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第二章 召喚巫女、領主夫人となる

13.救国の巫女 (Side M)

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(おいおいおい、大丈夫かよ…)

目の前、突然、顔色を失った女。まだ少女とも言えそうな女が、悲壮な顔でこちらを見上げたかと思うと─

「っ!?アオイっ!?」

「…だ、いじょうぶ…」

ふらついた女を咄嗟に抱き留めたのは、自身の主。普段、表情を変えることのない男が、怒りに満ちた目をこちらへと向ける。

「マティアスっ!」

(…へぇ?)

初めて見せる苛烈な表情。

(一丁前に、の顔してんじゃねぇか…)

いつの間にそんな表情を見せるようになったのか。かつての主の忘れ形見の姿に、内心の笑いを隠しておどけて見せる。

「悪ぃ悪い、ちょっと刺激の強すぎる話だったか?」

「っ!違います!情報を伝えるのであれば、正確に、」

「セルジュ、大丈夫、ごめん、マティアスのせいじゃない…」

主の言葉を遮るようにして、巫女が主の腕を掴んだ。縋りつくかのように力が込められた、その指先が白い。

「…ごめん、私、私のせい、やっぱり、私のせいで…」

「アオイ。落ち着いて下さい。」

今にも泣き出しそうな巫女を宥める主の声に、女が首を振る。

「ごめん、私、私、ちゃんと、ちゃんと最初からやってれば、もっと早く、きっともっと早く、結界、張れたはずなのに…!」

「アオイ…?」

「私、何か月も無駄にして、結界張れるようになるまで一年も掛かった!本当なら、ううん、私じゃなかったら、きっと、もっと早く結界張れたはずなのに…!」

「…」

(…何だよ、こりゃ。)

本当に、今にも泣き出しそう。なのに、何が許せないのか、決して涙を流そうとはしない。悲嘆に暮れる女は、なだめる主の言葉にも耳を貸さず、ただ、嫌々と首を振って─

「…マティアス。」

「へいへい…」

怒気を含んだ声で振られ、先ほど自身が口にした言葉、その「正確」な情報を伝える。

「あー、巫女さん?」

「…」

「さっきの、人死にが出るって話な?あれは、まぁ、正確に言えば、五年前、この城壁が出来る前の話、だな。」

「…五年前。」

主の慰めには納得しなかった女が、こちらの言葉には反応を示した。

「そうそう、五年前。五年前から、大型種の出現時には専守防衛。城壁からは出ないようにしてる。倒せないまでも、その内、あいつらも諦めてくからな、人死には出ていない。」

「…私が結界張れなかった間も…?」

「ああ。…まぁ、その間も、狩れる小型、中型は狩るし、飛行種なんかは、城壁があろうと無かろうと侵入して来るからどうしようもないが、あいつらは、ここらには目もくれずに飛んでくからな。死者が出るような被害にはならない。」

「でも、死ぬ人は居なくても、大怪我する人は…」

「あのなぁ、巫女さん…」

「…」

呆れ半分、掛けた声に顔を上げた女の瞳は闇に沈んだまま。

「いいか?俺らは領軍、この地を魔物から守るのが俺らの仕事で、それこそ、命張ってでもって覚悟はとうに出来てる。」

実際、毎日がその緊張の中にあったのは、たった五年前のこと。まだ、過去には出来ない─

「…そりゃな?俺らだって死にたかねぇし、怪我なんざ、したくてしてるわけじゃない。」

「…」

「それでも…。俺らの仕事全部、巫女さんにおっ被せるつもりはねぇし、巫女さん一人に責を負わせるつもりもねぇ。」

「…」

(…って、納得してねぇなぁ、こりゃ。)

女の頑なな表情、こちらの言葉を否定はしないが、受け入れてもいない。

(ったく、なんで、俺がこんなお守りみてぇなこと…)

思わず漏れたため息に、女の肩が揺れた。

(…仕方ねぇなぁ…)

口にしたくは無かったこと。認めれば、自分達が築いたものを否定する気がして、決して告げるつもりは無かった、「結界の巫女」への思い。

「…巫女さん、あんた、自分が『辺境の待ち望んだ巫女様』って自覚はあるか?」

「…?」

分かっていなさそうな女の反応に苦笑する。

「この国は、巫女さんの前に二度、結界の巫女の召喚に失敗してる。あんたは、実に、七十二年ぶりにこの世界へ遣わされた女神の使者、この国の救世主様だ。」

「…召喚が失敗したのは知ってる。…でも、救世主なんて…」

「…限界だったんだよ…」

「…?」

言って、足元を見下ろす。脳裏を過ぎる幾つもの記憶と、それに付随する感情。魔物の危険に晒されながら、盟友と共に築き上げた堅牢な護りは、しかし─

「…あの辺、見えるか?」

見下ろす先、城壁の外壁を指させば、その先を巫女の視線が追う。

「…木で覆ってあるとこ?」

「そうだ。…だいぶ、補修が追いついてきたが、巫女さんが結界張る前は、あんな感じの応急処置だらけだったんだよ、この壁は。」

「…魔物のせい?」

「ああ。…先代巫女が最後に結界を張り直したのが、一度目の召喚の失敗の後、四十九年前だな。…その時から、徐々に結界の力は弱まっていたらしい。俺がガキの頃には、中型種が結界の内側、草原を越えて来るようになってたからな。」

「…」

「二度目の召喚が失敗した時には、先代巫女は既に亡くなってた。結界を張り直す術は無い。そっからはもう…」

弱まり続ける結界に、人の手で護りを築こうとしたのが先代の辺境伯。守護に長けた土系の魔術を駆使する男の主導の下、いくつもの犠牲の上に築き上げた護りは、この地をよく守った。それでも─

「…大型種ってのは、ホント、化け物みたいな奴らばかりでよ。この城壁も、持って後十年、いや、もっと早かったかもしれねぇなぁ…。けど、まぁ、その大型種も、巫女さんが張った結界は越えられねぇ。今じゃあ、森から出て来ることさえ無くなった。」

「…」

「おかげで、この壁の寿命も延びた訳だが。…分かるか、巫女さん?あんたが結界張らなきゃぁ、遅かれ早かれ、アンブロスの地は壁の崩壊と共に滅んでた。…いや、国ごと、滅んでたかもしんねぇな?」

「…」

これだけ言っても、誇りも奢りもしない女。自身の力の大きさを知らず、成したことに自信を持てない。ただ、成せなかったことを憂う。不安げに揺れる瞳には、自身の想像していた「結界の巫女様」の姿が重ならなかった。

(…ったく、これじゃ、ふっつうにその辺に居る、ふっつうの娘じゃねぇか…)

気が抜ける。

この地を救った「巫女様」を、自身の主が伴侶として迎えると知った時の思い。尽きぬほどの感謝の念に嘘はない。だが、それだけではなかった。人の力の及ばぬ「奇跡」を成す存在が、自身らが築いたものを軽々と越えていく。それが─

(ああ、くそっ!恰好悪ぃな…)

目の前、未だ萎れたままの娘に視線を合わす。言えるとは思わなかった言葉が、自然と口をついて出た。

心からの言葉が─

「…ありがとな、巫女さん。この地はあんたに救われた。」







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