上 下
3 / 27
第一幕:彼岸花に呪われた王

1-2:王との再会

しおりを挟む
 テーブルクロスがかけられた大きな円卓。その一つの椅子にシュトリカは座っていた。

 机には豪勢な料理ばかりが並べられており、香辛料の香りが漂っている。だが、空いているはずの腹は鳴ることもなく、胃も痛むばかりだ。

「シュトリカ嬢、何か取り分けましょうか」
「え、えっと……自分で取れます」
「それらはあたくしたちの役割でございます。食べたいものはございませんか? 甘いものなどいかがでしょう」

 隣であれこれ世話を焼き、茶まで入れてくれたサミーの好意を無下にするのは忍びない。

「く、果物を。よければ下さい……」

 食欲など正直、ほとんどないのだが、そのくらいなら食べられるだろう。あまり回らない頭でそう考えた。手慣れた様子で桃を剥き、切り分けてくれるサミーの様子を、シュトリカは落ち着かないままにただ眺めていた。

「おや、食事はもうはじまっていたのかな」

 切り揃えられた桃が、目の前の皿に置かれたとほぼ同時だ。背後の扉が開かれて、聞き馴染みのある声が耳に滑りこんできたのは。

「陛下、ご機嫌麗しゅう」

 サミー、そして他の女性陣が揃ってこうべを垂れたものだから、シュトリカも慌てて立ち上がった。怖々と振り返れば、そこには。

「楽にしてくれて構わない。シュトリカ、君も座って」

 エンファニオ――ベルカスターの国王が、いた。

 紫色の切れ長の瞳。青空を固めたかのような長髪は、後ろで一本に高く結われている。柔和で穏やかながら、隙のない顔立ちは整いを通り越して、神が采配したとしか思えないほど調和が取れていた。おとぎ話に出てくる王子様がいるとすれば、彼のことだろう。

 自分が見てきた貴族たちの派手な装いとは違い、薄青を基調としたマントなどは清廉さを体現したようで、美麗な顔つきに拍車をかけている。

 ただ、と惚けた頭でも唯一気になったのは、顔の右半分が前髪に隠されていることだ。それでも美しさに変わりはないのだが、ちょっと不均衡だな、と思う。

「シュトリカ嬢、どうぞおかけ下さい」

 サミーにうながされ、我に返る。緊張で固まる体をどうにか動かし、また腰かけた。エンファニオも小さな笑みを浮かべたまま、使用人が引いた椅子に座った。

 どうしよう――そればかりがシュトリカの脳内を支配する。まさか、手を握ってくれていた人が国王だなんて思わず、こうしてすぐに顔を合わせるはめになるなんて。いや、それよりも、自分を買ったのが国王直々だなんて、普通考えにも上らないはずだ。

「似合うね、その服。ドレスもリボンも、よく映えている」
「恐れ入ります、陛下」

 唐突な賛辞に礼を述べたのはサミーだった。シュトリカは本当にそうだろうか、と思う。

 胸と肩が空いたドレスも髪につけられたリボンも、レースやフリルがふんだんにあしらわれ、自分には不釣り合いなほど豪華だ。鏡で見せられたとき、唖然としたことしか思い出せなくて、返事もろくに返せない。

「ディーンはどうしているのかな。先に食事をしてもいいのだけれど」
「もうそろそろ来られるかと」

 エンファニオの問いにサミーが答えた刹那、扉が叩かれる。使用人の女たちが扉を開くと、橙の目と銀の短髪を持つ男が入ってきた。服は、黒を主にした軍服だ。

「陛下、待たせたようで申し訳ない。馬が一頭潰れたので、その処理をしていたところ」
「お疲れ様、ディーン。今から食事をはじめるところだ。君も食べるだろう」
「頂こう。サミー、その前に茶をくれ」

 座る間際、ディーンと呼ばれた男はこちらへ冷たい一瞥をくれた。疑心が混じったその眼差しは、逆にシュトリカを安心させる。貴族たちがまず最初に自分を見たとき、向けるのは不信や疑惑、嫌悪といったものが当然だったから。

 安堵する自分をよそに、それぞれの食事の準備を終えた使用人たちが、何も言わず頭を下げて退室していく。サミーだけは少し離れたところ、ワゴンの側にひっそりと控えているが。

「さて、まずは何から話せばいいのか……シュトリカ、君は今、自分の状況をどう見ているのかな」

 人気がなくなり、まず話しはじめたのはエンファニオだった。

「え、ええと……とりあえず、国王様に買われたとだけしか……」
「半分は正解。半分は間違いだね。君は伯爵令嬢の廃嫡令嬢。雑技団の団長に育てられていた。正体に気付いたディーン、彼が君と私を内密で引き合わせ、私がそこで君を見初めた。そういうことになっているよ」
「……その裏には、何か理由があるんですよね?」
「ふむ、一般人にしては頭がよく回る。その通り、それはあくまで周囲へのはったりだ」
「そうでないと……わたしを買うだなんて真似、するはずがありませんから」

 忌まれるべき花枯はながらし。そんな自分を、大量の金品を用意してまで雑技団から買った理由はどこにあるのだろう。答えが知りたく、エンファニオをうかがうように見つめた。

 料理に手をつけることなく、こちらを見返す彼の目はどこまでも真摯だ。

「シュトリカ。率直に言うよ。どうかその力で私を助けてほしい」
「助ける……? わ、わたしが、国王様をですか?」
「見せた方が早いね、きっと。君は驚くかもしれないけれど――」

 言って、エンファニオは右側の前髪をかき上げた。

 暴かれた肌、頬の部分から目頭までを覆うのは、赤と緑色の刺青。その形は、処女神フェレネを象徴する花、すなわち彼岸花だ。だが、それが単なる紋様ではないことを、シュトリカはすぐに察知した。

「呪い……」
「そう、君の言う通りだ。半年前から、この呪いに私は冒されている」

 苦笑するエンファニオの言葉に呆然とし、思わず手で口を覆う。

「処女神を象徴するこの呪いのせいで、私は今、ろくな魔術も使えない。周りには片目を患った、と言い聞かせているけれど、ごまかせるのももう、時間の問題なんだ」
「先王が現在、国政と議会を取り仕切ってはいるがな。ポラートとの外交が手詰まりな今、陛下の命を待つ臣下は俺を含めても多い。多分に、和睦を望まぬものがまじなを使って、御身を汚したのだろうが」

 エンファニオとディーンの説明に、シュトリカはなぜ、自分がここにいるかを理解した。

 魔術と呪いは元を正せば同じものだ。ただ、命を削って発動される、より強力なものが呪いだというだけで。それならば、花枯らしと呼ばれる自分の能力を使い、呪いを抑えこむことも可能だと彼らは考えたのだろう。

 ただ、と少しうつむき、これまでの経験を思い返してみる。本人の魔力を抑えることは幾度となくしてきたが、呪い師がかけたという呪い、それに力を使用したことは一度もない。上手く解くことができるか、かなりの懸念があった。

「何か、心配がありそうだという顔をしているね」
「わ、わたし、呪い師の力を解いたことはないんです。力になれるかどうか……」
「そんな甘いことを言ってもらっては困る。正体が露見することも覚悟の上で、貴様を大金で買い取ったのだ」
「声が大きいよ、ディーン。外に響いたらどうするんだい。それに、彼女の意見ももっともだ。正直に話してくれてありがとう、シュトリカ」
「だが、陛下。花枯らしの力が効かないとなると、御身が」
「そうだね。あの暴君ぶりは自分でも目に余る。嫌気が差すくらいだ」
「国王様、魔術を使えないだけではないんですか……?」

 恐れをこめて尋ねれば、エンファニオの顔が苦渋に塗れる。それでもそのおもては美しい。

「性格が変わってしまうんだよ。苛烈……いや、非道な一面が現れてしまってね」
「そんなことまで……とても強い呪い、なんですね」

 卑しく、荒れた自分の手を取って、安心させてくれた王の優しさ。それが失われる――なんとなく、そうさせたくない気持ちが胸を締めつけた。たった数時間だが、手に残った温もりは本物だと思ったから。

「わたし……やってみます。う、上手くいくかはわかりませんけど……国王様のお力に、少しでもなれるんでしたら」

 唾を飲みこみ、心を決める。金で買われた、そんなことはどうでもいい。苦しんでいるこの優しい王様が、忌み嫌われる自分の力で楽になれるというのならば。一縷いちるの望みに賭けてみてもいいのではないのだろうか。

 決意を露わにしたシュトリカへ、エンファニオはこれ以上なく安堵した様子で微笑む。

「本当にありがとう、シュトリカ。成功したら、君への褒美も考えているよ。何がいいか望みはあるかい?」
「褒美……いえ、今は何も思い浮かばないです。お気持ちだけで嬉しいですから……」
「そうだ、陛下も気が早い。花枯らしの力が呪いを解くとは限らぬ」

 ディーンの率直な言葉に、納得してうなずく。全ては呪いを無事に解いてからだろう。

「君は、歌で花枯らしの力を行使するのだったね。ここで披露したなら、ディーンたちの力も抑えられてしまうかな」
「そう、ですね。わたしの力は一度に二人が限度なんです……でも、名を示せば、その相手だけに花枯らしを行うこともできます。他の方へ、力が及ばないように」
「じゃあ、夕刻辺りに私の部屋で試してもらおうか。困ったことに仕事も溜まっているし」
「ここならば内密で一人市井に下る、といったこともできませんからな、陛下。親衛隊が館の周りを見守っております。もう一人の陛下が出ても、無駄というもの」
「町に下りるのは私自身の癖だけれど?」
「迷惑している、と暗に告げたつもりなのですがな」

 楽しげに微笑むエンファニオとは違い、ディーンの顔は苦々しく歪んでいる。二人を見たシュトリカは、王が自ら町に下りる様子を想像してみたが、上手くできなかった。

「あの、国王様はどうして一人で町になんて……」
「昔からの趣味だよ。今年の春の祝賀祭に、君たち雑技団も来ていたろう。それも見た」
「……陛下、それは今、はじめて聞きましたが」
「言ってなかったかい? そこでシュトリカが普通の歌を歌っているのも聞いた。まさか、花枯らしの歌姫だとは思ってもみなかったけれどね」
「どうやら、監視の目を強化する必要性がありそうですな」

 やけになったのか、皿に盛られていた魚を勢いよく食べはじめるディーンに、エンファニオは声を出して笑う。シュトリカは呆気にとられたまま、膝の上に乗せている手を動かせずにいた。またもや驚きだ。歌声を聞かれていたなんて、恥ずかしくて堪らない。

「シュトリカ嬢、少しでも何か、腹に入れて下さい。仮眠の後、勉学があるのですから」
「あ、は、はい……」

 サミーに言われ、ようやくフォークとナイフを手にした。昔、実母に教えられた奇麗な食べ方。それを思い出し、見苦しくないよう桃を口に運んでいく。雑技団にいたときは、お偉い様と皮肉を飛ばされていたが、どうやら正しい作法のようだ。誰も何も言わない。

 ここは優しい世界だと、シュトリカは思う。ディーンはいささか厳しい面もあるが、それは主君の身を案じているからなのだろう。それに、何よりエンファニオだ。彼の温かなまなざし、会話するときの穏やかな口調。どれもが自分には感じたことのない柔らかさを帯びて、胸の中に染み入ってくる。

 いくらか戸惑いつつも、それはかけがえのないものに思え、彼の力になることを改めて決意した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

王女、騎士と結婚させられイかされまくる

ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。 性描写激しめですが、甘々の溺愛です。 ※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件

百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。 そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。 いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。) それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる! いいんだけど触りすぎ。 お母様も呆れからの憎しみも・・・ 溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。 デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。 アリサはの気持ちは・・・。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

辺境騎士の夫婦の危機

世羅
恋愛
絶倫すぎる夫と愛らしい妻の話。

【R-18】年下国王の異常な執愛~義母は義息子に啼かされる~【挿絵付】

臣桜
恋愛
『ガーランドの翠玉』、『妖精の紡いだ銀糸』……数々の美辞麗句が当てはまる17歳のリディアは、国王ブライアンに見初められ側室となった。しかし間もなくブライアンは崩御し、息子であるオーガストが成人して即位する事になった。17歳にして10歳の息子を持ったリディアは、戸惑いつつも宰相の力を借りオーガストを育てる。やがて11年後、21歳になり成人したオーガストは国王となるなり、28歳のリディアを妻に求めて……!? ※毎日更新予定です ※血の繋がりは一切ありませんが、義息子×義母という特殊な関係ですので地雷っぽい方はお気をつけください ※ムーンライトノベルズ様にも同時連載しています

処理中です...