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第三幕 夢と輪廻と

3-2.出会いと忠告

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 一瞬、トゥトゥナは後退る。暗がりであまりよくわからないが、痩せぎすの男だ。腕を押さえて苦痛の声を上げている。ちくしょうと罵声を漏らしているも、声に覇気がない。

 ――怪我人だわ。

 血の匂いがして、そのことに気付く。急いで駆け寄った。栗色の髪を持つ男からは酒精の香りもし、ちょっとだけ顔をしかめてしまう。

「大丈夫ですか?」
「あ……? チッ、巫女さんかよ……見せもんじゃねえ。とっとと行け」
「だめです、腕を怪我しているじゃありませんか」
「アンタにゃ関係ねえだろが……っつ、痛ぇなぁ……」

 見たところ、壮年くらいの男だ。強がってはいるが、かなりの深手を負っている。腕の傷をよく見てみた。綺麗に切られている。骨までには達していなさそうだが。

「ここで待っていて下さい。今、薬草を探してきますから」

 答えず、ただ苦悶する男にケープをかけ、トゥトゥナは辺りを見渡す。

 幸いにして、近くにシロヤナギやヤロウがあった。雨のおかげか泥にも塗れておらず、これならなんとか使えそうだ。それらを適度に摘んで男の元へと戻る。

「ほっとけって言ってんだろ……」
「怪我人が強気にならないで。まずは止血します。少し痛いですけど我慢して下さい」

 問答無用で男の肩にかけていたケープを破り、簡易な包帯を作る。男が押さえていた手を退けると、赤黒い血が出ているのがわかった。静脈からの出血だと判断し、患部をケープの切れ端でぐるぐると巻く。

「イテッ……痛ぇって、巫女さん」
「痛いでしょうけど、腕を胸より高い位置に上げて。肩を貸します。家はどこですか?」
「……ちょいと裏側にあってな、ここからは遠いぜ」
「案内して下さい。簡単な手当てをしますから」

 茶色の目と目が合った。男の瞳は、驚いているように丸くなっている。気にせずケープの残りと薬草を手に、トゥトゥナは男へ肩を貸して立ち上がった。諦めたのか、男が歩きはじめる。

 ――リシュ卿にも似たようなことを二度、したことがあったわね。

 不意にトゥトゥナは思い出した。こないだと、それから数年前だ。数年前の際はシュテインにはもっと強気に、医者として怒りをぶつけた気がする。

 思い出に浸っている場合ではない、と我に返る。歩き続けて大分経った。路地裏にある小屋が男の家らしい。扉はなく、代わりに布きれが垂れ下がっている。中に藁のベッドがあったから、そこに男を寝かせた。近くには桶があり、水が張ってある。

「これは雨水ですか? それとも井戸水?」
「井戸水だ……朝、汲んできた」

 トゥトゥナはうなずいた。顔をしかめる男の前で水を使い、ヤロウを綺麗にする。男の切り傷を確認した。そこにヤロウを揉んだ汁を垂らす。

「しみるな……クソ、オレとしたことが……」
「火を借ります。熱が出ると思うので、今後のためにヤナギでお茶を作りますから」
「……アンタ、医者手伝い?」
「いいえ。真似事をしているだけです。本当なら、ちゃんとしたお医者様に診てもらった方がいいんですけど」
「そんな金があるように見えるか?」

 男の軽口にトゥトゥナは口を噤んだ。どう見ても、そんな余裕があるように思えない。口ごもったトゥトゥナの様子に、男が含み笑いを漏らした。

「なんてな。ちぃっと金はあるんだよ……だがな、巫女さん。オレたちみてぇな人間をまともに診てくれる医者なんてここにはいねえ。金だって偽金かと疑われるくれぇだ」
「そうなんですね……」

 町の暗部、と言うシュテインの言葉を思い返し、胸が痛くなる。それでも手は勝手に動いた。

 小さな鍋に井戸水を入れた。洗浄し、手で裂いたシロヤナギの葉を手際よく放り込む。大体の分量は手と頭で覚えている。火をつけて水がお湯になるのを待つ間、男をよく観察した。脂汗は出ていない。化膿が心配だが、この辺にそれに効きそうな薬草はなかった。

「アンタ、変わってるな。普通巫女ってのは、ツンと澄ましてるのが大半なんだが」
「私は巫女の見習いですし。それに、怪我人を無視して立ち去ることなんてできません」
「そういうもんかね。まあいいさ、助けてもらったことにゃあ礼を言っとく」
「大したことはしてませんから」
「オレはカルゼ。ここいらを仕切ってるもんだ。ちぃっとばかし顔は利く」
「私は、トアです。カルゼさん、このお茶を一日に二杯、飲んで下さい。熱が引くはずですから」
「おう。ところでトアさんよ、アンタ、炊き出しにきたんだろ? 戻らなくていいんか」

 あ、と男――カルゼの言葉に、トゥトゥナは小さな窓から外を見た。太陽の傾きがここからではよくわからない。だが、かなり時間を浪費してしまったことは間違いなさそうだ。

「戻ってみます、私。大通りまでの道を教えて下さい」
「やめとけ。ここいらは入り組んでるからすぐに迷う。アンタみたいな美人が歩いてたら、やばそうだ」
「治安が悪いんですね……でも、戻らないと……」
「仕方ねぇな。おぉい、リッケル! いるかあ!」

 突然の大声にびっくりした。驚きつつもおこした火を消しておく。

「なんだよ、カルゼの兄貴。おいらに用かい……ってなんだ、この匂い」
「ヤナギ茶だとよ。それよか、この巫女さんを大通りまで送ってやってくれ」

 扉、いや、布から顔を出したのは十歳ほどの少年だ。リッケルと呼ばれた少年は、そばかすだらけの鼻をひくつかせ、それからトゥトゥナを見た。

「巫女さんを引っかけるなんて、兄貴もやるじゃねーの」
「助けてもらったんだよ。オレはこのざまだ。あとで駄賃をやっから、頼むぜ」
「わかった。姉ちゃん、おいらにはぐれないようについて来いよな」
「え、ええ……よろしくね」

 二人の粗野なやり取りに、ちょっとだけ村を思い出して微笑んだ。リッケルは布きれみたいな服へ乱暴に手を擦り付け、それからトゥトゥナの手を握る。

「それじゃあカルゼさん、お大事にして下さい」
「おう……トアさん、くれぐれもお偉い奴には気をつけるこったな」
「それって……?」
「さあさ、行った行った。こちとら眠いんだ。リッケル、連れてってやれ」

 疑問に答えず、カルゼは片手で追い払うような仕草をする。トゥトゥナは無言のリッケルに引きずられるようにして外に出た。

 入り組んだ道を二人で進む。思ったより遠くまで来てしまったようだ。そこら中の地べたに人がへたりこんでいて、とりわけ男たちは、トゥトゥナにいやらしい視線を送ってきていた。しかし、リッケルがいるためか声をかけられるようなことはない。

「凄いのね、カルゼさんもあなたも」
「まーな。カルゼの兄貴は彫り師だから、結構な金を稼いでくれるんだ」
「彫り師?」
「おっとと、おいらってば口が滑っちまった。ま、闇商売の一つだよ。巫女の姉ちゃんが知るようなことじゃないって」
「そうなの?」

 トゥトゥナは手を引かれたまま、小首を傾げた。シュテインとの会話でそんな単語が出てきたような気がして。彫り師とは、人に隠れてやらねばならない職種なのだろうか。

 それに、お偉い奴に気をつけろ、という言葉も気になる。巫女の上の偉い人と言えば、神官兵や龍皇補佐のことだろう。それか、医者や学者。シュテインに聞けば何かわかるかもしれない、と思い直し、足を速めた。

 歩いているうちに泥を踏んでしまい、サンダルが汚れる。でも気にしてはいられない。

「おっ、まだ炊き出しの列があらぁ。あそこに行けばもう平気だぜ」

 リッケルの言葉は正しい。神官兵たちが作り直したのだろう、行列が眼前にあった。

「炊き出しに、あなたたちやカルゼさんは並ばないの?」
「へ、一般市民だけだぜ、ああいうのもらえるのは。おいらたちなんて無視無視」
「……私、何もできなくてごめんなさい」
「兄貴を助けてくれたんだろ? ならいいってことよ。じゃあな、姉ちゃん!」
「ええ。ありがとう」

 元来た道を走っていくリッケルに礼を言い、トゥトゥナはそっと、炊き出しの列から自分がいた場所を確認する。革新派たちの炊き出し分は終わっているようだ。神官兵に見つからないように、そそくさと元いた場所に戻った。

「あれ、トア。どこ行ってたのぉ?」
「ちょっと人混みに押されてしまって。もう……終わったのね、こっちは」

 目ざとく自分を見つけたヨーの近く、そこにある鍋を確認した。すっかり空だ。本当ならお礼にリッケルへパンをあげたかったが、それもない。ヨーはそわそわと町の奥を見ている。どうやら、まだ本屋には行っていないらしい。

 ダリエは嘘をついたのかもしれない、そう思うと胸が軋んだ。責める気にもなれないが。

「皆さん、先に戻りますよ。馬車に乗って」

 どうやら炊き出しが終わった巫女は、さっさと町をあとにするようだ。ヨーががっくりと肩を落としていた。

 ――カルゼさんは大丈夫かしら……。

 心配だが、これ以上トゥトゥナができることはない。せめて化膿しないことを祈りながら、ヨーと一緒に再び馬車へと乗った。
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