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第2章 恋のキューピッド大作戦 〜 Shape of Our Heart 〜

ベティ

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 爪を振りかぶった黒虎の攻撃は確かに当たったように見えた。しかし、すり抜けるように攻撃を躱した彼は、そのまま剣を振り払い黒虎の顔面を横に薙いだ。

 顔面を強打された黒虎は一瞬怯み、バックステップで距離を取る。ダメージはあまり無いようだが、爪をすり抜け攻撃した軍人を警戒しているようだ。四足獣特有の緩やかな足運びで重心を左右に揺らしつつ、目線は軍人に釘付けになっている。どう攻めようか思案している様子だ。

 一方で軍人は追撃をせずに盾を構える。揺れ動く黒虎に合わせて盾をずらしつつ、いつでも動けるように膝を屈曲している。

 ややあって、虎が動く。フェイントを混ぜた爪の攻撃。軍人は身を捻ってフェイントを躱し、本命の一撃を盾でいなす。接近した虎を迎撃しようと剣を振るった瞬間に虎は離れた。バク転の要領で緊急回避しつつ、鞭のような尾で地面ごと打ち抉る。

 飛ばされた土礫にけぶった視界。回避に見せかけた獣特有の尻尾攻撃も、しかし軍人は躱してみせた。土礫による範囲攻撃からやや離れた場所に軍人はいつの間にか移動している。盾を構えた姿勢は変わらない。

 尻尾攻撃を回避されたと知った黒虎は、再び距離を取りつつ、攻め込む隙きを伺うように左右へ移動する。一方で軍人も虎と戦車隊の間に位置し続けている。攻撃をする素振りは見られない。時間稼ぎをしているのだろうか。

 そう思ったとき、戦車隊が移動を始める。黒猪を積んだ戦車の速度に合わせて緩やかだが、確実に城門への接近を始めた。一台だけ戦車は動かない。最後尾にあったものだ。この戦車の乗員を他の戦車に移動させていたようだ。軍人も戦隊の移動に合わせて黒虎から遠ざかる。軍人は戦車の護衛のようだ。

 一方で、城門からは数台の戦車が発進。こちらは全速力で黒虎へと近づく。軍隊の増援を見て、黒虎は更に苛烈な攻撃を仕掛けるが、軍人はそれらを全ていなす。一度、フェイントを挟んで最尾の戦車に攻撃を仕掛けようとしたが、再び軍人に顔面を強打され阻止される。後ろ脚で地面を削り、苛立った様子を虎は見せる。

 しばらくして、討伐隊の戦車と援護の戦車が入れ替わる。討伐隊の戦車は城門に向かって走り抜けるが、交差した時点で援護の戦車は移動を停止。横隊に広がった戦車は軍人に足止めされている黒虎に向けて砲身を調整し、2回に渡り砲弾を放つ。

 その音を察知した黒虎は後方に移動し、一方で軍人は城門側へとすでに移動を始めていた。

 一回目の砲弾は地面にあたり炸裂した。軍人と黒虎の間に煙幕が上がる。二人の距離を離すことが目的のようだ。2回目の砲弾は空中で分解し、内部に仕込まれた網が展開。広範囲に黒虎を捕らえようとする罠が広がる。炸裂した砲弾の煙が晴れた時、網の端に絡んだ黒虎の姿が見えた。

 そして、3回目の発射音が聞こえる。黒虎の周辺に瞬くような火が灯り、次いで黒煙が上がる。動きを止めてからの連続攻撃。砲弾の弾速も相当のものだが、それでも避けられると判断して網を投げたのだろうか。さすがにこれでは黒虎も生き残れないだろう。

 黒煙が晴れたその場に黒虎は居なかった。

「やった!」

 耳を塞ぎながらクリスくんが快哉の声を上げる。流石に黒虎は木っ端微塵になってしまったか。

 そう思った束の間、雄叫びが聞こえた。網を張ったその向こうから叫ぶ小さな黒い物体。一部の鎧が剥げ落ち、未だ煙が漂うその姿は、紛れもなく黒虎だった。

(生きていたか……)

 獣は身を翻して姿を消した。闇に潜んで再び戦車の襲撃をするのだろうか。その雄叫びの意図が分かるのは、それから数日後のことだった。

 
(あんなモンスターが居るのか。こいつはヤバイな……)
「黒虎なんて滅多にいませんけどね。特に首都近郊では」
(あれも群れで来るのか?)
「さあ。僕もそれは知らないです。けど、群れで来られると流石に……」

 続く言葉を彼は呑み込む。かなり厳しいかもしれないということか。

 退いた黒虎を確認した戦車たちは、キュラキュラと城塞へと戻ってきた。終始警戒している様子で、黒虎を足止めした軍人も外を歩いている。

(というか、あの軍人さんメッチャ強くない? あの虎相手に一歩も引かないとか、すごすぎなんですけど。それともこの世界の人はあれくらいが普通なの?)

 だとすると、戦車に乗らないで殴ったほうが強いんじゃないかな。

「いやいや、流石に普通じゃないです。あの人は特別ですよ。恐らく、帝国にも何人といない『先祖返り』のひとりですね」
(『先祖返り』?)
「ええ。『先祖返り』というのはーー」

 とクリスくんが説明しようとした矢先、俺達の目の前の柵に誰かが降り立った。驚いて見上げると、そこには今話題に登っていた軍人さんが居た。全身を軍服に包み、頭部はヘルメットに覆われているため顔はよく見えない。

「え、ちょ、あのーー」

 クリスくんは取り乱したのか口が回っていない。その様子をじっと見ていた軍服さんは、ややあって「ぷっ」と吹き出した後、笑い始めてしまった。

「ーーあの、何ですか?」

 落ち着きを取り戻したクリスくんが尋ねる。ちょっと照れ隠しが入っているので怒気を孕んだ言い方だ。

「いや、すまないね。慌てふためく君の姿が面白くてね。つい、笑ってしまったよ」

 そう親しげに話す軍人さん。

「それはどうも。お笑い頂けて光栄です、軍人様。それで、僕にいったい何の用ですか?」
「ふむ。僕……ね」

 クリスくんの嫌味を気にもせずにそう呟き、軍人さんは左右に視線を巡らせる。

「クリスひとりだけか? 話し声が聞こえたのだが」
「僕ひとりだけですけど。……どうして僕の名前を?」
「ん? 知っていて当然じゃないか。むしろ、私のことを覚えていないのか? それはそれでショックなんだが」

 ガーンというオノマトペに相応しいポーズを決めた後、軍人さんは「よっ」と呟き、柵から飛び降りる。

「いや、覚えているも何も、顔がよく見えなんですが……」
「ん? あー、そーか。そうだったな。私としたことが、うっかりしていた。よしよし、今外すからなー」

 そう言って軍人さんはヘルメットを外す。肩ほどに切り揃えられた髪を振りながら顔を見せた軍人さん。その姿を見たクリスくんは、

「ベティさん?」

 と呟いた。

「ん、そうだぞ。ベティお姉さんだぞ。随分と久しぶりだな。元気だったか、クリスー」

 よしよしと頭を撫でるベティさん。というか、ガッシリとした軍服のせいで気づかなかったけど、黒虎を退けたこの軍人さんーー。

(女性だったの?)

 全然分からなかった。

「ん? こら、クリス。お前まで私のことを男女と言うのか~? そんな悪い子にはーー、こうしてやる!」
「ぎゃー、痛い痛い! ベティさん、やめて!」

 拳骨で頭を挟んでグリグリするベティさん。この技はこの世界でも有効であったか。

「というか、僕そんなこと言ってませんよ」
「嘘をつけ! 『女性だったの?』 って聞こえたぞ! 私は耳が良いんだからな。城壁の上にいる君の声が下から聞こえたからここに来たんだぞ。正直に言わないとー」

 拳骨に力を込める彼女。苦悶に耐えるクリスくん。というか、そう言ったのはクリスくんじゃなくてーー。

(俺だな。ベティさん。すまない、遠目からじゃ性別が分からなかったんだ) 
「ん? 誰だ? 誰が喋っている?」

 ぐりぐりを止めてきょろきょろするベティさん。

「えっと、悪霊さん、いいんですか?」
(いいも何も、隠している訳じゃないからな。クリスくんの知り合いだし、明かしてしまっても構わないだろ)

 クリスくんが心配そうに尋ねるが、問題ないだろう。

(えっと、はじめましてベティさん。悪霊です。姿は見えないけど声は聞こえる、どこにでもいる悪霊だと思ってください)
「はっはっは。何を言っている。クリス、お前の友達はお調子者だな」
「……」

 笑い飛ばすベティさんに真面目な顔で応えるクリスくん。

「えっと、クリス?」
「ベティさん。信じられないかもしれないけど、その人(?)はーー」

 しばらく沈黙。

「……もしや、本当に、幽霊なのか?」

 彼女の質問にこっくりと頷くクリスくん。

 ベティさんの顔からサーと血の気が引く。

「……ベティさん?」

 クリスくんが声を掛けるも彼女は動かない。表情も変わらない。ペチペチとクリスくんが顔を叩くが、眉一つ動かさない。

「気絶してる……」

 ややあって、彼はぼそりと呟いた。
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