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悪女と呼ばれても

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「なかなか見られる仕合だったわ」

 翌日、別れの挨拶のために自室に訪れたコレットとライナスに、長女ロベリアは開口一番に彼へこう告げた。

 属国の王にすぎないライナスにしてみると、次期国主となるロベリアは格上の存在だが、従者達は室外で控えているので彼も遠慮がない。

「本に残されますか?」
「……やめておくわ。貴方は手の内を変えてくるでしょう」

 うんざり顔になったロベリアは、コレットが不思議そうな顔をしているのに気づき、また背後に控えている男の不穏な空気も感じて、小さくため息をついた。

 ライナスは眉間に皺を寄せた《盾》を見据え、冷笑する。

「次は剣を飛ばされるだけで済むと思うな」
「貴方は殿下の本の中で俺と一度戦って、動きを覚えていたでしょう。俺は初見だったんですよ。どちらに勝算があると思いますか?」

 にらみ合う二人に、コレットは益々目を見張り、姉に尋ねた。

「本の中にいた《盾》は本物の動きをしていたの……?」

「そうよ。貴女が怖がるから顔だけ変えたけれど、戦い方は全部模倣させたわ。私は《剣》や《盾》の訓練や戦闘をよく見ているから、難しくないのよ」

 ロベリアの異能は、本に記した事を実体験させるものだが、登場人物達の言動は全て制御できる。彼女の目は現実世界の者達の動作を正確に写し取り、記すことができた。

「……彼に経験させてくれたのね」

「そういう事よ。陛下が《盾》に命じて道中襲わせるとこの男から聞いて、急いで書き起こしたの。生き延びて王都に来れば、陛下は間違いなくこの男も使うでしょう。毒を使わせたら右に出るものはいないわ」

 それを聞いていたライナスは軽く眉を上げた。

「俺がたどり着けなかったら、どうするつもりだったんです」

「そのままよ。妹には一時の平和を謳歌させるだけ。たとえ《盾》の妨害があったとしても、王都にもたどり着けない弱者なんかに、妹は渡せないわ。お分かり?」

 艶然と笑うロベリアは、悪女の名に相応しい悪辣な笑みである。コレットは咎める視線を姉に向けたが、ライナスは納得顔である。

「確かに」
「ごめんなさい。貴方、怒っていい所よ……?」

「いや、間違っていない。ただ、王宮内であるにも関わらず、毒まで使われるとはな。よく知らせてくれた」

 コレットの伝書鳩の言伝は、ライナスに届いていた。有能な鳩は、主人の命を厳守し、正しい相手にしか知らせをもたらさない。リーシュではなく、ライナスの名を使ったことで、鳩は初めて口に含んでいた小さな紙の塊を吐き出したのだ。開いてみれば、小さな字で毒の事を訴えていた。水に強い質の紙らしく、唾液に字が消える事もなかった。

「下の姉様が教えてくれたの。でも……今考えてみると不思議ね。姉様の傍にいつもいるのは《剣》よ?」
「あの乱入してきた男もその一人か?」

「シオンね。そうよ。彼は将来《剣》の長となると言われている実力者よ」
「……その男と随分親しそうだったな?」

 ライナスの視線を向けられた男は、ロベリアが笑みを浮かべたのを見て、肩をすくめてみせた。

「あいつは幼馴染なんですよ」
「伝書鳩を私に手渡してきたのも、気づいていたからか?」

「そうでしょうね。周りの目がありますから何も言ってきませんでしたが、あいつは姫様の護衛を長年務めていますし、姫の手の内はよく知っています。鳩も頑なに口を開けようとしていませんでしたから、何かあるなとは思っていました」

「…………」

「ロベリア様が表立って動くのはあまりよろしくないので、手を借りました」

 そう言って、男は肩をすくめ、ライナスはロベリアに視線を戻した。

「……貴女も籠の鳥か」

 微笑むロベリアは、三姉妹の中でも最も自由に動いているように思われた。だが、彼女の傍にいる《盾》の男はこうして会話をしながらも、常に外に注意を払っている。コレットを本の中に放り込んだ行為だけでも、相当周囲に警戒されたに違いなかった。

 だが、ロベリアは腐らない。

「私は自ら留まってやっているのよ」
「……そうか」

 小さく頷いたライナスから、ロベリアはコレットに目を向けた。

「貴女はもう出ていきなさい」
「でも、姉様達は……」

「あの子は行けと言うわよ。そのために手を貸したはずよ。そうでもなければ、あの子の大切な《剣》まで巻きこんだりしないわ。気持ちを汲んであげなさい」

 コレットは小さく頷くと、ロベリアは更に容赦なく言い放った。

「そうそう、貴女が私の心配をするなんて千年早いわ。悪女と呼ばれた程度で涙ぐんでいるような、役立たずの小心者は、我が国には不要よ」

 ライナスが彼女を軽く睨もうが、盾の男があきれ返った顔をしようが、コレットが涙目になろうが、ロベリアの苦言は止まらない。

「だから、今は出なさい。本の中にいる限り、この国にいる限り、貴女はまだ傷つくだけだから」

「…………」

「でも、貴女の恋がかなわないとは、私は一言も書いていないわよ」

 そう言って、ロベリアは初めて最愛の妹に優しく微笑み、送り出した。



 ロベリアの前を辞すと、コレットはライナスを伴って青の塔へと向かった。普段は近寄る事さえ許されなかったが、祖国を離れるという事で父王に特別な許可をもらったのだ。

 だが、今まで通り直接言葉を交わすことは許されず、塔の周囲にも武装した兵士達が大勢いた。警護と監視を兼ねたものだ。

 コレットを見て彼らはそれでも気を利かせて、少し離れた場所へと下がったが、塔の扉は堅く閉ざされたままである。青の塔の由来となった花々が美しく咲いているのをコレットは見つめ、ゆっくりと顔を上げて、顔を綻ばせた。

 一方のライナスは、その場に留まっていた騎士に声をかけた。

 仕合で飛び込んで来た《剣》――シオンである。死闘の場に顔色一つ変えずに加わってきた男は、属国の王を前にしても相変わらず表情一つ変えない。

 ただ、その声音は意外にも穏やかなものだった。

「素晴らしい腕前でした。コレット殿下も、貴方様に守られているなら安心です」
「俺も同じことを思った」
「…………」

「お前も、いつも空を見ているのか?」

 シオンは黙って顔を上げた。遥か高い塔の上から、そっと姿を見せて、涙を零しているコレットに優しく手を振っている姫の姿があった。

 だが、シオンは何も言わない。口に出すことさえ許されないのだろうと、ライナスは察して続けた。

「俺は一度受けた恩は忘れない。お前が割って入ってくれたから、勝機が見えた――」

 あの御前仕合では、ライナスは相手の手の内を把握していても、互角に渡り合うのがやっとだった。向こうも手を抜けば、仲間に勘付かれるとあって、両者引くに引けなくなっていた。

 シオンが割って入って混戦となり、この男が自分を本気で殺しにかからなかったことで、あの場を治めることができたのだ。王も《剣》と《盾》の優秀な若者たちを罰する事は出来なかった。

「――だから、必ずこの恩は返す」

 そうライナスが告げると、不愛想なシオンはわずかに柔らかく笑った。



 昼過ぎになって、コレットはライナスと共に彼の国へと旅立った。

 第三王女の出立にもかかわらず、見送る者は殆どいない。王都を通る騎馬隊や馬車に対して、人々は道を開けつつも、その眼差しはけして好意的なものではなかった。

 ライナスはこの視線に慣れていた。王都に入った時も似たようなものだったからだ。それも自身が属国の者だからだろうと思っていたが、王女が嫁入りのために去るというにもかかわらず、人々は大して変わらない。

 王都を出ると、ライナスはつい苦い顔で呟いた。

「ずいぶんと冷たいと思うのは、気のせいじゃないな?」

「ええ。また父様があることない事吹聴させたと思うわ……いつもの事よ」

 馬車に同乗しているコレットは淡く笑った。

 謀略が失敗し、国王の機嫌は最悪である。
 だが、大勢の前でライナスの帰国に合わせて、コレットを同行させると約束してしまっている。失敗した《盾》を叱責する事もできたが、《剣》までも乱入しているだけに、責めきれない。

 なによりも、最も国王に腹を据えかねていたライナスが、そのままにはしなかったからだ。

 仕合を終えてコレットを伴って王の前にやって来た彼は、にっこりと笑って、コレットを連れて帰ると堂々と宣言した。言いがかりをつけようとした国王だったが、ライナスはそんな彼の前に短剣を取り出して見せた。

 地面に転がっていたはずの物を、いつの間にかこの男は拾っていたのだ。

『これは記念に貰っていきます。良い土産話ができそうです』

 蒼褪めた国王が二の句を告げずにいるのを良いことに、ライナスはさっさと懐にしまってしまったものである。
 稀有な毒を塗り付けられた刃は、属国の王の手に落ちた。

 それはライナスを殺めようとした証拠となり、また国王へと向けられかねない凶刃とも化す。
 しばらく国王は眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。

「そうか。まあ、可愛い貴女を私が奪い去ったのだから、仕方ないな。相応しい悪評を流してもらおうか」

 飄々としたライナスは、相変わらず動じない。

 それがあまりに頼もしく、コレットは穏やかに微笑んだ。悪女三姉妹と詰られて何度も傷ついたものだが、今は不思議と笑う事が出来る。

 それは、自分というものの『真実』を彼は知ってくれているからだと、理解した。
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