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最終章 領主夫人、再び王都へ

20.未来の選び方(終)

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激しく叩かれる扉の音に、ガイラスが警戒を強める。彼が王太子を背後に庇ったところで、聞こえて来たのは、入室の許可を求める侍従の慌てた声。私をここに案内して来た男の求めに、王太子が入室の許可を告げた。

途端、王太子の執務室にはあり得ない勢いで開け放たれた扉、飛び込んで来た人の姿に、心臓が跳ねた。

「アオイッ!」

「セルジュッ!?」

こちらの姿を認め、駆け寄って来ようとするセルジュに、慌てて、こちらが駆け寄る。

「セルジュ?大丈夫なの?身体、動き回ったりして、」

「問題ありません。」

言いながら、逆にこちらの身を案じるように視線を向けてくるセルジュ。その雄弁な眼差しに頷き返す。安心してもらいたくて笑えば、セルジュが安堵の表情を見せた。

「…目が、覚めて…」

「うん…?」

「あなたが側に居なくて…」

「っ!ご、ごめんね!」

「いえ…」

小さく首を振ったセルジュの瞳がゆるむ。

「…あなたの身に何かがあったのではと案じていたのですが…」

「ううん!ううん!私は大丈夫!セルジュが守ってくれたから!」

「ええ。…そう、説明は受けたのですが、この目で確かめるまでは不安で。殿下との面会中だと承知の上で、無理を押し通してしまいました…」

「っ!」

セルジュのその言葉に、思わず王太子を振り返る。「話が違うではないか」というこちらの抗議の視線に、否定するかのように首を振った王太子。その視線が扉の方へと向けられる。その先で頭を下げる男が、セルジュの要望を拒んだとでもいうのか。だとして、それが王太子の命だったのか、彼の忖度だったのかは分からない。

(どちらにしろ、セルジュが無理してくれなきゃ、私は閉じ込められたままだったってことだよね?)

病み上がりで、それでも、駆けつけれくれたセルジュの姿に、涙が出そうになる。

手の届く距離、セルジュの袖を引いた。

「…アオイ?」

「…ありがとう、セルジュ。」

「…」

本当は、抱き着きたいくらい。それを堪えて、彼の隣に立つ。

「…アオイ?何が…?」

「…」

いつものセルジュ、いつもの声。安堵に泣きそうなのを我慢して、首を振る。

セルジュの視線が、答えを求めて、部屋の中を見回した。

「…それで、これは一体、どういう状況でしょうか?」

「…アンブロス卿…」

「アオイ一人を呼び出したことについて、ご説明を願えますか?」

「…」

セルジュの問いに、明確な答えを口にする者は居ない。私だって、あんなむかつくだけの話なんて口にしたくないけれど。

「…アオイ?」

「…えっ、と…」

セルジュの、こちらを案じる視線に促されて、言葉を紡ぐ。なるべく、彼を不快にしないよう、言葉を選んで─

「…魔術師長が亡くなったの。」

「それは…」

「巫女召喚に失敗、…というか、その、事故、みたいな形で…」

「…」

「それで、あの、その時に、召喚陣が壊れてしまったらしくて…」

「…」

セルジュの顔から表情が消えた。

「…なるほど。」

言って、王太子達を見回すセルジュの眼差し。

「…あの、セルジュ…?」

いつもの無表情、とも違う。初めて見せるセルジュの冷たい横顔に、思わず、彼の袖を引く手に力がこもる。

「セルジュ、」

「状況は理解しました。」

「え?…分かったの?今ので?」

「ええ。案じていた事態でもありますから。」

「…」

言い切ったセルジュ。本当にこの事態を把握して─?

「…大方、恥知らずにも、アオイに対して厚顔無恥な要求、いえ、命が下った、ということでしょうが…」

「えっと…」

(恥知らずって、厚顔無恥って…)

確かに、その通りではあるのだが。

(…同じこと、二回も言った…)

あくまで予想の段階でそこまで言い切ってしまうセルジュ。確信があるのだとしても、王太子相手にそこまで言うということは─

「…あの、セルジュ。ひょっとして、怒ってる…?」

「これ以上ないほどに。」

「…」

間髪入れずに返って来た答えに口を閉じる。

「…アオイ。」

「っ!はい!」

ビクついて、返事に力がこもった。

「…手を。」

「…手?」

促されて差し出した右手。その手首に、セルジュが黙って取り出したブレスレットらしきものを付け始めた。

「…セルジュ…?」

「…すみません。怒りが抑えきれず…」

「いや、あの…」

淡々と、王太子達なんて目に入っていないのではないかという調子でそう告げるセルジュ。彼の突然の行動に動揺を隠せないまま、自分の手首にぶら下がった重みに視線を向ける。

「これ…」

「ええ。…王都の宝飾工房に依頼して作らせました。」

少し太めの金鎖、その中心に据えられたのは、宝石ではなく大きめの石。その、青みがかった深い緑には見覚えがあった。

「…夜会の装飾には不向きだなどと考えず、さっさと渡しておけば良かった。…自分の愚かさにも腹が立つ。」

「えっと、あの、セルジュ?」

「…アオイ、良く似合っています。」

「え?あ、えっと、ありがとう…」

告げれば、漸く薄っすらと笑みらしきものを見せてくれたセルジュ。

「…アオイ、石に魔力を込めてみてください。」

「え?…えと、はい。」

(…なに?何がなんだか?)

分からないけれど、セルジュがそう言うなら。

言われるがまま、石に魔力を込める。

途端─

「っ!?」

「…うまく、いきましたね。」

「セルジュ、これ…」

一瞬だけ光った七色の膜。それが、ドームのように自身の周囲を覆うのが見えた。

「ええ。…簡易の結界陣です。」

「っ!」

「簡易とは言え、アオイの魔力であれば、強固な守りとなる。…これで、誰もあなたを傷つけられる者はいないでしょう。」

言いながら、王太子達へと視線を向けたセルジュ。視線の先、多少の動揺を見せる男達の姿が見えた。

「…殿下。」

「…」

「私は、アオイを誰にも譲るつもりはありません。」

「…卿の言わんとすることは分かる。だが、今は国難の時、アンブロス領のためにも、夫人には…」

こちらに向けられそうになった王太子の視線を、セルジュの身体が遮る。

「…殿下、今、アオイが起動した魔法陣は、アンブロス領で猟れる魔物の甲羅を使用したものです。」

「魔物の…?…いや、だが、それが、何だと…」

「アンブロス領では、この甲羅を用いた陣の基盤造りに成功しています。魔石を用いた結界陣の常時展開が可能になりました。」

「っ!?ではっ…!」

セルジュの話に希望を見出したのか、喜色のこめられた王太子の言葉を、セルジュの冷たい声が遮った。

「ただし、作成できる基盤、結界の大きさには限度があります。今後の研究次第で多少の改善は見込めるでしょうが、どれだけ規模を拡大しても、町単位、村単位での守護が限界でしょう。」

「…それでは、…いや、それでも…」

悩む様子の王太子の声に、セルジュが淡々と告げる。

「国全土を覆う結界など、元より、我々には過ぎた技術だったのです。」

「…」

「巫女一人に全てを負わせる、アオイ一人が犠牲にならねばならない。そんなものが無ければ守れないというのなら、こんな国など滅んでしまえばいい…」

「っ!?」

セルジュの深い怒りを感じさせる苛烈な言葉。誰かが息を飲んだ。

だけど─

(…ありがとう、セルジュ。)

信じていた通り。彼だけは私を見捨てない。「仕方のないこと」として切り捨てたりはしなかった。例え、その言葉通りの未来を本気で望んでいるわけではないとしても、そう言ってくれただけで─

「…アオイ。」

呼ばれた名に、セルジュを見上げる。見下ろす瞳の真剣さに、引っ込んだはずの涙がまたあふれそうになる。

「…アオイ、例えあなたがどのような選択をしようと、私はあなたを誰にも譲るつもりはありません。」

「う、ん…」

「その結果を、あなたが思い悩む必要もありません。」

「うん…」

「約束したでしょう?あなたの望みは私が叶えます。…あなたの守りたいもの、アンブロスの地も、レナータの生きる未来も。何を天秤にかけるでも、失うでもなく、必ず守ってみせます。」

「うん…!うん!」

結局、セルジュのせいで止まらなくなった涙。彼の言葉に馬鹿みたいに頷き続けた。

目元に当てられる柔らかな感触。セルジュのハンカチに涙を拭われ、クリアになった視界に、彼の、少し困ったような笑みが映る。

「…帰りましょうか、アオイ。」

セルジュの言葉に、彼の背後、そこに居る面々に視線を向けるが、こちらを引き留める声は上がらない。

セルジュが王太子に告げる辞去の挨拶に、漸く、王太子が口を開いた。

「…先ほどの結界陣に関して、アンブロスの持つ知識を国のために…」

(…また…)

王太子の言いたいことは分かる。セルジュの知識が国を救う可能性がある以上、彼を頼りたくなる気持ちも。

(…まぁ、セルジュだって、本気で国の滅亡を望んでるわけじゃないだろうし…)

それでも、だけど─

「…殿下、セルジュに仕事を依頼するのは構いません。」

「仕事…」

「ええ。セルジュが納得して、相応の対価を頂けるのなら、私が口出しすることでもありませんし。」

「…そう、だな。これは、国からアンブロスへの正式な、」

「ですが、セルジュに頼り切りというのも止めてくださいね?」

「…」

それでもう、散々、失敗したのだから、いい加減わかって欲しい。

「殿下方は殿下方で、するべき努力をして下さい。セルジュに全てを任せないで。」

「それは…、当然…」

言い淀む王太子には具体的な「努力」の中身が見えていないようだから、きちんと理解してもらう。

「さっきの案、実行されるんでしょう?」

「…なに?」

「魔力の強い人間同士を掛け合わせて子どもを作る。」

「っ!?それは…」

「ああ、勿論、私はお断りしますし、私の感覚では最低で反吐が出そうな行為ですけれど…」

「…」

王太子の怯んだ顔、苦しそうな表情に、当然だろうと思う。

(…だって、本当、最低だもん。)

どんな理由があろうと、どれだけ言葉を選ぼうと、結局はそういうこと。そして、それを私に要求してきたのは彼ら自身なのだ。私が降りたところで「無かったこと」になんてしないで欲しい。

「どうか、殿下方の意志を最後まで貫かれて下さい。」

「…」

「それが、国のため、ですから。」

言うだけ言って頭を下げ、返事のないことを良いことにさっさと部屋を後にする。

今度は、何にも阻まれることなく執務室を抜け出すことが出来た。

セルジュと二人、並んで歩く王宮の廊下。隣を見上げる。見下ろすセルジュと視線が絡む。お互いに笑って、どちらからともなく伸ばした手を繋いだ。繋いだ手と手の間で、青緑の石が虹色の光を放っていた。










(終)



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