。それは魂を削ることで魔力を発揮する悪魔の魔石だ。もちろん削られた魂は悪魔のもとに集まる。悪魔の血の結晶のそれは、悪魔が楽して魂を集める格好のアイテムなのだ。そういうものを広めるのは魔女の役目。背後に魔女の姿が見えるってことは、すなわちこの兵は男爵の私兵たちだ。

「どうするジェノス?皆殺しにする?」
「リエガ…マティムが聞いたら悲しむようなことを言うな。そうじゃなくてももう殺し過ぎたんだ」

しかめっ面をして魔族のジェノスが獣人族の娘に言った。

「殺し過ぎって、まだほんの五人だよ?」
「一人でも多いくらいだ。マティムならそう言う」
「まあ確かに。でもやらなきゃあたしたちが殺されちゃう。そうしたらもっとマティムが悲しむよ?」

リエガの言うことももっともだった。一旦こんなことをはじめたら、戦い、殺すことは当然だった。まあもしマティムだったら、こんなことにはならなかったろう。

「この洞窟はおいそれとは見つからん。静かにしていればそのうちあきらめるさ。そんなに長い時間、捜索できんからな。あの魔石にはなにしろすごい勢いで魂が削られるんだ。兵士もうかうかはしていられんだろう」
「そうね」
「リエガは奥のやつらのところに行ってやれ。声を出さず、静かにしていろと」
「わかった」

黄色い仮面をつけたリエガが、すばしっこく洞窟の奥に消えた。ジェノスは研ぎ澄まされた槍の穂先を消し炭で黒くしている。こうしておけば刃先が光に反射しない。自身も真っ黒に体色を変えた。あたりに誰もいないのを確かめ、そうして誰にも聞かれないように、ため息交じりに小さな声でつぶやく…。

「…俺の親父は暗殺された。なのに俺が暗殺の技を使うとはな…まあリエガには見られんようにしなけりゃな」
「誰に見られないようにだって?」
「誰だ!」

ジェノスが槍を構えたときには、もうそこにそれは立っていた。





「やけに静かね」

その瑠璃色の眼がいぶかんでいた。あたりが静かすぎるのだ。警備に立つ兵の呼吸や鼓動も、あかりの松明の火ではぜる音もしなかった。

「見てきましょう」

ヘンリーが酒壺を置き、剣を腰に直し天幕の外に出ると、ヘンリーはわが目を疑った。

「これは…」
「こんばんわ、兵隊さん」
「だ…」

誰、と言おうと思ったが声が出なかった。それは深淵の暗黒の闇…そんな目がじっとこちらを睨んでいたからだ。かろうじて腰の剣の柄を握ろうとして、手が異常に震えるのに気がつき、そして何もかもあきらめてしまった。これが恐怖なんだと、ヘンリーはそれだけ思った。

「どうしたの?ヘンリー…」

天幕の外に出た魔女が見たものは、それは恐ろしい光景だった。兵たちがすべてぐちゃぐちゃになっているのだ。頭も体も、いや手足も内臓もすべてぐちゃぐちゃになって、すぐにはそれだとわからないさまになり果てていた。それだとわからせるのは唯一、その匂いだった。

「久しぶりね、魔女さん。あら、覚えてないかしら?ほら、ポー・シャルル・ポーの食堂で会ったでしょ?」

小さな人影だった。弱々しい月の光に照らされ浮かび上がったのは、そう、たしかに会った。あの青年と一緒にいた女だった。

「あんた…なんでこんなところに…いや、なんでこんなこと…これあんたがやったの?いや、正気なの?まるっきり人間のすることじゃないわよ!これって!」
「おまえに言われたくないんだけど、魔女さん?」
「あんた…もしや…」
「そうよ、あたしは魔族。こんなことなんとも思わないわ」
「な、なんでこんなところに魔族が!とっくに魔族領に戻ったはずよ?」
「勝手に戻ったことにしないでくれる?まあそう仕向けたのはあたしだけど」

なに言ってんのこいつ?こんなガキが何言ってんの?魔族だろうがただのガキじゃない。偉そうに。あたしは翡翠の眼の魔女よ?後ろには悪魔バルドークがいるのよ?なんで恐れる必要がある。

「あんた誰にもの言ってるかわかってんの?」
「そっくりその言葉、返すわ」
「まったくバカな魔族の小娘ね。死んでからその愚かさを気づくといいわ」

恐ろしいほどの魔力が魔女の身体を覆っていった。その力は大地を震わせるほどだ。いまや大地は魔女の力に恐れおののいているように見えた。ヘンリーはただその様子を眺めているだけだ。動く力さえなかったのだ。

「ああ、確かに愚かだったわね…こんなんだったらルシカでも充分だったわ。わざわざあたしが来るまでもなかったわね」
「なに言ってんのこのメスチビ!死ね!」

もの凄い魔力の塊が、いたいけな少女に向けられた、とヘンリーは思った。ああ、これじゃ骨も残らない…そう確信した。

「遠いわ。ぜんぜん届かない。そんなんでよく偉そうにしゃべってたわね」

少女は笑ってた。少なくてもヘンリーにはそう見えた。だが少女は笑ってはいなかった。怒っていたのだ。それが淡い月の光の下だから、笑っているように見えたのだ。間違っても少女は、いや魔王メティアは笑っていなかった。

「な、なんですって…」

もう一撃、最大のやつをお見舞いすれば、こんな魔族のガキなんて…そう魔女の頭の中を思いがよぎった。だがそれは大声で遮られた。

 やめろわが娘よ!そなたの相手ではない

悪魔の声だった。間違いなく悪魔バルドークの声だった。

「バルドーク!どこよ?早く来てよ!そして忌々しいこの小娘の血を、一滴残らず搾り取って頂戴!」
「ひとをブドウみたいに言うわね、あんた」
「小憎らしい小娘!メスチビ!あんた後悔するわよ。いまここに悪魔バルドークが来るからねっ」
「どこに何が来るって?」

笑ったように見えた。でもそれは笑ってなんかいない。魔女はようやく対峙しているものの正体が、おぼろげながら見えてきた。

「あ…あんた…」

そう言った瞬間、魔女は消えていた。いや完全ではない。あとに手足がきちんと残っていた。

「ち、手足だけか…。悪魔め、姿を現さないで…ほんと小心者ね。あーあ、ね、あんた、この手足、いる?」

そう言ってヘンリーに手渡そうとするその手足は、間違いなくさっきまで酒を注いでいたカルタリアのものだった。震える体を起こしヘンリーはその差し出す手足の先に目線をあげた。そうして少女ははじめて笑っていた。




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