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善人だけの世界

真実3

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「どこに行くのですか?」

声をかけられて、コトネは咄嗟に戦闘の構えをとった。
足音を立てながら近づいてきたのは、デロリスだ。
その後ろに5人の亜人の村人がいる。

「探しましたよ。部屋にいないものですから」

デロリスはいつもの調子で話している。
コトネは刀を持っていない、素手で戦うとなると少し厳しい。

「分かっています。地下の部屋を見たのでしょう?」
「ああ」
「デロリスさん……あそこはなんなのですか?」

縋るように聞いたミユは、デロリスに近づこうとした。
ミコトは手を出してそれをやめさせ、彼女の前に立つ。

「もう少し時間を経て話そうと思っていたのですが……仕方ありません。全てお話しますよ、あの扉の中にいるのはみな病に苦しんでいる人たちなのです。私たちはモギリ草を研究し、様々な薬を作ってきました。信仰は人の生き方や善性を導くことはできますが、病には太刀打ちできません。なので私たちは色々な場所をめぐり、薬を与えて人々の病を治そうと努力してきました。しかし……力及ばず、助けられなかった人もいます。そういう人たちを島へ連れて帰り、治療しているだけなのです」
「そうは思えないな。治療するならあんな暗くて汚い場所に閉じ込めたりしない。それにみんなまるで魔物みたいに正気を失ってた。あれが治療だって言うのか?」
「私たちも手を尽くしているのです」
「あんたらどれだけモギリ草を投与した?あの白濁とした目……戦場で見たことある。モギリ草を使いすぎた末期症状だ。僕にはどうしてもあの人たちが治療されてるとは思わない。どちらかと言えば実検体だ」

デロリスは深々と息を吐いた。
そして笑みを浮かべたまま、コトネたちに近づく。

「信じてください。私はみなを救いたいだけなのです。人としてあるべき心を取り戻し……本当の意味で生きてほしい」
「止まれデロリス」 

コトネの声はデロリスに届かない。
彼女はどんどん距離を詰めてくる。

「悪意ではなく慈愛を。奪うのではなく与える。いがみ合うのではなく手を取り合いましょう。それだけです、何も難しいことは言っていません。他者を慈しみ、自己を犠牲にする精神を持てばこの世界は必ず変わる。主は言いました、正しい行いと感謝で満ちれば世は単純になり、美しくなると……」
「止まるんだデロリス!」

ついにデロリスはミコトの目の前までやってきた。
その表情には焦りも怒りもない、だがいつもの微笑があった。
コトネはいつでも拳を振るえるよう心をかためる。

「殺しますか?私を」
「お前はミユに嘘をついた」
「いずれお話しするつもりでした。もっとこの村を知ってもらったときに」
「まだ嘘を重ねるのか?」
「コトネさん、拳を下ろしてください。あなた方は怯えているだけです」
「恐れじゃない、怒りだ」
「ではどうしますか?私を殺し、そこの小舟で逃げますか?その後はどうします?残酷で救いのない大地で、何の目的もなく生きることになりますよ。どうか怖がらないでください、そして私たちの声を聞いてください。きっと納得していただけますから」

デロリスはコトネから視線を外し、今にも泣き出しそうなミユを見た。

「ミユさん……あなたには力があります。約束してくれたじゃないですか。私たちと共に人々を救うと……あなたなしではできません。どうかもう1度だけ私を信じてもらえませんか?」

優しい声色でデロリスは語りかけた。
ミユの決断が鈍っていく。

「ミユ」

ミコトは彼女に背を向けながらはっきりと言った。

「僕を信じて」

長い時間で築かれた絆と信頼が、ミユの判断を決定づけた。
ミユにとって信じるべき人間は、とっくに昔に決まっている。

「ごめんなさい……デロリスさん」
「……本当に残念ですよ」
「お前を信じている人たちが可哀想だ。なぜあんなことができる?」

デロリスはにっこりと口角を上げて、爽やかに言った。

「ご心配なく、みなさん承知の上ですから」
「……え?」
「望んだ形ではありませんが、あなた方と秘密を共有できて嬉しいです。さぁ戻りましょうか、私たちの家に」

唖然としていたコトネだが、デロリスの無邪気な敵対心を感じ取り、考える前に体が動いていた。
腰を入れた本気の拳を、デロリスの顔に突き刺す。
その後は彼女の護衛の村人を倒す算段だった。
しかしそれは計算違いに終わる。
コトネは目を見開き、動揺した。
亜人とはいえ、デロリスはただの女だ。
鍛え抜かれた自分の攻撃に耐えられるわけがないと高をくくっていたのだ。
コトネの拳は振り切ることなく、頬で止まっている。
デロリスはコトネの打撃を受けてなお、ニッコリと笑っていたのだ。

「酷いですね、コトネさん」

コトネはバックステップで距離を取り、胴体を蹴ろうと体を振った。
だがそれより速く懐に飛び込んだデロリスは、コトネの体を掴み、顔に頭突きをお見舞いした。
コトネの鼻血が地面につく前に、デロリスは彼女の腹に膝蹴りをして、一本背負いで投げ飛ばした。

「眠らせてください」

屈強な亜人たちは地面に唾を吐いているコトネに近づき、その体を拘束した。
コトネは体を動かし抵抗するが、5人の亜人をどうこうできる力はない。

「ミユさん」

デロリスはミユのほうを向いた。
お札に火をつけたミユは、恐怖で体を震わせながら彼女に立ち向かおうとしていた。

「コトネを放して……」
「それはできません。彼女は今興奮していますから」
「どうしてこんなことを……あなたたちは何がしたいの!?」
「きちんとお教えしますよ。でもそれはまたゆっくりと……」

デロリスは手のひらを上に向けて、口元に近づけた。
そして「ふっ」と息を吐く。
手のひらに握っていた黄金色の小さな粉が、風に運ばれてミユの顔に吸い込まれていく。
その粉を吸ったミユは、まるで宙に浮くような感覚を味わった。
脳がとろけ、足元がおぼつかず、なんとも言えない高揚感が体を走る。
トロンとした目、そして緩んでしまう頬……
酒に酔うのとは違う新しい快楽だった。
ミユはなんとか倒れないように脚に力を入れたが、とうとう倒れてしまった。
彼女にまとわりつく粉の量は増えていく。
だんだんと彼女の意識が遠のいてきた。
ミユは意識を失わないように抵抗した。
閉じかける瞼を必死で開けて、敵であるデロリスを見上げる。

「……蝶々?」

ミユが最後に見たのは、黄金の光が差し込む夜に、ひらひらと舞う数多の蝶だった。


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