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48 黒い手をした男爵

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「それで奴隷どもは?」
「すでに売られたもの含めすべて」
「すべて奪われたのか。なかなかやるな」
「お戯れを。われわれはほとほと困っておりまする」
「もともと因果な商売じゃないか。少しぐらいの損などどうってことないだろ」
「この先もこんなことが続けば、市の存続すら危ぶまれます。男爵さまの懐に転がり込んでくる税もどうなるやもしれませんよ」
「わたしは別に市のあがりで暮らしているわけではない」

男爵はそう言って窓の外を眺めた。高台にある屋敷からは眼下の町がよく見晴らせる。

「とはいうものの、税を多く納める『良民』のきみたちには気の毒なこと。知っての通り原則的に市場への介入やもめ事にはわが王国のしきたり故、貴族はかかわらないのが常だが、わが名のついた街の治安が乱されるのは、わがシャルル家に対する挑戦ともとれる。よってきみたちに加勢することは、少しもわが名誉を汚すものでない、と考える」
「ありがたきお言葉」
「次は来週になるな」
「さようで。次の市は来週に開かれます」
「やつは来るかな?」
「やがて冬が来ます。そうなればデリネー山脈は人も獣の通れぬ雪と氷の世界。奴隷どもは北には逃げられません。やつにとってこれが最後のチャンスです」
「では手を打とう」

そう言って男爵は左手の皮の手袋を外した。その左手は真っ黒な色をしていた。

「バルドークよ…汝の血と混ざりしわが血よ…わが声に耳を貸し、わが望みに力を貸せ。さあ悪魔バルドークよ、贄が欲しくばあらわれるがいい」

床に血で描かれた文様が浮き出てきた。それは丸い大きな魔法陣で、その中心に全身真っ黒な恐ろしい姿のものが現れた。

「われを呼んだか、シャルル・デュボアール…」
「ああ、悪魔バルドーク。汝に頼みがある」
「きさまごときの小汚い頼みごとでわれを呼び出すとは、いつからそんなに偉くなった…」
「お気に触ったなら謝罪しよう。だがここに贄を用意した。これで高邁なるきみの気が済むといいのだがね」
「なるほどその戸の陰にエルフの女が三匹か…悪くない」

悪魔は大きく細長いとがった眼を大きく見開いて、そして大きな口下で舌なめずりをした。

「頼みとは他でもない。銀毛と呼ばれる獣人が、昨今わが領を荒らしまわっていてな」
「そいつを殺せばいいのだな」
「話が早いな」
「誰にものを言っている」
「失礼した。で、その銀毛だが、正体はわからない。なにしろまっ黄色の仮面をかぶっておるのでな。ただ魔法を使うようだ。これがなかなか強力で侮れない」
「黄色?ふん、風神を気取るか…こざかしい。しかも魔法だと?どんな魔法を使うにせよ、われに匹敵するは死んだ魔王のみよ」
「頼もしい限りだな。今回も憑代を用意した。やつに殺された兵が五人。足りるか?」

戸の陰に隠れているエルフの女たちの足元に兵士の死体が転がっている。悪魔はそれを見てにんまりと笑った。

「よかろう。わが手下を遣わす。エルフどもはいただいておこう」

そう言って悪魔は消えた。エルフの女たちと兵の死体もともに消えていた。

「シャルルさま…あいかわらず恐ろしいものでございますね…」
「シュルールよ、いいな?いま見たものは…」
「忘れよ、と。心得ております」
「魔王亡き後、力を持ったとはいえ、何とも恐ろしいものだな」
「それと契約なさっていらっしゃる男爵さまこそ恐ろしいお方とも言えます」
「言うな。おかげで左手を…失ったんだからな」



シャルル男爵の居城のあるポー・シャルル・ポーから少し離れたところに、ボンセーヌ村があった。見渡す限りの小麦畑と、ところどころにある灌木以外、なんの特徴もない小さな村だった。唯一あるとすれば、昨年起きた人間と魔王軍との戦いで、無残に打ち砕かれた廃城が、丘にポツンと見えるだけだ。

「来週の市も狙うのか?」
「ああ、雪が降る。これで今年は最後だ。奴隷の亜人はもっともっといる。仲間は増えたとはいえ、男爵領すべての亜人を解き放つには力が足りない…」
「お前はよくやった。そう悲観するな。来年だってある」
「ああ、そうだな」

立ち上がって廃城の崩れかけた窓に身を寄せた銀色の毛を持つそれは、黄色い仮面の奥でまた歌っていた。悲しくも、また何かを求めるようでもあった。

「どうしてるかな…」
「よせ。誰か来る」
「死臭だ…恐ろしくヤバそうなやつだ」
「おまえは亜人たちのところに行け。俺はここで迎え撃つ」
「死なないで」
「死にはしないさ」

そう言って立ち上がった男の上背は大きく、脱ぎ捨てた黒衣の下に隆々とした筋肉が見えた。壁に立てかけた槍をその男がとると、空気がジンと鳴った。

「ふん、おまえもわかるのか?そうだ、これはいくさだ。まあ相手はたいしたことのない下級悪魔らしいが、戦いを求めるお前の気持ちはわかる。『赤槍』よ、おまえの主人、アストレルの分まで存分に倒せ」

そう言って男は廃城の外に出た。月はなくあたりは真っ暗だったが、魔族の眼を持つ彼には、何ら支障はなかった。死臭が近づいてくる。邪悪な息吹も感じられる。人ではない。

槍を構えたとき、その邪悪なものが走り寄ってきた。


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