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第1章 働かなくてもいい世界 〜 it's a small fairy world 〜

さよなら8181

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「はぁーーぁあっ」

 彼女は大きく息を吐いて、女座りの体制からゴロンと寝そべった。大切なものでも入っているのだろうか、リュックは一旦降ろして抱きかかえている。

「あー……」

 と、彼女はそれきり黙ってしまった。

(おーい、ユリカさーん)

 返事がない。彼女に俺の声は聞こえないのだから、当たり前だが。

(さっき、自死とか言ってたのは何ですかー。説明して下さーい)

「……づーがーれーだーぁ……」

 金曜夜の就寝前のサラリーマンかお前は。さっき、自死とかなんとか言ってたのは冗談だったのだろうか。あるいは俺の聞き間違いか? そうであるならば別に構わないのだが。そうでないなら説明責任を果たしてくれ。そのままお陀仏されたらどうしていいか分からん。

 ああもう、これほど意思疎通できないことに不自由を感じたことはない。おらおら、答えないと寝そべった向こう側からパンツを覗いちゃうぞー……。

 すすすと移動し、膝立ちのまま寝そべる彼女の足元へ向かう。

「……嫌な気配がする」

 そう言って、ユリカは膝を締める。あー、くそ。もうちょっとだったのになー。残念無念。せっかく回り込んだというのに。なんとかこの隙間から見えないかなー……。

「まぁ、別にいいか」
(ぶふぅっ!)

 ヒョイと彼女は膝を開いた。くっそ、もろに見てしまったではないか。まったくもう。

「……見た?」
(……見たとも。黒だな)
「どっちだろ。まあいいや」

 ユリカはまたしばらく口を閉ざす。深呼吸をしているようだった。頭を空っぽにしているのだろうか。5分位、彼女は黙っていた。

「それでね、悪霊さん」
(ん。どうした)
「あー、えっとね。私、ちょっと、生きるのに疲れましてね。自死しようと思うんですよ。どう思います?」
(どう思いますと言われてもな)
「ほら、悪霊さんって一回死んでるじゃないですか? そこんところ、先輩としてためになるお言葉とかありませんかね?」
(さっきからちょいちょい敬語だったのはそのせいか。でもなー、俺は事故死だからなー。これから社会人になって九時五時残業満員電車めんどくせーなーと思ってる最中に死んだからな。ちょっと自殺とはカテゴリが違うっていうか、管轄が違うっていうか。アドバイスなんてできないぞ?)
「ほらー、謙遜なんてしないでいいからー」
(いや、謙遜なんてしてないからね。ああほら、えっとだな。とりあえずお兄さんに、どうして死にたいか教えてみ?)
「えー、やっぱり理由とか気になります?」
(気になるとも)
「しょうがないですねー。教えてあげましょう。じゃじゃん。さーて、ここで問題です。どうして私は死にたいんでしょーか?」
(うわ、面倒くさいの始まった)
「1番。人生に疲れた」
(さっき言ってた抽象的なやつな。それ。突き詰めればみんなそれだから。1番)
「2番。セミルと喧嘩した」
(子供か。さっき仲直りしやすいって言ってたじゃねえか。これはなし)
「3番。……現在進行系で私はとても幸せなので、そのまま死にたい」
(テツジンの料理と同じ理由だな。うーん、ありそうだけど、ユリカはきっと、幸せになったらそのままスヤァと寝るタイプだろうからノー。答えは1番だな)
「正解は……、」
(……)
「……」
(……タメルな……。……この辺でCM入るくらいタメルな……)
「……」
(……)
「4番の、不治の病にかかってしまったからでしたー」
(……)
「からでしたー。でしたー」
(……)
「怒った?」
(怒ってないよ)
「びびった?」
(びびってもないよ。不治の病って、君ら病気の概念なかったでしょ。何言ってんの? あ、もしかして嘘で誤魔化そうとしてる?)
「まあ、悪霊さんの話に出てきた病気とはまた違うかもしれないけど、そんな感じのやつです。それがここ最近の二十年くらいとても酷くて、生きるのが辛くなりまして。もういつ死のう、いつ死のうって、ずっと悩んでたんだけど、セミル置いて逝けないからもうちょっと我慢、もうちょっと我慢って騙し騙し生きてたんだけど、なんとびっくり! 悪霊さんが現れたじゃないですか。セミルとも仲良さそうだし、私は話せないけど悪いヒトじゃなさそうだし、セミルのことはお任せた! 私は大往生する! では、さらばだ!」

 そう言って、ユリカは右手をピッと高く突き上げる。突き上げた手のひらは、やがて力を失って地面にポスっと落ちた。

「さらばだー……」

 そしてため息。再び訪れる沈黙。空元気なのは目に見えて分かった。

 まあ、あれだね。私って記憶力いいじゃない? ヒトのカタチとかひと目見れば記憶できるし、自由に曲げたり伸ばしたり捻ったり裏返したり、そういった操作も頭の中でできるじゃない? 瞬間記憶能力ってやつだっけ。で、思い出そうと思えば、いつどこで見たヒトのカタチかすぐに思い出せるんだよね。頭の中に端末の検索機能が入ってるみたいにさ。

 で、病気っていうのはそこなんだよね。その検索と再生の機能がどうやらポンコツになっちゃったみたいでさ。セミルのことを見ると、昔のセミルのカタチが今見ている姿と重なって、ダブって再生させるんだよね。最初は2つで一瞬だけ。気がついたらダブリが増えて、3つか4つくらい、いつの日かのセミルがフラッシュバッグされる。再生も思ったようなカタチにならなくて、昔見たものが割り込むように再生されるんだよね。

 そんなことが長く続くとさ。わかんなくなるじゃない? 今見ているカタチが、本当に今見ているものなのか、昔のモノなのか。いやあ、最後のセミルにあげた服も、何度も何度も確かめたんだけどね。思ったより、駄目になっているみたいで、やらかしちゃったよ。ああ、このことセミルは知ってるのかって? 当然、知らないよ。心配させたくないし、教えたところで、どうなるかは目に見えて分かるもの。壊れていく私に付き合って寄り添って、最後はきっと……。

 だから、そうなる前に、自分の後始末は自分でつけるわけだよ。私って偉いね。え、どうにかならないかって? うーん、どうにもならないだろうね。マダムにも聞いたし、マッドにも聞いた。二人共駄目ね。心当たりもなにもない。マッドに至っては、私をモルモットにしたいとかいい出すから、グーパン片手ボムで拒否してやった。流石にそれは嫌だわ。そうそう、マッドのこと、ここに呼んだの私なんだよね。この病気について聞いたんだ。あ、もちろんセミルには言うなって口止めしたよ。漏らしたらノーコちゃんの頭爆破するって脅してね。マダムの屋敷でマッドと再開したときは、マダムにはめられたと思ったけど。

 あと、どうにかなる見込みといえば悪霊さんだったんだけど、悪霊さんも瞬間記憶能力者には会ったことないって言ってたし、詳しくは知らないようだったから諦めた。まあ、もともと限界が近かったしね。悪霊さん前に言ってたっけ? 精神崩壊とかどうとか。諦念と悟りと躁鬱を無限に繰り返した後に、思考の発散と収束が不定期にやってきて、最終的には自然と一体となる感じーー、だっけ。ふふ、ちゃんと覚えてたでしょ。どう、すごい? え、忘れた? もう、自分の言ったことくらい覚えてなさいよ。

 ……でさ。もしもさ。悪霊さんに身体があって、その体を壊したら精神崩壊から逃れられるって思ったら、悪霊さんはどうする? どうしようもない袋小路の果てに、こうしたら苦しみから逃れられるって分かったら、悪霊さんはどうしたい? ……ね。少しは私の気持ち、分かるかな。ま、どっちでもいいけど。だから、ここに着いてきてって言ったんだ。最後に悪霊さんに、聞いていてほしかったから。


「というわけで、正解は4番の病気でしたー。残念残念。残念賞の悪霊さんには、テツジンの料理を食べられない権利をプレゼントー」

 そう言って、彼女はリュックからテツジンの料理を取り出した。大事に持っていたのは、傾いたりしないようにするためか。

 ユリカはゆっくりと一口ずつ、テツジンの料理を口へ運んでいく。いつもは美味しそうにみえるその料理も、今回だけはそうは見えなくて。俺にはただ見ていることしかできないことが、とても歯がゆくて。でも目をそらすこともできなくて。

「はー。もう食べ終わっちゃった」

 ごそごと、彼女はリュックを漁る。そして取り出したのは、ちょっと焦げたパンケーキ。

「これはねー。セミが作ってくれた料理なんだ」

 彼女はぱくりとパンケーキをかじる。

「うへー、ちょっと苦いね。セミは料理下手ってわけじゃないんだけど、得意ってわけでもなくてね。まあときどき思い立ったように作るんだけど、これはその最初の失敗作。嫌って言ったのに無理矢理食わされたの。絶対に美味しいから!見た目悪いだけだから!とか言ってたけど、セミは大嘘つきだね」

 小さな口で、小さく小さく彼女はパンケーキをかじる。少しでも長く苦味を感じられるように。まるで、少しでも長く彼女の思い出に浸ってられるように。

「……食べ終わっちゃった。ごちそうさまでした」

 包み紙をぽいと放り投げ、彼女は再びリュックを漁る。

 取り出したの一丁の拳銃。

 リュックの中身はもうないのか、彼女はリュックも放り投げた。

「さてと。それじゃあ、そろそろお別れだね。悪霊さん。短い間だったけど、ありがとね。セミルのこと、よろしくね」

「あ、帰り道だけど。道外れてからまっすぐここまで進んできたから、車の向きと逆方向に進めば道に突き当たるよ。そこからは道なりに進めば家に帰れるから。ごめんね、遠くまで連れてきて。セミに会いたくなかったから、ここまで来ちゃった」

「あ、知り合いにはさよならメッセージ送っといたから。時間差で届くから、そろそろ届くかな。だから、このことセミルに伝えなきゃとか悪霊さんは気にしなくていいからね」

「ずっとは無理かもしれないけど、しばらくはセミの側に居て欲しいな。守らなくてもいいけど、これは私からのお願いね」

「あ、銃なんかじゃ死ねないと思ってる? っちっちっち。甘いな、悪霊さん。銃はね、きっかけなんだよ。気を失うときに、心から生を望まなければ、自然と死ねる。私らの不死はそういう不死だから。すぐに再生するなんて思わないでね。本当に、絶対に死ぬんだから……。って、さよならの瞬間まで、やいやいうるさくてごめんね。セミルと三人で話すときはいっつもうるさかったし、悪霊さんの声は聞こえなくとも、やっぱり騒がしくなっちゃうね」

「それじゃ、最後の話し相手になってくれてありがとね、悪霊さん。……あ、確か本名は違うんだよね。ありがとね。そして、さよなら、■■■■」





 乾いた銃声が草原に響いた。
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