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第四章

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「……エリカに、診てもらったら?」

「レジーナ?」

クロードに運ばれた個室、部屋の隅にあった簡易ベッドに運ばれたレジーナは、早々にクロードの腕から抜け出してベッドの端へと腰掛けた。

ベッドの前に立ち尽くしたクロードが、レジーナを見下ろしている。彼の顔を見られないまま、レジーナが口にしたのは可愛くない一言だった。本当にクロードがエリカの元へ行ってしまうのは嫌なくせに、突き放すようなことを言って彼を試している。

(醜いわ……)

自分の愚かさが不快で、レジーナはため息をついた。それから、ゆっくりとクロードを見上げる。

「……クロードはどう思った?フリッツが言っていたこと。……私がエリカを階段から突き落としたという話」

それに彼が何と答えるか、分かっていながらレジーナはクロードに尋ねた。

「レジーナは、『違う』と……」

「ええ、そう言ったし、実際、私は突き落としたりしていないわ。……だけど、彼らは見たと言っているのよ?少しは私を疑ったりしないの?」

予想通りの答えに、レジーナがそう問い詰めると、クロードは首を横に振った。

「俺は、レジーナを信じている」

「っ!どうして……っ!」

クロードの言葉に、レジーナは泣きそうになった。それを堪えようとして、口元が歪む。レジーナは、彼が嘘をついていないことを知っていた。レジーナを抱いていた彼から伝わってきた声、彼は一度もレジーナを疑うことをしなかった。込み上げる感情のままに、レジーナは言葉を吐き出す。

「あなた、私のこと何も知らないじゃない!会ったばかりの私のこと、どうして信じられるの!?」

「レジーナ、不安なら、読んでくれ」

レジーナの前に跪いたクロードが両手を差し出した。彼に触れてその心を読めというクロードに、けれど、レジーナは首を振って拒絶する。

「違う、違うの!」

彼の言葉を疑っているわけではない。だけど――

「……すまない」

レジーナの拒絶に、クロードは触れようとして触れなかった手をグッと握り締めた。レジーナを不快にさせたとでも思ったのか、謝罪を口にしたクロードに、レジーナはまた首を振る。

「違う、そうじゃなくて……、ごめんなさい、違うの」

レジーナは、何をどう言葉にすればいいのか分からなくなった。自分が面倒な性格をしていることは自覚している。もどかしい思いを、クロードに全部分かってもらおうとは思わない。だけど、高ぶった感情が、言うつもりのなかった願いまで吐き出させてしまう。

「あなたには、私の話を聞いてもらいたかった。私を知って欲しかったの……」

「レジーナ……」

「知った上で、『私なら信じられる』って思ってもらいたい。無条件の『信じる』じゃなくて…」

言ったそばから、レジーナは自分の言葉を後悔した。そんなこと、それこそ出会ったばかりのクロードに求めることではない。レジーナは、伏せた顔を両手で覆った。

「ごめんなさい、今のは忘れて。……クロードが信じてくれたこと、嬉しかった」

ありがとうと呟いたレジーナの手が、クロードの手によって顔から引き離される。レジーナは、跪いたままのクロードから視線を逸らした。

「レジーナ、すまない……」

「謝らないで、悪いのは私」

「いや……」

そう言って首を振るクロードは、心の中で自分を責めていた。自分も、リオネル達と同じではないかと。レジーナの言葉を受け入れない、聞こうともしない彼らと同じ真似をしてしまったと悔いていた。

伝わってきた声に、レジーナが「あなたは違う」と伝えようとしたところで、レジーナの手を握るクロードの力が強まった。

「レジーナ、聞かせて欲しい。あなた達に何があったのか。……何があなたをそんなに苦しめるのか」

クロードの言葉に、レジーナはあの日のことを思い出す。あの日、エリカがレジーナの目の前で死にかけた日のことを。





あの日――

階段の踊り場に居たのはレジーナとエリカとシリルの三人だった。階段を降りる途中だったレジーナは、シリルを連れたエリカに呼び止められたのだ。

『……レジーナ様、私、今回のことだけはどうしても許せません』

『いきなりなんの話……?』

呼び止められた途端エリカに非難され、レジーナは不快を覚えた。本当に、彼女が何を言っているのかがわからなかったのだ。

『このブレスレットです』

そう言って、エリカは自身の右手首を差し出した。そこにぶら下がる銀色のブレスレットを認めて、レジーナの胸の内に言いようのない不安が込み上げる。

『あなた、まだそれを着けていたの?』

ここ暫く、エリカは、シリルからもらったというそのブレスレットを身に着けていなかった。レジーナは再三「外すように」と忠告していたが、エリカは常に困った顔をするだけ。レジーナの忠告を受け入れたようには見えなかったのだが、彼女がブレスレットを外したことにレジーナは安堵していた。

なのに、そのブレスレットがまたエリカの手首にはまっているのだ。レジーナは忌々しい思いでブレスレットを睨みつけた。

エリカが、ブレスレットを守るように左手で覆い隠す。

『……また、私から奪うおつもりですか?』

『奪う?』

『中庭の噴水に捨てられていたのを見つけました。もう二度と、このようなことはなさらないで下さい』

そこまで聞いて漸く、レジーナは彼女が何を言いたいのかを理解した。彼女は、ブレスレットを捨てたのがレジーナだと言っているのだ。それが最初の「許せません」に繋がるのかと、レジーナは呆れのため息をついた。

『私ではないわ』

『……ですが、レジーナ様はずっとこのブレスレットを外すようにと仰っていました。その状況で盗られたのですよ?』

『確かに言ったわね。けれど、だからと言って盗んだりしないわ』

『私が外さなかったのが気に入らなかったのでしょう?』

気に入らなかったのではない。レジーナは恐ろしかったのだ。

過去に一度だけ、レジーナは偶然触れたシリルの心を読んでしまったことがある。彼の内には、その外見からは全く想像のつかない暗くドロドロとした世界が広がっていた。その世界のたった一つの光。「エリカ」という名の光を、シリルは愛していた。「エリカ」は、何も無いシリルの世界の唯一で、全てだった。

レジーナは、彼のその世界おもいが恐ろしくてたまらなかった。だから、シリルが自らの想いをエリカに伝える気は無いと分かっていても、エリカに苦言を呈したのだ。既にリオネルとの親しさが周知の事実となっていたエリカに、「好きでもない相手に気を持たせるな」と告げた。シリルのブレスレットを受け取るなと。

『……あなたはリオネルを愛しているんでしょう?だったら、他の男性からの贈り物など身に着けるべきではないわ。以前にも、そう言ったはずよ』

『私もお伝えしたはずです。シリルくんは大切な友人です。男女の関係というような、そんなものは一切ありません』

例えエリカが本気でそう思っていようと、シリルの想いは違う。けれど、レジーナは読んでしまった人の心を口にするつもりはなかった。

シリルの想いに触れない以上、それ以上は話が平行線。いくらレジーナが否定しようが、エリカがそれを認めることはなく、レジーナがエリカの的はずれな非難に頭を下げることもない。

だから、レジーナはエリカに背を向けた。いつもと同じ、過去何度も繰り返してきたこと。話の通じないエリカ相手には、そうするのが一番楽だったから。

『レジーナ様、話はまだ終わっておりません』

『……離して』

ただ、その日はいつもと違い、エリカがレジーナを引き留めた。レジーナが階段を降りようと向かった先、エリカに進路を塞がれ、手首をつかまれた。

『離しません。私の話を最後まで聞いてください』

『離しなさい……!』

不用意に触れられて、彼女の胸の内など覗き見たくはなかった。エリカの手を振り払おうとしたレジーナだったが、横から伸びて来た男の手に腕を掴まれ、ギョッとした。

『まあまあ、エリカもレジーナ様も落ち着いて』

『っ!?』

そう言って、レジーナとエリカの間に割って入ったのはシリルだった。エリカに腕を掴まれたままのレジーナ。その両方の腕に手を置き、二人を仲裁するように間に立つシリル。

『離してと言っているでしょうっ!』

シリルに穏やかな笑みを向けられ、レジーナは恐慌状態に陥った。かつて見た光景が、恐怖を連れて来る。足元から這い登って来る恐ろしさに、レジーナの読心の制御が緩んだ。途端、流れ込んで来たのは、シリルの歓喜の声。

暗い暗い闇の中、長年望み続けてきた願いが今まさに叶うという喜びに、彼の心は打ち震えていた。呼応するかのように、エリカの手首にはまるブレスレットが淡い光を放つ。

『いやっ!いやよっ!離してっ!』

恐怖を抑えきれなくなったレジーナは、なりふり構わず逃げようとした。エリカから、シリルから逃げ出すため、レジーナはエリカに掴まれていた自分の腕を思いっきり引き寄せた。

そう、引き寄せたのだ。なのに――

『キャァアッ!』

『エリカッ!?』

なのに、向かい合っていたはずのエリカの身体は、腕を引いたのとは逆の方向、階段の方へと傾いていく。見開かれた黒の瞳と目が合った。レジーナが咄嗟に伸ばした手は空を切り、エリカの身体が階段を転げ落ちていく。

レジーナは、今でも忘れられない。目の前で、人の身体が段差に打ち付けられながら物のように転がっていく光景。途中、シリルの風魔法がエリカの転落を止めなければ、彼女は命を落としていたかもしれない。実際、事故の後に、激昂したリオネルには散々に責められた。打ち所が悪ければエリカは死んでいた、治癒魔法でもなかなか回復しない痛みに、エリカが苦しみ続けていると。

それでも、レジーナにとってあれは事故だった。エリカ自身も、レジーナに突き落とされたとは言っていない。ただ、落ちた瞬間のことを「よく覚えていない」と言う。けれど、その代わりのようにシリルが「レジーナ様がエリカを突き落とした」と証言し、更にレジーナにとって間の悪いことには、事故の現場を、ちょうど階段下を通りかかったフリッツとアロイスに目撃されたのだ。彼らは、「階段を落ちてくるエリカと手を突き出したレジーナを見た」と証言した。

以降、元々評判の良くなかったレジーナの名は完全に地に落ち、リオネルとの仲は修復不可能なまでに壊れてしまった。





クロードに、一部始終を話し終えたレジーナはそこで一旦口を閉じ、彼の反応を待った。だが、何も言わないクロードに、言葉を続ける。

「……私、エリカが大嫌いだわ」

「……」

「ブレスレットを盗んだって責められた時も、どうせ演技でしょう、それとも、他で恨みでも買っているのではないのって思ったくらいよ」

そう言って、レジーナは大きく息を吸う。

「だけど……、だけど別に、彼女に死んで欲しいわけじゃない」

レジーナはギュッと目を閉じた。

「エリカに、手が届かなかった。階段から落ちていくのを、ただ見ていることしかできなかった……」

瞼の裏に浮かぶあの光景を消し去りたくて、レジーナは目を閉じたまま首を振る。

「何度も、あの場面を繰り返してしまうの。あと一瞬速く、あと一歩でも前に、そうしたら、彼女に届いていたかもしれないって」

込み上げてくる嗚咽を飲み込んだレジーナの声が震える。

「……何度も何度も繰り返している内に、リオネル達にも『突き落とした』って責められて、それで、もしかしたらって思うようになったの。……もしかしたら、腕を引いたつもりだったけど、弾みで押してしまったのかもしれないって……」

それに、とレジーナは自身の胸の内にあった罪悪感を口にする。

「あれがエリカじゃなかったら、私、間に合っていたかもしれないわ。エリカ以外だったら、きっと、もっと必死だった。……私、エリカが嫌いだから」

本音を吐露して、レジーナは深く息をいた。

「……シリルが居なかったら、彼女、死んでいたわ」

多くの仮定、もしもの話ではある。けれど、レジーナが胸を張って「私は何もしていない」と言える時は過ぎてしまった。シリルの証言、リオネルに責められ、レジーナは自身の内にある醜さに気付いてしまった。

あれが、エリカでなかったら――

膝の上、固く握ったレジーナの拳に、大きな手が乗せられた。包み込むように軽く握られた両手に、レジーナは僅かに顔を上げ、跪くクロードを見つめた。

「……訓練された騎士でさえ、咄嗟の判断が間に合わないことはある」

「……」

「咄嗟だからこそ、好悪の判断などつくはずもない」

そう断言するクロードは、レジーナ以上の痛みを抱えていた。触れた手から、救えなかった後悔と力及ばなかったことへの絶望が伝わって来る。同じ場面を、何度も繰り返してしまうのもレジーナと一緒。

「……だから、あなたが気に病み続ける必要はない」

そう最後に締めくくったクロードは、レジーナの醜悪さ、エリカへの妬心を知ってなお、レジーナの言葉を欠片も疑ってはいなかった。ただ、「今のでレジーナを慰められただろうか」と、それだけを案じていた。

レジーナは泣きたいような笑いたいような、良くわからない気持ちで、クロードへの感謝を伝える。

「ありがとう、クロード」

「いや、俺は……」

何も成せていないと胸中で呟くクロードに、レジーナはユルユルと首を横に振った。

「ありがとう、話を聞いてくれて。ありがとう、私を信じてくれて。……私はやっぱり、エリカを傷つけるようなことはしていない。自分でも、そう信じられるようになったから……」

自然に緩む口元を自覚しながら、レジーナは笑った。クロードから、驚いたような感情が伝わってくる。

「……ありがとう、クロード。あなたのおかげよ」




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