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2.ハイエナと疫病神①
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庄助が事務所に入って少し経った。白昼堂々、ハジキを持った抗争相手が事務所に突入してくることはしょっちゅうだ。
毎日が悲鳴、血煙、バイオレンスの連続。肩を撃ち抜かれた庄助は、長ドスを握った手にサラシを巻いて固定し、相手の背後に回り込む。
「死んでもらいます」
寝かせた刃が敵の肋骨の隙間を貫く。敵の幹部、隻眼のテツはくわっと残された左の目を見開くと血を吐いた。
「ハアッハアッ……お前は“織原の黒い悪魔”……!? なぜここに……ッ」
「蛇の道はヘビ、と言いまっしゃろ……?」
不敵に笑う庄助の口からも、赤い血が一筋流れる。命をかけて己の意地のために戦う、男の中の男たちの姿がそこにあった―
などということは一切なく、庄助の入ったヤクザの事務所であるはずの『株式会社ユニバーサルインテリア』では、ゆったりとした午後の時間が流れていた。
国枝と組員のナカバヤシは、机を挟んで渋い顔を突き合わせている。国枝は机の上に小さな札を投げるように一枚置き、唇の端を吊り上げてニヤッと笑った。それを見てナカバヤシは頭を抱える。
「あっもう~! 国枝さんずるいですってそんなっ……カスでアガるのナシでしょ!」
「なんでよ、ルールじゃん」
「こいこいしてくださいよ……男らしくないなァ」
「勝ち負けにジェンダーバイアスを持ち出すのは良くないよ。はい三千円ね」
「か~っ、じゃあ次モリカーしましょうモリオカート」
「モリカーやだよ、酔うもん」
背後で花札賭博に興じる組員たちを振り返り、庄助はいかにも不機嫌そうに唇を突き出した。
「あの~、書類やってるんでちょっとだけ静かにしてもらっていいっすかね」
「おっ、新人くん言うなあ」
ナカバヤシは、オフィスチェアに腰かける庄助の額を人差し指で押した。国枝よりも随分年上の五十間近の男で、毛髪が薄いのを誤魔化すために全部剃ってスキンヘッドにしている。蜆のような小さな目と笑いジワが人の良さを物語っているが、左手の小指の先が存在しない。
「だって、俺だけこんないっぱいパソコンに打ち込まなあかんのおかしないですか?」
庄助の手元には10センチほどにもなる分厚いファイルが置いてある。パンチされ綴じられている紙はいずれも、大きさも質もバラバラで、あまりにも古いものは文字が掠れて判別が難しい上に、劣化してボロボロと崩れ落ちそうだ。
「庄助は新人だからね、まあヤクザの研修だと思ってさ」
「どこがヤクザなんですか、ただの名簿整理やんけ」
庄助は、黴臭い顧客名簿を憎々しげに睨むと伸びをした。
「目ェ疲れた~」
キーボードを避けて机に突っ伏すと、ナカバヤシの小指のない手が、庄助の目の前に何かを置いた。
「シュークリーム食うか?」
「あ! やったー! いただきます!」
庄助は机に置かれたコンビニのシュークリームの袋に飛びついた。頭脳労働は糖分が必要やからな、と、バリバリと封を開けかぶりつく。実際は名簿の文字を入力しているだけなのだが。
頭も態度も全く良くはないが、素直なところは年相応に可愛らしいと、国枝はじめ組員は庄助のことをそう評価し始めている。
「若いモンには書類の整理やら配達やらは、退屈かもしれんねえ」
「ほんまですよ、全然ヤクザっぽくない仕事ばっかり」
カスタードクリームを口髭のようにしながら庄助が言うと、国枝はため息をついた。
「あのねえ、ヤクザだからってカチコミばっかしてたら、命がいくつあっても足りないの。地味な仕事なんだよ地味~な。法の目を掻い潜って、いかにうまい汁を吸えるかって。んで、吸えるだけ吸ったら潔く撤退する、そういうハイエナみたいな仕事なの、俺らは」
その時、ガチャリと事務所のドアが開き景虎が姿を現した。
「あ、カゲ」
「お疲れ様です、倉庫の中のゴミ片付けておきました」
重い荷物を持って、ゴミ捨て場と3階の倉庫を何度も往復したからか、筋肉の血流が増えて膨らんでいるのがシャツ越しにもわかる。その割に、息は一つも乱れていなかった。景虎は、シュークリームを頬張る庄助の姿を目の端でとらえると、国枝に向き直って軽く頭を下げた。
「おつかれ~。さっき、次の現場の地図送ったけど見た?」
「まだです」
景虎はポケットからスマートフォンを取り出すと、画面をじっと見つめた。
「この現場は?」
「潰れた食品会社の社宅のアパートを取り壊して、マンションを建てるってんで工事してるんだよね。んで、音がうるさいって言って、昼過ぎから黒い車がウロチョロしてんだって」
二人が話しているのを聞いて、荒事の気配を感じた庄助は目を輝かせた。
「普通にサバいてきていいんですか?」
「いいよ」
「はいっ、はい! 俺も行きたい!」
割って入って挙手する。二人とも庄助より背が高く、見下ろされる形になる。何言ってんだこいつ、という表情の二人に臆すことなく、庄助は声を張った。
「今後の勉強に! 国枝さんお願いします、迷惑かけませんからっ。書類は明日絶対やりますからっ」
「ダメだ」
ピシャリと言い放ったのは景虎だった。
「素人は連れていけない」
「カゲのケチ!」
庄助は景虎の肩を拳で3度ほど殴った。ペチペチと音がしただけで、景虎は微動だにせず、冷ややかに憤慨する庄助を見ている。
「まあまあ、景虎。いいんじゃないの~?」
のんきな声を国枝が出した。先程広げた花札を箱の中に片付けている。景虎はムッとした顔つきになった。
「いいわけないじゃないですか」
「まあまあ、こういう世界なんだよって教えてあげるのも先輩の仕事でしょ。直行直帰でいいからさ」
「だからって……」
「お願いやん、カゲぇ」
さっきまで肩口をどつき回していた手で、今度は景虎の手を取ると握りしめた。うるうるとした大きな眼で見つめられ、ウッと言葉に詰まった。
景虎は弱かった。それがなぜだかわからないが、庄助にこうして「お願い!」と言われるとつい何でも聞いてやりたくなる。弟分のお願い攻撃に負けて、今月もう2回も高級な焼肉を奢ってしまった。
庄助は何だかよくわからないけど可愛いのだ。顔の作りだとかそれだけが理由ではなく、総合的な愛嬌の値が高い。景虎はパパ活のオッサンの気持ちが少しわかってしまった。
「ぐ……ッ」
景虎が逃げ道を探して振り返ると、国枝とナカバヤシはすでに、奥のテレビの前にパイプ椅子を持ち寄り、何やらごちゃごちゃと相談をしていた。手にはゲーム機のコントローラーを握っている。
「モリオカートやりましょうって」
「だから酔うんだって……梨鉄にしようよ」
役に立たないオッサンたちにただならぬ怒りを覚えながら、景虎は庄助の首根っこを掴んで車に乗せた。
毎日が悲鳴、血煙、バイオレンスの連続。肩を撃ち抜かれた庄助は、長ドスを握った手にサラシを巻いて固定し、相手の背後に回り込む。
「死んでもらいます」
寝かせた刃が敵の肋骨の隙間を貫く。敵の幹部、隻眼のテツはくわっと残された左の目を見開くと血を吐いた。
「ハアッハアッ……お前は“織原の黒い悪魔”……!? なぜここに……ッ」
「蛇の道はヘビ、と言いまっしゃろ……?」
不敵に笑う庄助の口からも、赤い血が一筋流れる。命をかけて己の意地のために戦う、男の中の男たちの姿がそこにあった―
などということは一切なく、庄助の入ったヤクザの事務所であるはずの『株式会社ユニバーサルインテリア』では、ゆったりとした午後の時間が流れていた。
国枝と組員のナカバヤシは、机を挟んで渋い顔を突き合わせている。国枝は机の上に小さな札を投げるように一枚置き、唇の端を吊り上げてニヤッと笑った。それを見てナカバヤシは頭を抱える。
「あっもう~! 国枝さんずるいですってそんなっ……カスでアガるのナシでしょ!」
「なんでよ、ルールじゃん」
「こいこいしてくださいよ……男らしくないなァ」
「勝ち負けにジェンダーバイアスを持ち出すのは良くないよ。はい三千円ね」
「か~っ、じゃあ次モリカーしましょうモリオカート」
「モリカーやだよ、酔うもん」
背後で花札賭博に興じる組員たちを振り返り、庄助はいかにも不機嫌そうに唇を突き出した。
「あの~、書類やってるんでちょっとだけ静かにしてもらっていいっすかね」
「おっ、新人くん言うなあ」
ナカバヤシは、オフィスチェアに腰かける庄助の額を人差し指で押した。国枝よりも随分年上の五十間近の男で、毛髪が薄いのを誤魔化すために全部剃ってスキンヘッドにしている。蜆のような小さな目と笑いジワが人の良さを物語っているが、左手の小指の先が存在しない。
「だって、俺だけこんないっぱいパソコンに打ち込まなあかんのおかしないですか?」
庄助の手元には10センチほどにもなる分厚いファイルが置いてある。パンチされ綴じられている紙はいずれも、大きさも質もバラバラで、あまりにも古いものは文字が掠れて判別が難しい上に、劣化してボロボロと崩れ落ちそうだ。
「庄助は新人だからね、まあヤクザの研修だと思ってさ」
「どこがヤクザなんですか、ただの名簿整理やんけ」
庄助は、黴臭い顧客名簿を憎々しげに睨むと伸びをした。
「目ェ疲れた~」
キーボードを避けて机に突っ伏すと、ナカバヤシの小指のない手が、庄助の目の前に何かを置いた。
「シュークリーム食うか?」
「あ! やったー! いただきます!」
庄助は机に置かれたコンビニのシュークリームの袋に飛びついた。頭脳労働は糖分が必要やからな、と、バリバリと封を開けかぶりつく。実際は名簿の文字を入力しているだけなのだが。
頭も態度も全く良くはないが、素直なところは年相応に可愛らしいと、国枝はじめ組員は庄助のことをそう評価し始めている。
「若いモンには書類の整理やら配達やらは、退屈かもしれんねえ」
「ほんまですよ、全然ヤクザっぽくない仕事ばっかり」
カスタードクリームを口髭のようにしながら庄助が言うと、国枝はため息をついた。
「あのねえ、ヤクザだからってカチコミばっかしてたら、命がいくつあっても足りないの。地味な仕事なんだよ地味~な。法の目を掻い潜って、いかにうまい汁を吸えるかって。んで、吸えるだけ吸ったら潔く撤退する、そういうハイエナみたいな仕事なの、俺らは」
その時、ガチャリと事務所のドアが開き景虎が姿を現した。
「あ、カゲ」
「お疲れ様です、倉庫の中のゴミ片付けておきました」
重い荷物を持って、ゴミ捨て場と3階の倉庫を何度も往復したからか、筋肉の血流が増えて膨らんでいるのがシャツ越しにもわかる。その割に、息は一つも乱れていなかった。景虎は、シュークリームを頬張る庄助の姿を目の端でとらえると、国枝に向き直って軽く頭を下げた。
「おつかれ~。さっき、次の現場の地図送ったけど見た?」
「まだです」
景虎はポケットからスマートフォンを取り出すと、画面をじっと見つめた。
「この現場は?」
「潰れた食品会社の社宅のアパートを取り壊して、マンションを建てるってんで工事してるんだよね。んで、音がうるさいって言って、昼過ぎから黒い車がウロチョロしてんだって」
二人が話しているのを聞いて、荒事の気配を感じた庄助は目を輝かせた。
「普通にサバいてきていいんですか?」
「いいよ」
「はいっ、はい! 俺も行きたい!」
割って入って挙手する。二人とも庄助より背が高く、見下ろされる形になる。何言ってんだこいつ、という表情の二人に臆すことなく、庄助は声を張った。
「今後の勉強に! 国枝さんお願いします、迷惑かけませんからっ。書類は明日絶対やりますからっ」
「ダメだ」
ピシャリと言い放ったのは景虎だった。
「素人は連れていけない」
「カゲのケチ!」
庄助は景虎の肩を拳で3度ほど殴った。ペチペチと音がしただけで、景虎は微動だにせず、冷ややかに憤慨する庄助を見ている。
「まあまあ、景虎。いいんじゃないの~?」
のんきな声を国枝が出した。先程広げた花札を箱の中に片付けている。景虎はムッとした顔つきになった。
「いいわけないじゃないですか」
「まあまあ、こういう世界なんだよって教えてあげるのも先輩の仕事でしょ。直行直帰でいいからさ」
「だからって……」
「お願いやん、カゲぇ」
さっきまで肩口をどつき回していた手で、今度は景虎の手を取ると握りしめた。うるうるとした大きな眼で見つめられ、ウッと言葉に詰まった。
景虎は弱かった。それがなぜだかわからないが、庄助にこうして「お願い!」と言われるとつい何でも聞いてやりたくなる。弟分のお願い攻撃に負けて、今月もう2回も高級な焼肉を奢ってしまった。
庄助は何だかよくわからないけど可愛いのだ。顔の作りだとかそれだけが理由ではなく、総合的な愛嬌の値が高い。景虎はパパ活のオッサンの気持ちが少しわかってしまった。
「ぐ……ッ」
景虎が逃げ道を探して振り返ると、国枝とナカバヤシはすでに、奥のテレビの前にパイプ椅子を持ち寄り、何やらごちゃごちゃと相談をしていた。手にはゲーム機のコントローラーを握っている。
「モリオカートやりましょうって」
「だから酔うんだって……梨鉄にしようよ」
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