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第2章 恋のキューピッド大作戦 〜 Shape of Our Heart 〜
ソフィの極秘調査11
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家族が死んだら、泣くと思っていた。
数年前の夏。ソフィアは家族と一緒に海で遊んでいた。
砂浜に打ち寄せる波。潮風の香る青い空。遠くの岩場で、カモメの夫婦が頭を押し付け合っている。
特に何か特別なことをしたわけではない。ビーチボールを波に浮かべたり、キレイな貝殻を探したり、波打ち際をみんなで歩いたりしただけだ。
そんな、なんてことない普通の遊びのはずなのに、家族と一緒に過ごすだけで、とても大切なものに思えてくる。
不思議だ、と思う同時に、ソフィアはこれが「幸せ」なのだと確信していた。
だからソフィアは、家族が死んだら泣くのだと思っていた。
しかしソフィアは、父様の死体を目の当たりにしたはずなのに、まだ泣いていない。
あまりに急な展開に、頭が追いついても、心が追いついていないからだと、彼女は思った。
自分にしてはありえないほど、今の私は冷静で、だからきっと、夜の軍病院の廊下で、兄様とダンスを踊っていても、取り乱したりしないのだと、彼女はひとり納得していた。
「どうして、踊っているか、分かるかい、ソフィ?」
リズムに合わせながら、カミエルは言う。分かるはずもない、とソフィアが黙っていると、
「それは、とても、気分がいいからだ」
と、上機嫌な様子で彼は答えた。
「かつてガイアでは、大きな出来事の前後には、こうしてダンスを踊っていたんだよ。まさに今の私はそんな気分なんだ」
くるくると回るたび、廊下と靴の摩擦で音が鳴る。二人以外に動く人間は誰もいない。そばにいるギータは二人の様子を退屈そうに眺めていた。
ソフィアは別に踊りたくてカミエルと踊っているのではない。半ば無理やり身体を起こされて、カミエルのリードに従って身体を動かされているだけだ。拒否しようと思えばできないわけではないが、ガッチリと手を掴まれているため、向こうから離してくれなければ解放されそうにない。カミエルの語る理由は意味不明だが、時間稼ぎにもなるので、彼女は彼にされるがままにダンスを踊っていた。
その間、ソフィアはじっと兄、カミエルのことを観察していた。
目の前で無邪気に踊るカミエルという男を観察して、検分して、見澄まして――。
「あなたは、誰?」
と問いかけた。
「? どうしたソフィ。僕はお前の兄――」
「違いますわ」
キョトンとした様子のミカエルに、ソフィアはそう断言する。
「絶対に違います。姿形、声色は兄様でも、口調が、自称が、その所作が、兄様のものではありません」
「ほぅ……」
ソフィアは確信していた。
父親の死体を見つけ、大きな声で「父様!」と叫んだとき、奥の扉の向こうから「誰じゃ!」という声が返ってきた。死体を発見したショックでそのときは認識できていなかったが、思い返すとその声色は間違いなく兄カミエルのものだったが、その口調はどこか聞き覚えのある――父の、ものであった。
「ここに来たときの口調も、父様そっくりでした。改めて問います。あなたは、誰?」
ソフィアが再度、自分をリードする男に質問する。男は笑顔のまま目を瞠ると、晩年の老人のようにくしゃりと顔を歪めて答えた。
「……そこまで分かっているなら仕方ないのう。いかにも、儂はお主の父親――」
「それも違いますわ」
「!」
ソフィアは再び男の言葉を否定する。
「さっきまではそう思っていましたが、今は違いますわ。」
ソフィアは確信していた。
目の前で踊る男が、自分の父親でもないことを確信していた。
「確かにあなたには、父様の口調や所作が、時折見受けられました。けれど、それ以外の人間のものが、それ以上にありましたわ」
歩き方、足運び、身体の動かし方。表情、口調、ころころと変わる人称と、その人物像。
ソフィアの中にある家族の記憶が、生まれてからずっと家族を見てきたソフィアの心が、目の前の男が自分の家族であることを否定する。
「だから! てめえは、『誰』だって! さっきから聞いているのです!」
ソフィアが啖呵を切ると、男の動きがビタリと止まり、掴んでいたソフィアの手を離した。
解放されたソフィアと男は、しばらくその場で沈黙する。
静寂を破ったのは、男の笑い声だった。
「クックック、フハハハハ、ハーハッハッハ!! 聞いたかギータ! すごい! すごいぞ、我が娘は!!」
「まったくですね。さっき俺も一杯食わされましたよ……」
「何だ、貴様もか! フフ、いやー素晴らしい。素晴らしいぞ!」
薄暗い廊下に、男の笑い声が高らかに響き渡る。
「……いったい何が、そんなに嬉しいのですの?」
「嬉しい? いや、違う。これは称賛だ。娘よ、いや妹よ、いや、連綿と受け継がれてきた、我が子孫よ。誇っていいぞ。ここまで辿り着いたのは、お前が初めてだ!」
晩年の老人の顔はもう、どこにもない。兄でもなく、父でもなく。コロコロと変動していた人物像が、光が焦点に結像するように、ピタリと一点で定まったような、そんな気がした。
男を姿勢を正し、手を大きく広げて、恭しく一礼する。
「『誰だ』と訊いたな? では、答えよう。私の名は、エーデルハル・クライン=クライン。帝国の初代皇帝、エーデルハル・クライン=クラインだ」
礼をしたまま男は顔だけを上げて、笑顔を見せる。
「初めまして。我が子孫」
初代皇帝エーデルハル・クライン=クライン。その名前をソフィアは確かに知っていた。もっとも、彼女が知っているのは名前と、彼が帝国を建国したという史実くらいで、その詳細は記録にも残っていない。三千年という歴史の奥に、精細な史実は埋もれてしまったのだ。
目の前の男が語る名は、普段の彼女なら冗談として一笑に付すものであった。
しかし、今、この場を支配する異様な雰囲気が、さっきまでソフィアが体験したきた非日常の現実が、彼の言葉を否定できないものへと変貌させていた。
「まさか、そんな――」
ソフィアが驚いたのは、目の前の男が初代皇帝を名乗ったから、ではない。もちろん、それも驚くべきことなのだが、それ以上に『向こう側』の歴史の長さに驚異を抱いていた。
男は家族ではない。
ならば、なんなのか。
ソフィアの仮説では、影武者による成り代わりが最も有力であった。顔と身体を外科的に変えた人間が、皇帝を殺し、彼の身に成り代わることで、帝国の乗っ取りを図っている。それが、もっとも可能性が高いと彼女は思っていた。
しかし、彼が初代皇帝だとすれば、『向こう側』が初代皇帝の記憶と人格を連綿と受け継いでいったとするならば、『向こう側』の歴史は、帝国の歴史そのものだ。それこそ、成り代わりによる一時的なクーデターとは趣の異なるものである。むしろ、彼らからすれば、ソフィアやクリス達の方こそが、傍流にすぎない。
「考えている。考えているな我が子孫よ。概ねその通りだ、と言っておこうか。表立ってこなかっただけで、もともと『こちら側』が主流なのだよ」
ソフィアもクリスも、問題の規模を履き違えていた。どこまで根が深いとか、そういう問題ではない。
国家の基盤である根そのものが、『向こう側』なのだ。
ソフィアがひとり絶望していると、ひとりの男が気配もなく暗がりから現れた。
「陛下。そろそろ、お時間です」
その言葉に、エーデルハルの雰囲気はガラリと変わり、男はソフィアの兄であるカミエルに変貌する。
「ジィか。もうそんな時間か。すまないな妹よ。もうお話の時間はお終いだ」
カミエルはそう言うと、ジィと一緒にエレベータの方へと移動を始めた。
「待ちなさい!」
「駄目ですよ、姫様」
二人を止めようとしたソフィアであったが、彼女は再びギータに拘束される。そんなソフィアの傍らを通り過ぎたカミエルは、ふと、気がついたように足を止めて、彼女に提案する。
「ソフィ。最後にひとつだけ聞くが、『こちら側』に来る気はあるか?」
「……解放する気はないんじゃ、無かったのかしら?」
「ギータの言い分か。それはどうとでもなる。僕の正体に感づくほどの人材なら、『こちら側』で動いてもらうほうが得策だと思ってね。なに、タダでとは言わないよ。色々裏で動いているようだけど、お前が『こちら側』に来るのであれば、仲間達の命は助けてあげよう」
「!」
予想外の提案に、ソフィアは一瞬言葉を失った。
彼女の脳裏に、極秘調査を手伝ってくれたシダレ、レイカ、エマ、ラインハルト、そして目下逃亡中のクリスとレイジーの顔が過る。
(私が『向こう側』に行けば、皆は助かる……?)
「ああ、しかし、全員はさすがに難しいな」
再びエーデルハルが現れて、口を歪めて笑う。
「逃亡中のクリストファーとグレイジ―。二人の所在を明かすか、首を持ってこい。そうすれば、『こちら側』の一員と認めて、他の連中は助けてやろう」
「! ふざけ――」
エーデルハルの高圧的な物言いにソフィアがキレた瞬間、ギータが手刀で彼女を気絶させた。
「ふざけるな、かな。クックック、そうだよ、所詮このふざけた問答はお遊びだ。お前の返事がどちらでも、ここまで知ってしまった不穏分子を表に立たせるわけないだろう」
ソフィアの反応を愉しむようにエーデルハルが笑う。
「というか、ギータよ。我が子孫の身体はもう少し丁重に扱え。大事な身体のスペアだぞ」
「大丈夫ですよ、気絶させるのは慣れてますから」
「……まあ、スペアは他にもいるからいいか。ギータ、ソフィアは適当な場所に幽閉しておけ。誰にも見つからないようにな」
「へーい。拷問はしますか? ソフィ様の反応を見る限り、仲間が居ることは確定でしょう。02の居場所も分かるかもしれませんよ」
「せんでいい。まったく、丁重に扱えと言ったばかりなのに。……ソフィアには信頼のおける手持ちが少ない。仲間はどうせラインハルトとレイカ、あとは侍女とその周辺といったところだろう。護衛の二人は会合に呼んだから、ソフィアを引っ張ってきたのは侍女のほうのミヤナギか。捜索部隊に見つけたら殺していいと伝えておけ。02とオスカーの息子のことは放っておいても構わん。もう手は打ってある」
へーいと、ギータは再び気の抜けた返事をすると、気絶したソフィアを抱えて姿を消した。ギータが消えたことを確認して、ジィが口を開く。
「陛下。定着期間がすぎるまでは言動が安定しないと言ったではありませんか」
「ああ、そうだったな。まあ、許せ。素晴らしい肉体が手に入ったのだ。気分が上がるのはしょうがなかろう」
エーデルハルがそう言うと、彼の前腕は薄い光を帯び、次第に膨らんで破裂した。
破裂のせいで本体から離れた肉片は、黒い塊に変形すると、蝿のように空中を飛び回り、やがて軍病院の廊下の奥へと消えた。
「テストも兼ねて、捜索部隊の手助けだ」
「それは何よりです」
気がつけば、破裂したはずエーデルハルの腕は、元通りの状態に戻っていた。二人はまるで実験通りの結果が得られた科学者のように、その回復能力に僅かばかりに感嘆すると、エレベータの方へと歩き出す。
「ジィ。船はどうなっている?」
「はい、依然テラに近づいて来ています。進路変更の予兆も見られません。間もなく民間の望遠鏡でも確認できる距離になるかと」
「そうか。ならば予定通り、前の私の死と今の私の即位の発表後、連中の到来と、戦争の準備を始めることも併せて発表する。準備はいいな」
「はい。手筈万端に整っております」
ジィの返答にエーデルハルはよしと頷く。
「厄災を生き延びた緑の悪魔よ。ガイアを支配した強欲な藻類よ。緑の一族よ。それでも、なお、我らの命が恋しいか。ならば、三千年前の続きといこう。こちらの準備は整っている」
エーデルハルはそう呟くと、不敵に笑った。
「戦争の始まりだ」
----------------------------------
一方その頃。なんとか軍病院の地下から地上に上がったシダレは、軍病院の敷地を抜け、皇城に戻ろうと全速力で走っていた。
(あんのクソ姫うんこ姫ゲロ姫弱姫自己犠牲姫の、ポンポコピーが!! 変なところで諦めてんじゃないんですよ! 身バレしたところで、所詮お城に戻れなくなる程度の問題じゃないですか! 生きて生きて逃げ延びれば、何とかなったかもしれないのに!!)
シダレの目的は、ソフィの掴んだ情報をレイカかラインハルトに伝え、一刻も早く二人を軍病院へと連れて来ることであった。
(こうなればどんな理由でもいいから、敵が姫様を殺さない可能性に懸けます。二人を連れて急いで戻って、なんとしても姫様を救出して――)
敷地を抜け、建物に沿う道を駆け抜け、交差点に差し掛かった、ちょうどその瞬間。シダレは急ブレーキを掛けていた。
人がひとり、脇道からそっと歩いてきたのである。
(――なんだ?)
ただの人ではない。ただの人ならば、この緊急事態に、シダレが止まる理由がない。
シダレが止まった理由は2つ。
1つはその人物の――おそらく、女性の、異様な格好に違和感を抱いたからだ。膝下まで伸びる黒い編み上げの革靴に、黒を貴重としたフリルの多いワンピース。ヘッドドレスでブロンドヘアを纏め上げ、頭上には夜にも関わらず銀色の日傘が差されている。彼女はそれに加え、右眼が眼帯で覆われており、さらに左腕には白の包帯が巻き付いていた。
この格好の女性を、シダレは知っている。小説『第零軍団』に登場するキャラクター、ターニャ大尉だ。その、架空のキャラクターが、今目の前に現実として現れている。
(これが姫様の言っていたコスプレさん……?)
そして、2つ。ただの夜間徘徊するコスプレイヤーなら捨て置けばいいシダレが、一歩も足を動かせない理由が――。
(ああ、ヤバい。この人、強すぎる)
彼我の戦力差であった。
幼い頃よりレイカやハヤト、それ以外のミヤナギ一族の面々と戦ってきた、ミヤナギ一族では人一倍弱いシダレだからこそ、彼女は他人の実力に人一倍敏感であった。
勝たないと修行が厳しくなる。負けると痛い。でも、自分には才能が無い。だからシダレは実践稽古では、自分より弱い相手や体調が悪い相手に対してのみ頑張って、勝てそうにない相手とは大きなダメージを受けないように闘っていた。
その過程で得られたのが、彼我の戦力差を見極める力。相手の動き方、体重、姿勢、その他諸々を考慮して、相手の強さを瞬時に弾き出すのがシダレの得意技であった。
だからシダレは、目の前で日傘をくるくる回す女性が、自分より、両親より、ラインハルトより、レイカより、その他、今まで自分が出会ったどんな人間よりも、強いということが、分かってしまった。
(というか、これ、本当に人ですか……? 明らかに化け物の領域なんですけど……)
乾いた笑いがシダレの口から漏れ出していた。
「……はは、もうちょっと、修行、頑張れば良かったかなぁ」
絶望ともいえる戦力差。おそらく、逃げることすら叶わないだろう。
「それでも、託されちゃいましたからねぇ。やらないわけにはいかないんですよ……」
全身に力を込めて、シダレが全力で逃げ出す準備を終えたと同時に、コスプレイヤーはシダレに焦点を合わせて、
「見つけた」
と、言った。
刹那。
勝負は、一瞬で終わった。
翌日。皇帝の死亡と一緒に、皇太子の即位が発表された。
また、それと同時に、皇女ソフィア・フォン・マルステラと、その侍女シダレ・ミヤナギが行方不明になったと報告された。
----------------------------------
ソフィアが目を覚ましたのは、三方を壁に、一方を鉄格子に囲まれた寂れた場所だった。
「ここは……?」
周りには誰も居ない。
しばらくして、ソフィアは意識を失う前の出来事を思い出す。
まるで、夢のような、悪夢のような、遠い遠い現実を思い出して、自分が幽閉されているのだと、ソフィアは気づいた。
「夢じゃ、ありませんでしたか……」
ふと手を見ると、父親に触れた冷たい感触が蘇った。
「そうか、父様は……」
ぽたり、ぽたりと、抑えきれない感情が溢れてくる。
焦点がぼけて、自分の手を見ることができない。
ソフィアは自分の顔を隠すように、膝を抱えて静かに泣いた。
家族が死んで、ソフィアはようやく泣くことができた。
■おまけ
爺(もうすぐ公の皇帝死亡予定時刻ですじゃ。陛下(カミエル)には病室に戻って頂かないと……)
爺「陛下、そろそ……」
爺(……どうして踊っているんじゃろう。もう少し待つか)
■おまけ2
陛下「話をする、といったが!」
陛下「今は、踊りたい気分でもある!」
陛下「ギータ、ミュージックスタート!」
ギータ「そんな急に言われても……。私物のやつでいいですか?」
陛下「テンションが上がるやつで頼む」
姫(あれ? 今なら逃げられそう)
■おまけ3
作戦打合中の悪霊(何も知らない姫様は、……まあ、どんまいである)
一方その頃の姫様「ぐすんぐすん」
数年前の夏。ソフィアは家族と一緒に海で遊んでいた。
砂浜に打ち寄せる波。潮風の香る青い空。遠くの岩場で、カモメの夫婦が頭を押し付け合っている。
特に何か特別なことをしたわけではない。ビーチボールを波に浮かべたり、キレイな貝殻を探したり、波打ち際をみんなで歩いたりしただけだ。
そんな、なんてことない普通の遊びのはずなのに、家族と一緒に過ごすだけで、とても大切なものに思えてくる。
不思議だ、と思う同時に、ソフィアはこれが「幸せ」なのだと確信していた。
だからソフィアは、家族が死んだら泣くのだと思っていた。
しかしソフィアは、父様の死体を目の当たりにしたはずなのに、まだ泣いていない。
あまりに急な展開に、頭が追いついても、心が追いついていないからだと、彼女は思った。
自分にしてはありえないほど、今の私は冷静で、だからきっと、夜の軍病院の廊下で、兄様とダンスを踊っていても、取り乱したりしないのだと、彼女はひとり納得していた。
「どうして、踊っているか、分かるかい、ソフィ?」
リズムに合わせながら、カミエルは言う。分かるはずもない、とソフィアが黙っていると、
「それは、とても、気分がいいからだ」
と、上機嫌な様子で彼は答えた。
「かつてガイアでは、大きな出来事の前後には、こうしてダンスを踊っていたんだよ。まさに今の私はそんな気分なんだ」
くるくると回るたび、廊下と靴の摩擦で音が鳴る。二人以外に動く人間は誰もいない。そばにいるギータは二人の様子を退屈そうに眺めていた。
ソフィアは別に踊りたくてカミエルと踊っているのではない。半ば無理やり身体を起こされて、カミエルのリードに従って身体を動かされているだけだ。拒否しようと思えばできないわけではないが、ガッチリと手を掴まれているため、向こうから離してくれなければ解放されそうにない。カミエルの語る理由は意味不明だが、時間稼ぎにもなるので、彼女は彼にされるがままにダンスを踊っていた。
その間、ソフィアはじっと兄、カミエルのことを観察していた。
目の前で無邪気に踊るカミエルという男を観察して、検分して、見澄まして――。
「あなたは、誰?」
と問いかけた。
「? どうしたソフィ。僕はお前の兄――」
「違いますわ」
キョトンとした様子のミカエルに、ソフィアはそう断言する。
「絶対に違います。姿形、声色は兄様でも、口調が、自称が、その所作が、兄様のものではありません」
「ほぅ……」
ソフィアは確信していた。
父親の死体を見つけ、大きな声で「父様!」と叫んだとき、奥の扉の向こうから「誰じゃ!」という声が返ってきた。死体を発見したショックでそのときは認識できていなかったが、思い返すとその声色は間違いなく兄カミエルのものだったが、その口調はどこか聞き覚えのある――父の、ものであった。
「ここに来たときの口調も、父様そっくりでした。改めて問います。あなたは、誰?」
ソフィアが再度、自分をリードする男に質問する。男は笑顔のまま目を瞠ると、晩年の老人のようにくしゃりと顔を歪めて答えた。
「……そこまで分かっているなら仕方ないのう。いかにも、儂はお主の父親――」
「それも違いますわ」
「!」
ソフィアは再び男の言葉を否定する。
「さっきまではそう思っていましたが、今は違いますわ。」
ソフィアは確信していた。
目の前で踊る男が、自分の父親でもないことを確信していた。
「確かにあなたには、父様の口調や所作が、時折見受けられました。けれど、それ以外の人間のものが、それ以上にありましたわ」
歩き方、足運び、身体の動かし方。表情、口調、ころころと変わる人称と、その人物像。
ソフィアの中にある家族の記憶が、生まれてからずっと家族を見てきたソフィアの心が、目の前の男が自分の家族であることを否定する。
「だから! てめえは、『誰』だって! さっきから聞いているのです!」
ソフィアが啖呵を切ると、男の動きがビタリと止まり、掴んでいたソフィアの手を離した。
解放されたソフィアと男は、しばらくその場で沈黙する。
静寂を破ったのは、男の笑い声だった。
「クックック、フハハハハ、ハーハッハッハ!! 聞いたかギータ! すごい! すごいぞ、我が娘は!!」
「まったくですね。さっき俺も一杯食わされましたよ……」
「何だ、貴様もか! フフ、いやー素晴らしい。素晴らしいぞ!」
薄暗い廊下に、男の笑い声が高らかに響き渡る。
「……いったい何が、そんなに嬉しいのですの?」
「嬉しい? いや、違う。これは称賛だ。娘よ、いや妹よ、いや、連綿と受け継がれてきた、我が子孫よ。誇っていいぞ。ここまで辿り着いたのは、お前が初めてだ!」
晩年の老人の顔はもう、どこにもない。兄でもなく、父でもなく。コロコロと変動していた人物像が、光が焦点に結像するように、ピタリと一点で定まったような、そんな気がした。
男を姿勢を正し、手を大きく広げて、恭しく一礼する。
「『誰だ』と訊いたな? では、答えよう。私の名は、エーデルハル・クライン=クライン。帝国の初代皇帝、エーデルハル・クライン=クラインだ」
礼をしたまま男は顔だけを上げて、笑顔を見せる。
「初めまして。我が子孫」
初代皇帝エーデルハル・クライン=クライン。その名前をソフィアは確かに知っていた。もっとも、彼女が知っているのは名前と、彼が帝国を建国したという史実くらいで、その詳細は記録にも残っていない。三千年という歴史の奥に、精細な史実は埋もれてしまったのだ。
目の前の男が語る名は、普段の彼女なら冗談として一笑に付すものであった。
しかし、今、この場を支配する異様な雰囲気が、さっきまでソフィアが体験したきた非日常の現実が、彼の言葉を否定できないものへと変貌させていた。
「まさか、そんな――」
ソフィアが驚いたのは、目の前の男が初代皇帝を名乗ったから、ではない。もちろん、それも驚くべきことなのだが、それ以上に『向こう側』の歴史の長さに驚異を抱いていた。
男は家族ではない。
ならば、なんなのか。
ソフィアの仮説では、影武者による成り代わりが最も有力であった。顔と身体を外科的に変えた人間が、皇帝を殺し、彼の身に成り代わることで、帝国の乗っ取りを図っている。それが、もっとも可能性が高いと彼女は思っていた。
しかし、彼が初代皇帝だとすれば、『向こう側』が初代皇帝の記憶と人格を連綿と受け継いでいったとするならば、『向こう側』の歴史は、帝国の歴史そのものだ。それこそ、成り代わりによる一時的なクーデターとは趣の異なるものである。むしろ、彼らからすれば、ソフィアやクリス達の方こそが、傍流にすぎない。
「考えている。考えているな我が子孫よ。概ねその通りだ、と言っておこうか。表立ってこなかっただけで、もともと『こちら側』が主流なのだよ」
ソフィアもクリスも、問題の規模を履き違えていた。どこまで根が深いとか、そういう問題ではない。
国家の基盤である根そのものが、『向こう側』なのだ。
ソフィアがひとり絶望していると、ひとりの男が気配もなく暗がりから現れた。
「陛下。そろそろ、お時間です」
その言葉に、エーデルハルの雰囲気はガラリと変わり、男はソフィアの兄であるカミエルに変貌する。
「ジィか。もうそんな時間か。すまないな妹よ。もうお話の時間はお終いだ」
カミエルはそう言うと、ジィと一緒にエレベータの方へと移動を始めた。
「待ちなさい!」
「駄目ですよ、姫様」
二人を止めようとしたソフィアであったが、彼女は再びギータに拘束される。そんなソフィアの傍らを通り過ぎたカミエルは、ふと、気がついたように足を止めて、彼女に提案する。
「ソフィ。最後にひとつだけ聞くが、『こちら側』に来る気はあるか?」
「……解放する気はないんじゃ、無かったのかしら?」
「ギータの言い分か。それはどうとでもなる。僕の正体に感づくほどの人材なら、『こちら側』で動いてもらうほうが得策だと思ってね。なに、タダでとは言わないよ。色々裏で動いているようだけど、お前が『こちら側』に来るのであれば、仲間達の命は助けてあげよう」
「!」
予想外の提案に、ソフィアは一瞬言葉を失った。
彼女の脳裏に、極秘調査を手伝ってくれたシダレ、レイカ、エマ、ラインハルト、そして目下逃亡中のクリスとレイジーの顔が過る。
(私が『向こう側』に行けば、皆は助かる……?)
「ああ、しかし、全員はさすがに難しいな」
再びエーデルハルが現れて、口を歪めて笑う。
「逃亡中のクリストファーとグレイジ―。二人の所在を明かすか、首を持ってこい。そうすれば、『こちら側』の一員と認めて、他の連中は助けてやろう」
「! ふざけ――」
エーデルハルの高圧的な物言いにソフィアがキレた瞬間、ギータが手刀で彼女を気絶させた。
「ふざけるな、かな。クックック、そうだよ、所詮このふざけた問答はお遊びだ。お前の返事がどちらでも、ここまで知ってしまった不穏分子を表に立たせるわけないだろう」
ソフィアの反応を愉しむようにエーデルハルが笑う。
「というか、ギータよ。我が子孫の身体はもう少し丁重に扱え。大事な身体のスペアだぞ」
「大丈夫ですよ、気絶させるのは慣れてますから」
「……まあ、スペアは他にもいるからいいか。ギータ、ソフィアは適当な場所に幽閉しておけ。誰にも見つからないようにな」
「へーい。拷問はしますか? ソフィ様の反応を見る限り、仲間が居ることは確定でしょう。02の居場所も分かるかもしれませんよ」
「せんでいい。まったく、丁重に扱えと言ったばかりなのに。……ソフィアには信頼のおける手持ちが少ない。仲間はどうせラインハルトとレイカ、あとは侍女とその周辺といったところだろう。護衛の二人は会合に呼んだから、ソフィアを引っ張ってきたのは侍女のほうのミヤナギか。捜索部隊に見つけたら殺していいと伝えておけ。02とオスカーの息子のことは放っておいても構わん。もう手は打ってある」
へーいと、ギータは再び気の抜けた返事をすると、気絶したソフィアを抱えて姿を消した。ギータが消えたことを確認して、ジィが口を開く。
「陛下。定着期間がすぎるまでは言動が安定しないと言ったではありませんか」
「ああ、そうだったな。まあ、許せ。素晴らしい肉体が手に入ったのだ。気分が上がるのはしょうがなかろう」
エーデルハルがそう言うと、彼の前腕は薄い光を帯び、次第に膨らんで破裂した。
破裂のせいで本体から離れた肉片は、黒い塊に変形すると、蝿のように空中を飛び回り、やがて軍病院の廊下の奥へと消えた。
「テストも兼ねて、捜索部隊の手助けだ」
「それは何よりです」
気がつけば、破裂したはずエーデルハルの腕は、元通りの状態に戻っていた。二人はまるで実験通りの結果が得られた科学者のように、その回復能力に僅かばかりに感嘆すると、エレベータの方へと歩き出す。
「ジィ。船はどうなっている?」
「はい、依然テラに近づいて来ています。進路変更の予兆も見られません。間もなく民間の望遠鏡でも確認できる距離になるかと」
「そうか。ならば予定通り、前の私の死と今の私の即位の発表後、連中の到来と、戦争の準備を始めることも併せて発表する。準備はいいな」
「はい。手筈万端に整っております」
ジィの返答にエーデルハルはよしと頷く。
「厄災を生き延びた緑の悪魔よ。ガイアを支配した強欲な藻類よ。緑の一族よ。それでも、なお、我らの命が恋しいか。ならば、三千年前の続きといこう。こちらの準備は整っている」
エーデルハルはそう呟くと、不敵に笑った。
「戦争の始まりだ」
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一方その頃。なんとか軍病院の地下から地上に上がったシダレは、軍病院の敷地を抜け、皇城に戻ろうと全速力で走っていた。
(あんのクソ姫うんこ姫ゲロ姫弱姫自己犠牲姫の、ポンポコピーが!! 変なところで諦めてんじゃないんですよ! 身バレしたところで、所詮お城に戻れなくなる程度の問題じゃないですか! 生きて生きて逃げ延びれば、何とかなったかもしれないのに!!)
シダレの目的は、ソフィの掴んだ情報をレイカかラインハルトに伝え、一刻も早く二人を軍病院へと連れて来ることであった。
(こうなればどんな理由でもいいから、敵が姫様を殺さない可能性に懸けます。二人を連れて急いで戻って、なんとしても姫様を救出して――)
敷地を抜け、建物に沿う道を駆け抜け、交差点に差し掛かった、ちょうどその瞬間。シダレは急ブレーキを掛けていた。
人がひとり、脇道からそっと歩いてきたのである。
(――なんだ?)
ただの人ではない。ただの人ならば、この緊急事態に、シダレが止まる理由がない。
シダレが止まった理由は2つ。
1つはその人物の――おそらく、女性の、異様な格好に違和感を抱いたからだ。膝下まで伸びる黒い編み上げの革靴に、黒を貴重としたフリルの多いワンピース。ヘッドドレスでブロンドヘアを纏め上げ、頭上には夜にも関わらず銀色の日傘が差されている。彼女はそれに加え、右眼が眼帯で覆われており、さらに左腕には白の包帯が巻き付いていた。
この格好の女性を、シダレは知っている。小説『第零軍団』に登場するキャラクター、ターニャ大尉だ。その、架空のキャラクターが、今目の前に現実として現れている。
(これが姫様の言っていたコスプレさん……?)
そして、2つ。ただの夜間徘徊するコスプレイヤーなら捨て置けばいいシダレが、一歩も足を動かせない理由が――。
(ああ、ヤバい。この人、強すぎる)
彼我の戦力差であった。
幼い頃よりレイカやハヤト、それ以外のミヤナギ一族の面々と戦ってきた、ミヤナギ一族では人一倍弱いシダレだからこそ、彼女は他人の実力に人一倍敏感であった。
勝たないと修行が厳しくなる。負けると痛い。でも、自分には才能が無い。だからシダレは実践稽古では、自分より弱い相手や体調が悪い相手に対してのみ頑張って、勝てそうにない相手とは大きなダメージを受けないように闘っていた。
その過程で得られたのが、彼我の戦力差を見極める力。相手の動き方、体重、姿勢、その他諸々を考慮して、相手の強さを瞬時に弾き出すのがシダレの得意技であった。
だからシダレは、目の前で日傘をくるくる回す女性が、自分より、両親より、ラインハルトより、レイカより、その他、今まで自分が出会ったどんな人間よりも、強いということが、分かってしまった。
(というか、これ、本当に人ですか……? 明らかに化け物の領域なんですけど……)
乾いた笑いがシダレの口から漏れ出していた。
「……はは、もうちょっと、修行、頑張れば良かったかなぁ」
絶望ともいえる戦力差。おそらく、逃げることすら叶わないだろう。
「それでも、託されちゃいましたからねぇ。やらないわけにはいかないんですよ……」
全身に力を込めて、シダレが全力で逃げ出す準備を終えたと同時に、コスプレイヤーはシダレに焦点を合わせて、
「見つけた」
と、言った。
刹那。
勝負は、一瞬で終わった。
翌日。皇帝の死亡と一緒に、皇太子の即位が発表された。
また、それと同時に、皇女ソフィア・フォン・マルステラと、その侍女シダレ・ミヤナギが行方不明になったと報告された。
----------------------------------
ソフィアが目を覚ましたのは、三方を壁に、一方を鉄格子に囲まれた寂れた場所だった。
「ここは……?」
周りには誰も居ない。
しばらくして、ソフィアは意識を失う前の出来事を思い出す。
まるで、夢のような、悪夢のような、遠い遠い現実を思い出して、自分が幽閉されているのだと、ソフィアは気づいた。
「夢じゃ、ありませんでしたか……」
ふと手を見ると、父親に触れた冷たい感触が蘇った。
「そうか、父様は……」
ぽたり、ぽたりと、抑えきれない感情が溢れてくる。
焦点がぼけて、自分の手を見ることができない。
ソフィアは自分の顔を隠すように、膝を抱えて静かに泣いた。
家族が死んで、ソフィアはようやく泣くことができた。
■おまけ
爺(もうすぐ公の皇帝死亡予定時刻ですじゃ。陛下(カミエル)には病室に戻って頂かないと……)
爺「陛下、そろそ……」
爺(……どうして踊っているんじゃろう。もう少し待つか)
■おまけ2
陛下「話をする、といったが!」
陛下「今は、踊りたい気分でもある!」
陛下「ギータ、ミュージックスタート!」
ギータ「そんな急に言われても……。私物のやつでいいですか?」
陛下「テンションが上がるやつで頼む」
姫(あれ? 今なら逃げられそう)
■おまけ3
作戦打合中の悪霊(何も知らない姫様は、……まあ、どんまいである)
一方その頃の姫様「ぐすんぐすん」
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