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失恋堂~魔女へのお支払いは、失った恋で~
大商会子息の婚約者が、断ち切った恋の代わりに願うもの【バート―エミリー】
しおりを挟む―冗っ談じゃないわ!何で私があそこまで言われなくちゃいけないのよ!
―っ!泣いてなんかないわ!放っておいて!一人にして!
―わ、私は、バートが、バートが好きだったのに。大好きだったのに。な、なのに、何で?何で、あんな、酷いこと!
―――――――――――――――
「…バート、ソーン男爵から、お前達の婚約解消を求められた」
「はぁっ?」
久しぶりの帰省。ここのところは、休日の度に市場調査を兼ねて王都の流行店巡りをしていたから、本当に久しぶり、約一ヶ月ぶりの帰省になる。その一ヶ月ぶりの帰省も、父親に呼び出されてのもの。実家である「ハリス商店」に顔を出せば、店の奥へと呼ばれ、いきなり告げられた「婚約解消」。訳がわからずにいると、
「バート、お前、エミリー様とは上手くやっていたんじゃなかったのか?」
「やってたよ」
やってたどころか、エミリーは自分にベタぼれ。鬱陶しいくらいにまとわりついてくる彼女に辟易するくらいだった。だけど、そう言えば、ここ数日、彼女の姿を見ていないことに気づく。
「…少なくとも、先週のコランド家の夜会には二人で顔出ししてきたし、エミリーも普通だった」
「そこで、何かやらかしたわけじゃないだろうな?」
「なんにも。…まあ、ちょっと他の子と踊って、エミリーの機嫌を損ねはしたけどさ。その程度なら、今までにも何度かあったことだし」
「あったのか?」
「はぁ?勘弁してよ、父さん!社交だよ、しゃ・こ・う!これから、男爵家に婿入りして跡を継ごうってんだから。そりゃあ、他の女の子とも踊るし、しゃべるに決まってる」
「…まあ、な」
父親の、まだ疑念を残していそうな態度に嘆息する。
「というか、うちとの婚約解消して、ソーン家の方こそ大丈夫なわけ?借金とか、どうするつもりなの?」
「…男爵が、返済の目処がついたらしきことは言っていたが、具体的にどうするかまでは聞いていない」
「はぁ?そんなの無理じゃない?あの人に商売が出来るとは思えないし、持参金もついてこないエミリーが貴族に嫁げるはずもないしさ。…後は、うちみたいに爵位が欲しくて、金を出しても良いって家があるとか?にしても、うちを袖にしてまでってなると、相当限られてくるよなぁ」
「…エミリー様が金持ちに見初められて、うちが不要になったという可能性もある」
「父さん、それ本気で言ってる?あのエミリーだよ?あの見た目で、どうやって金持ちに見初められるってーの」
「…」
沈黙した父親が、それ以上何かを言うことはなく、だったら、
「あのさ、父さん。エミリーとの婚約、本当に無しになるんだったらさ、一つ、お願いがあるんだけど―」
―――――――――――――――
「ルーシー!お待たせ!」
「バート、そんなに急がなくても。私、全然待ってないよ?」
「うん!俺がルーシーに早く会いたかっただけだからさ?」
「もう!バートったら!調子のいいことばっかり!」
笑うルーシーが可愛くて、その笑顔をずっと見ていたくなるけれど、
「今日はさ、先週、西通りに出来たっていう、小間物屋を見に行かない?ルーシーに似合うものがきっとあると思うんだよね」
「バート、気持ちは嬉しいけど、この前、この髪留めを買ってくれたばかりよ?お出かけの度に何かを買ってもらってたら、あなたと遊びに行きづらくなっちゃう」
「はは!ルーシーが、気にすることないって!言ったよね?うち、それなりに大きい店だからさ。こんな髪留めの一つや二つ、ほんと、大したことないから」
「…バート、値段の問題じゃないの。買ってもらうこと自体が申し訳ないんだから」
「あー、じゃあ、さ。この髪留めは、先週、市場調査に付き合ってくれたお礼。で、今日行くお店も俺に付き合ってもらうんだから、何かお礼、させてよ?ね?」
「…バート」
困ったように、それでも、仕方ないなって笑ってくれるルーシーに、こちらまでつられて笑ってしまう。
だけど、そのルーシーの笑顔が一瞬で強ばり、
「あ…、バート、エミリーさんが、こっち見てる」
「え?」
ルーシーの視線の先を振り返れば、確かに、こちらに近づいてくるエミリーの姿。どう見てもこちらを睨んでるとしか思えないその表情に、こちらも臨戦態勢をとる。
「…何、エミリー。何か用?」
「バート、あなたに言っておきたいことがあるの」
エミリーの言葉に、嫌な予感がした。
「今さら、婚約解消は無しにしてくれとか、お金貸してくれとか、そういうこと言うのは止めてくれ」
「!?あり得ない!そんな馬鹿なこと!言うわけないじゃない!」
「…だったら、何なんだよ」
「私!あなたを許さないから!」
「はぁ?」
「私、聞いたんだからね!コランド家の中庭で、あなたが、そこの女に私の悪口言ってたの!」
「!?」
思い当たった事実に、マズイと思った。悪口ではない、とも言えないが、確かに、コランド家の夜会で、ルーシー相手に軽口を―
「『チビでデブで地味女な私は、あなたの趣味じゃない』のよね!?そんな私が、長いことあなたの『婚約者面』してて悪かったわね!」
「あれは…」
「『ブスに好かれても、言い寄られても、迷惑なだけ』だったなんて、全く気づかなかったわ!あなた、そんなこと私には一言も、ううん、態度にすら出さなかったじゃない!嫌なら嫌だって、言ってくれれば、」
「言って、どうなってたんだよ?言ったからって、俺達の婚約が解消出来たわけじゃないだろ」
「っ!だったら!何で私に優しくなんかしたのよ!?あなたが優しくしてくれたから、私は!」
「そんなの、婚約者だったから、家のためだったからに決まってるだろ」
「!?じゃあ!最後まで婚約者らしく在りなさいよ!他の女と一緒になって人のこと笑うなんて!馬鹿にするなんて!最っ低!」
「それは…」
庭で二人きりになった時の会話、聞かれているとは思わなかったのだ。聞かれていたと分かった今、多少の疚しさと罪悪感はある。だけど、盗み聞きする方にも非はあるのではないか、そう、言い返そうとしたところで、
「バート!私、あなたのこと!絶対に許さないから!」
言い捨てて、エミリーが身を翻した。
その後ろ姿を見送りながら、何故、婚約解消されることになったのか、その理由が漸くわかった気がした。ただ、何とも後味の悪い思いに、浮かれていた気分は一気に押し潰されてしまったけれど。
「…あの、バート、あなた、エミリーさんとの婚約、解消したって…」
「ああ。まあ、何か、そういうことになったみたいでさ…」
本当なら、ルーシーには、もっとタイミングを見て伝えたかった。伝えて、想いを明かす、つもりだったのだ。
―あのさ、父さん。エミリーとの婚約、本当に無しになるんだったらさ、一つ、お願いがあるんだけど
―好きな子がいるんだ。エミリーと同じ男爵家の子なんだけど、俺、出来るなら、彼女と結婚したい
父親に頼めば、「相手の家を調べてからだ」と保留にはされてしまったけれど。爵位が必要な我が家の内情、この願いはきっと通る。
それでも、今、この場でそれを口にすることが、相応しくないということはわかっている。ルーシーの陰った表情、自分を心配してくれているのか、エミリーを憐れんでいるのか。優しい彼女の瞳に映る自分が、酷く情けない男な気がした。
―――――――――――――――
エミリーに罵倒された日から数日、何かと気を遣ってくれるルーシーのおかげで気分はかなり回復し、そうなると今度は、彼女の献身へのお礼、何か贈り物をしたくなった。
中央通りに本店を構えるパティスリーが、新作チョコを出したという噂に、市場調査と偽ることでルーシーを街に連れ出すことが出来たのは、更に何日か経ってから。「モノ」を贈られることを固辞するルーシーに、喜んでもらおうと考えた苦肉の策だった。
学園を出て、たどり着いた店。思ったほどの列が出来ていなかったことに安心して、二人で店先に並んだのだが、
「え?売り切れ?」
「はい、申し訳ありません。」
新作のチョコレート商品が、何人か前の客で売り切れたという店員の言葉に、ばつの悪い思いをすることになった。それでも、そんな自分に、ルーシーは笑ってくれて、
「大人気なんだね?売り切れなら仕方ないよ。また今度、連れてきてくれるでしょう?」
「ああ、それは勿論!あ、でも、折角ここまで来たんだからさ、別のお店のぞいて、」
「あら?バートとルーシーさんじゃない。ご機嫌よう?」
「…エミリー?何で、君がここに…」
「別に、私がここで何をしていようが、あなたには関係ないでしょう?…元、婚約者様?」
数日前に、父からの手紙で婚約解消が成立したことは聞いていたが。それにしても、この、人を馬鹿にした態度は何なのだと言ってやりたくなる。そんなこちらを無視して、さっさと店員に近づいたエミリー。
「今日の分の『チョコクレープ』、お願いね?」
噂の、新作チョコレートの名を口にした彼女に、
「はい、こちらにご用意しております」
あっさりと返事を返した店員に驚愕する。
「っ!ちょっと、待ってくれ。先ほどは、売り切れだと言っていたじゃないか!」
「あら?今日はもう、売り切れたの?」
目の前、焼いた生地に包まれたチョコレートに直接口を付けたエミリーが、そんな言葉を呟いて、
「うーん!美味しい!生地もチョコも最高!はー、幸せ。こんな美味しいものが食べられるなんて、やっぱり、日頃の行いかしらねぇ~」
「っ!エミリー、卑しい真似をするな。お前、最低だぞ!貴族特権を使ったんだろうが、そんなことをしてまで、俺達に嫌がらせしたいのか!?」
「別に?貴族特権?ここ、そんなものが利くお店じゃないと思うわよ?」
「だったら、何でお前だけ!」
「それこそ、あなたに関係な~い」
あまりに腹の立つ態度に、一歩、彼女に踏み出そうとしたところで、
「お嬢様、お嬢様」
割り込んできた声。以前から、男爵家に仕えている下働きの少年が、エミリーの袖をそっと引き、
「化けの皮が剥がれております。猫を、早急に猫をお被り直し下さいませ。そちらの『チョコクレープ』も、せめて、せめてお座席に、」
「ああ、いいのよ、もう。婚約者でも何でもない男にどー思われようと。全く、全然、気にならないから」
言いながらも、手にした菓子をパクパクと食べきったエミリーが店員を振り返り、
「うん!美味しかった!ただ、生地がちょっと厚すぎるかしら?もう少し、そうね、多少、破れても気にしないくらいで作ってみてって、伝えておいてくれる?」
「はい、わかりました」
理解出来ないやり取り。頭を下げる店員に対してヒラヒラと手を振るエミリーが、店を出ていくのを、ただ、呆然と見送った。
―――――――――――――――
「え?買えない?どうして…?」
ルーシーに、チョコレートを食べさせてあげられなかった次の週。仕切り直しに出掛けた、新しい菓子店。聞いたことのない商品を取り扱う珍しい店だと聞いて、自身、楽しみにしていたのだが、
「…でも、あっちの、並んでもいなかった彼らは買えているだろう?何故、僕らだけ」
まさか、所属階級、客を選ぶ店だというのか。庶民的な店構えに油断していた。失敗した、そう思ったところに、またしても聞こえた、聞きたくはない声。
「整理券、持ってないんでしょう?」
「エミリー…」
「お店の入口にも出してあったんだけど、気づかなかった?当店の『アイス』購入には、午前中に配布する整理券が必要なのよ。午後のこんな時間から来て、プチノワールの看板商品を買えると思うなんて、バート、あなた、ちょっと、調査不足なんじゃない?」
「!?」
直ぐに、分かった―
まだ、エミリーと婚約していた頃、商人は流行りに敏感、情報こそ全てだと、そう語った自分の言葉を揶揄されたのだと。
一言、何か一言、言い返してやりたいのに、言葉が出てこない。もて余した怒りが爆発しそうなのを自覚して、店を出ようとしたところで、聞こえた声。
「お嬢様、お嬢様。お顔に、お顔にお心の内が全てさらけ出されてしまっております。店先、店頭でございますので、どうか、ご配慮を」
「あー、そうだった、そうだった。…えーっと、お客様?本日は、お忙しい中、当店までご足労頂き、誠にありがとうございます。ご希望の商品をご用意出来ず、大変申し訳ございませんでした。次回、お越しの際には…」
背後で聞こえるエミリーの声。いつも、喧しくて姦しい、耳障りだとすら思ったこともある彼女の感情溢れる声。それが、まるで―
彼女であって、彼女のものでない声に、後ろを振り向けなかった。
―――――――――――――――
ルーシーとの外出に、悉くケチがついてから一月近く、何となく彼女を誘えないままに数週間が過ぎた頃、このままでは駄目だと思い始めた自分の元に届いたのは、父からの至急を知らせる手紙だった。
慌てて実家の店に帰れば、平日であるにも関わらず、店が閉まったまま。そのことに、途方もない不安を感じた。
「…父さん、話って…?」
「…店を、閉めることにした」
「!?そんな!嘘だろう!?急に何でだよ!」
「…『グロスノワール商会』、お前、知っているか?」
「…いや?」
初めて耳にする、少なくとも、老舗ではない商会の名に首を振る。
「…ここ最近で、急激に伸びてきた商会だ。…取り扱い商品は化粧品を中心に、婦人用の小間物、だな」
「…うちと、同じ…」
「そうだ。主力商品の多くがうちと被っている。顧客の多くがグロスノワールに流れていって、…ここ数週間で、完全に食われた」
「そんな馬鹿な!?」
だって、うちは老舗―
「巻き返せばいいだろう!今からでも!」
「無理、だろうな。商品が被ってるだけじゃないんだ。悔しいが、品質はあちらが格段に上、なのにそれに見合わない価格設定で、購買層も広い」
「…業務提携を、持ちかけるとか、商品を絞って勝負するとか…」
「…お前、本当に何も知らなかったのか?」
「何を…?」
「グロスノワールは、エミリー様の店だ」
「なっ!?」
全く、予想だに出来なかった言葉。驚愕のあまり、言葉が出てこない―
「もし、あちらに、うちと提携するつもりがあれば、最初から婚約解消など言い出さないだろう。…結局、私達は、エミリー様の信を得られず、金の卵を産む鶏を逃がしてしまったということだ」
「…」
「…幸い、帝国の方まではまだ販路を伸ばされていないようだからな。帝国の支店とここを統合する形で、あちらを本店にするつもりだ。店自体はこのままアイクに任せるつもりだが、お前はどうする?」
「…え?」
「私は店の皆を連れて帝国へ移るが、お前は、残りたければここに残ってもいい。ただ、残ることは構わんが、学園までは出してやれない」
「!?でも、俺は!」
俺は、学園に通って、卒業までにルーシーに想いを打ち明けて、それから、二人で―
「父さん!エミリーに!ソーン家に抗議しよう!」
「何故だ」
「だって!こんな不意射ちみたいな!卑怯な真似!」
「卑怯?どこがだ?これは…、私達がやっているのは商売だ。妨害を受けたわけでも、こちらの商品を真似されたわけでもない。ただ、私達が販売競争に負けた、それだけだ」
「でも!やっぱり、こんなのおかしいだろ!?だって、エミリーが急にこんな!」
「…努力、されたんだろう」
「そんなことあり得ない!あのエミリーが!そんなわけ、」
認めたくなくて、必死に否定する。あり得ない、あってはならない事態に、ただ、そうするしかなくて、
「…お前は、どうなんだ?」
「え?」
「エミリー様が店を開かれ、顧客を開拓している間、お前は何をしていた?」
「!?」
「…市場調査だと、家の金を使いながら、同業であるエミリー様の店の存在さえ知らなかったお前は、一体、何をしていたんだ?」
「…お、俺は…」
俺は、ただ、ルーシーと―
「…それが、お前とエミリー様の差だ」
立ち上がり、疲れたようにため息をつく父。店の方へと消えていく背中を見送って、立ち尽くす。これからの自分、たった今から、何をすればいいのかさえ、何も分からなくなる―
―――――――――――――――
…あー、えっと、あなた大丈夫?
―…大丈夫に、見えますか?
うーん。見えないわね。ヒッドい顔!
―っ!?わかって、わかってます!言われなくても!だけど、だけど、私、私、悔しくて!
えー?悔し泣き?失った恋を想ってとか、そういうんじゃ、あ、違うわね。うん、何か、見事なくらいスパンと断ち切られてるわ、見事な切断面、あなたのコレ。
―だって!だって、酷いんですよ!あいつ!あの男!許すまじ!絶対に許すまじ!訴える!訴えて勝つ!あの詐欺師!
はいはい、落ち着いて?んー、それじゃあ、あなたは失った恋の代わりに何を望むの?彼を叩きのめせるだけの財?ああ、財ではなくても彼らを黙らせるだけの権力、高位の爵位でも有れば、
―なんっにも要りません!
…え?
―私の!この自らの手で、ヤツを、完膚なきまでに!必ずや!
え、えー?それじゃあ、あなたのコレ、私、もらえないんだけど?
―や、それはもらってください。あげますあげます。熨斗つけて差し上げますんで、
ちょーっと待って?…あなた、何かちょっと変わった魂してる。
―え?
ああ、やっぱり。あなた「前世持ち」なのね。んー、なるほど。それじゃあ、こうしましょう?あなたの「前世」、私が引っ張り出してあげるわ。徒人が持ち合わせるはずの無いそれは、でも、間違いなくあなた自身。過去、あなたが築いたあなたという存在、だから、私が手を貸したことにはならないんじゃない?
―え?ぜんせ?過去の自分?それも、私?なんですか?
そうそう、あなたあなた。だから、完全なる自力救済よ。問題なし。まあ、ただ、このままいきなり引っ張り出すと人格までダブって、あなたがヤバいことになっちゃうわね。面倒だけど、記憶だけ、記憶だけ持ってきて…
―…あの、魔女様、ありがとうございます。私、本当はこの恋、捨てられるなら、それだけで良かったんですけど。でも、あの、私の我が儘に、こんなに親身になって頂けて、嬉しいです
あは!やだ!感謝する必要も、気にすることも、何にもないのよ?私は、あなたがまた恋をすること、その先を期待しているだけなんだから。楽しみにしているわ!あなたの、輝かしい未来に訪れるかもしれない、おっそろしく甘い癖に、後味サッパリなコレを―
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