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本編

14.惨めな女 Side M

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「はぁ?」

魔導省の食堂、一緒に昼食をとっていた他部署の友人の言葉に、思わず聞き返した。

「…嘘でしょう?あり得ない…」

「ホント、ホント。管理課の子が見たんだってさ。彼氏にお迎え来てもらってるんだって、あの子。」

「あ。ソレ、私も聞いた。なんか、毎日?来てるらしいよ、お迎え。」

「そ。しかも、その彼氏っていうのが、超イケメンなんだって!」

「…」

(あり得ない。)

噂になっているという「あの子」、それが本当にステラのことなのか、むしろ、他の誰かと見間違えられている可能性の方がよっぽど高い。それでも、神経をザラつかせる「噂」の内容に、その真偽を確かめずにはいられなかった。

絶対に、あり得ないと思いながらも─








深夜、日付の変わる一時間前、時間を潰すために持ち込んだ書籍を読み終わっても未だ終わらない女の仕事に、いい加減痺れを切らしていたところで、漸く仕事を終えたらしい無能女が帰り支度を始めた。こんな時間まで仕事を終えられない無能っぷりに、何度、怒鳴りつけたくなったか。

(これで何も無かったら、ただじゃおかない。)

くだらない噂を生んだ原因が何なのか、その正体を確かめるため、部屋を出ていく女の後を追った。次第に速足になる女を追いながら、嫌な予感が膨らむ。

(…なに?何をそんなに急いで?)

小走りになった女との間に距離が広がる。

(ああ!もう!)

馬鹿らしいことをしている自覚があるから、余計に腹が立つ。絶対に、何もない。女が駆けて行った先、魔導省の正門、それを走り抜けて周囲を見回す。見渡した先に見えたものに、猛烈な怒りが湧いた。

「っ!?」

(あの女っ!!)

街灯の下、ステラが男と立っていた。しかも、職場では見せたことの無い笑みまで浮かべて─

(馬鹿にしてんのっ!?)

男も、ステラを見て笑っている。遠目にも、端正な顔をした男。その手が、ステラの頬に触れて─

「っ!!」

いつも、下を向いている陰気な女、見た目も能力も、何もかもが自分に劣る下等な存在が、男に触れられて笑っている。

(あり得ないっ!)

「っ!ステラっ!!」

「!」

腹立ちのまま、女の名を呼ぶ。振り向いた顔が驚愕、それから、恐怖に移り変わっていく様に、少しだけ、腹立ちが治まっていく。

(そうよ。あんたに似合うのはそういう顔。)

込み上げてくる笑いを押し込めて、二人へと近づいた。

「ステラ、あんた、」

「…」

言いかけた言葉を飲み込んだ。ステラを庇うようにして立ち塞がった男の姿に、呆然となる。

(…嘘、凄い、なに、この人…)

薄明りの下でも分かる、整った目鼻立ち。堕ちていってしまいそうな神秘的な蒼の瞳、それが、こちらをじっと見つめている。物言わぬ時間に、束の間、心と心が触れ合ったような気がして─

「…ステラ、帰ろう。」

「っ!?」

不意に逸らされた視線、男がこちらに背を向ける。

「待って!」

「…」

反射で呼び止めた。なのに、男がこちらを振り返ることはなく─

「っ!待って!あなた、騙されてるわ!」

「…」

ステラの背を押して歩き出した男に、必死に言葉を探す。

「その女!あなたを騙してるのよ!」

「…」

「あなたに何て言って取り入ったの!?自分は魔導師だって?魔導省勤めだって?」

「…」

「そんなの、全部嘘だから!その女は、ただの雑用、魔導師なんかじゃない!あなたみたいな人が相手するような、」

「…黙れ。」

「っ!?」

振り返った男のたった一言に、身がすくんだ。怒鳴られたわけではない、押し殺したような声、なのに、一瞬、刃物を向けられたような恐怖が─

「…ステラをそれ以上おとしめるな。…殺したくなる。」

「っ!?」

吐き捨てられるようにして告げられた言葉に、また、言い様もない恐怖に襲われた。

「っ!」

それを認めたくなくて、必死に言葉を探す。何か、この女の本性を晒す何か。

対峙する男を見つめて─

「っ!あなた、まさか!?」

「…」

気が付いた。異様な魔力の流れ、その発生元である男と、ステラを繋ぐ魔力の結びつき。

「あなた、奴隷なの!?」

「…」

「っ!」

小さく、息をのむ気配がが、男の背後から聞こえた。

(やっぱり!)

顔が、愉悦に歪む。自然、口から笑いが溢れ出した。

「アハハハハハ!信じらんないっ!あんた、まさか、男に相手されないからって、奴隷、買ったの!?」

「…」

「おかしいと思ったのよ!あんたみたいなのが男に相手されるってだけでもあり得ないのに、こんないい男連れてるわけないものね!」

可笑しくて可笑しくて、笑いが止まらない。

(すごい、こんなあり得ないくらい惨めな人間が居るなんて!)

見た目も悪い、仕事も出来ない、誰からも相手にされずに行きついた先が、お金で買った見栄だなんて─

「…ステラ、行こう。」

「待ちなさいよ。」

再び歩き出そうとした男を呼び止める。

「…」

「何?何か文句があるの?」

振り返った男の圧。腹が立つことに、未だ恐怖は感じるものの、これが見せかけのものに過ぎないことは既に分かっている。

「奴隷は、人間様を傷つけちゃいけないの。分かってるわよね?」

「…」

元が犯罪者だか借金漬けだかは知らないけれど、奴隷なんてもはや同じ人間とも言えないような存在。それが、人間、しかも、魔導師相手に何が出来るというのか。

「ふーん?やっぱり、あなた、見た目はすごくいいのね。」

「…」

男を値踏みし、その背後に居る女に告げる。

「決めたわ。ステラ、あなた、この奴隷、私に貸しなさい。」

「貸すっ!?」

悲鳴のような声。ここに来て初めて口をきいた女が、男の前へと飛び出してきた。

「貸しません!エリ、…彼は、貸すとか貸さないとか!モノじゃないです!」

「ものよ。だって、あんた、買ったんでしょ?コレ。」

「っ!?」

「何?買った本人がモノじゃないなんて偽善者面するわけ?ハッ!オメデタイ頭。それとも何?その奴隷に良い恰好でもしたいってこと?自分が買っておいて?」

「っ!」

言い返せなくなった女の滑稽さを笑う。

「どう言いつくろおうと、あんたは奴隷を買った。モノとして。」

「…」

「…まぁ、だからって別にそれをどうこう言うわけなじゃないわ。私が言ってんのは、その奴隷を貸せってこと。そうね、取り敢えず、ひと月くらいかしら?もし、気に入れば、私がもらってあげるから、」

「貸しません。」

「はぁ?」

「…帰ろう。」

女が、奴隷の袖を引く。

「っ!待ちなさいよ!何を勝手に、」

「ステラ、命じろ。『直ぐに連れて帰れ』と言え。」

「え…?」

「ちょっと、あんた達、」

「っ!『連れて帰って、今すぐ』!」

ステラが叫ぶと同時、奴隷の男がステラを抱えあげた。

「ステラ、くち閉じてろ。」

「なっ!?」

そのまま、信じられない速さで走り出した男、闇夜に消えていくその姿を成す術なく見送った。

「っなんなのっ!?」

信じられない。ステラに、あんな女なんかに抵抗された。しかも、逃げ出すという形でこちらを出し抜くなんて─

(っ!許さないっ!)

絶対に、許さない。ステラも、あの奴隷も。逃げ出したことを絶対に後悔させてやる。そうでなければ気が済まない。叫び出したくなるほどの怒りを、思考を切り替えることで何とか抑え込む。

(大丈夫、どうせ、あの女に逃げ場なんてない。)

ステラなんて、己の下僕。今、逃げ出したところで、どうせ明日には自分に頭を下げに来る。そうしなければ、あの女は仕事一つまともにこなせないのだから。

(大丈夫、明日は、必ず…)

怒りを原動力に、明日以降の対応を考える。先ずは、ステラにきちんと、自身の立ち位置を思い出させて、それから─

「…そうね。やっぱり、あの奴隷にも相応の報いは受けてもらわなくちゃ。」

下僕の所持する奴隷。真の主人が誰であるのかを分からせ、二度と、反抗心を持たないように躾直す必要がある。

(…そう思うと、案外、楽しめるかも。)

あの冴えた無表情が屈辱に歪む様を想像して、笑いが零れた。





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