48 / 75
48 黒い手をした男爵
しおりを挟む
「それで奴隷どもは?」
「すでに売られたもの含めすべて」
「すべて奪われたのか。なかなかやるな」
「お戯れを。われわれはほとほと困っておりまする」
「もともと因果な商売じゃないか。少しぐらいの損などどうってことないだろ」
「この先もこんなことが続けば、市の存続すら危ぶまれます。男爵さまの懐に転がり込んでくる税もどうなるやもしれませんよ」
「わたしは別に市のあがりで暮らしているわけではない」
男爵はそう言って窓の外を眺めた。高台にある屋敷からは眼下の町がよく見晴らせる。
「とはいうものの、税を多く納める『良民』のきみたちには気の毒なこと。知っての通り原則的に市場への介入やもめ事にはわが王国のしきたり故、貴族はかかわらないのが常だが、わが名のついた街の治安が乱されるのは、わがシャルル家に対する挑戦ともとれる。よってきみたちに加勢することは、少しもわが名誉を汚すものでない、と考える」
「ありがたきお言葉」
「次は来週になるな」
「さようで。次の市は来週に開かれます」
「やつは来るかな?」
「やがて冬が来ます。そうなればデリネー山脈は人も獣の通れぬ雪と氷の世界。奴隷どもは北には逃げられません。やつにとってこれが最後のチャンスです」
「では手を打とう」
そう言って男爵は左手の皮の手袋を外した。その左手は真っ黒な色をしていた。
「バルドークよ…汝の血と混ざりしわが血よ…わが声に耳を貸し、わが望みに力を貸せ。さあ悪魔バルドークよ、贄が欲しくばあらわれるがいい」
床に血で描かれた文様が浮き出てきた。それは丸い大きな魔法陣で、その中心に全身真っ黒な恐ろしい姿のものが現れた。
「われを呼んだか、シャルル・デュボアール…」
「ああ、悪魔バルドーク。汝に頼みがある」
「きさまごときの小汚い頼みごとでわれを呼び出すとは、いつからそんなに偉くなった…」
「お気に触ったなら謝罪しよう。だがここに贄を用意した。これで高邁なるきみの気が済むといいのだがね」
「なるほどその戸の陰にエルフの女が三匹か…悪くない」
悪魔は大きく細長いとがった眼を大きく見開いて、そして大きな口下で舌なめずりをした。
「頼みとは他でもない。銀毛と呼ばれる獣人が、昨今わが領を荒らしまわっていてな」
「そいつを殺せばいいのだな」
「話が早いな」
「誰にものを言っている」
「失礼した。で、その銀毛だが、正体はわからない。なにしろまっ黄色の仮面をかぶっておるのでな。ただ魔法を使うようだ。これがなかなか強力で侮れない」
「黄色?ふん、風神を気取るか…こざかしい。しかも魔法だと?どんな魔法を使うにせよ、われに匹敵するは死んだ魔王のみよ」
「頼もしい限りだな。今回も憑代を用意した。やつに殺された兵が五人。足りるか?」
戸の陰に隠れているエルフの女たちの足元に兵士の死体が転がっている。悪魔はそれを見てにんまりと笑った。
「よかろう。わが手下を遣わす。エルフどもはいただいておこう」
そう言って悪魔は消えた。エルフの女たちと兵の死体もともに消えていた。
「シャルルさま…あいかわらず恐ろしいものでございますね…」
「シュルールよ、いいな?いま見たものは…」
「忘れよ、と。心得ております」
「魔王亡き後、力を持ったとはいえ、何とも恐ろしいものだな」
「それと契約なさっていらっしゃる男爵さまこそ恐ろしいお方とも言えます」
「言うな。おかげで左手を…失ったんだからな」
シャルル男爵の居城のあるポー・シャルル・ポーから少し離れたところに、ボンセーヌ村があった。見渡す限りの小麦畑と、ところどころにある灌木以外、なんの特徴もない小さな村だった。唯一あるとすれば、昨年起きた人間と魔王軍との戦いで、無残に打ち砕かれた廃城が、丘にポツンと見えるだけだ。
「来週の市も狙うのか?」
「ああ、雪が降る。これで今年は最後だ。奴隷の亜人はもっともっといる。仲間は増えたとはいえ、男爵領すべての亜人を解き放つには力が足りない…」
「お前はよくやった。そう悲観するな。来年だってある」
「ああ、そうだな」
立ち上がって廃城の崩れかけた窓に身を寄せた銀色の毛を持つそれは、黄色い仮面の奥でまた歌っていた。悲しくも、また何かを求めるようでもあった。
「どうしてるかな…」
「よせ。誰か来る」
「死臭だ…恐ろしくヤバそうなやつだ」
「おまえは亜人たちのところに行け。俺はここで迎え撃つ」
「死なないで」
「死にはしないさ」
そう言って立ち上がった男の上背は大きく、脱ぎ捨てた黒衣の下に隆々とした筋肉が見えた。壁に立てかけた槍をその男がとると、空気がジンと鳴った。
「ふん、おまえもわかるのか?そうだ、これはいくさだ。まあ相手はたいしたことのない下級悪魔らしいが、戦いを求めるお前の気持ちはわかる。『赤槍』よ、おまえの主人、アストレルの分まで存分に倒せ」
そう言って男は廃城の外に出た。月はなくあたりは真っ暗だったが、魔族の眼を持つ彼には、何ら支障はなかった。死臭が近づいてくる。邪悪な息吹も感じられる。人ではない。
槍を構えたとき、その邪悪なものが走り寄ってきた。
「すでに売られたもの含めすべて」
「すべて奪われたのか。なかなかやるな」
「お戯れを。われわれはほとほと困っておりまする」
「もともと因果な商売じゃないか。少しぐらいの損などどうってことないだろ」
「この先もこんなことが続けば、市の存続すら危ぶまれます。男爵さまの懐に転がり込んでくる税もどうなるやもしれませんよ」
「わたしは別に市のあがりで暮らしているわけではない」
男爵はそう言って窓の外を眺めた。高台にある屋敷からは眼下の町がよく見晴らせる。
「とはいうものの、税を多く納める『良民』のきみたちには気の毒なこと。知っての通り原則的に市場への介入やもめ事にはわが王国のしきたり故、貴族はかかわらないのが常だが、わが名のついた街の治安が乱されるのは、わがシャルル家に対する挑戦ともとれる。よってきみたちに加勢することは、少しもわが名誉を汚すものでない、と考える」
「ありがたきお言葉」
「次は来週になるな」
「さようで。次の市は来週に開かれます」
「やつは来るかな?」
「やがて冬が来ます。そうなればデリネー山脈は人も獣の通れぬ雪と氷の世界。奴隷どもは北には逃げられません。やつにとってこれが最後のチャンスです」
「では手を打とう」
そう言って男爵は左手の皮の手袋を外した。その左手は真っ黒な色をしていた。
「バルドークよ…汝の血と混ざりしわが血よ…わが声に耳を貸し、わが望みに力を貸せ。さあ悪魔バルドークよ、贄が欲しくばあらわれるがいい」
床に血で描かれた文様が浮き出てきた。それは丸い大きな魔法陣で、その中心に全身真っ黒な恐ろしい姿のものが現れた。
「われを呼んだか、シャルル・デュボアール…」
「ああ、悪魔バルドーク。汝に頼みがある」
「きさまごときの小汚い頼みごとでわれを呼び出すとは、いつからそんなに偉くなった…」
「お気に触ったなら謝罪しよう。だがここに贄を用意した。これで高邁なるきみの気が済むといいのだがね」
「なるほどその戸の陰にエルフの女が三匹か…悪くない」
悪魔は大きく細長いとがった眼を大きく見開いて、そして大きな口下で舌なめずりをした。
「頼みとは他でもない。銀毛と呼ばれる獣人が、昨今わが領を荒らしまわっていてな」
「そいつを殺せばいいのだな」
「話が早いな」
「誰にものを言っている」
「失礼した。で、その銀毛だが、正体はわからない。なにしろまっ黄色の仮面をかぶっておるのでな。ただ魔法を使うようだ。これがなかなか強力で侮れない」
「黄色?ふん、風神を気取るか…こざかしい。しかも魔法だと?どんな魔法を使うにせよ、われに匹敵するは死んだ魔王のみよ」
「頼もしい限りだな。今回も憑代を用意した。やつに殺された兵が五人。足りるか?」
戸の陰に隠れているエルフの女たちの足元に兵士の死体が転がっている。悪魔はそれを見てにんまりと笑った。
「よかろう。わが手下を遣わす。エルフどもはいただいておこう」
そう言って悪魔は消えた。エルフの女たちと兵の死体もともに消えていた。
「シャルルさま…あいかわらず恐ろしいものでございますね…」
「シュルールよ、いいな?いま見たものは…」
「忘れよ、と。心得ております」
「魔王亡き後、力を持ったとはいえ、何とも恐ろしいものだな」
「それと契約なさっていらっしゃる男爵さまこそ恐ろしいお方とも言えます」
「言うな。おかげで左手を…失ったんだからな」
シャルル男爵の居城のあるポー・シャルル・ポーから少し離れたところに、ボンセーヌ村があった。見渡す限りの小麦畑と、ところどころにある灌木以外、なんの特徴もない小さな村だった。唯一あるとすれば、昨年起きた人間と魔王軍との戦いで、無残に打ち砕かれた廃城が、丘にポツンと見えるだけだ。
「来週の市も狙うのか?」
「ああ、雪が降る。これで今年は最後だ。奴隷の亜人はもっともっといる。仲間は増えたとはいえ、男爵領すべての亜人を解き放つには力が足りない…」
「お前はよくやった。そう悲観するな。来年だってある」
「ああ、そうだな」
立ち上がって廃城の崩れかけた窓に身を寄せた銀色の毛を持つそれは、黄色い仮面の奥でまた歌っていた。悲しくも、また何かを求めるようでもあった。
「どうしてるかな…」
「よせ。誰か来る」
「死臭だ…恐ろしくヤバそうなやつだ」
「おまえは亜人たちのところに行け。俺はここで迎え撃つ」
「死なないで」
「死にはしないさ」
そう言って立ち上がった男の上背は大きく、脱ぎ捨てた黒衣の下に隆々とした筋肉が見えた。壁に立てかけた槍をその男がとると、空気がジンと鳴った。
「ふん、おまえもわかるのか?そうだ、これはいくさだ。まあ相手はたいしたことのない下級悪魔らしいが、戦いを求めるお前の気持ちはわかる。『赤槍』よ、おまえの主人、アストレルの分まで存分に倒せ」
そう言って男は廃城の外に出た。月はなくあたりは真っ暗だったが、魔族の眼を持つ彼には、何ら支障はなかった。死臭が近づいてくる。邪悪な息吹も感じられる。人ではない。
槍を構えたとき、その邪悪なものが走り寄ってきた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。
江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。
了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。
テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。
それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。
やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには?
100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。
200話で完結しました。
今回はあとがきは無しです。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
うちの娘が悪役令嬢って、どういうことですか?
プラネットプラント
ファンタジー
全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。
小説家になろうでも公開している短編集です。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
悪妃の愛娘
りーさん
恋愛
私の名前はリリー。五歳のかわいい盛りの王女である。私は、前世の記憶を持っていて、父子家庭で育ったからか、母親には特別な思いがあった。
その心残りからか、転生を果たした私は、母親の王妃にそれはもう可愛がられている。
そんなある日、そんな母が父である国王に怒鳴られていて、泣いているのを見たときに、私は誓った。私がお母さまを幸せにして見せると!
いろいろ調べてみると、母親が悪妃と呼ばれていたり、腹違いの弟妹がひどい扱いを受けていたりと、お城は問題だらけ!
こうなったら、私が全部解決してみせるといろいろやっていたら、なんでか父親に構われだした。
あんたなんてどうでもいいからほっといてくれ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる