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第一幕 淡い夢の日

1-1.いつもという時間

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 ガン、と庭に大きな音が響いた。横から薙いだアレグリアの木刀が、足下へと落ちる。手を痺れさせる一撃には容赦がない。首元に木刀の先をあてがわれ、悔しさで唇を噛みしめた。

「オレの勝ち、だな。アレグリア」

  逆光に染まった白銀の短髪を見上げながら、かけられた言葉にむっとする。

「まだ一勝一敗じゃないか。今回は手元が狂ったんだ」
「まだ、って……アンタ、本当に強がりだな」
「君には負けられないからだ、エルテ」

 言って、稽古相手――エルテが未だ降ろそうとしない木刀を、指先で下げた。エルテは跳ねた短髪をかき上げて、ため息交じりに木刀を収める。赤い目には呆れが宿っており、それがアレグリアの気に触った。

 瞬間、兎のように跳ねて木刀を持ち直す。下からすくうように不意打ちで放った一撃は、しかし。

「甘いっての!」
「わっ」

 いともたやすく弾かれた。再び手に痺れが走り、今度は遠く、空中にまで木刀が上がる。今度はさらしを巻いた胸元へ、ぴたりとエルテの持つ木刀の先が突きつけられていて、完全な敗北だった。

「く……」
「はい、これでオレの二連勝。今回の稽古はオレの勝利ってことで」

 汗一つ掻いていないエルテの笑みに、仕方なく両手を挙げて降参した。こちらは汗だくだというのに、少しずるい、そんな風に思いつつ。

「わかった。私の負けだ、エルテ。これでも素早さには自信があるんだけどな」
「その分、無駄な動きが多いんだよ、アレグリアは。そりゃアンタは女だから、動きや速度で翻弄するのは間違っちゃいないけどさ。見切られちゃおしまいだ」
「ふん。羽を出せばもっと早いぞ。借り物の軍服に穴を開けられないのが残念だ」
「空を飛ぶのは反則だって、妖精のお姫様」
「君は私がそう言われるのがいやなのを知っていて、わざと口にしているな?」
「事実だろ。……それより手、冷やしに行こう。捻挫させてたら大変だし」

 睨みながら追求すれば、逃げるようにエルテが明るい笑い声を上げる。エルテの笑顔も、軽やかな声も嫌いではない。それに免じ、むきになって怒るのはやめてやることにした。

 転がっていた木刀を拾う。エルテと共に並んで、庭の稽古場から出た。

 季節は初夏。まだ本格的な暑さはなく、火照った体に、少し強めの風が心地いい。それでも肩までの紫の髪が邪魔だと感じる。波がかっている分、風に舞う部分が汗で頬に張りつくのだ。

「髪、また短く切ろうかな」
「アンタ、そんなことしたらフィロン妖精王に怒られるぞ。ただでさえ剣の稽古にも反対してるんだからさ」
「姉様に怒られるのはいやだな……でも、怒られるのはエルテも同じだろう? ソルタオ様に」
「なんで兄上の名前が出るんだよ。ま、勉強から逃げてるのは事実だけど」
「ほら、やっぱり怒られる。君も私も同じだ」

 ちぇっ、と唇を尖らせるエルテに笑った。自分の姉である妖精の王フィロンも、エルテの兄である王太子ソルタオも、やんわりと咎めてくるであろうことを想像しながら。

 広い王城の庭には夏の花が咲きはじめ、新緑が眩しい広葉樹に彩りを添えている。微かに流れてくる花の香り、緑の匂いは豊かで、アレグリアは香りを楽しむように目一杯、風を吸いこんだ。

 ここ――アンマーセル王国は、小さな島にある人間たちの国だ。周りは一面海に囲まれ、隣国に行くにも、船で一週間はかかる距離にある。アンマーセルという小さな国に実りをもたらすのは、アレグリアが普段住む花の都、妖精郷ヴァンヘリオである。

 アンマーセルとヴァンへリオは、五十年程前まではあまり仲がよくなかった。エルテの祖父に当たる前国王が暴君だったとは、アレグリアの父である前妖精王の言だ。しかし、今の国王は温和で妖精たちにも偏見を持たず、互いに少しずつ交流を深めていった。

 そして今や、妖精郷への入り口を王族専用の森へ開くまでに至る。無論、ヴァンへリオを人間たちに荒らされては、と長老の木と呼ばれる樹齢五千年の大樹によって、結界が張られてはいるが。それでもアンマーセルの王族は、血筋ならば誰でも入ることが可能だ。

 言わば、蜜月なのである。人間に好奇心を抱き、街に降りる妖精だっているし、人間もまた敬意と友愛を持ってアレグリアたちに接してくれる。そのことが何より嬉しい。

「なーに、にやけてるんだよ。だらしないな」
「うるさいな、君は。年上には敬意を払えと教わらなかったのか?」
「……どう見ても同い年っぽいけど」
「見た目が止まると言ったろう、私たち妖精は。実年齢は十六の君より上だ」
「はいはい。精神年齢はお子様だけどな、アンタは」
「なんだとっ? 君に言われたくない、エルテ!」

 やるか、と立ち止まり、互いに睨みあう。一触即発、その瞬間だった。

「あーっ! やっぱりここにいた、アレグリアっ!」
「エルテ王子も一緒だ。よかった……僕がまた怒られずに済んで」

 金切り声と弱々しい声が混ざって聞こえ、アレグリアはエルテと共に振り向いた。

「ネ、ネス……」
「げっ、ビドゥーリ……」

 そこには薄茶の髪を風になびかせながら、こちらに向かって飛んでくるお目付役、ネスの姿があった。隣にいるエルテとソルタオの補佐役、ビドゥーリは半ば泣きそうなまでに水色の瞳を細めている。

「なぁにが『ネ、ネス』よ。また剣の稽古なんてして! 茶会に呼ばれたんでしょっ?」
「あのね、エルテ王子。僕が怒られるから、勝手に勉強時間に抜け出さないで欲しいな」
「す、すまないネス……あと、ビドゥーリも……」
「ごめんって。ビドゥーリ、泣きそうになるなよ……」
「心から謝罪してると思えない」

 ネスとビドゥーリ、同時に言われて、アレグリアはこっそりため息をついた。それを察し、ネスが橙の目を思い切りすがめてくる。

「反省が足りないようね、アレグリア。いいわ、今日のお茶会、しっかりと着飾らせてもらうから」
「それは勘弁してくれ、ネス。化粧とか似合わないことをさせられるのは辛い……」
「自業自得ね。もっと妖精王の妹として、淑女のたしなみを覚えなさい」
「あ、エルテ王子には追加で勉強の方、時間取るから。もう準備はしてあるんだ」

 満面の笑みを浮かべる二人が、アレグリアには恐ろしく見えた。エルテも同じなのだろう、ここではなく遠い場所を見ている目付きをしている。

「アレグリアはさっさと湖で汗、流してきて。あたしドレス持ってくるから」
「エルテ王子もお風呂に入ってさっぱりしたら、すぐに部屋に戻ること。僕が監視してる」
「わかりました……」

 アレグリアは、エルテと共に観念した。ネスとビドゥーリはいつもこうだ。剣の稽古をよく思っておらず、フィロンやソルタオ以上に激しく叱咤してくる。しかもお仕置きに、アレグリアたちの苦手なものを持ってくるところがそっくりだ。

 この二人、取り立てて仲がいいというわけではない。ネスはあまり人間に興味がないみたいだし、ビドゥーリはアレグリアのいるところ、それはエルテのいるところ、と考えて行動するからネスと鉢合わせるという。

 要するに、と肩を落としてアレグリアは思う。自分とエルテとの関係性に似ているのだろう。付かず離れず、容赦なく互いの意見をぶつけ合える間柄。ネスは目付役でも友でもあるが、それともまた違う。友人というより同志と呼んだ方がいい。

「……じゃあな、アレグリア。昼にまた」
「うん……せいぜい勉強、頑張るんだな」
「こっちもアンタの似合わないドレス姿、楽しみにしてるから」

 エルテの無駄な一言に、アレグリアは軽く彼の腕を叩いた。自分だって好んでドレスをまとっているわけではない。

 よろめいたエルテが、ビドゥーリに引っ張られていくのを見ながら、また嘆息した。

「何よ、ため息ばっかり。安心なさい。ソルタオさんもびっくりするような姿にしてあげるから」
「う」
「好きな人に綺麗に見られたい、ってのは間違ってないわよ」

 けらけらと笑うネスの言葉で、自分の頬が熱くなるのがわかった。木刀を元の場所に置いて、小さく頭を振る。そんなんじゃない、と囁きながら。

「強情よね、アレグリアって。ま、あたしはそこが気に入ってるけど」
「君はずけずけ物を言うな。私も嫌いじゃないからいい」

 二人、顔を見合わせて微笑む。なんだかんだ言っても、ネスのさっぱりした気質は気持ちがいい。

「それじゃあ私は、水浴びをしてくる」
「しっかり汗を落としなさい、菫の妖精さん。いくら甘い香りを漂わせてるっても、香水じゃあるまいし」

 ネスはそれだけ言うと、半透明の羽をはためかせ、城の方へと飛んでいく。言われたことが気になって、アレグリアは自分の腕を鼻に近付けた。確かに、甘い。菫の花の加護を持つ身は、体臭や汗すらも蜜のようにする。

 なんだか自分が子供っぽいように感じ、胸がもやもやする。姉のフィロンは薔薇の加護を持ち、いつでも大人びた香りを漂わせていることを思い出して。

 どうしようもできない違いに、むくれた顔をしながら森へ入り、湖の方へと向かった。
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