上 下
80 / 90
最終章 領主夫人、再び王都へ

10.暴走

しおりを挟む
一瞬、場に流れた沈黙、緊迫した空気。だけど、それも直ぐに王太子妃の笑い声によってかき消される。

「まぁ!巫女様ったら、面白いことを仰るのね?」

「…面白いですか?」

「ええ。面白いわ。…面白い冗談。」

「…」

微笑んではいるものの、それまでには無かった鋭さを帯びた視線で見つめられる。

「…だって、殿下がそんなことをなさるはずがないもの。」

「…」

「殿下は、為政者としてお厳しい方ではあるけれど、友人の幸福を壊されるような方ではありません。…例え、巫女様の目に、殿下がどう映っていようと。」

言い切った王太子妃の反応から、やはり、彼女は本当に知らなかったのだろうと結論づけて、アイシャに視線を移す。一瞬、動揺を見せていた彼女も、王太子妃の言葉に安堵したらしく、今はただ、憎しみを込めた眼差しを向けるだけ。

「…大体…」

王太子妃の呟き、呆れたと言わんばかりに首を振られる。

「…大体、殿下にはそんなことをなさる理由がありませんわ。あなたと騎士団長様を結びつきて、殿下にどんな利があると?」

心底、バカにした口調。ものの道理が分かっていない人間のように扱われて、こちらも、同じ調子で言い返す。

「さぁ?殿下の本心までは分かりませんけど、多分、生贄だったんじゃないですか?」

「…生贄?」

「若しくは、身代わり?でしょうか?」

「…巫女様は一体何のお話をなさって、」

「騎士団長閣下は…、ああ、もしかしたら、補佐様も、予防策、防波堤だったんだと思います。」

「…だから、一体、何の、」

「私が殿下を好きにならないための。」

「…」

告げた言葉に、王太子妃の顔色が変わる。彼女の顔から、薄気味悪い微笑が消えた。

「…巫女様、あなたは、殿下にまで言い寄るおつもりだったのですか?」

「違います。そうじゃなくて…」

そもそも、ガイラスやサキアにも言い寄った覚えはないが─

「…そうではなく、殿下は、私に好意を持たれることを避けたかった、私に好かれたくなかったんだと思います。」

「…」

王太子妃の奇妙な表情。先ほどまでの怒りは薄れたらしいが、戸惑いを隠せないでいる。

「…まぁ、だから、代わりに騎士団長閣下や補佐官様に私の世話を任せた。…それこそ、昼も夜もなく、王宮に呼びつけてでも。」

「っ!」

こちらの言葉に反応したのは、王太子妃ではなくアイシャ。その瞳を見つめながら一言一言、聞き漏らすことのないように告げる。

「だって、おかしくありません?職務外の騎士団長閣下をわざわざ王宮に呼びつけるなんて。殿下が対応されることはなくても、他の人間にやらせれば良かったことでしょう?」

「でも!それは、あなたがガイラスを呼んだから!」

「私、その頃、暴れまわっていただけで、騎士団長閣下を個人として認識もしていませんでした。」

「っ!また、そんな言い逃れを!」

「本当です。嘘だと思われるなら、フィリーネ様に確認されてみてはいかがですか?彼女ならご存じだと思いますから。私が一度でも、騎士団長閣下を名指しで呼びつけたことがあるかどうか。」

「!?」

アイシャの視線がフィリーネに向けられる。それを受けて、ますます視線を下げるフィリーネ。ただ、彼女の口から私の話を否定する言葉は出てこない。

「…殿下は、私とガイラスの距離を近づけたかった。…まぁ、実際にくっつけようと思っていたかどうかは分かりませんが、ご自分に目が向かないよう目くらましくらいにはしていたと思いますよ?」

言っていて、虚しくなる。結局、私は、王太子のその作戦にまんまとはまってしまったのだから。

「…理由になっていませんわ。」

黙ってしまったアイシャの代わり、王太子妃の鋭い声が割って入る。

「理由?」

「殿下がそんなことをなされる理由。巫女様の好意を拒絶するために、わざわざ騎士団長様を身代わりになさる理由がありません。」

「そうですか?」

「ええ。殿下が巫女様のお気持ちにお応えしないのであれば、殿下は巫女様にそうお伝えするだけでいいはず。わざわざ、そのような不快な策を弄する必要などございません。」

「…本当に、そうですか?」

淡々と繰り返せば、僅かに怯んだ王太子妃。その彼女に告げる─

「でも、断れないでしょう?」

「…なにを…」

「私が殿下を望んだら、殿下は断れない。だって、私は結界の巫女。その意志は最大限尊重されるべき、なんですよね?」

「っ!?バカなことを仰らないで!」

激昂した王太子妃が立ち上がる。

「殿下と私は心から愛し合っているの!殿下があなたを選ばれるはずがないわ!」

「ええ、私もそう思います。と言うか、さっきからそう言ってるつもりなんですけど、伝わっていませんか?」

「なっ!?」

「殿下は妃殿下を愛してらっしゃる。だから、私という厄介事を遠ざけるため、騎士団長閣下や補佐官様を私の側に置かれた。…囲われていたって言ってもいいかもしれません。」

「っ!」

息を飲んだ王太子妃、その反応から、私の言っていることに、少しは信ぴょう性を感じたらしいことを知る。

「…大体、おかしかったんですよね。私、巫女としてのお役目を終えるまで、殿下たちお三方以外との交流が全くありませんでしたし。」

言いながら、フィリーネに視線を向ける。

「つけられた侍女も、全く、心を許せるような相手じゃなかったですし…」

向けた視線が一瞬だけ絡むが、直ぐに逸らされる。代わりに口を開いたのは、また、王太子妃で─

「…ですが、それは、巫女様の方にも問題があったのではありませんか?巫女様自らがお心を開き、」

「妃殿下は、禁書をご覧になったことがないと仰ってましたよね?」

「…ええ。ですが、今、それは、」

「最近途絶えたという何代か前の巫女の家系があるのはご存じですよね?その巫女が、当時の王弟に嫁がれたことはご存じですか?」

「…」

こちらの無礼な態度が腹に据えかねたのか、王太子妃が口を噤む。それを気にせず、言葉を続けた。

「では、私の一代前、先代の巫女が、当時の国王の宮に入られたことはご存じでしたか?」

「何をっ!?何をバカなことを仰っているの!?この国は王家といえども、妻は正妃一人!その宮に、血筋の知れぬような者が入ることなど!」

「あったみたいですよ。正妃ではなかったようですが、禁書の一つに記録として残されていました。」

「嘘を仰らないで!」

「…」

言葉を荒げる王太子妃の瞳を見つめる。そこに演技が無いかを探して─

「…やっぱり、本当に、禁書をご覧になったことはないんですね。」

「っ!?」

「書いてありました。巫女は、…代々の巫女は、正妻として迎えられることはなくとも、皆、何らかの形で王族に嫁いでいます。」

(…日陰の身、存在を隠されている状態を、嫁いでいるなんて言えるかは分からないけれど。)

「…なぜ?」

「なぜ?ですか?」

本気で言っているのだろうか?先ほど、自分達で散々、バカにしていたのに─?

「そんなの決まっているじゃないですか。巫女の無駄に有り余っている魔力を、王族に取り込むためですよ。」

「っ!?」

「魔力は子どもに受け継がれる。それを期待して、巫女に子どもを産ませようとしたんです。」

「…嘘よ、そんなの嘘…」

王太子妃の顔から血の気が引いている。彼女も、「あり得たかもしれない可能性」を本心では理解しているらしい。

「…まぁ、結果は散々だったようですけど。巫女の魔力を受け継ぐ子どもは歴史上、一人も生まれていません。」

「だったら…」

「それでも、王家はその可能性を完全に捨てたわけではない、というのが禁書の結論でした。…ですから、妃殿下。」

「…」

「もし仮に、私が、王太子殿下を望んでいた場合、殿下はそれを拒絶できませんでした。」

「っ!?」

殿下の意志とは関係なく、それが、王家としての役目だから。

「…ですから、騎士団長閣下は、」

言いかけた言葉を飲み込んだ。テラスの扉、そちらから、複数の人の気配、言い合うような声が聞こえて来る。

(…やっと、来た。)

王太子妃の主催するお茶会、その場に乗り込める人間が居るとしたら─

「巫女!」

開いた扉、少し焦ったように近づいて来るのは王太子。その後ろにはガイラスとサキアの姿。恐らく、サキアが呼びに行ったのだろう。近づいて来る王太子の瞳に、この場の様子を探るような気配がある。

「…シルヴィア、これは。…巫女、…アンブロス夫人、一体、何が…」

場の不穏な空気を読み取ったらしい王太子が尋ねる。王太子妃を案じるように視線を向けながら。

その彼に、頭を下げる。

「申し訳ありません、殿下。」

「それは、何に対する謝罪だろうか…?」

「私、禁書の中身をしゃべってしまいました。」

「っ!!」

王太子の視線が王太子妃に向けられる。緊迫した雰囲気、対する王太子妃の顔色は悪いまま。

「…妃殿下にはお伝えしていなかったんですね?王家と巫女の関係について。」

「っ!それは…!」

珍しく露骨に顔色を変えた王太子。それだけで、真実を解してしまったらしい王太子妃の唇が震える。

「…殿下、では、巫女様の仰ることは本当なのですね?王家には、巫女の血を入れる必要が、」

「いや、違う!そんな必要はないのだ、シルヴィア!」

「ですが…」

「陛下は約束してくださった。私の意志も、巫女の意志も尊重してくださると。王家は巫女の自由を認めた。私の妃はシルヴィア、お前だけだ。」

「本当に…?」

「ああ。」

力強く頷いた王太子が、瞳を潤ませた王太子妃へと一歩近づく。

その、瞬間─

「っ!お前がぁああっ!!」

「なっ!?」

「お前が!お前が!お前が!私の幸せをー!!」

「アイシャ!?何をしている!?止せっ!!」

二人の間に割って入った小さな身体、ピンクのドレスの袖をひらめかせ、王太子へと掴みかかったアイシャに、その場の誰もが一瞬、反応が遅れた。王太子の胸元をつかみ、右手を振り上げたアイシャの手を、寸でで止めたのはガイラス。そのまま自身の妻を抑え込むが、必死に抵抗するアイシャは腕から抜け出そうともがき続ける。

(…なんなの…?)

突然の暴走。信じられない光景。

王太子から遠ざけるためだろう、自身の妻を引きずるようにして部屋から出ていくガイラスの姿を、ただ茫然と見送った。







しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

追放された薬師は騎士と王子に溺愛される 薬を作るしか能がないのに、騎士団の皆さんが離してくれません!

沙寺絃
ファンタジー
唯一の肉親の母と死に別れ、田舎から王都にやってきて2年半。これまで薬師としてパーティーに尽くしてきた16歳の少女リゼットは、ある日突然追放を言い渡される。 「リゼット、お前はクビだ。お前がいるせいで俺たちはSランクパーティーになれないんだ。明日から俺たちに近付くんじゃないぞ、このお荷物が!」 Sランクパーティーを目指す仲間から、薬作りしかできないリゼットは疫病神扱いされ追放されてしまう。 さらにタイミングの悪いことに、下宿先の宿代が値上がりする。節約の為ダンジョンへ採取に出ると、魔物討伐任務中の王国騎士団と出くわした。 毒を受けた騎士団はリゼットの作る解毒薬に助けられる。そして最新の解析装置によると、リゼットは冒険者としてはFランクだが【調合師】としてはSSSランクだったと判明。騎士団はリゼットに感謝して、専属薬師として雇うことに決める。 騎士団で認められ、才能を開花させていくリゼット。一方でリゼットを追放したパーティーでは、クエストが失敗続き。連携も取りにくくなり、雲行きが怪しくなり始めていた――。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

断罪後の気楽な隠居生活をぶち壊したのは誰です!〜ここが乙女ゲームの世界だったなんて聞いていない〜

白雲八鈴
恋愛
全ては勘違いから始まった。  私はこの国の王子の一人であるラートウィンクルム殿下の婚約者だった。だけどこれは政略的な婚約。私を大人たちが良いように使おうとして『白銀の聖女』なんて通り名まで与えられた。  けれど、所詮偽物。本物が現れた時に私は気付かされた。あれ?もしかしてこの世界は乙女ゲームの世界なのでは?  関わり合う事を避け、婚約者の王子様から「貴様との婚約は破棄だ!」というお言葉をいただきました。  竜の谷に追放された私が血だらけの鎧を拾い。未だに乙女ゲームの世界から抜け出せていないのではと内心モヤモヤと思いながら過ごして行くことから始まる物語。 『私の居場所を奪った聖女様、貴女は何がしたいの?国を滅ぼしたい?』 ❋王都スタンピード編完結。次回投稿までかなりの時間が開くため、一旦閉じます。完結表記ですが、王都編が完結したと捉えてもらえればありがたいです。 *乙女ゲーム要素は少ないです。どちらかと言うとファンタジー要素の方が強いです。 *表現が不適切なところがあるかもしれませんが、その事に対して推奨しているわけではありません。物語としての表現です。不快であればそのまま閉じてください。 *いつもどおり程々に誤字脱字はあると思います。確認はしておりますが、どうしても漏れてしまっています。 *他のサイトでは別のタイトル名で投稿しております。小説家になろう様では異世界恋愛部門で日間8位となる評価をいただきました。

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています

今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。 それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。 そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。 当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。 一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

処理中です...