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第1章 働かなくてもいい世界 〜 it's a small fairy world 〜

管理者

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 5分くらいして音は止まった。どうやら下降は終わったようだ。下降している間、ヒメちゃんの位置をずっと確認していたのだが、彼女とは途中ですれ違ってしまった。今では俺のほうが下にいる。てっきり彼女と同じ場所まで連れて行かれると思ったのだが、そうではないらしい。

 振動とともに目の前の壁が上がっていく。微かな灯りが照らす通路があり、そこに誰かが立っていた。

(……ヒメちゃん?)

 一瞬、ヒメちゃんかと思ったが、似ているのは雰囲気だけでよく見ると彼女とは違っていた。

「私の声が聞こえていますか? 悪霊さん」

 ヒメちゃんによく似た声で彼女は言う。しかも、俺の名前を呼んだ。やはり俺の存在は知られていたか。
 
 エレベータの中で俺は閉じ込められたときの状況を考えていた。俺と死神さんしかいないあの状況で、なぜか閉じ込めるような罠が発動し、移動まで始めた。ということは罠を発動したニンゲンは俺か死神さんを認識できていたはず。死神さんは認識阻害を行っていたので、補足されたのは俺である可能性が高い。おそらく、死神さんとの会話を聞かれでもしたのだろう。どうしよう。盗聴者に死神さんの存在が確信されたらミッション失敗&ゴートゥーミジンコだ。この物語が終わってしまう。

 とはいえ、迂闊なことを目の前の少女に言って藪蛇にでもなったら目も当てられない。死神さんがまだ俺をミジンコにしていない以上、おそらくまだ大丈夫だ。ここは死神さんを話題に上げないよう注意するしかない。

(聞こえているよ。君こそ俺の声が聞こえているかい?)
「ええ、聞こえています。ご主人様がお待ちです。ついてきてください」

 彼女は素っ気なくそう言うと、返事も待たずに俺に背を向け、通路を進んでいった。え、あの、それだけ?

(えっと、あの、聞きたいことがあるんだけど……)
「何でしょう?」

 俺は彼女の後ろを進みつつ尋ねる。彼女はこちらを見ること無く続きを促す。

(ご主人様って、誰? ヒメちゃんを拉致した人?)
「ご主人様はご主人様です。そうですね。ヒメさんを呼び寄せたのはご主人様です」
(名前とかないの? ヒメちゃんは無事?)
「名前は知りません。無事です。今はぐっすりと眠っております」
(ヒメちゃん攫った目的は?)
「あなたをここに連れてくるためです」

 俺をここに連れてくるため? そのためにヒメちゃんを攫った? ちょっとよくわからないな。でも、目的が俺であるならばヒメちゃんに危害が及ぶ可能性は低そうだ。少しだけ安心した。死神さんが目的ではないので、ミジンコからも遠ざかったし。

(俺をここに呼んでどうするの?)
「ご主人様があなたとお話したいそうです。続きは本人とお願いします」

 そう言って少女はこちらを振り返り、手で部屋の中に入るように示す。通路の右手に部屋があり、その入り口のドアは開け放たれている。室内の明かりが通路まで漏れていた。

 俺は促されるままで部屋に入る。部屋の中はどこぞの管制室のようであった。いくつものモニタが壁に設置され、様々な光景を映し出している。それらの中にはつい今しがた通ってきた通路や、ムラを探索しているセミル達の様子が写っているものもあった。

「ご主人様。悪霊さんをお連れしました」

 後ろの少女が、こちらに背を向けて椅子に座りモニタを眺めている男性に声をかける。彼が俺に会いたがっているという少女のご主人様か。

「そうか。本当に、いたのだな・・・・・・・・・。ご苦労だったなサラ」

 そう言って男性は立ち上がり、こちらを振り返る。メガネをかけた40代くらいの男性。長身で痩身。普段着のような格好の、どこにでもいるような顔立ちをしている。

「そして、初めましてだな。悪霊さん、でいいのかな。異世界から来たというのは本当かい? そこにいるサラと同じように私にも君の声が聞こえると良いのだが……」

 彼はそう言ってキョロキョロと辺りを見回す。

(えっと、初めまして、悪霊です。異世界から来ました。俺の声が聞こえていたら、名前を教えていただきたい)

 俺がそう言うと、彼はわずかに目を細めた。

「ほう、本当に声がするな。ここのフェアリーはすべてオフにしてある。ということは、私の知らない原理で出力しているのか? それに計器にも反応していない。空気による伝達ではないということか……」

 彼はぶつぶつと独り言を開始する。いや、聞こえているのは分かったけど名前を教えてほしんだけど。

「おっと、すまんな。私はここでは、管理者と名乗っているよ。そう呼んでくれて構わない」
(管理者? 役割ではなく、個人としての名前が知りたいんだけど)
「ああ、そういう意味の名前は随分前に捨ててしまったよ。名前|《それ》の意味がなくなってしまったからね。まあ、気にせず管理者と呼んでくれ。それが名前で十分事足りる。なんせ、この世界の管理者は私ひとりだけだからね」

 名前の意味がなくなってしまった? この世界の管理者? この男はいったい何を言っている?

「まあ、気になることも聞きたいことも多々あるだろうが、とりあえず挨拶をしようじゃないか」
(え、挨拶なら今したじゃ……)

 管理者と名乗った男は俺の話を聞かず、ズボンを下ろしてパンツ一丁になった。

「ほら、サラも」
「はい」

 促されるまま、サラと呼ばれた少女もスカートをたくし上げ可愛らしい子供パンツを見せてくる。これは一体……。

「悪霊さん。あなたの世界ではパンツを見せること・・・・・・・・が挨拶なんだろう? 友好の証だ。受け取ってくれ」

 一体何を受け取れというのか。というか、何をどうしてそう取り違えたのかは知らないが、俺の世界の文化を間違いなく誤解している。そんな奇特な挨拶は無い。

「え!? 違うの!?」

 そのことを説明すると、心底驚いた顔をして管理者は叫んだ。

「え、嘘。勘違いしてた? でも、悪霊さん誰かに会うたびにパンツパンツ言ってたよね? てっきりそれが悪霊さんの元いた世界の挨拶なんだろうと思ってたんだけど……。あ、サラ。スカートもう戻していいよ」

 サラちゃんは指示されるまで律儀にスカートをこちらに向け続けていた。俺が移動するとその方向に向き直るくらい律儀に。この子に羞恥心はないのか。

(パンツパンツ言ってたのは、俺の言葉が聞こえるかどうか反応を見たかっただけなんだが……)

 あと、セミルとユリカの悪ノリのせいでもある。決して個人的な理由など無い。

「そうなのかい? でも、それだけなら普通に挨拶をすれば済む話では?」
(まあ、それ以外にも理由はあるんだけど、少なくとも俺の世界にパンツを見せ合う文化はない)
「そうだったのか……。友好の意を示すために普段身につけないパンツを履いていたのだが、無駄になってしまったな」

 普段パンツ履いてないんかい!

「そうだな。蒸れるのが嫌なのだ。ちなみにサラも履いてないぞ。ついさっき挨拶のために履いてこいと指示したのだ」

 指示しないほうが良かったのに。いや、友好的なのはありがたいんだけどね。

(そんなことより聞きたいんだけど、あんたは俺達のことをずっと監視していたのか? さっきそんなことを言っていたけど)
「ずっとってわけじゃないよ。たまにね。フィッターを通して君たちのことは監察させて貰っていた」

 フィッターて、モモモの正式名称だったよな。あいつらを通して監察なんてできるのか?

「できるよ。管理者であればね」
(さっきから管理者管理者、言ってるけど、管理者って何? 普通のニンゲンと何が違うんだ?)
「その説明もしたいんだが、もう少しだけ待ってくれるか? 彼らが戻って来たら順を追って説明しよう」

 戻ってくるって一体誰が、と言おうとしたそのとき、空いていた扉から新たに三人の少女が現れた。

「お帰り、アインス、イスナ、フィーラ。ご苦労だったね」
「はい」
「ただいま戻りました」
「ご主人様」

 アインス、イスナ、フィーラという名の三人の少女は、驚くほどサラちゃんに似ていた。四つ子と言ってもいいくらい、容姿も雰囲気もよく似ている。

「悪霊さん。この子らとも話せるかどうか確かめて貰っていいか?」
(え、いいけど。なんて言えばいい?)
「三人だから、それぞれに別なことをする指示を出してくれるか? 名前はアインス、イスナ、フィーラだ。みんなは彼の指示に従うこと」
「「「はい」」」
(そうだな。アインスちゃんは正面向いたまま右腕を左斜め上に振り上げて、イスナちゃんは逆に左腕を右斜め上に振り上げたポーズを取って。フィーラちゃんはその場で両手を振り上げてジャンプで)

 三人は俺の指示通り動く。ライダー、変身。とう! うむ。初めてにしてはいい感じだ。

「ふむ。三人共聞こえているようだな」
(この場にいる全員が俺と聞こえるのか。そんなこともあるんだな珍しい)

 新たに出逢った四人が四人とも俺と話せる。そんなことは今でなかった。

「まあ、彼女らが悪霊さんの声を聞けたのは、想像通りというか、狙い通りだな。残しておいて良かったけど、四人も残す必要はなかったか」
 
 管理者はまたわけのわからないことを言う。いい加減、説明して欲しい。

「そうだね。それじゃあ説明の前にひとつ約束してほしいんだけど」
(約束?)
「そう。まあ大した約束じゃないよ。私も悪霊さんの元いた世界に興味があってね。君の疑問を解消する代わりに、私に君の世界のことを教えてほしいんだ」
(それぐらいなら別に構わないけど。それじゃこっちも約束して欲しいな。ヒメちゃんに……、いや。ヒメちゃん以外の俺の知り合いには、絶対に危害は加えないって)
「それはもちろん。初めからそんなつもりはないよ」

 特になんてことなく管理者は言う。本当に初めから危害を加えようと思っていなかったようだ。

 男が手元の操作パネルを弄ると、モニタの表示が切り替わる。新たにモニタに映し出されたのは薄暗い部屋。無機質を連想させる部屋の中には、大きな水槽があった。水槽の中には規則正しく、とある物体が並んでいる。

(何だ、これ……)
「はじめはさっきの質問に答えようか。この四人を見て、悪霊さんはどう思った?」
(どうって、ヒメちゃんに似てる。雰囲気がそっくりだって……)
「そう思ったかい? そう認識するってことは、悪霊さんは我々と近い感性を持っているんだね。これなら参考になりそうな話も多そうだ」
(おい、これって……)
「彼女らが似ているのは当然だ。彼女らは同一世代だからね。同じ時期に同じ育てられ方をした者たちは自然と似通ってしまうんだ」

 水槽に浮かぶ、とある物体。規則正しく立ち並ぶそれらは、そのひとつひとつがヒトの胎児によく似ていた。

「これはニンゲンを造る装置。ここで産まれ育ったひと握りのニンゲンが世界に送られ自我に目覚める。これがこの世界の秘密のひとつだよ、悪霊さん」
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