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第76話 一緒に死んでやる覚悟を

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「なぜ、と言われましても……。確かに、なにか誘われるような感覚はありましたが……それほどの魅力は感じなかったと申しますか……」

「魅力を感じなかった?」

「ええ……。いま言うのは不謹慎かもしれませんが、私は少年時代の夢が現実になっているのです。他のことに目移りしている暇はありません」

 丈二のその言葉で、おれはなぜ彼に上級吸血鬼ダスティン誘惑テンプテーションが効かなかったのか理解した。

「なるほどね。君の心はすでに満たされていて、やつがつけ入れるような隙がなかったんだ」

「その理屈で言うと、同じく誘惑テンプテーションを破った武田さんも、実は満たされていたということですか? 新人を押し付けられて、ぼやいていたはずなのに?」

 吾郎は顔をしかめた。

「んなわけあるか。オレはよ、都合が良すぎるって思っただけだ。このオレに、あんな幸運が訪れるわけがねえ。世の中、甘い話にゃ裏があるもんだ」

「吾郎さんの場合、人生経験が物を言ったのかもね。これまで、よほど嫌な目に遭ってきったのかな……?」

「うるせえ、ほっとけ」

「他にも、よほど意志の強い人なら、誘惑を振り払えることもあるけど……。つけ込まれた願いが、心の深いところにあるほど、抗うことは難しい」

「……紗夜ちゃん」

 結衣はぽつりと呟いた。

「ユイ、気づいてあげられなかった……。ユイが、紗夜ちゃんのこと満たしてあげられてたら、こんなことにならなかったんですか……?」

「……それはわからない。やつに目をつけられた以上、誘惑テンプテーションが効かなかったとしても、べつの手が使われてたかもしれない」

 そう答えつつも、おれは結衣と同じことを思わずにはいれない。

 おれがフィリアを幸せにしてやれていたなら……。いや、でも、おれが言い寄ったところで、迷惑なだけだったかもしれない……。

「あ……っ。あの、忘れてました。モンスレさん、これ、フィリアさんの、スマホです」

 思い立って、結衣はフィリアのスマホをおれに差し出した。

「どうして結衣ちゃんがこれを?」

「魔法の訓練、これで撮影して欲しいからって……預かってました」

 おれはそのスマホを受け取った。その動きに反応して、待ち受け画面が表示される。

 おれとフィリアのツーショット写真だった。

 デートしたとき、おれの素性を知って、フィリアがはしゃいで撮影したやつだ。

 不意に、きゅっと胸が締め付けられる。

 そこに映るフィリアの満面の笑みは、確信するには充分すぎる表情だった。

 フィリアも、おれのことが好きなんだ……。

 やっぱり告白していればよかった。何度でも好きと言って、他のことに目移りできないくらい満たしてあげられればよかった……!

 華子婆さんの言うとおりだ。好きの一言が言えなかったばかりに、繋がりが途切れてしまうときもある。

 でもまだだ。まだ途切れてはいない。必ず助ける。絶対にこの腕で抱きしめる!

 決意を新たに、おれは話を戻す。

「……やっぱり丈二さんには切り札になってもらうよ。誘惑テンプテーションを無効化できるのは大きい」

 そこに吾郎が口を挟む。

「なあ一条、誘惑テンプテーションってのならオレも破ったぜ。あの野郎をぶっ飛ばすなら、オレも役に立つんじゃねえのか」

「いや吾郎さんは効かなかったわけじゃない。あくまでも、誘惑されてから我に返っただけだ。次も同じように破れる保証はない」

「でもよ戦力は多いほうがいいだろう」

「もちろんだけど、その前に覚悟を聞いておきたい。結衣ちゃんにも」

 おれは足を止め、吾郎と結衣、それぞれに視線を向けた。

「上級吸血鬼は、人間を下級吸血鬼に変える。ただ獲物の血を求めてさまようか、命令に従うだけの魔物モンスターになる。あるいは……血を分け与えて同じ上級吸血鬼に変えるかもしれない。どちらにしても、祖となる上級吸血鬼には逆らえないんだ」

 結衣は顔を青くした。

「それって……紗夜ちゃんが、紗夜ちゃんじゃなくなるってこと……ですか?」

「そうだよ。変化には時間がかかるからすぐじゃないけど……たぶん、おれたちが準備を整えた頃には、みんな完全でないにしても吸血鬼ヴァンパイアになってる」

「うちのチャラ男や無気力も、か? 間違いねえのか?」

「やつは家族や部下を作りたがっていた。間違いない」

「もとに、戻す方法は……あります、か?」

「あるよ。変化にはやつの魔素マナが使われる。やつを倒せば無効化できる。大きく変化する前なら、自然にもとに戻るはずだ」

「なら、とっとと行ってやつをぶっ潰せばいいんだろう? なんの覚悟を聞きてえってんだ」

「やつを守るために、みんなが立ち塞がってくるんだよ。変化が完全でなくても、誘惑テンプテーションで操られた吸血鬼ヴァンパイアだ。いざとなれば、殺さなくちゃならない」

「……っ」

 吾郎も結衣も絶句した。

「自分の身を守るために、上級吸血鬼を倒すために、仲間の屍を踏み越えていける?」

「紗夜ちゃんを、ユイが……?」

 吾郎はぎろりとおれを睨みつけた。

「できるわきゃねえだろ。バカで生意気だがよ、あいつらはまだ若えんだ。みすみす死なせられるか」

 その声を受けて、結衣は心を決めたのか大きく頷く。

「ユイもできません。でもっ、誘惑テンプテーションが心次第で解けるなら、ユイが心を満たします。ユイが紗夜ちゃんを助けます。それが、もし、できなかったら……ユイは、紗夜ちゃんと一緒に……死にます」

 結衣の言葉に、吾郎は驚きに目を見開き、しかしすぐに共感の笑みを浮かべた。

「へっ、そうだな。覚悟っつーんならよ、一緒に死んでやる覚悟をしてやるべきだ。曲がりなりにも命を預け合った仲間だぜ。最後まで付き合ってやるのがスジってもんだろ。ま、そうなる前に助けてやるがな」

 それから吾郎は試すような視線をおれに向け返してきた。

「お前はどうなんだよ、一条? 恋人が吸血鬼になって襲ってきたら、殺せるのか?」

「殺さないに決まってる。おれも同じだよ。全力を尽くして、それでも助けられなかったら、一緒に死ぬつもりだ」

 おれの隣で、肩をすくめて丈二はため息をついた。

「まったく、とんだ覚悟ですね」

「付き合ってもらうよ、丈二さん。おれたちの覚悟に」

 丈二は少しばかり口の端を上げた。

「喜んで。背水の陣も悪くはない」

 おれたちは再び歩き出す。

封魔銀ディマナントを手に入れたら二手に別れよう。特に丈二さんには負担をかけてしまうけど、この役は君にしかお願いできない」

「私が切り札だと仰るのなら、仕方ありませんね」
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