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第四章 領主夫人、母となる
8.糾われるもの(Side S)
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蒼月の日より、暫く様子のおかしかったアオイ。一度だけ、巫女召喚の成否、クリューガー伯爵令嬢の帰還が成ったかを確認して来たが、王都より特段の報せはないと告げると、以降、物思いにふけることが多くなった。そんな彼女が、次第に元の元気を取り戻した頃、その書簡は届いた。
「え!?ガイラスが来るのっ!?」
「…はい。」
純粋な驚き、そこに喜びの気配は感じられないことに安堵するも、彼女がその名を口にすることに若干の違和感を覚えた。
(…いや、違和感では無い…)
今はもう、はっきりと自覚する妬心。かつて、誰よりも彼女の近くに居た存在、この地に喚ばれた彼女の憂いに初めから寄り添うことの許された─
「…それって、何しに来るの?」
アオイの声に、意識が呼び戻される。その問いに、どこまで答えるべきか。
「…名目は、レナータの誕生祝いに王太子殿下の名代として伺って下さるとのことでしたが…」
「ふーん?そうなんだ。…こっちって、そういう風習?があったりする?子どもが生まれたらお祝いに行く、みたいな?」
「…そう、ですね。無い、とは言いませんが、身内以外が訪問までするというのは珍しいかもしれません。」
「へぇ、その辺は私のところと同じかも。」
「…アオイは、ここに来るまで王太子の後見を受けていましたから、その繋がりで、ということは十分に考えられます。ただ…」
「?」
言いかけた言葉を途中で飲み込み、「何でもない」と首を振る。確信の無い言葉でアオイを不安にさせる必要はない。
「…ねぇ、セルジュ?」
「はい。」
「そのガイラスの訪問ってさ、断ったり…」
「…」
「…出来ないよね?」
「それは…」
アオイの意外な言葉に、返事に詰まった。
「いや、うん、ごめん。そうだよね。殿下相手に、しかも祝ってくれようとしてのを『来るな』なんて言えないよね。」
「…アオイは、騎士団長の訪問を断りたいのですか?その、嬉しくは…?」
「うっ…、ごめんなさい。…面倒とか思っちゃ駄目だよね。失礼だった。」
決まり悪そうに視線を逸らしたアオイの態度に嘘は見当たらない。その言動からは、騎士団長に関する何かしらの感情も読み取れず─
「あ、ねぇ、セルジュ。そう言えば、私、ガイラスのこと何て呼べばいいのかな?」
「…呼び方、ですか?」
「うん、そう。ガイラスって、まだシュティルナー公爵ではないんだよね?」
「ええ。」
「だったら、公爵って呼び方じゃないし、…次期公爵?って呼ぶの?」
「そう、ですね。騎士団長閣下の場合、他の爵位をお持ちではありませんので、やはり役職でお呼びするのが一般的ですが…」
「…騎士団長閣下かぁ。」
どうもしっくり来ないというアオイに、別の答えを提示する。
「…ただ、アオイの場合、巫女の地位は王族に準ずるものとされています。ですから、騎士団長閣下に敬称をつける必要はありません。」
「あー、うん。それは、最初に王太子殿下にも言われた。で、ガイラス達も良いって言うから名前で呼んでたけど、…流石に、ねぇ?」
「…」
苦く笑うアオイに、何と答えるべきか。
「…まぁ、そもそも、閣下とかいう敬称を使ったことがないから違和感あるだけで、その内慣れると思うけど。」
それまではなるべく騎士団長の名を呼ばないというアオイの言葉に、浅ましくも、安堵する自分がいた。
アオイとそんな話をしてから、ちょうど一月後、当初の報せにあった通り、騎士団長のアンブロス領訪問を告げる先ぶれが届いた。
歓迎の意を示すため、アオイと二人で出迎えたシュティルナー家の馬車、降り立った黒髪の偉丈夫が、何故かその場に留まり、背後を振り返る。
「…え?」
「…」
隣から聞こえた小さな呟き、同じものを視界にとらえたらしいアオイが、小さくこちらの袖を引く。
「…ねぇ、ガイラスって一人で来る予定じゃなかった?」
「報せには特に何も。…ですので、お一人での訪問だと認識していたのですが…」
確認不足。騎士団長に手を取られ馬車から降り立つ人の姿に、この後の予定変更について思いを巡らす。
「…先ぶれでも、何にも言ってなかったよね?」
「ええ…」
「…」
黙り込んだアオイを見下ろす。その顔に浮かべる笑顔がどこかぎこちないものに変わっていた。声をかけようとして─
「…セルジュっ!!」
己の名を呼ぶ声に阻まれる。
並んで歩み寄って来る二人。予定外の訪問者、自身の奥方を伴って現れた騎士団長に歓迎の言葉を述べれば、
「…出迎え、感謝する。」
返礼と共に、その視線が彼の隣へと向けられた。
「すまない。急遽予定を変更して、夫婦での訪問となったが、」
「ごめんなさい!巫女様、セルジュ!」
言いながら、自身の夫の元を離れ、こちらへ歩み寄ってくる夫人の姿。
「だけど、どうしても!セルジュの友人として、私も辺境の跡継ぎの誕生にお祝いを申し上げたかったの!」
「…ありがとうございます。」
「セルジュ!おめでとう!」
感謝の言葉を述べると同時、勢いよく近づいてきたその人の腕が首に回る。頬に近づく熱、言いようのない違和感に、たまらず身を引いた。
「え!?ガイラスが来るのっ!?」
「…はい。」
純粋な驚き、そこに喜びの気配は感じられないことに安堵するも、彼女がその名を口にすることに若干の違和感を覚えた。
(…いや、違和感では無い…)
今はもう、はっきりと自覚する妬心。かつて、誰よりも彼女の近くに居た存在、この地に喚ばれた彼女の憂いに初めから寄り添うことの許された─
「…それって、何しに来るの?」
アオイの声に、意識が呼び戻される。その問いに、どこまで答えるべきか。
「…名目は、レナータの誕生祝いに王太子殿下の名代として伺って下さるとのことでしたが…」
「ふーん?そうなんだ。…こっちって、そういう風習?があったりする?子どもが生まれたらお祝いに行く、みたいな?」
「…そう、ですね。無い、とは言いませんが、身内以外が訪問までするというのは珍しいかもしれません。」
「へぇ、その辺は私のところと同じかも。」
「…アオイは、ここに来るまで王太子の後見を受けていましたから、その繋がりで、ということは十分に考えられます。ただ…」
「?」
言いかけた言葉を途中で飲み込み、「何でもない」と首を振る。確信の無い言葉でアオイを不安にさせる必要はない。
「…ねぇ、セルジュ?」
「はい。」
「そのガイラスの訪問ってさ、断ったり…」
「…」
「…出来ないよね?」
「それは…」
アオイの意外な言葉に、返事に詰まった。
「いや、うん、ごめん。そうだよね。殿下相手に、しかも祝ってくれようとしてのを『来るな』なんて言えないよね。」
「…アオイは、騎士団長の訪問を断りたいのですか?その、嬉しくは…?」
「うっ…、ごめんなさい。…面倒とか思っちゃ駄目だよね。失礼だった。」
決まり悪そうに視線を逸らしたアオイの態度に嘘は見当たらない。その言動からは、騎士団長に関する何かしらの感情も読み取れず─
「あ、ねぇ、セルジュ。そう言えば、私、ガイラスのこと何て呼べばいいのかな?」
「…呼び方、ですか?」
「うん、そう。ガイラスって、まだシュティルナー公爵ではないんだよね?」
「ええ。」
「だったら、公爵って呼び方じゃないし、…次期公爵?って呼ぶの?」
「そう、ですね。騎士団長閣下の場合、他の爵位をお持ちではありませんので、やはり役職でお呼びするのが一般的ですが…」
「…騎士団長閣下かぁ。」
どうもしっくり来ないというアオイに、別の答えを提示する。
「…ただ、アオイの場合、巫女の地位は王族に準ずるものとされています。ですから、騎士団長閣下に敬称をつける必要はありません。」
「あー、うん。それは、最初に王太子殿下にも言われた。で、ガイラス達も良いって言うから名前で呼んでたけど、…流石に、ねぇ?」
「…」
苦く笑うアオイに、何と答えるべきか。
「…まぁ、そもそも、閣下とかいう敬称を使ったことがないから違和感あるだけで、その内慣れると思うけど。」
それまではなるべく騎士団長の名を呼ばないというアオイの言葉に、浅ましくも、安堵する自分がいた。
アオイとそんな話をしてから、ちょうど一月後、当初の報せにあった通り、騎士団長のアンブロス領訪問を告げる先ぶれが届いた。
歓迎の意を示すため、アオイと二人で出迎えたシュティルナー家の馬車、降り立った黒髪の偉丈夫が、何故かその場に留まり、背後を振り返る。
「…え?」
「…」
隣から聞こえた小さな呟き、同じものを視界にとらえたらしいアオイが、小さくこちらの袖を引く。
「…ねぇ、ガイラスって一人で来る予定じゃなかった?」
「報せには特に何も。…ですので、お一人での訪問だと認識していたのですが…」
確認不足。騎士団長に手を取られ馬車から降り立つ人の姿に、この後の予定変更について思いを巡らす。
「…先ぶれでも、何にも言ってなかったよね?」
「ええ…」
「…」
黙り込んだアオイを見下ろす。その顔に浮かべる笑顔がどこかぎこちないものに変わっていた。声をかけようとして─
「…セルジュっ!!」
己の名を呼ぶ声に阻まれる。
並んで歩み寄って来る二人。予定外の訪問者、自身の奥方を伴って現れた騎士団長に歓迎の言葉を述べれば、
「…出迎え、感謝する。」
返礼と共に、その視線が彼の隣へと向けられた。
「すまない。急遽予定を変更して、夫婦での訪問となったが、」
「ごめんなさい!巫女様、セルジュ!」
言いながら、自身の夫の元を離れ、こちらへ歩み寄ってくる夫人の姿。
「だけど、どうしても!セルジュの友人として、私も辺境の跡継ぎの誕生にお祝いを申し上げたかったの!」
「…ありがとうございます。」
「セルジュ!おめでとう!」
感謝の言葉を述べると同時、勢いよく近づいてきたその人の腕が首に回る。頬に近づく熱、言いようのない違和感に、たまらず身を引いた。
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