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王女に殉じる
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大広間を去ったリュシアンは、その足で教会へと向かった。大聖堂に安置されているイザベルに会うためだ。彼女の身体は既に白い棺の中に納められ、生前彼女が好きだった花が周囲に敷き詰められていた。
リュシアンは若き王から貰ったばかりの大切な外套を、ボタンを外すのも面倒そうに、力任せに外した。そして、棺の側に投げ捨てた。
「⋯⋯こんなもの、欲しいと思ったことはない」
無表情ではあったが、その口調は苦々しく、哀しいものだった。
「貴女が望んでいたのは⋯⋯国の存続でしたね。だから、有能な駒であった私を繋ぎとめるために、身体を差し出したと思っていました。そして、貴女の願い通り、私はこの外套を纏うことになりましたよ⋯⋯。嬉しいですか?」
応えぬ身となったイザベルを見つめ、リュシアンは淡々と続ける。
「私は⋯⋯貴女の傍にいられるだけで良かったんです。どんな地位でも、貴女の傍らに終生いることを許されるのなら⋯⋯貴女ともう二度と引き離されないならば、何でも」
苦い思い出がよみがえってくる。
幼い頃から、リュシアンはイザベルに惹かれていた。彼女は自分のような身分の低い者にも優しくて、いつも家族や周りの人間の事を想う温かい心の持ち主だった。物心ついた頃から王女としての責務を重んじ、国のためにいつも一生懸命だった。
無論、平民である自分など、彼女の相手にはなれない。叶わぬ恋だと分かっていても、とうとう堪えられなくなった時があった。
十九歳を迎えた春の事である。
王宮の庭の木によりかかり、居眠りをしていたイザベルを見かけたリュシアンは、声をかけて起こそうとした。だが、ずっと惹かれていた少女を間近にして、魔がさしてしまった。
眠る彼女の頬に思わず唇を寄せ、キスをしようとしてしまったのだ。直前で我に返り、触れることなく飛びのいたが、それを王宮の侍女たちに目撃されてしまった。
その事はただちに、リュシアンを養育していた祖母に知らされた。彼女に激怒されただけでなく、リュシアンはイザベルの元から離され、王都から最も遠い地方の騎士団に入れられた。
地方で過ごした三年間は、リュシアンにとって地獄でしかなかった。国境線を守る戦いは熾烈を極めたが、気を紛らわせてくれなかった。祖母から徹底的に鍛えろと言われていたらしく、上官から厳しい鍛錬を強いられても、それも別に苦と思ったことはない。
それよりも、二度とイザベルの姿を見られないかもしれないという絶望の方が、あまりに大きかった。そして、待てど暮らせど、王都に戻る事は許されなかった。
イザベルが拒んだのだ。
忠勤に励み、戦功をあげるように。
彼女が送ってきた『手紙』は、いつも同じ文面だった。戦果をあげなければ、将として役に立つ男と証明しなければ、傍に戻してもらえない。
祖母から幼い彼女に自分がしようとした行為を聞いてもいたのだろう。簡単に許してもらえるはずがないと、理解した。
ならばと、出世に貪欲になった。
戻してくれないのならば、自分で戻ると決めたのだ。戦功をあげ、上官たちを追い落とし、騎士団長の座にまで登り詰めた。
全てはあの苦痛を、恐怖を、二度と味わいたくはなかったからだ。
そして、ようやく王都に戻った時、イザベルは王女らしく、『強くなったわね』と騎士としての力量を誉めてきた。やはり、そうだったのだと――――思っていた。
彼女が嫁いだ後、リュシアンは戦場へ身を投じる前に、実家を引き払うことにした。両親は既に亡く、祖母が亡くなってからは無人だ。自分もいつ戦死するか分からない身だったからだ。
そして、祖母の遺品を整理している時、リュシアンは沢山のイザベルの古い手紙を見つけた。全て自分にあてられたもので、そして読んだ事のない文章だった。
どれも自分の身体を気遣ったり、逢いたいと願う優しい言葉が並んでいた。自分の記憶にある字とも、少し違った。更に、自分が彼女へ送った手紙も見つかった。
王女付きの世話役だった祖母が、自分達の手紙を絶っていたのだと、リュシアンはようやく気付いた。祖母がそのような行為に出た理由も分からないでもない。
互いに傷つく前に、引き離してしまった方がいいと思ったのだろう。
だが、リュシアンは地方にいても、想いを捨てられず、ずっと傷を負っていた。だが、今度は当時の苦痛と恐怖とは比べ物にならない絶望をもたらしていた。
「イザベル⋯⋯」
リュシアンはその場に跪き、震える手で彼女の頬を撫でようとして、手は止まった。
やはり、触れられそうにない。
彼女の許しを得られていないからではなかった。そんな建前はもう気にすることもできない。
触れたら彼女から命が失われた事を、否が応でも感じなければならないからだ。頭では分かっていたし、異国の地で寂しく逝った彼女に、労りの言葉を贈らなければならないとも思った。
だが、彼女の突然の死を、リュシアンは受け入れられずにいる。
「⋯⋯私が国を去ることを、許してください。貴女がいないことに、私はとても⋯⋯耐えられそうにない」
身体を引いたリュシアンの頬から一筋の涙が伝って落ち、彼が腰から下げていた剣の柄に落ちた。
イザベルが贈ってくれた品だ。
それに気づいた彼は静かに微笑み、剣を引き抜いた――――。
リュシアンは若き王から貰ったばかりの大切な外套を、ボタンを外すのも面倒そうに、力任せに外した。そして、棺の側に投げ捨てた。
「⋯⋯こんなもの、欲しいと思ったことはない」
無表情ではあったが、その口調は苦々しく、哀しいものだった。
「貴女が望んでいたのは⋯⋯国の存続でしたね。だから、有能な駒であった私を繋ぎとめるために、身体を差し出したと思っていました。そして、貴女の願い通り、私はこの外套を纏うことになりましたよ⋯⋯。嬉しいですか?」
応えぬ身となったイザベルを見つめ、リュシアンは淡々と続ける。
「私は⋯⋯貴女の傍にいられるだけで良かったんです。どんな地位でも、貴女の傍らに終生いることを許されるのなら⋯⋯貴女ともう二度と引き離されないならば、何でも」
苦い思い出がよみがえってくる。
幼い頃から、リュシアンはイザベルに惹かれていた。彼女は自分のような身分の低い者にも優しくて、いつも家族や周りの人間の事を想う温かい心の持ち主だった。物心ついた頃から王女としての責務を重んじ、国のためにいつも一生懸命だった。
無論、平民である自分など、彼女の相手にはなれない。叶わぬ恋だと分かっていても、とうとう堪えられなくなった時があった。
十九歳を迎えた春の事である。
王宮の庭の木によりかかり、居眠りをしていたイザベルを見かけたリュシアンは、声をかけて起こそうとした。だが、ずっと惹かれていた少女を間近にして、魔がさしてしまった。
眠る彼女の頬に思わず唇を寄せ、キスをしようとしてしまったのだ。直前で我に返り、触れることなく飛びのいたが、それを王宮の侍女たちに目撃されてしまった。
その事はただちに、リュシアンを養育していた祖母に知らされた。彼女に激怒されただけでなく、リュシアンはイザベルの元から離され、王都から最も遠い地方の騎士団に入れられた。
地方で過ごした三年間は、リュシアンにとって地獄でしかなかった。国境線を守る戦いは熾烈を極めたが、気を紛らわせてくれなかった。祖母から徹底的に鍛えろと言われていたらしく、上官から厳しい鍛錬を強いられても、それも別に苦と思ったことはない。
それよりも、二度とイザベルの姿を見られないかもしれないという絶望の方が、あまりに大きかった。そして、待てど暮らせど、王都に戻る事は許されなかった。
イザベルが拒んだのだ。
忠勤に励み、戦功をあげるように。
彼女が送ってきた『手紙』は、いつも同じ文面だった。戦果をあげなければ、将として役に立つ男と証明しなければ、傍に戻してもらえない。
祖母から幼い彼女に自分がしようとした行為を聞いてもいたのだろう。簡単に許してもらえるはずがないと、理解した。
ならばと、出世に貪欲になった。
戻してくれないのならば、自分で戻ると決めたのだ。戦功をあげ、上官たちを追い落とし、騎士団長の座にまで登り詰めた。
全てはあの苦痛を、恐怖を、二度と味わいたくはなかったからだ。
そして、ようやく王都に戻った時、イザベルは王女らしく、『強くなったわね』と騎士としての力量を誉めてきた。やはり、そうだったのだと――――思っていた。
彼女が嫁いだ後、リュシアンは戦場へ身を投じる前に、実家を引き払うことにした。両親は既に亡く、祖母が亡くなってからは無人だ。自分もいつ戦死するか分からない身だったからだ。
そして、祖母の遺品を整理している時、リュシアンは沢山のイザベルの古い手紙を見つけた。全て自分にあてられたもので、そして読んだ事のない文章だった。
どれも自分の身体を気遣ったり、逢いたいと願う優しい言葉が並んでいた。自分の記憶にある字とも、少し違った。更に、自分が彼女へ送った手紙も見つかった。
王女付きの世話役だった祖母が、自分達の手紙を絶っていたのだと、リュシアンはようやく気付いた。祖母がそのような行為に出た理由も分からないでもない。
互いに傷つく前に、引き離してしまった方がいいと思ったのだろう。
だが、リュシアンは地方にいても、想いを捨てられず、ずっと傷を負っていた。だが、今度は当時の苦痛と恐怖とは比べ物にならない絶望をもたらしていた。
「イザベル⋯⋯」
リュシアンはその場に跪き、震える手で彼女の頬を撫でようとして、手は止まった。
やはり、触れられそうにない。
彼女の許しを得られていないからではなかった。そんな建前はもう気にすることもできない。
触れたら彼女から命が失われた事を、否が応でも感じなければならないからだ。頭では分かっていたし、異国の地で寂しく逝った彼女に、労りの言葉を贈らなければならないとも思った。
だが、彼女の突然の死を、リュシアンは受け入れられずにいる。
「⋯⋯私が国を去ることを、許してください。貴女がいないことに、私はとても⋯⋯耐えられそうにない」
身体を引いたリュシアンの頬から一筋の涙が伝って落ち、彼が腰から下げていた剣の柄に落ちた。
イザベルが贈ってくれた品だ。
それに気づいた彼は静かに微笑み、剣を引き抜いた――――。
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