112 / 144
第二幕
13.淀みに浮かぶうたかたは①
しおりを挟む
「お陰様で、助かりました。これはほんの気持ちです」
景虎は深く頭を下げると、濃い紫色をしたちりめんの袱紗の中から、厚みのある封筒を差し出した。
「え……なに? これ」
彼女は戸惑ったような顔をした。
『がるがんちゅあ』の談話室、薄い緑のチェックのカーテンがエアコンの風で揺れている。
部屋の温度自体はそんなに下がっておらず、送風が生温い。
窓の外からは夏の午前の熱気が、じわじわとその手を長く伸ばしてきている。
暑さこそもう十分に夏本番だが、まだセミは鳴いていない。
「ほんの気持ちです。アリマさんに作っていただいたアレのおかげで、“事故”を未然に防ぐことができたので」
景虎は、さらに頭を下げた。リノリウムの床と、自分の靴の先が目に入る。談話室のテレビから流れる天気予報によると、午後には雷を伴った雨が降るという。
こんなに晴れているのに、夏の天気は気まぐれなものだ。
「受け取れないわよぉ、そんなの」
封筒を軽く押し返しながら、アリマは少女のようにクスクス笑うと、顔を上げて、と言った。
「いえしかし……そんな大した額ではないので……」
「感謝の気持ちをお金でどうこうしようとしないの。歳上の人間に向かって、失礼よ?」
そう言われた景虎はとうとう諦めて、封筒を引っ込めて顔を上げた。
軽く指先が触れたアリマの手は、小さく柔らかいが、節がごつごつした働き者の手だ。
景虎は年配の女性の手を、じっくりと見たことがなかった。こんなに弱そうな見た目なのに、重ねてきた年月なのだろうか。アリマの、どことなく風格のある手を、かっこいいなと思った。
「申し訳ありません」
金以外で感謝の気持ちを伝える方法を、景虎はあまり知らない。だが、失礼にあたるのだとしたら、何か別の方法を考えなくてはいけない。景虎は、上げた頭をまた深々と下げる。
アリマはふっとため息をつくと、景虎に500円玉を手渡した。そこで飲み物なんでもいいから2本買ってきてくれる? と、談話室の隅にある紙パックの自販機を指さした。
言われたとおりに景虎がオレンジジュースを2本買ってくると、アリマは彼に隣に座るように勧めた。
「お礼を言いたいのはあたしよ」
パックジュースにストローを挿しながら、アリマは言った。
「庄助ちゃんには恩があるし……どんな形でも、少しでもお役に立ててよかった。そして、教えてくれたあなたにも、お礼を言いたいわぁ。ありがとうね、遠藤さん」
老女が微笑むのを見て、景虎の胸にゆっくりと温かい血が巡った。
カタギのご老人に、怒鳴られたり恨まれたりしたことは数あれど、礼を言われるなどということは、今までの人生でなかったことかもしれない。
景虎は深く頭を下げると、濃い紫色をしたちりめんの袱紗の中から、厚みのある封筒を差し出した。
「え……なに? これ」
彼女は戸惑ったような顔をした。
『がるがんちゅあ』の談話室、薄い緑のチェックのカーテンがエアコンの風で揺れている。
部屋の温度自体はそんなに下がっておらず、送風が生温い。
窓の外からは夏の午前の熱気が、じわじわとその手を長く伸ばしてきている。
暑さこそもう十分に夏本番だが、まだセミは鳴いていない。
「ほんの気持ちです。アリマさんに作っていただいたアレのおかげで、“事故”を未然に防ぐことができたので」
景虎は、さらに頭を下げた。リノリウムの床と、自分の靴の先が目に入る。談話室のテレビから流れる天気予報によると、午後には雷を伴った雨が降るという。
こんなに晴れているのに、夏の天気は気まぐれなものだ。
「受け取れないわよぉ、そんなの」
封筒を軽く押し返しながら、アリマは少女のようにクスクス笑うと、顔を上げて、と言った。
「いえしかし……そんな大した額ではないので……」
「感謝の気持ちをお金でどうこうしようとしないの。歳上の人間に向かって、失礼よ?」
そう言われた景虎はとうとう諦めて、封筒を引っ込めて顔を上げた。
軽く指先が触れたアリマの手は、小さく柔らかいが、節がごつごつした働き者の手だ。
景虎は年配の女性の手を、じっくりと見たことがなかった。こんなに弱そうな見た目なのに、重ねてきた年月なのだろうか。アリマの、どことなく風格のある手を、かっこいいなと思った。
「申し訳ありません」
金以外で感謝の気持ちを伝える方法を、景虎はあまり知らない。だが、失礼にあたるのだとしたら、何か別の方法を考えなくてはいけない。景虎は、上げた頭をまた深々と下げる。
アリマはふっとため息をつくと、景虎に500円玉を手渡した。そこで飲み物なんでもいいから2本買ってきてくれる? と、談話室の隅にある紙パックの自販機を指さした。
言われたとおりに景虎がオレンジジュースを2本買ってくると、アリマは彼に隣に座るように勧めた。
「お礼を言いたいのはあたしよ」
パックジュースにストローを挿しながら、アリマは言った。
「庄助ちゃんには恩があるし……どんな形でも、少しでもお役に立ててよかった。そして、教えてくれたあなたにも、お礼を言いたいわぁ。ありがとうね、遠藤さん」
老女が微笑むのを見て、景虎の胸にゆっくりと温かい血が巡った。
カタギのご老人に、怒鳴られたり恨まれたりしたことは数あれど、礼を言われるなどということは、今までの人生でなかったことかもしれない。
1
お気に入りに追加
326
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男
湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。
何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。
出産は一番の快楽
及川雨音
BL
出産するのが快感の出産フェチな両性具有総受け話。
とにかく出産が好きすぎて出産出産言いまくってます。出産がゲシュタルト崩壊気味。
【注意事項】
*受けは出産したいだけなので、相手や産まれた子どもに興味はないです。
*寝取られ(NTR)属性持ち攻め有りの複数ヤンデレ攻め
*倫理観・道徳観・貞操観が皆無、不謹慎注意
*軽く出産シーン有り
*ボテ腹、母乳、アクメ、授乳、女性器、おっぱい描写有り
続編)
*近親相姦・母子相姦要素有り
*奇形発言注意
*カニバリズム発言有り
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる